リネットの場合①
どこまでも続く雪原。
馬車の窓を開ければ、頬を刺すような冷気が流れ込んでくる。
生まれて初めて見る雪に、私は感動で胸がいっぱいになった。
「すごいわ、雪がこんなにキラキラしているなんて知らなかった!ふわふわで真っ白で、あぁ……今すぐ飛び込みたい」
「絶対にダメです、リネット様」
「冗談よ」
早く窓を閉めてくださいと、世話係のマイラが眉を顰めながら言った。
どうやら、寒いのは苦手らしい。
見渡す限り一面の雪で、私たちが暮らしていた王都と比べると段違いに寒い。
窓から入ってきた風に流され、私の長い金髪が揺れる。
「今そのようになさらなくても、これからずっと見られますよ」
私は「ごめん」と小さく言ってから窓を閉めた。
王都育ちの私が雪を見るのは初めてで、つい興奮してしまったのだ。
こんなに綺麗なものが空から降ってくるなんて、この目で見ても信じられない。
私はこれから天国へ行くのだろうか?
もう天国に着いているのかもしれない、とさえ思うほど美しい光景に胸が躍る。
「ねぇねぇ、こんなに素敵なところだと知っていたら、お姉様も『やっぱり自分が嫁ぐ』と言って悔しがるかも?」
マイラに向かってそう言えば、彼女は小さく息をついたから言った。
「それはあり得ません」
「……そうね、この雪では気軽に夜会へ行けないものね」
「はい。マリアローゼ様は華やかな場所が大好きですから絶対にここへは来ません」
私が向かっているのは、王国の最北端にあるイールデンの街。
公爵領の中心部であり、冬は雪に閉ざされ自然の要塞になると言われている。
観光地ではないので、王国民のほとんどが一生のうち一度も行かない地域だった。
私はこれから、ここで暮らすことになる。
縁談を嫌がって逃げた姉の代わりに────。
「お姉様ったら家出なんてして……、今頃どうしているのか?」
3カ月前、18歳になったばかりのある日。
王家からの使者が我が家にやってきた。姉のマリアローゼに対し、「アルフレイド・クラッセン公爵のもとへ嫁げ」との命令だった。
うちは名家でも何でもない、ごく普通の伯爵家。家格は中の中、王家から縁談が持ち込まれるような家柄ではない。
両親と私たち姉妹は「なぜ?」と揃って首を傾げた。
使者に理由を尋ねると、公爵様たってのご希望だという。
公爵様は23歳にしてかなりの恋愛上級者でいらっしゃって、妻にも同じような感性を持つ女性を求めているらしい。
『恋愛経験豊富で、男を手のひらで転がせる余裕のある女性』が好みだと明言していると。
一般的に貴族令嬢には貞淑さと恥じらいが求められるから、公爵様のお好みはちょっと変わっている。
アルフレイド・クラッセン公爵様は、国王陛下にとっては弟の子、つまり甥にあたる。
魔物の多い辺境で国防を担っている素晴らしいお方で、そのようなお立場の方が未婚で跡継ぎもいないのは王家として見過ごせない。
というわけで、彼の好みの女性を探し出して婚約を打診してきたのだった。
『私は嫌よ!辺境なんて行きたくない!魔物も出るし、楽しいことが何一つないじゃない!』
姉のマリアローゼと妹の私・リネットは双子で、艶のある金髪も紫色の瞳もまったく同じ。化粧をしなければ両親でも間違えるくらいそっくりだ。
でも、性格は正反対。
姉は社交的で、いつも素敵な男性たちが迎えに来ては夜会に繰り出し、私は毎日書庫に引きこもって読書をしていた。
姉は恋多き女として有名で、クラッセン公爵様のお好みにぴったりだった。
ただし、姉はいくらお相手の身分が高くても「田舎は嫌!」と言って断固拒否。
両親は必死で説得したものの、縁談が寄せられて3日後には誰にも行き先を告げずに失踪してしまった。
「おそらく、数多くいる恋人のうちの誰かのお邸にいらっしゃるんでしょうね。マリアローゼ様は社交界きっての『悪女』と有名でしたから、匿ってくれる男性はいくらでもいそうです」
「あちこち探したのにまったく手がかりがなかったのはそういうことでしょうね」
宿に泊まっているなら何らかの手掛かりは攫める。それが一切なかったのは、誰かが匿っているということだ。
姉を溺愛していた両親の憔悴しきった顔が頭をよぎる。
「まったく、カーマイン伯爵家のご令嬢としての責任を放棄して逃亡するなんて……!リネット様が身代わりに嫁がされるとも知らずに!」
マイラは相当に怒っていた。
3つ上のマイラはずっと私の世話係としてそばにいてくれた、実姉のマリアローゼよりも姉みたいな存在だ。だから私がその「身代わり」になるのを悲しんでくれている気持ちはわかる。
でも、私としてはもう諦めがついたというか、むしろ王命なのに私が代わりになることで丸く収まるのならそれでホッとしたくらいだった。
「まぁまぁ、もう仕方がないじゃない。支度金はお姉様が全部持って逃げちゃったんだし、もし縁談を辞退できたとしても支度金を返すには借金することになってしまう。私はお姉様と違って恋人もいないし、本さえあればどこだって平気だからこれでよかったのよ」
「でも……」
すでに書類に署名はした。
何を嘆いたって、私はクラッセン公爵夫人になったのだ。
「お相手の公爵様だって、ちょっとだけ女遊びがお好きっていうだけで騎士としてはとても優秀で立派な領主だって聞いたわ。だから大丈夫!」
「ちょっと……?」
「えっと、うん、そう、『ちょっと』よ」