忘れてください
冷たい風が頬を撫でる。
めったに外へ出ない私には、慣れない寒さだった。
「大丈夫か?」
「はい」
ミルクティー色のロングコートを着た私は、アルフレイド様の左腕にしがみつくようにして歩いていく。彼は「砲台まで行きたい」という私の要望に応えてくれたばかりか、一緒に来てくれていた。
ちょうど休憩するところでしたので……とダナンさんも快く送り出してくれて、私たちは思いがけず二人きりで散歩をすることになった。
「アルフレイド様のくださったコート、とても温かいです。こんなに軽いのに風は通さないんですね」
衣装のことは詳しくないけれど、王都ではこれほど防寒防風機能の高いコートは売っていないだろう。
公爵領の厳しい寒さが窺える。
「君の着ていたものでは寒いと思って。あれでは邸の敷地内でも行ける場所が限られるだろう」
「お気遣いありがとうございます」
私が着てきたケープは、おばあさまのおさがりだ。
デザインはマイラが少し変えて今風にしてくれたけれど、古いので防寒具としては心もとない。
ドレスといいコートといい、何もかもアルフレイド様に用意してもらって申し訳ない。
でもコートは本当に助かった。
砲台に到着すると、ところどころ石やレンガが欠けているもののとても頑丈そうな造りに驚く。
「わぁ……二百年も前からここにあるのに、立派なままですね」
マイラも誘ったけれど、遠慮されてしまった。
アルフレイド様たちの前だから口にはしなかったけれど、マイラの目が「ただの丸い広場を見ても……?」と言っていた気がする。
こういうのは、かつての暮らしや戦いぶりを想像するのが楽しいのに。
マイラには何度も「歴史があるから今があるの」と熱く語っているけれど、毎回理解されずに私が興奮してはしゃいで語って終了である。
目を輝かせる私を見て、アルフレイド様がぽつりと呟く。
「君は変わっているな」
その言葉にどきりとした。
好奇心に負けてしまったことに今さら気づき、焦りが込み上げてくる。
どうしよう。
お姉様は砲台になんて興味ないし、砲台と恋愛経験豊富かどうかは無関係にもほどがある。
ここからがんばって巻き返す……のは無理だ!
動揺して無言でいると、アルフレイド様が言いにくそうな顔で尋ねる。
「なぜこんな場所に興味が?」
「えーっと」
「軍人と付き合っていた、とか?」
「はぃ?」
軍人と?
私は目を瞬かせる。
「いえ、あの、おじいさまが……」
うちは、母方の祖父が軍人だったのだと話すとアルフレイド様は何かを思い出したように「そういえば」と漏らす。
「ご存じでしたか?」
「あぁ、いや、その、縁談が決まったときに一通り報告書を見たというか知らされたというか」
それもそうだ。公爵家に入る娘がどこの誰かは調べるだろう。
「当然です。見ず知らずの娘がやってくるのですから、身上書を確認するのは普通のことです」
我が家は貧乏だけれど、調べられて困ることなんて何も……
って、私は嘘をついているけれど!
カーマイン伯爵家には特に調べられて困ることはない。
私は慌てて話題を元に戻した。
「幼い頃、おじいさまがよく港の砲台へ連れて行ってくれたのです」
「そうか」
「15才のデビュタントの少し前に亡くなりましたが、私は祖父が大好きでした。貴族らしからぬ豪快な人で、母とはあまり仲良くなかったのですが、私にとっては楽しい話をしてくれる優しい人でした」
私とローゼマリーを差別せず、姉妹のどちらも大事にしてくれた。
両親よりも私のことを愛してくれていたと思う。
そういえば、おじいさまはよく「結婚するなら騎士にしろ」と冗談で言っていた。
強くて信頼できる騎士を見つけなさい、と。
奇しくもそれが叶っているのだから、人生は何が起こるかわからない。
「最初に会ったとき、君が感謝と労いの言葉をくれたのはそれでなのか」
「え?」
最初とは、あの最初だろうか……?
完全に油断しきっていたあのときの。
今はちゃんと悪女メイクをしているのに、私はつい顔を両手で覆って頼んだ。
「すみません、あのときのことは忘れてください」
「なぜ?」
「あのときの私は私ではないと言いますか、お恥ずかしい姿を見せてしまったので」
本当に忘れてほしい。
あやうく嘘がバレるところだったのだから……。
俯いていると、頭上からふっと笑う声が聞こえてくる。
ちらりと見上げれば、その目がとても優しくてどきりとした。
あぁ、これは無理よ。
たくさんの女性がこの方に夢中になるのがよくわかる。
この笑顔を見ていると、もう少し一緒にいたいと思ってしまう。
「できればまた見てみたいものだな」
「そ、それは……」
からかわれているの?
必死になればなるほど、墓穴を掘る気がする。
私の動揺がわかっていながら、アルフレイド様は笑みを浮かべていた。