あれを見られたかもしれない
二人が散歩に出かけた直後のこと。
アルフレイドの執務室を出たマイラは、ダナンと一緒に廊下を歩いていた。
(この方、どこまで着いてくるつもりなんだろう)
別棟にある書庫へ行く、と言ったマイラに対し「送りますよ」と笑顔で彼は言った。
ただの世話係を送ってくれる必要などないと断ったが、ダナンは強引についてきている。
「怒ってます?マイラさん」
「いいえ」
マイラも彼への不信感を隠し、笑顔で否定する。
傍目にはにこやかに談笑する二人にしか見えないが、互いに本心を探り合っていた。
「私が何に怒っていると思われたのです?お心当たりがありますか?」
「そうですね。たとえば、リネット様のご予定を急遽変更したこととか?」
「それは私が怒るようなことではございません」
「そうですか?」
「ええ」
公爵閣下の従者とマイラでは身分が違い過ぎる。
何をされても怒ることはできないことがわかっているのに、なぜこんなことをわざわざ聞くのだろうと疑問に思った。
(こうして私なんかと一緒に歩いている時点で、身分や上下関係に厳しい人ではないとわかるけれども)
表面的にはダナンは紳士だ。
それに目を見れば、どこか楽しんでいるのだとわかる。
(高圧的な雇い主よりはいい。でもめんどうね)
何が楽しいのだろうか?
マイラは次第に呆れる気持ちの方が大きくなってきた。
「ダナン様」
「はい、何でしょう?」
「リネット様の疑いは晴れました?」
「……」
マイラがここへ来てまだ七日。それでも、ここの使用人が優秀で勤勉であることはわかっていた。
急遽予定が変更になったとしても、きちんとリネットまで伝わらないはずがない。
メイド長の様子から、ダナンがギリギリまで教えなかったのだとマイラは思った。
「衣装の採寸の際に、リネット様のことを調べさせたのでしょう?私たちが何も隠せないように、急に予定を入れて騙すなんて悲しいですわ」
頬に右手をあて、大げさに悲しそうなそぶりをしてみる。
ダナンもマイラがわざとそうしていると察し、困ったように笑って詫びた。
「お気づきでしたか。大変失礼いたしました」
「謝罪は私ではなくリネット様に」
「……ですが、なぜ止めなかったのですか?」
ダナンの質問に、マイラはさらりと答える。
「その必要がないからです」
リネットは、鍛えられた暗殺者でも間諜でもない。
ただの伯爵令嬢だ。
身体的に調べられたところで何一つやましいことはないと自信がある。
「でも、なぜ今なのです?初夜の前に調べた方がよかったのでは?」
「あぁ、それも気づきます?」
ダナンは右手で頭を掻き、観念したように説明した。
「元々、リネット様がアルフレイド様に危害を加えるとは疑っていません。それに、もし寝室で襲われたとしてもアルフレイド様なら平気です」
「随分とお強いのですね、公爵閣下は」
「ええ、それでなければここの領主は務まりませんので……と、話は逸れましたが、初夜に関してはアルフレイド様への荒療治といいますか」
「は?」
「いえ、ベッドの上でならリネット様の目的が聞き出せるのではと思って私が勧めました」
目的と言われても、とマイラは眉根を寄せる。
嫁げと言われて嫁いだだけなのだから、聞かれたところで何も出てくるはずもない。
ため息をつくマイラ。無礼とわかっていても、ついため息が漏れてしまった。
(リネット様が本来の姿を見せられない以上、信じてくれと言っても無理な話だし……。どうしろと?)
だんだんと腹が立ってきたマイラの様子に気づき、ダナンはわざと明るい声音で告げる。
「リネット様が間諜ではないという確固たる保証が欲しくて、今日は調べさせていただきました。これは私の判断です。大変に失礼いたしました」
「私に謝らないでください、人に見られたら困ります」
マイラはそう言うと、再び歩き出した。
しかしダナンはそれを呼び止める。
「でもなぜ荷物があれほど少なかったのです?伯爵家が裕福でないことは知っていますが、いくら何でも少なすぎると」
「…………」
馬車1台に収まるだけの荷物で、公爵領へ出発したリネット。
荷造りをしていたとき、マイラはマリアローゼの衣装や宝石をもっと持っていくべきだと提案していた。
いざとなればそれらを売って金に換え、途中で逃げることができるからだ。
でもリネットは、首を横に振った。
──ここにあるものはお姉様の物だし、それにいずれは両親がこれを売って生活しなきゃいけないと思うの。だから置いていくわ。
リネットがどうしてもと言って持ってきたのは、祖父が遺した書物だけ。
(あの家には、リネット様が持ち出したくなる物はなかったのよ)
ずっと一緒にいたマイラは、両親の愛情がマリアローゼだけに向けられていたことを知っている。
リネットが、早々に両親からの愛情を諦めていたことも。
(私だって、リネット様にはちゃんと支度を整えてから嫁いでもらいたかった)
いかに理不尽を強いられたか、マイラはダナンに何もかもぶちまけたくなるくらいだったが、リネットのいないところで勝手に話すことはできない。
せめて事情を汲んでくれと、マイラは精一杯の笑顔を作りダナンに向き直って言った。
「ダナン様にはご家族がいらっしゃらないんですか?いればわかりますよね?」
「あ、はい」
言外に「親のためですよ、わかりませんか!?」と訴えかければ、ダナンはマイラの苛立ちを察したらしく笑顔がやや引き攣る。
それを見たマイラは、さらに続けた。
「まぁ、リネット様ほどの美貌があれば何だって似合いますから。こちらで公爵閣下にドレスを贈っていただいた方がいいでしょう?」
疑って勝手に調べた分だけ、これからも遠慮なく買わせてもらおう。マイラはそう決めていた。リネットは遠慮するだろうが、そこは「公爵夫人らしさ」「悪女なので」という言葉で押し切ろうと思った。
「それでは失礼いたします」
マイラは丁寧に礼をすると、足早に書庫へと向かう。
ダナンが追ってくることはなかったものの、目的の書庫の扉の前に着いてからふと疑問が浮かぶ。
「書物のトランクも調べられた……?」
衣装が少ないことしかダナンには聞かれなかったが、持ってきた複数のトランクの中にはリネットが王都で買った本も入っていた。
今はクローゼットの中に隠してある、「悪女指南書」の存在を思い出す。
『実録!世界の悪女たち』
『本当にあった恋の話』
『これであなたも小悪魔系痴女!』
『男を虜にする100の方法』
『恥平線で会いましょう』
あれを見られたらまずい。いや、もう見られているかもしれない。
背中を冷や汗が伝うのを感じた。
「ちょっ……ダナン様!?」
振り返っても、長い長い廊下には誰もいない。
引き返してダナンに尋ねた方がいいのか、それとも忘れた方がいいのか?
扉に手をついたマイラは、しばらくそこで悩んでいた。