なすのせ
「お盆にはこういうの飾るんだって!さっき八百屋さんでママと買ってきたの!」
そう言いながら、タカシは手にしているエコバッグをブンブンと回して、それだけでは足りないのか、その場でピョンピョンと飛び跳ねている。エコバッグからは、タカシの動きに合わせてナスとキュウリがヒョコヒョコと顔を出している。
「おやおや、おかえり。」
奥から母さんが出てきた。腰に下げたタオルで拭きながら出てきたのをみるところ、多分スイカでも用意していたのだろう。『あんまり気を遣わないでください。』という妻の発言は、いい具合に無視された形になる。
「タカちゃん、ばあちゃんスイカ切ったんだけどー」
「ごめん、おばあちゃん、今忙しいから!」
そういうとタカシは、靴を脱ぎ捨てて客間に向かっていった。後ろから妻のサエがタカシの靴を直しながら入ってきた。
「すみません、おかあさん。せっかく用意して頂いたのに。」
「いいのよ、私が勝手に用意しただけだから。」
母さんへの謝罪をやり過ごしたサエは、頭を上げる動作の延長のように、僕にスッと目を合わせた。
ちゃんと言った?音としては聞こえていないはずの声が、僕の胸の奥にたしかに響いた。僕はゆっくりと、母さんに気付かれないように、そっと頷く。サエは僕の頷きを確認すると、タカシ私も手伝おうかー、と客間へと消えていった。
「私、無理だからね、こんな田舎に引っ越すの。」
行きの車の中でそっと呟いたサエの言葉が頭をよぎる。サエの声が頭の中から消えるのを待って顔を上げると、居間には誰も居なくなっていた。
今年、僕の実家は初盆を迎えた。その初盆の迎えた僕の実家の新しい主に、今日僕は伝えなければならない。
「母さん、ごめん。僕たちはこの家には住めない」と。
客間では、タカシが早速工作に取り掛かっていた。割り箸を4本用意して、2本は半分に割る。残りの2本はちょうど半分の所にマジックで印を付けて、そこをカッターナイフでキュッキュッと切っていく。我が子ながら、手際がすごくいい。
「へぇー、タカちゃんは手先が器用なんだねー。」
僕と同じことを思っていたのか、母さんは驚いたような声を上げた。母さんの横顔をチラッと盗み見る。よかった、笑っている。そんなことを思ってしまっている自分自身が嫌になり、僕は実家の天井を睨みつけた。天井の端には蜘蛛の巣が張っていた。綺麗好きで、大の蜘蛛嫌いの父さんだったら許さなかっただろう。きっと『蜘蛛の巣は見つけたらすぐに取っちまわないと。』と、母さんの静止を振り切り、脚立を持ち出して、ドタバタと蜘蛛退治をしたはずだ。しかも夜に。『蜘蛛は朝は殺したらダメだ。朝は神様の遣いなんだから。』と、そんな迷信みたいなものを、意外と本気で信じているのが父さんだった。その主から変わった実家は、やっぱり少しずつ、いや確実に、年老いたように感じる。
「そうなんです。タカシ、こういうことばっかり得意で。」
サエはそう言いながら、タカシの工作を見守っていた。勉強もそれぐらい頑張ってくれるとねー、と歌うように呟くサエの言葉を、うるさいなぁーとタカシは払い除けていた。でも、その払い除け方はどこか優しい。
これで良かったんだ。そう思うことにした。申し訳ないけれど、我が家はここではない。タカシは、色々あったけど、今は元気に学校に通っている。友達もできた。サエが言っていたけれど、この前初めて友達を家に連れてきたらしい。『びっくりしちゃってさ、私ケーキ買いに走ってきちゃった。』と嬉しそうに言うサエの目は少し光っていた。サエもサエで、最近自宅で仕事を始めた。僕にはできない技術で、なんだかよく分からないことをしている。だけれども、すごく頑張っている。
じゃあ、お前は。自分で自分に問いかけてみた。それは、良く分からない。今でも揺れ動いている。それなのに、結論を他の家族のせいにしてそれがあたかも正解のように振る舞っている僕のことを、僕ははっきりと嫌いだと答えられる。
「そんな顔してたらダメよ。」
突然聞こえた小さな声に、ハッとして声の主を探す。声の主はいつの間にか隣に立っていた。腰が曲がって、身長もどんどん小さくなって、シワが増えたというか刻まれたという表現が正しいくらいのシワをした顔が僕を見上げている。ニコリと微笑んでいた。
「いや、でも。」
「いいから。」
母さんは僕の言葉を払い除けた。払い除け方はタカシのそれよりも優しい。でも、払い除けられた後の何も言い返せない力強さは、母さんのそれの方が断然だ。
「私のことは気にしないで。あんたにはあんたの生活があるんだから。」
サエとタカシが買い物に出かけている時、どう伝えようと迷っていた僕に、母さんは微笑みながらそう言った。その言葉があまりにも優しく、スーッと胸に入ってきたものだから、僕は『違うんだ』とも『ごめん』でもなく、ただただ『うん。』と一言だけ返したのだ。
「できたー!」
タカシが大きな声をあげた。掲げた手の中には、彼の工作物が大事そうに抱えられていた。
「おやおや、立派な精霊馬と精霊牛だね。タカちゃんは工作が上手だね。」
母さんはタカシに笑顔でそう声をかけると、台所に向かっていった。
「あっ、おかあさん。私がやりますから。」
サエが後ろをパタパタとついていく。
2人がいなくなった客間は、少し広く感じて、静かで寂しい。この客間が使われるのは僕たち家族が遊びにくる、年に2回ほどだ。
この家は少し立派すぎる。僕は帰省するたびにそんな思いを抱く。それが今年は特に。
「ねぇパパ。これどうするの?」
タカシが僕の元にやってきた。僕は彼の工作物を手にとる。うん、上手くできている。
「これは仏壇に飾るんだよ。八百屋さんに聞いたんだろ?」
「うん、多分。忘れたけど。」
そういうとタカシはへへへと笑っていた。タカシはおじいちゃん子だったから、今年の帰省はどうしようか迷ったけれど、こういう笑顔を見ると、連れてきて良かったと思う。
「じゃあ飾ってみるか。」
「うん!」
僕の問いかけにタカシは元気良く答えた。
僕の地元では、お盆にキュウリとナスで模した『精霊馬』と『精霊牛』を仏壇に飾る。キュウリで作った精霊馬は、早くご先祖様を迎えに行くために仏壇の内向きに、ナスで作った精霊牛は、ゆっくりと帰ってもらうために仏壇の外向きに飾る。
「あっ、早速飾ってくれたんだね。ありがとうね、タカちゃん。」
母さんが台所から戻ってきた。居間に飾られた精霊馬と精霊牛を見てきたのだろう、にっこりと微笑みながらやってきた。
「あっ、スイカだ!」
母さんの感謝の言葉を置き去りにして、タカシはスイカを2つ手にした。
「コラ!おばあちゃんに『ありがとう』は?」
後ろからきたサエが、タカシのお尻をペシンと叩いた。
「あっ、ごめんなさーい。」
タカシは笑いながらそう言って、スイカを手にして客間のテーブル前に座り込んだ。2つ持ったスイカは、どうやら僕にくれるわけではなく、どちらも自分で食べるらしい。
「食べる?」
サエが僕にスイカを持ってきてくれた。
「ありがとう。」
僕はスイカを受け取る。
「よいしょっと。」
サエが僕の隣に座った。思えば実家に帰ってから、サエがこうやって座ったのは初めてかもしれない。そういうのに今気付く僕の鈍感さというか中途半端さが、なんとも言えず恥ずかしい。その恥ずかしさを誤魔化すように、スイカを口にした。普段スーパーで食べているものとは違ってとても甘い。甘すぎてベタベタするくらい。そういったちょっと雑な感じも『あー、帰ってきたんだな』という気にさせてくれる。
「ねぇ、さっきおかあさんから聞いたんだけど。」
サエの突然の発言に、思わずスイカを吐き出しそうになる。
「ちょっとー、汚いなぁ。」
「ごめん。母さん、なんだって?」
しかめ面のサエに謝って、本題に切り込む。少しドキドキする。
「ちゃんと話をしてくれたんだね。言いづらいこと言わせてごめんね。」
そう言うとサエは胸の前で小さな謝罪ポーズをしてくれた。母さんがいいように言ってくれたようだ。
「いや、こちらこそごめん。なんか機嫌悪かったよね。」
「本当だよー、あれ迷惑だから。」
サエはそう言って笑っていた。改めてのごめんという気持ちはそっと胸の中に留めておくことにした。
「あー!」
突然、タカシの声が叫び声をあげた。びっくりして、顔を上げると、さっきまでいたはずの客間のテーブルにはタカシはいなかった。僕たち夫婦は顔を見合わせて、声のしたであろう居間に駆けていった。
「どうした?」
「だってパパ、あれ・・・。」
居間にいたタカシに声をかけると、タカシは少し怒った様子で、仏壇を指をさした。タカシも急いで駆けてきたのだろう、白いTシャツにはスイカの果汁を指で拭いた線が何本か描かれていた。後ろからサエのうんざりとした『あーぁー』という声が聞こえてきた。指の先に目をやると、仏壇の前には困ったように笑う母さんが立っている。
「何、どうしたの?」
母さんに近づいて、仏壇周りを観察してみる。特にどこにも変な所はない。いの一番に想像した、ロウソクが倒れたといった事故みたいなものもないようだ。
「なんだよ、何もないじゃないか。」
そう言ってタカシに目をむけるが、タカシはまだ怒ったように口を尖らせている。
「変わってるじゃん、ほら!」
そういうと、タカシは仏壇に近づき自身が作ったナスとキュウリを交互に指を差す。
「ん?」
ナスとキュウリを交互に見返して、ようやく違いに気が付いた。向きが違う。さっき僕とタカシで飾った時と逆で、精霊馬であるキュウリが仏壇の外、精霊牛であるナスが仏壇の内を向いている。これでは父は、実家にゆっくりとやって来て、そそくさと帰ってくることになってしまう。
「おい、これじゃ間違いじゃないか。タカシ、さっきちゃんと教えただろ。」
「僕じゃないよ、やったのおばあちゃんだもん。」
タカシを咎めたつもりが、タカシの口から意外な人物が出てきて、僕はその人物に目をやる。目を向けられた母さんは、より困ったように、だけれども、いつものように笑っていた。
「なんで?」
「いや、だってねー。」
僕の疑問に、母さんはいたずらっぽく笑いながら、ナスの牛の背中を優しく撫でてこう答えた。
「こっちの方が、お父さんらしいでしょ?」
言われてみるとそうだ。父は人一倍気を遣い、人を喜ばせることが大好きで、自分のことは後回しにする優しい人だった。
仏壇を見る。そこにはそんな優しい顔をした父さんの写真が飾られている。写真は父さんだけが写っているように加工されているのだけれど、この時の写真は確か、2年前に僕たち家族が遊びに来た時のものだ。その時の父さんも張り切っていた。タカシにカブトムシを取らせてやるんだと一緒に山に登り、普段飲み食いもしないジュースやらお菓子やらを前日に隣町のスーパーからダンボール一杯に買い込んでいた。『サエさんが上手いと言ってくれたから。』と一週間前から釣りに出かけていたけど、釣りが苦手な父さんは釣ることはできず、地元の鮮魚から高値で買い取っていたことを、後で母さんから笑い話として教えてもらった。
「だから、我が家はこれでいいのよ。ううん、これがいいのよ。」
母さんはそう言いながら、ナスの牛の背中を撫で続けている。
頭の中で父さんの酒焼け声がイメージする。
「いや、私はいいですから、皆さん早く行ってください。後片付けは私がしときますから。」
「じゃあ私、先に帰って支度しときますわ。いやいや、皆さんはゆっくりして頂いて、つもる話もあるでしょうから。」
うん、バッチリだ。父さんにはそっちの方が合っている。あまりにも綺麗にイメージ出来過ぎて、少し笑ってしまった。
「ねぇ、あなた。」
サエに肩を叩かれてスッと現実に戻された。振り返ると、サエは少し戸惑っている顔をしている。その奥のタカシも少し不安そうな顔をしている。
サエとタカシの視線を手繰って見た先には、母さんがいた。相変わらず母さんは牛の背を優しく撫で続けている。しかし、その撫で方は小刻みに震えていて、その震えは肩まで続いていた。
「大丈夫。」
僕はサエとタカシに頷いてみせて、母さんに近付く。何が大丈夫なのだろう。自分でした行動に思いを馳せる。僕もよく分からない。だけれど、その不確定なフワフワした感じも、何故だか『きっと大丈夫。』と思えてしまっている。それが僕のダメな所と言われたら、まぁそれまでなのだけれど。
「貸して。」
母さんが撫でていた精霊牛を掴む。貸してくれないかもと思っていたが、母さんは案外すんなりと僕に渡してくれた。タカシが作った精霊牛の全体をしばらく眺めた。うん、良く出来ている。
今日の夜、母さんともう一度ちゃんと話そう。タカシともサエとも。そして父さんとも。
精霊牛をゆっくりと仏壇の前に置く。
「ほら、父さんを迎えに行ってこい。」
そう言って、精霊牛のお尻を指で優しくしっかりと弾いた。
タカシの作った精霊牛は、しっかりとした作りなのだろう、僕の指くらいではびくともしなかった。これならばしっかりと、そしてゆっくりと父さんを迎えに行ってくれるだろう。
我が家の新盆は、こうしてゆっくりと始まった。
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