作戦会議
散歩から戻ってきた私は、メイドたちに手伝ってもらって少し早めに入浴を済ませた。
十分に温まって水分補給をすると、まだ食事の前だというのにうとうとしてくる。
私は新しい水色のドレスに着替えるとお揃いのカラーの髪飾りで髪をまとめてもらい、眠気に耐えながら昼食を待つ。
ところがそこへ、暗い顔のマイラがやってきて報告を聞くと眠気が吹き飛んだ。
「え?あの本を見られたかもしれないの?」
マイラは静かに頷く。
私が悪女になるための参考書たちを、ダナンさんに見られたかもしれないと彼女は困っていた。
「見られてそんなにまずいことは……あるわね」
おじいさまの残してくれた書物たちは別にいいとしても、私が持ってきたあれは見られたくない。
でももう手遅れかも?
気まずい。
あれを見られたとすればものすごく気まずい!
うまい言い訳を必死で探す。
「あぁいう本を集めるのが趣味なんですと言って開き直るしか……」
私がそう言うと、マイラはもっと警戒すればよかったと嘆いた。
「私のせいです。なので、あれは私の荷物が紛れ込んでいたということにしましょう」
「捨て身すぎるわよ、マイラ」
どちらにせよ、二人で何を読んでいるんだと残念な印象にはなる。
しかも本物の悪女ならあんな本はいらない。
結局答えは出ず、私はとりあえず本を隠すことを思いつく。
「ねぇ、書庫に隠せばいいんじゃない?」
公爵家の書庫には、ものすごくたくさんの蔵書がある。
あそこに紛れこませれば……と私は思った。
「この部屋にあるよりはいいでしょう?ほかのメイドにもいつ見つかるかわからないし」
トランクには鍵がかけてある。だからといって、気を抜いていて見つかるという事態もありえる。
「それはそうですが……書物はもう全部読んだのですか?」
「ええ、目を通したわ。なんていうか、恋愛が忙しいということはわかった」
「??」
悪女の日常や行動パターンはいくつか参考にできそうな記述は見つかった。
ただ、初夜に男女が何をするかという描写については卒倒しそうなことばかりで……。
「人間の繁殖って複雑なのね。話に聞いていた数百倍は大変そうだった」
「一体どんな知識を学んだのですか?相当に偏ったものなのでは」
マイラが不安げだ。
うん、私も不安よ。
「とにかく、いったん書庫に隠してきてくれる?」
「わかりました。あそこにある本はほとんどが茶色か赤の装丁ですから、リネット様の物はすぐに見分けがつくと思います」
私が持ってきたのは、すべて深緑色の装丁だ。
一番奥の壁際にある本棚に紛れ込ませておく、とマイラは言った。
「では、書庫にはのちほどもう一度向かうとして……」
「ええ、まずはお化粧をお願い」
入浴してさっぱりした私は、すっかり化粧が落ちてしまっている。
これではアルフレイド様の前に出られない。
私は化粧台の前に座り、マイラが化粧道具の入った箱を持ってくる。
「くしゅんっ!」
「大丈夫ですか?リネット様」
「鼻がムズムズして……」
風邪を引かないように気をつけないと。今夜は暖炉の火を強めにしてもらおうと思った。
マイラは私の顔にクリームを塗ろうとして、目の前にあった小瓶に気づいた。
「これは香水ですか?」
「あっ、そうなの!アルフレイド様が私にって、散歩の後にくださって」
ピンクのガラスの小瓶は、底の部分が銀細工の花模様があしらわれている。
蓋の部分は美しい蝶の形をしていて、贈られたときは「なんてかわいらしい香水瓶だろう」と感動した。
「ドレスもそうだけれど、男性から物をいただいたのは初めてよ。こんなに嬉しいとは思わなかった」
アルフレイド様はきっと女性へのプレゼントなんて贈り慣れているだろうな。
私だけが特別じゃないのはちょっと寂しいけれど、私はこれをずっと大事にしよう。
「こちら、つけてみますか?」
「ううん。大事に取っておく。見ているだけで幸せな気分になれるから、ここに飾っておくの」
満面の笑みでそう言うと、マイラもまた「そうですか」と言って微笑んだ。
私が瞼を閉じるとマイラがぽんぽんと肌に粉を少しずつ乗せていき、再びお姉様のような華やかな顔に変わっていく。
マイラの化粧の腕前は明らかに上がっていて、仕上げのスピードも速くなっている。
だから、「露出の多いドレスは寒いし恥ずかしいし、化粧もしんどい」という悪女疲れについては何となく言えなかった。
お姉様に限らず、淑女の皆さんは毎日こんなにしっかり化粧をしているのね……。女性としての努力の差を感じた。
寒くてもオシャレのために我慢して、いつもきれいにしている悪女って女性の中でも努力家なんじゃない?
夜会や舞踏会にも頻繁に参加して、たくさんの男性とおしゃべりして夜も共にして、かなりの体力と精神力を持っているようだし……。
にわかでも悪女になろうとするのは大変だ。
脳裏にはもしもお姉様が今の私を見たら、とそんな想像が浮かぶ。
──ふふっ、バカじゃないの?あなたが私になれるわけないじゃない。
言いそう。小ばかにした笑みを浮かべて、「早くやめれば?」とも言われそう。
そんなことを考えていると、マイラが筆を置く音がカツンと鳴って我に返る。
「できました」
「ありがとう」
勝手に想像して落ち込んでいる暇はない。
マイラが椅子を引いてくれて、私はスッと立ち上がる。
「私も書庫へ行くわ。ここで生きていくなら、もっと町のことや歴史についても学びたいし」
「わかりました」
「それに二人の方がいっきにアレを運べるもの」
扉が閉じてあるクローゼットに二人の視線が向かう。
あの中にあるトランクを書庫へ……!
私とマイラは無言で見つめ合い、そして頷いた。