第4話後編 困惑令嬢の味方
夜会の翌日イナベラは登校した。一晩中泣き崩れて目が腫れていた。目の腫れも視線を集めていることも気づかなかった。
イナベラは授業は真剣に受けていたが、それ以外は抜け殻のようにぼんやりしていた。令嬢達の嫌味にも反応しなかった。
昼休みに様子を見にきたエリオットは何度呼びかけても虚ろな瞳で反応しないイナベラの肩を叩いた。
「イナベラ、イナベラ」
何度か肩を叩かれようやく気付いたイナベラが顔をあげるとエリオットがいた。意地悪を言われるとわかっていても反応する元気はなかった。
「授業は終わったよ。食事に行かないか」
「申しわけありません。遠慮させてください」
「ここで食べるの?」
「食欲がありませんので、ご勘弁を」
エリオットは頭を下げるイナベラの手を強引に引いて食堂に連れて行った。ぼんやりとしているイナベラは目の前の食事を見ても箸をつけなかった。
「イナベラ、食べないと男爵夫妻が心配する。僕は君のことを任されてるんだけど」
イナベラはエリオットの言葉に食べない限り、解放されないと思い箸を進めた。ケーキを見ると母の作ったお菓子を思い出し、ドレスのことが思い浮かんで悲しくなった。食器を片付けて教室に戻ることにした。エリオットは食器を片付け始めたイナベラを追いかけた。あまりに落ち込む様子にどうすればいいかわからなかった。ふらふらしているイナベラの手を引いて顔を見た。
「イナベラ、ドレスを贈ろうか?」
イナベラは空虚な瞳でエリオットを見つめ、礼をした。
「お気遣いありがとうございます。いりません。それにかわりはありません」
貴重なドレスを駄目にしたことを思い出し、悲しくなったイナベラは無意識にエリオットの手を解き、とぼとぼと教室に歩いていった。エリオットに気を遣う余力はなかった。今のイナベラは授業を受けるだけで精一杯だった。
***
エリオットは悩んでいた。
ずっとイナベラが落ち込んでいた。話しかけても空返事で常にぼんやりしていた。食事の量も減り、ケーキも食べない。声をかけなければ食事にも行かなかった。
エリオットは友人に相談した。
「ドレスを贈ると言ったら断られた」
「お前さ、もう少し考えて行動しろよ。婚約者でも身内でもない男からの贈り物は受け取らない。しかも男爵家にとってドレスは高価なものだ」
「あれのかわりはありませんって零してた」
「大事にしてたんだな。よく一着のドレスをずっと着てたよな。社交デビューからだとサイズ合わないだろう?」
「糸を切れば、サイズが大きくなるように作ってあったから」
エリオットの言葉に友人は顔を顰めた。
「なんで知ってんの?」
「イナベラが内輪で社交デビューするって言ってたから。当時は男爵領は不作でドレスの用意なんてできなかったし、僕の贈り物は断られた。だから、極秘でドレスを贈るかわりにエスコート役を譲ってほしいと男爵夫妻に頼んだ。僕からの贈り物だと受け取らないから、名前は出さないで欲しいって頼み込んで」
「イナベラ嬢のドレスって・・・」
「男爵家にはドレスを毎回買い与えるなんてできないから、必死に考えたよ。成長しても着れ、高価に見えないドレスを。」
「お前・・」
「もちろん生地は最高級。イナベラに贈るものだから財は惜しんでない。化粧箱も領民に金を渡して献上してもらった。質素にみえるように工夫した。」
エリオットが自慢気に語る様子に引いていた。自分がエスコートするために手をまわし、ドレスのデザインまでした男に。
「彼女、なんにも知らないんだろう」
「ああ。ドレスを着て幸せそうな笑顔を見て、僕の努力は報われた」
「当時はそこまで警戒されてなかったんだな」
「社交デビューしたから恥じらいが身についたのだとばかりに思っていた。」
「お前、社交デビューの時に余計なこと言ったんじゃないよな」
エリオットは大事な記憶を思い起こした。
約束通り、会場で待っていると男爵に手を引かれたイナベラが現れた。
「イナベラ、私は用があるからエリオット様にエスコートしてもらいなさい」
「わかりました。よろしくお願い致します。エリオット様」
礼をするイナベラにエリオットは手を差し伸べた。
「おめでとう」
「ありがとうございます。私、このような場所に来られるとは思いませんでした。両親が贈ってくれましたの。一生の宝物です」
幸せそうに微笑むイナベラにエリオットは目を奪われた。
「似合っているよ。お姫様のようだ」
「ドレスのおかげです。」
「そんなことない。いつもと変わらないよ」
イナベラは頬を染めたエリオットの言葉にショックを受けた。領民も両親も褒めてくれた。いつもと変わらないとは、気合いを入れて支度したのが無駄な気がしたけど、ドレスを見たら家族や領民が思い浮かんで顔をあげた。悲しい気持ちは隠して微笑んでお礼を伝えた。
ただ男爵領で過ごしていたイナベラは社交界の恐ろしさを知らなかった。
会場に入った二人は視線を集めていた。
令嬢に人気のエリオットがエスコートしているだけで、一部からは嫉妬の嵐だった。エリオットは身内以外をエスコートすることはなかった。ダンスが終わり、エリオットが飲み物を取りに行くため離れるとイナベラは令嬢達に囲まれた。
「エリオット様にエスコートしてもらうなんて図々しいわ。」
「その汚い赤毛も見苦しい」
「ドレスもセンスが悪いわ」
「同情でも引いたの?恥ずかしいわ」
初めての悪意に満ちた言葉がイナベラの心をえぐった。
「貧乏な家だと髪も洗えないのかしら。雑草が髪についているわ。虫でもいそうでとってさしあげられませんわ」
イナベラの母が作ってくれた髪飾りだった。ただ自分より上位のものに口答えは許されないことを知っていた。
「イナベラ?」
戻ってきたエリオットは茫然としているイナベラに近づいた。令嬢達がエリオットを囲み微笑んだ。
「エリオット様、私たちはお話ししていただけですわ」
「緊張されるようでしたので」
エリオットは令嬢達がイナベラを気遣ってくれたと思い、微笑んでお礼を伝えた。
「僕のイナベラがすまない。世話をかけた」
「私は赤毛を初めて拝見しましたわ」
「彼女の髪は特別だからね」
「ええ。本当に特別で羨ましいですわ」
エリオットは令嬢達の言葉を褒め言葉として受け取り談笑を交わしていた。
ただ現実は違っていた。
イナベラはエリオットの言葉に茫然とした。彼は令嬢の言葉に頷いている。イナベラの姿を惨めとあざ笑っているように見えていた。
盛り上がるエリオット達を置いて、イナベラは礼をして立ち去った。
悲しい気持ちを隠して歩いていると声をかけられてダンスを踊った。なぜかみんなが赤毛のことを口にした。幼いイナベラは髪やドレスを褒めるのが礼儀とは知らなかった。ただ遠回しの賛辞はイナベラには悪口に聞こえていた。初めてイナベラの赤毛が疎まれるものだと知った日だった。ただドレスを見れば前を向けた。令嬢らしくなると約束したので泣く訳にはいかなかった。
会場でイナベラは視線を集めていた。華美ではないが清楚なドレスを着て、髪は花で飾られていた。豪華なものが財の印であり煌びやかに飾り立てる周りの令嬢達とは正反対だった。いつの間にか自分の傍にいなくなった可憐な少女に向けられる視線はエリオットには不愉快だった。絶え間なく他の男とダンスを踊るイナベラの手を取り、強引に連れ出した。
「イナベラ、初めてだから知らないだろうけど、男は礼儀で令嬢に褒め言葉を贈る。本心じゃない。ドレスや外見を褒めるのは挨拶だ」
「髪、」
「髪だって褒めるよ。綺麗じゃなくても。イナベラは特別だけど」
「そんな・・」
「イナベラは僕の言葉だけを信じればいい」
エリオットは自分の悪口を言っていた。ドレスをして化粧をしてもかわり映えしないと。
イナベラの髪は特別綺麗じゃないというのは醜いということだ。
イナベラは悲しくて、涙が溢れた。イナベラはエリオットに嫌われていたと知った日だった。
「泣かないで。イナベラはかわらないよ。特別なものをたくさん持っている。」
抱き寄せると自分に身を任せるイナベラにエリオットは嬉しかった。
頭をゆっくり撫でながら落ち着くまで待っていた。自分の言葉に嬉しくて泣いているのかと思っていた。
イナベラは何もしなくても可愛かった。イナベラの髪は特別綺麗だった。質素なワンピースでもドレスでもイナベラの可憐さは変わらなかった。
傷ついたイナベラはドレスと胸のコサージュを見て、必死に笑顔を取り繕ってエリオットを向き合っていたことなどエリオットは気付かなかった。
友人は幸せそうに語るエリオットを見て、イナベラの気持ちがよくわかった。この日が始まりだと気づいた。エリオットは言葉が足りないことがある。褒め言葉がイナベラの心を砕いていた。こんなやり取りを繰り返しているだろうイナベラがドレスを大事に想っているのは伝わった。ドレスを見て、自分を鼓舞して夜会に参加していたことも。友人の牽制によりイナベラに声をかける男が減っても、令嬢に嫌味を言われても、逃げずに参加しているイナベラを尊敬した。この男に目をつけられた所為で不幸な後輩が可哀想だった。
「お前さ、一度自分の兄貴に女の口説き方を聞いてこい」
「は?」
「言葉が足りない。彼女、絶対に着飾っても無駄って言われたと思ってるよ。嬉しくてじゃなく、悲しくて泣いたんだよ。お前の前向きな姿勢は尊敬するけど、彼女にはやめろよ。そんな大事なドレスが汚れたら悲しむよな。ワインの染みが落ちればいいよな。あとワインをかけた令嬢が本当に何もしないか見てろよ。嫉妬に狂った女は怖い。」
「嘘だろ」
落ち込んでいるエリオットの背中を友人は思いっきり叩いた。一番の被害者はイナベラである。
***
夜会が終わって1週間たった。
イナベラは部屋に飾るドレスを見て、こんな自分は領民に顔を向けられないと叱咤した。汚れてもドレスをもらった大切な記憶は変わらない。贈ってくれた両親や領民のためにも泣き崩れているわけにはいかなかった。イナベラ自分の頬を思いっきり叩いた。鏡を見て笑顔を作った。自分に気合いを入れて、ドレスを抱えて、博士に会いに行った。
「博士、ワインの染みを落とす方法はありませんか?」
博士はイナベラのドレスの染みを見た。明らかに故意に誰かにかけられていた。イナベラがドレスを大事にしていることは知っていた。博士はイナベラを気に入っていた。泣きはらした目も頬が赤いのも無理して笑っているのも気づかない振りをした。
「染め直すか?」
「染め直す?」
「真っ白になってもいいか?」
イナベラは悩んだ。
真っ白いドレスなど見たことがなかった。でもこのドレスを捨てたくなかった。
ライアンが迷っているイナベラの肩に手を置いた。
「せっかくだから白くすれば?刺繍でもいれれば華やかになるよ」
「おかしくありませんか?」
「大丈夫だよ。デザインは一緒に考えてやるよ」
イナベラはライアンと博士の顔を見て頭を下げた。
「ありがとうございます。博士、お願いします」
イナベラは博士と一緒に染め直す準備にかかった。
ライアンは愉快なことを思いつき小さく笑った。
***
イナベラはライアンのおかげで銀貨が貯まった。
イナベラの刺繍したハンカチをライアンが買い取ってくれていた。最初は高級な糸とハンカチに刺繍するのは恐れ多かった。ただ色とりどりの糸で刺繍をするのは楽しかった。
貴重なものなので、自室か薬草園で刺繍をしていた。
教室では刺繍をしないと決めていた。
ベンの時のようにライアンから預かった高級そうな糸や布を盗られるわけにはいかなかった。
弁償額を想像するだけで頭が痛くなりそうだった。
イナベラはライアンが自分の作ったハンカチを上位貴族に売っているとは知らなかった。イナベラはライアンを商家の生徒だと思っていた。
最近、夫人の中で刺繍入りのハンカチが流行していた。
せっかくなので自分の母にも贈ることにした。ベン用の糸とハンカチの余りで母のために刺繍をして休みの日に贈ることにした。せっかくなので父にも用意した。
いつまでも落ち込んでいられるほどイナベラは暇ではなかった。お金はいくらあっても困らない。イナベラは前を向いて男爵領のために頑張ることにした。