初夜失敗からの…
「くしゅんっ!!」
「リネット様、こちらのショールをお使いください」
「ありがとう」
ううっ、ドレスが薄い。
肌寒い。鼻がムズムズする。
イールデンに来て早七日。
私は城内を見て回ったり、本を読んだり、刺繍をしたり……平和すぎる公爵夫人生活を送っていて、アルフレイド様とは会えていない。
彼は毎日早朝から訓練に励み、その後は執務に追われている。
魔物が近くに出たと報告が入れば、自ら騎士たちを率いて討伐へと向かっていた。
いつ寝ているの?
そして、いつ遊んでいるの??
遊び人だっていわれていたのに、少なくともこの七日間のアルフレイド様はただの働き者のイケメンだった。
「立派な領主様」「辺境屈指の騎士」という、いい部分しか見えていない。
一人で朝食を取っている私は、ついついあれこれ考えてしまった。
「女性の騎士や補佐官の中に恋人がいるとか……?」
遊び相手がご令嬢とは限らない。
イールデンには女性の騎士がたくさんいて、皆とてもすらりと引き締まった健康的な体躯をしている。
儚げな貴族令嬢とはまた違った美しさがあった。
女性騎士たちの訓練を見学したのは、完全に趣味だ。
あのときは悪女モードなんて忘れて、つい見入ってしまった。
ちなみに、一昨日の散歩中にご挨拶した赤髪美女騎士のグランディナ様は私の最推しである。「素敵……あの方になら斬られてもいい」と思わず言ってしまったらマイラに「どういうご趣味ですか?」と真剣に心配された。
「でも悪女が好きなのよね……?」
私以外に、悪女っぽい女性を見かけていない。
まぁそれ以前に、アルフレイド様とも会えていないだけれど。
同じ寝室を使ったのはあの晩だけで、翌日からは「しばらく忙しいので各々の寝室で眠ろう」と言われたのだ。
まさか、私がきちんと初夜をできなかったから避けられている?
早くも妻失格の烙印を押された!?
朝起きたらすでに彼はいなくなっていて、私は毛布と掛け布でぐるぐる巻きになって寝ていた。アルフレイド様が寒い思いをしたのでは、とひとりで青褪めたけれど真相はわからない。
「困ったな」
読んでいた『閨の作法12000通り』の分厚い書物を閉じ、頭を悩ませる。
「お姉様を参考に着飾っても、アルフレイド様に会えなければどうしようもないのよね」
ここ数日で特訓した甲斐あり、口調も所作もお姉様にかなり近づいてきた。それなのに「実践の場」はまだない。
う~んと頭を悩ませる私に、マイラが見かねたように声をかける。
「公爵閣下にお会いできないのであれば、リネット様らしいお召し物を……と思うのですが」
「ダメよ、気を抜いていたときに限ってアルフレイド様に会いそうで怖い」
「ですね」
アルフレイド様のご予定は執事のゲイルさんからある程度は報告されるけれど、それだって変更になる可能性はある。
油断はできない。
初対面でいきなり「リネット」で会ってしまったから、もう失敗したくないのだ。
ここで扉をノックする音がして、メイド長がやってきた。
茶色の髪を後ろでまとめたメイド長は、はきはきとした四十代の女性・アン。いつも背筋をピンと伸ばしていて、昔いた家庭教師の先生を思い出す。
「リネット様、お衣装合わせのお時間でございます」
「え?」
「ドレスサロンと宝石商の者たちが到着しました」
「んん?」
そんな予定は聞いていない。
私と同じくマイラも不思議そうな顔でメイド長を見ていた。
「ダナン様から急遽予定が入ったと……まさかリネット様には」
「何も聞いておりません」
マイラが答える。
メイド長はなぜきちんと話が伝わっていないのだと困惑していた。
ここでマイラがふと思い出したかのように言う。
「そういえば昨日、ダナン様から『伯爵家から荷物を載せた馬車がまだ来ない』と言われたのです」
「そんなもの来ないわよね」
「ええ。ですから、そうお伝えしたら驚いていらして……」
私が持ってきたのは、姉のドレス5着とそれに合わせた靴、あとは幾つかの装飾品だけだ。別の馬車なんて貧乏伯爵家の両親が出してくれるわけがない。
空っぽの衣装室に気づいたメイドたちが、ダナンさんに尋ねたのだろう。それで彼はマイラに……。
──たった5着ですか?
ダナンさんはものすごく不思議そうな顔をしていたとマイラは言う。
それもそうだ。私だっておかしいことくらいはわかる。
かといって、どうしようもない。だってお金がないのだから。
「リネット様はこだわりが強い方なので本当に気に入った物だけを厳選してお召しになるのです、と伝えたのですが」
マイラ、それらしい理由をつけてくれたのね!
無理やりな理由だが一応筋は通っている。
あぁ、でも押し通せなかったんだ。
ダナンさんが、私に服を買えと手配してくれたんだとわかった。
私はひそひそとマイラに相談する。
「この場合って支払いはどうなるの?」
「それは当然公爵閣下でしょう」
ですよね。ドレスサロンや宝石商の人を呼んだのは私じゃないもの。
え?いいの?
買ってもらってもいいの?
「でも別に5着で生きていけるのに買うの?」
「ですが浪費してこそ悪女っぽさが出るのでは?」
「う~ん」
人のお金で?ドレスを買うの?
なくても生きていける物を買うのかと思うと気が引けた。
私が悩んでいると、メイド長が予定にない来客に困っているのだと感じたらしく、「やはり断りましょう」と口にする。
公爵夫人ってそんなに偉そうなことしていいの!?
追い返す勇気もない私は、すっと立ち上がって言った。
「いいわ。案内してちょうだい」
あ、今のはちょっと悪女っぽい言い方ができたんじゃない?
私は上機嫌で部屋を出て、メイド長とマイラと共に来客の待つ部屋へと向かった。