第9話 空回り令息報われる
イナベラはベン達にお揃いの剣帯を贈った。指導騎士にも喜んでもらい満足していた。
薬草園で刺繍をしているとライアンに肩を叩かれ振り向いた。
「イナベラ、ラットに剣帯を贈った?」
「はい。ラット様は弟達以外も指導してくださるのに、給金はそのままとおっしゃるので。なにかお礼をと」
「剣帯に刺繍か・・。」
「お名前があれば便利かなって。ライアンも使うなら贈りますよ。まだ部品は余ってますので」
「部品は用意するよ。せっかくだから剣の刺繍じゃなくて鷲がいい。父に贈りたいから頼んでいいか?」
イナベラは紙を取り出して、スケッチをはじめた。
ライアンと話すと気づいたら商売の話になっていた。イナベラはお金が稼げることはありがたかったので、気にせずスケッチを続けることにした。
ライアンに頼まれ作った剣帯は上出来と褒められた。
ライアンは上質な剣帯を売り出すことにした。イナベラは自分の作ったものを侯爵が愛用しているとは知らなかった。イナベラの仕事はライアンの持ってきた剣帯に二人でデザインした刺繍をいれることだった。手間がかかるため、一つにつき銀貨3枚の高価格にイナベラは驚いても有り難く受け取ることにした。イナベラはいずれベンのために社交用の服を買わないといけないので、領に送る分を減らして、少しずつお金を貯めていた。
***
イナベラはベン達にお礼と言われて髪飾りを贈られた。ベン達がお小遣いを出し合って買ってくれたと思うと感動した。大事にしまおうとするとベンに使ってほしいと頼まれたので、身に付けることにした。安価なものでも嬉しかった。安価な髪飾りを令嬢がエリオットからの贈り物と勘違いすることはないと思い学園でも身に付けることにした。
イナベラを嫌いな伯爵令嬢が近づいても気づかない振りをして読書をしていた。
「イナベラ様、エリオット様からの贈り物ですか」
イナベラは諦めて本から顔をあげた。
「違います」
「まぁ。そんな粗悪なものをつけるのはいかがなものかと」
「私には大層な物ですので、お気になさらず」
「でしたら似合うようにしてさしあげますわ」
パシャーン。
イナベラはまさか伯爵令嬢の取り巻きの令嬢が水をかけてくるとは思わなかった。
バケツに水を汲んでくる令嬢が自分以外にいるとは思わなかった。問題なのは、ずぶ濡れの自分ではなく机の上に置いてある本だった。伯爵令嬢はずぶ濡れのイナベラの頭にある髪飾りが輝いているのが目に入った。
粗悪に見えた髪飾りが美しかった。男爵令嬢にはふさわしくなく、自分にふさわしいと思った。伯爵令嬢は強引にイナベラの髪飾りを取り上げた。
「いたっ」
イナベラは痛みで我に返った。伯爵令嬢の手にある髪飾りに驚いた。
「返してください」
「貴方のせいで私の制服が濡れましたわ。これで見逃してさしあげます」
確かに伯爵令嬢のスカートの裾が濡れていた。イナベラの所為ではない。でも男爵令嬢に逆らうことは許されない。
教師がドアを開けたので、伯爵令嬢は立ち去った。
教師はずぶ濡れのイナベラにため息をついた。何度か干渉しようとしたが、家族に知られたくないイナベラが拒んでいた。
「イナベラ、保健室に行きなさい。風邪を引くよ」
「先生、片付けがまだ」
「俺がする。これ貸すよ。保健室行ってこい」
「ありがとうございます」
イナベラは男子生徒に上着を肩からかけられて、軽く背中を押された。男子生徒はエリオットが怖くてもずぶ濡れのイナベラを放っておけなかった。イナベラは礼をして、荷物を抱えてトボトボと保健室に歩いていった。ベン達にもらった髪飾りのことが悲しかった。学園で身につけたことを後悔した。
保健医はずぶ濡れで虚ろな目をしたイナベラに目を丸くした。
タオルと着替えを渡し、休ませることにした。イナベラは授業を受ける気がおきなかったので言葉に甘えた。眠りから覚めたイナベラは髪飾りのことを悲しんだ。ただもっと大きな問題に気付いた。図書室の本は貴重な物だった。多額の請求書と図書室への出入りも禁止を思い浮かべ頭を抱えた。
***
エリオットは昼休みにイナベラを訪ねるといなかった。イナベラがいつも教室で待っていた。
「エリオット様、イナベラ様はいません。よければ一緒にお食事しませんか?」
エリオットは伯爵令嬢の髪飾りを見て、一瞬顔を顰めた。髪飾りはエリオットがイナベラの為にベンを通して贈ったものだった。朝に会ったイナベラは幸せそうに話していた。エリオットが似合ってると褒めると嬉しそうに笑っていた。
「その髪飾りは?」
「いただきものです」
「どうやって手に入れたの?」
「私はお断りしたんですが、イナベラ様がくださいましたの。」
「僕から返しておくよ」
「いえ、」
「イナベラには僕が言い聞かせるよ。すまない。まさか伯爵家が男爵家の物を奪い取るなんてことはしてないよね?」
「そんなことしませんわ」
「返してもらっていいかな」
伯爵令嬢はエリオットの笑顔の圧力に負けて髪飾りを渡した。
「ええ。お願いしますわ」
「僕は用があるので、失礼するよ」
エリオットは顔見知りの男子生徒を連れ出し事情を聞くことにした。
男子生徒は怯えながらも説明し、上着を貸したことや話しかけたことを謝罪した。
「僕のイナベラが世話をかけた。感謝する。」
エリオットは男子生徒に感謝した。制服が透けていたかもしれない。びしょ濡れのままなにも羽織らずに保健室まで向かったなら目にした男を血祭りにあげる気がしていた。そして、すぐに保健室に行くように促してくれたことも。きっと彼がいなければ、片付けをしてから保健室に向かったことは容易に想像がついた。
令嬢達への報復は後にすることにした。
保健室に顔を出したエリオットに保健医はイナベラのベッドを伝えた。婚約者なら、虚ろなイナベラを任せても大丈夫だろうと判断していた。教師の中で二人が婚約してないことを知るのは剣術の教師だけだった。
「イナベラ」
エリオットの声にイナベラは慌ててベッドから起き上がった。
お昼休みということにようやく気付いた。
「申しわけありません。お昼休みでした」
「体は大丈夫か?」
「はい。午後からは授業に戻ります」
エリオットは無理やり作った穏やかな笑みを浮かべるイナベラに髪飾りを差し出した。
イナベラは目を丸くした。
「え?なんで・・」
「大事な物だろう」
返ってくるとは思えなかった。エリオットは強引にイナベラの手をとり髪飾りを握らせた。
イナベラの目から涙があふれ出した。大事な物だった。
エリオットはそっとイナベラを抱き寄せ、頭を撫でた。
イナベラはエリオットが取り返してくれたことがわかった。最近のエリオットは優しかった。
本物かわからず困惑していたけど、きっと優しい人だと思った。
「え、えりおっとさま、あ、ありが、とうございます」
「また取り返してあげるから、つけてなよ。せっかく似合っているのに勿体ないよ」
「はい。」
顔をあげたイナベラはエリオットにこぼれるような笑顔をみせた。
エリオットはイナベラの手から髪飾りをとって、髪に飾った。髪飾りが返ってきたことに喜んでいたイナベラは我に返って顔色を悪くした。イナベラは涙を拭いてエリオットを見上げた。
「エリオット様、本の値段はわかりますか?」
「大体なら」
イナベラはエリオットにずぶ濡れの図書室の本を見せ恐る恐る尋ねた。
「お幾らなんでしょうか」
「この件は僕が預かるよ」
「いえ、私が罰則を受けます。」
「水をかけたのはイナベラじゃないだろう?生徒会として見過ごせないから。僕の仕事だ。」
イナベラは首を横に振った。
「私はエリオット様に助けてもらうばかりでなにも恩返しできません」
「僕が好きでやっていることだから。それに君との時間が好きなんだ。」
「なにかご用の際はいつでもお声をかけてください。私にできることは精一杯努めます」
「なら僕からの贈り物を受け取ってくれないか?」
「え?」
「君に身に付けてもらいたいものがある。その姿を見れるだけで僕は満足」
「私はお返しが」
「身に付けてくれることがお返しだ。駄目かな?」
「エリオット様が喜んでくださるなら構いません」
「ありがとう。嬉しいよ。教室に戻ろうか」
「私のせいで食事の時間がありませんね」
「休憩時間に食べるよ」
イナベラは鞄からおやつを取り出した。
「甘さ控えめです。よければ召し上がってください」
「いいの?」
「はい。感想聞かせてください」
「ありがとう」
イナベラはエリオットに送られて教室に戻った。男子生徒に上着を返すと怯えた目を向けられたけど気にしないことにした。
イナベラは薬草園で刺繍をしていると、博士に薬草を煎じて飲まされ、自室に帰れと追い出されてしまった。風邪を引いたイナベラは2日ほど寝込んだ。エリオットが侍女を手配してくれたことに感謝した。侍女は優しくイナベラの看病をしてくれた。イナベラの中でエリオットが怖い人から優しい人に変わった。
***
エリオットは上機嫌な顔で怖いことを呟いていた。
「僕のイナベラに水をかけて、寝込ませた。なにがいいと思う?」
「喜ぶか怒るかどっちかにしてくれ。笑顔なのに空気が冷たいとか勘弁して」
「もうさ、危害を加える奴らを全員修道院に送るか」
「お前がへたに動くと、睨まれるのは男爵家だよ。婚約してないから庇えないだろう。」
友人はエリオットの暴走を必死で止めていた。
エリオットファンの令嬢の気がしれなかった。こんな怖い奴のどこがいいのかわからなかった。




