第20話 空回り令息の苦労
イナベラはレアナと武術大会を見学した。迫力ある剣の戦いに目を丸くしていた。ラットやエリオットが剣を使えるのは知っていた。なにより一番驚いたのはライアンが強いことである。ライアンも令嬢に人気があった。令嬢達の歓声にイナベラは驚いていた。
「レアナ、何が楽しいかわからない」
「そうね。賑やかなだけでつまらないわね」
エリオットとの約束は果たしたのでイナベラはレアナと一緒に立ち去った。その後、イナベラはエリオットに感想を聞かれて曖昧に微笑み、労いの言葉を伝えるしかできなかった。
***
イナベラは休みに男爵邸に帰った。
目の前の光景に戸惑いを覚えていた。
果物の収穫をしているエリオットとレアナがいた。
「姉上?」
「ベン、戸惑う私が変なの?」
「僕はわからないけど」
「そうよね。ごめん」
気にせず収穫することにした。
領民に馴染みすぎている二人のことは目に入れないことにした。
「イナベラ、今日も泊まっていいかしら?」
レアナが男爵邸に来ると、泊まっていくのはいつものことだった。簡素な料理もおいしそうに食べるレアナを見て、イナベラは気にしないことにした。イナベラもレアナと過ごすのは楽しいので歓迎することにした。
「うん。」
「一緒に寝てもいいかしら?」
「姉上、僕、お話」
「ベンが眠るまでは、ベンの部屋でお話をしてもらいましょう。眠った後は私に貸してください」
イナベラはベンとレアナのやり取りを微笑ましく眺めていた。
エリオットは自分にイナベラとの親しい様子を見せつけるベンやレアナが不愉快だった。
「レアナ、また泊まるのか?」
「はい。お泊まり会です。エリオット様はお帰りください」
「ベン、僕がお話してあげようか?」
「エリオット様はお仕事お忙しいから姉上でいい。」
「ベン、えらいわ」
男爵夫人は鈍い娘の様子に苦笑した。エリオットも一緒に過ごしたがっているのはイナベラ以外はわかっていた。ベンの頭を撫でているイナベラの肩に手を置いた。
「イナベラ、一人だけ除け者にしたら可哀想よ。エリオット様、なんのおもてなしもできませんが部屋だけはたくさんあるので、よければ泊まりますか?」
「お母様!?」
イナベラは母の言葉に驚きの声をあげた。
「ベンも喜ぶしいいんじゃない?せっかくだから明日の狩猟祭を見学してもらったら?」
「お母様、あれは伯爵家の方にお見せできるものでは」
「懐かしいな。昔、一度だけ参加させてもらったんだよな」
「よければ参加されますか?」
「是非。ご迷惑でなければ」
「歓迎します。」
「お母様!?」
「イナベラ、将来家族になるのよ。」
イナベラは男爵邸にエリオットが泊まるのも、祭りに参加するのも受け入れがたい。ただ自分が否を言っても無駄なことは知っていたので気にしないことにした。
イナベラはベンがエリオットに懐いているのが心配だった。
食事が終わり、エリオットが男爵と話し込んでる頃に、イナベラはレアナと一緒にベンの部屋で過ごしていた。
イナベラは弟を真剣なまなざしで見つめた。
「ベン、エリオット様の真似をしては駄目よ」
「姉上?」
「今は難しいけど、覚えておいて。エリオット様の令嬢への態度は絶対に真似しては駄目。あれはお手本にしてはいけません。お手本にするならラット様にして」
「イナベラ、ベンにはまだ早いのでは?」
「エリオット様が近くにいるから念の為。子供って真似したがるから」
「姉上、よくわからないけど、わかったよ」
「えらいわ。」
イナベラはベンを寝かしつけるために物語を語りはじめた。ベンが眠ったので、レアナを誘って庭園を散歩した。星が綺麗なので、お茶をはじめた。
他愛もない話をしながらふとレアナはふと思い出した。
「どうしてベンに?」
「私、衝撃の事実を知ったの。エリオット様ってよく令嬢と見つめ合ったり、甘い言葉をかけたりしてたけど、無意識だったの。全く好意がなかったの。エリオット様の言葉を聞いて驚いたわ」
レアナはイナベラの言葉に笑った。
「私、エリオット様の言葉を真に受けて嫌われてないって思い込んでたのが恥ずかしい」
レアナはイナベラの過去のエリオットとの話を聞いていた。イナベラにとってエリオットは恩ある優しいけど不思議な人だった。イナベラの勘違いに気付いても、訂正しなかった。レアナにとっては、イナベラさえ良ければエリオットはどうでも良かった。苦労する姿を眺めるほうが楽しかった。
「罪な人」
「本当に。私はエリオット様の影響を受けてベンがああなったら恐ろしくて。人気者にならなくていい。ベンには言葉の責任を持てる子になってほしいの。」
「きっとベンなら大丈夫ですよ」
レアナの言葉にイナベラは力のない笑みを浮かべた。
「そうあることを願ってる。明日の収穫祭は血生臭いけど、どうする?」
「せっかくだから見学したいわ。」
「見たいなら止めないけど、伯爵から苦情は・・」
「来ないわ。お父様は好きにしろって言ってくださるもの」
収穫祭は狩りの祭りである。男性陣が狩りに行き、女性陣は料理を作って待っている。狩った獲物の調理をおえたら、皆で食べる。男爵からは酒が振舞われ、村全体の大きな宴会である。
翌日の狩猟大会に領民に紛れて参加しているレアナとエリオットにイナベラは戸惑っていた。二人は気にしないでと言うが、そんなわけにはいかなかった。イナベラは現実逃避するために調理に専念することにした。隣にいるベンの頭を撫でながら、伯爵家から苦情が来ないか心配になっていた。
***
エリオットはイナベラから最近冷めた視線を送られていた。夜会で褒めても、ただお礼を言われるだけだった。前のように照れる様子もなくなった。男爵領を訪ねるとイナベラがベンを離さなくなった。兄に相談すると笑われた。
「何かしたんじゃないか?」
「領民と混じって、狩りや採取したくらいかな。戸惑ってたけど、笑顔で戦利品を受け取ってくれたよ。」
「そんなことしてるのかよ。ベンを離さないか。ベンの教育にお前がよくないと思ったとか?」
「僕、イナベラの前では後ろ暗いことしてない」
「レアナに聞けばいい」
「無駄」
「イナベラも思い込みが激しいからな。誤解されるようなこと言ったんじゃないか?」
「は?」
「お前、イナベラとの会話を思い出してみろ」
エリオットには全く覚えがなかった。
「兄上、駄目、わからない」
「ベンは教えてくれないよな。ベンを誘って出かけて見れば?イナベラが着いてくると言えば、ベン関連で決まりだな。」
「ベンが喜ぶ所がわからない」
「調べとけよ」
エリオットら兄の助言をもとにベンの喜びそうな場所を探すことにした。甘い物でも食べに連れ出すことにした。
***
イナベラは伯爵邸のエリオットの部屋で縫い物をしていた。
「イナベラ、今度ベンを借りてもいいかな?」
イナベラは恐ろしい言葉に固まった。
「エリオット様?」
「ベンと全然距離が縮まらない。レアナのほうが懐いているし」
「私には二人は親しそうに見えるけど…。」
「僕はそう思えないんだよ。どうすればいいかな」
「エリオット様、お気持ちだけで。本当に。十分仲良しですよ」
イナベラは必死に笑顔を作った。
エリオットはイナベラが必死に笑顔を作っていることがわかった。
「イナベラは僕がベンと二人で出かけるのは嫌なの?」
探るように見られてイナベラは悩んだ。イナベラはベンにエリオットが令嬢と接する姿は見せたくなかった。正直に伝えることはできなかった。必死に平静な顔を装った。純粋なベンがエリオットのようになるのは嫌だった。
「私のベンを取らないで」
「え?」
イナベラはこぼれた言葉に焦った。
「私、失礼します」
イナベラは逃げることにした。片付ける余裕はなかった。エリオットの部屋を飛び出した。
エリオットは驚き、思考が止まった。
「エリオット、イナベラが凄い勢いで、」
兄の声に我にかえったエリオットが飛び出した時にはイナベラの姿はなかった。
イナベラは馬車の中で後悔していた。ベンを義兄として大事に思ってくれているエリオットへひどい対応をしたことを。不敬を咎められても仕方がない。でもイナベラは弟に道を違えてほしくなかった。
明日も学園でエリオットに会うと思うと気が重かった。
イナベラはベンのためにエリオットから逃げることにした。イナベラはお弁当をレアナに預けて、お昼休みが始まった瞬間に教室から逃げ出した。薬草園に匿ってもらうことにした。
レアナはエリオットから逃げたいと言うイナベラの願いを適えることにした。
昼休みにエリオットはイナベラを訪ねると、レアナから弁当を渡された。
「は?」
「イナベラから預かりました。今日のお昼はご一緒できないのでと伝言を。当分はお忙しいので、会いに来ないでください」
「は?」
「では、私は失礼します」
「レアナ、イナベラは?」
「元気ですよ。」
「何か知ってるか?」
「教えません」
エリオットは諦めて教室に帰ることにした。用があるなら仕方がない。避けられてる気がして、友人に相談すると肯定の言葉に悲しくなった。
「エリオット、情報を持っていそうなもう一人の人物を忘れてないか?」
「ライアン様は無理、いた!!ラット」
エリオットに声をかけられ、ラットは嫌な予感がした。思い当たることはあった。
「情報を。イナベラに避けられてるんだけど、ベンは何か言ってた?」
ラットはエリオットから目を逸らした。
「ベンからは何も聞いてない」
「イナベラからは?」
「八つ当たりしないか?」
「は?」
「エリオット、落ち着いて。ここで逃すわけにはいかないよ。」
「善処する」
ラットは肩に置かれたエリオットの手を見て逃げられないことを悟った。
「深々と頭を下げられた。ベンのことをよろしく頼むと」
「それだけ?」
ラットはエリオットから目を逸した。
「俺がエリオットの事を口に出したら、お前は駄目だって。ベンの教育に悪いから近づけたくないって」
「は?」
「ベンには自分の言葉に責任を持つ男になってほしいって」
「エリオット、お前なにを言ったんだよ」
「僕はイナベラには」
頭を抱えているエリオットにラットは苦笑した。イナベラに関することだけは余裕がなくなる男である。
「急ぎじゃないなら聞いてやるよ」
「助かる」
後日ラットの話を聞いたエリオットは茫然とした。
イナベラは無意識に令嬢を口説くような男にはなってほしくないという。
「僕、口説いたことない」
「イナベラも勘違いしたって笑ってたよ。」
「自分が第三夫人候補とはすごい勘違いをしていたけど・・・」
「は?」
「違うの?」
「その話は知らない。お前にどう思われようともやることはかわらないって。ただベンさえ影響を受けなければいいって。レアナ嬢がお前の悪癖に振り回されてるイナベラに同情してたけど」
「悪癖?」
「二人の中では誰にでも無意識に愛を囁く恐ろしい男だと。」
「確かにエリオットの態度は令嬢を喜ばせるものな。俺にはマネできない」
「容姿が良いからか?」
「それもあるけどさ、一番問題視するのはそこじゃないんじゃないか?」
「は?」
「イナベラ嬢にとってお前の言葉は心が伴ってないと思われてる。」
「え?」
「お前の言葉は全部嘘に聞こえているかもな。気付いたからお前がいくら褒めても反応しなくなったんだろう」
「嘘だろ?」
「誤解されるようなこと言ったんじゃないか?何もきっかけもなく、無意識に愛を囁く男とは言われないんじゃないか?」
「どうすれば…。」
「話し合うしかないんじゃないか。もしくは女性陣に相談に行くか…。」
エリオットはクラスメイトに話を聞いて落ち込んでいた。観賞用にはよくても、婚約者としては嫌と断言されていた。
イナベラは呆然としているエリオットを見て戸惑った。最近は避けていた。ベンのことでどうか関わっていいかわからなかったから。イナベラは探していた教師を見つけたため、エリオットのクラスは通りすぎ、提出物を渡しに行った。エリオットの様子が気になったので、昼休みは逃げずにエリオットを教室で待つことにした。
イナベラはラットの話を聞いて、慌てて保健室に行った。
保健医に指差されたベッドではエリオットが綺麗な顔で眠っていた。授業中に倒れ、ただ眠っているだけと聞きイナベラは力が抜けた。昼休みが終わるので、エリオットのお弁当を置いて、立ち去ろうとすると手を捕まれた。
「エリオット様?」
首を傾げるイナベラをエリオットは抱きしめた。
「どうしたら、信じてくれる?」
「え?」
「僕は君が好きなんだ。他の女に愛なんて囁いてない。イナベラだけだ」
イナベラは困惑した。これも無意識なんだろうか。イナベラはどうでもいいと思った。好かれても嫌われてもやることは変わらない。
「僕の婚約者でいてほしい」
イナベラはエリオットの背中に手を回した。
「私は貴方が望んでくださる限り側にいます」
「僕は婚約者にはしたくない男なのに?」
イナベラは吹き出した。理由がわからなくても、拗ねてることはわかった。時々、エリオットが子供に見えた。
「私はお約束さえ守っていただければ、不満はありません」
「最低な男なのに?」
「エリオット様はお優しいです。素晴らしいものをたくさん持ってます。」
「僕の妻になってくれる?」
「成人しましたら」
イナベラはエリオットの顔が近づくので目を閉じた。唇が重なり、深い口づけに目を開いた。体の力が抜けて、押し倒されていた。
「エリオット様!?」
エリオットはイナベラに微笑み、また口づけた。イナベラは身の危険を感じた。
「イナベラ、そろそろ授業が」
レアナはイナベラを迎えに来て目を見張った。友人を押し倒している男を蹴り飛ばした。イナベラは何度か瞬きをして、ゆっくりと起き上がった。
ベットから落とされたエリオットはレアナを睨んだ。
「レアナ、何をするの?」
「そのまま返します。イナベラを押し倒すなんて、」
「え?押し倒す?待てよ、夢じゃ」
エリオットは慌てて起き上がった。イナベラがベッドに座っていた。
「イナベラ、ごめん、僕、」
「エリオット様、気にしないでください。」
「気にするよ。僕は君に、」
「間違いなら仕方ありませんわ」
「間違い?」
「私は合意の上なら気にしませんわ。お相手を間違えるのはお気をつけくださいませ」
イナベラはエリオットが誰と体を重ねようとも気にならなかった。
「私はイナベラが気にしないなら許しますが、間違ってイナベラに手を出したら許しませんよ。エリオット様、覚えておいてください。イナベラ、授業に遅れますわ。」
エリオットは恐ろしい勘違いをされていることに気付いた。
「イナベラ、先生には僕から謝罪する。付き合ってくれないか。レアナは戻れ」
具合が悪い時に一人は心細いので、イナベラは従うことにした。
「レアナ、先に戻ってて。」
「わかったわ。エリオット様?」
「手を出したりしないよ」
レアナはエリオットを睨みつけたが、イナベラににっこり手を振られたので教室に戻ることにした。
「エリオット様、私がついてますので、安心して休まれてください」
「いや、話をしたいんだけど。具合は悪くないし、」
イナベラは困惑したが、従うことにした。
「僕は今まで、君以外に手を出したことはないよ」
イナベラは首を傾げた。
「エリオット様?」
「抱きしめたのも、口づけたのも君が初めてだよ」
「はい?」
「イナベラに手を出したのは、夢かと勘違いしただけで、どうすればわかってくれるんだ…。」
赤面して気まずい顔をしているエリオットにイナベラは曖昧な笑みを浮かべた。何を求められてるかわからなかった。
「僕が好きな女性は君だけだ。だから手を出したいのも君だけ。代わりはいらない。」
「無意識で、覚えてないなんてことは」
ポツリと零したイナベラの声をエリオットは拾って即答した。
「ありえないから。」
「あんなに令嬢に、囲まれてたのに…。」
「勝手に集まって来るだけ。僕から声をかけたことはない。僕は君だけには嘘をつかないよ」
「私や男爵家を嫌いでは?」
「一度も嫌ったことはない」
イナベラはエリオットをじっと見つめた。
「誓約書を書いてもいいよ」
「いえ、そこまでは必要ありません。私達が嫌われてないことがわかれば、十分です」
「いや、僕はよくない。イナベラに信じて欲しい」
イナベラは迷い悩んでいると昔を思い出して流すことにした。エリオットを理解しようなど、無駄であることを思い出した。
「わかりました。では、お話は終わりですね。ゆっくり休んでください。私は授業に戻ります」
解決策が見つかりスッキリしたイナベラはエリオットは放っておいて、教室に戻ることにした。イナベラがいればエリオットは休めない。できるだけベンには近づけないようにする決意は変わらなかった。とりあえず、避けるのはやめることにした。エリオットはイナベラの言葉の軽さに伝わっているのか不安だった。エリオットは誰に相談しても、誤解は解けていないと同情されるだけだった。




