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困惑令嬢と空回り令息  作者: 夕鈴


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第6話 困惑令嬢と刺繍

イナベラは学園に戻り、いつもの日常が戻ってきた。

お昼休みに庭園で食事をしているとエリオットから差し出された袋の中身にイナベラは困惑した。


「糸が余った。使いみちがないから、良かったら使ってくれないか」

「こんな、高価なものを」

「捨てるだけだから。うちは誰も刺繍をしないから」


イナベラの膝の上に置かれた袋の中には色とりどりの刺繍糸があり、イナベラの目が輝いた。欲求に負けたイナベラは袋を抱きしめた。


「ありがとうございます」


興奮していたイナベラはエリオットの顔が赤くなったことに気づかなかった。

ぼんやりしているエリオットを見ながら、イナベラはもしかしたら、意地悪ではないかもしれないと思いはじめた。

エリオットはイナベラが時々自然な笑みを見せてくれることが嬉しくてたまらなかった。

イナベラはエリオットからもらった糸でドレスに刺繍をはじめた。またライアンに頼まれたハンカチの刺繍を再開した。

国王陛下の生誕祭は国中の貴族が招かれた。生誕祭までにドレスを仕上げないといけなかった。

相変わらず嫌がらせは続いてもイナベラは気にしなかった。

学園内では武術大会が行われていた。イナベラは興味がなかったので薬草園で刺繍をしていた。イナベラの刺繍をしたマントを身に付けたエリオットが話題を浚っていたことなど知らなかった。

令嬢達はエリオットのマントに刺繍をした令嬢に妄想を膨らましていた。イナベラのクラスは上位貴族はいなかった。観戦していたクラスメイトの令嬢はエリオットのマントに立派な刺繍を施したのは高貴な令嬢と思い、イナベラに嫌味を言っていた。イナベラは自分とエリオットの噂がなくなることは大歓迎だったので刺繍は自分がしたとは言わずに静かに頷いていた。


***

イナベラは何を言われても気にしない。

ただ困らないわけではなかった。

イナベラは目の前にある刺繍すべき布の山に長いため息をついた。

今日は刺繍の授業があった。令嬢にとって刺繍の評価は大事である。イナベラがクラスで一番早く刺繍を終わらせたのを見た令嬢達は課題をイナベラに押し付けた。問題なのは提出日が明日だった。

イナベラは課題なら取り上げられる心配はないと思って教室で刺繍をしていた。

エリオットは昼休みに会いにいくと必死に刺繍をしているイナベラに目を丸くした。エリオットの前でもイナベラは楽しそうに刺繍をしていた。マントさえ穏やかな顔で刺繍をしていた。悩んだり、楽しそうにしたり表情をかえても必死な顔はしていなかった。


「なにしてるの?」


エリオットの声にイナベラは顔をあげた。


「課題です。明日の朝までです」


イナベラの机には布の山が置かれていた。


「そんなにあるのか?」

「申しわけありませんが、お昼の誘いは遠慮させてください。私、時間に余裕がありません」


エリオットは仕上がっている繊細な刺繍を見つめた。令嬢から刺繍入りのハンカチを渡されてもこんな繊細なものは見たことはなかった。


「僕、他の令嬢の刺繍を見たことあるけど、ここまで繊細じゃなかったよ。」

「え?」


困惑するイナベラにエリオットは実物を見せることにした。


「誰かこの課題終わっていたら完成品を見せてくれないか」


エリオットの声に何人かの令嬢が完成品を渡した。

大きな花が三つ刺繍してあった。イナベラは9種類の小さい花を刺繍していた。


「あれ?でも高評価じゃないと許されないって。これで平気なの・・?」


イナベラは混乱していた。混乱しているイナベラが零す言葉を聞きながら、エリオットは事情を察し

イナベラが課題を押し付けられたことに眉を潜めていた。


「イナベラ、大きい花を三つと小さい花を一つ刺繍すればいい。それならすぐ終わるだろう」


イナベラは冷たい空気を出しているエリオットの言葉に頷いた。令嬢達よりもエリオットの方が怖かった。自分の刺繍が終わるのを待っているエリオットを見て、必死で刺繍を仕上げた。自分に付き合わせてエリオットが食事をする時間がないなんて許されないと思っていた。混乱しているイナベラは集中して課題を仕上げていた。針の進む速さに隣で見ているエリオットが驚いているのは全く気付かなかった。

お昼休みの後半には課題が終わり、安堵の息をついてイナベラはエリオットと一緒に教室で食事をした。

令嬢に課題を返したイナベラは自分の刺繍が波紋を呼ぶとは思っていなかった。



イナベラの刺繍を提出した生徒達は高評価に満足していた。刺繍が上手いのは令嬢として誇れることである。イナベラのクラスは刺繍の上手い令嬢が多いと噂になっていた。教師が下位貴族のクラスの生徒の半分がすばらしい腕を持つと大絶賛していた。上位貴族が下位貴族に負けるわけにはいかないので、授業を厳しくする必要があったからである。

エリオットのマントの刺繍を羨ましく思っていた男子生徒が、教師から婚約者の刺繍の腕を大絶賛されマントに刺繍を欲しいと頼んだ。婚約者に刺繍の腕を褒められ期待された顔で願われ令嬢達は断れなかった。

エリオットはイナベラが自分の隣で笑顔で刺繍してた様子を男子生徒に自慢していた。愛しい人が自分のために刺繍をする姿はたまらなかったと。エリオットはマントを使って男達を牽制していた。エリオットのクラスではマントに刺繍をしたのがイナベラと知らない者はいなかった。エリオットとイナベラがなんの関係もないと知っている一部の生徒だけは冷めた視線でエリオットを見ていた。


***


イナベラは自分の机に置かれたマントに途方にくれていた。期限がないので、刺繍だけなら問題なかった。ただ糸がなかった。

課題の糸は学園から支給されていた。マントは個人のものなので糸は用意されていない。マントに刺繍するには大量の糸が必要だった。

高級そうなマントに安い糸を使うのは気が引けた。稼いだお金は男爵領に送ってしまっていた。エリオットからもらった糸を使っても全く足りなかった。

エリオットが声をかけても気づかず、マントを見つめているイナベラの肩を叩くとようやく顔をあげた。

イナベラの目の前にマントに刺繍をした相手がいた。


「エリオット様、もしも私が安い糸を染めてマントに刺繍したら受け取ってくださいました?」

「どんな糸でもイナベラが僕のために刺繍したら喜んで受け取るよ」

「それは他の方々も一緒ですか?」

「他?」

「こちらの家の方々はご存知でしょうか?」


エリオットがイナベラから渡された紙には伯爵家や侯爵家、男爵家の紋章が描かれていた。


「私、刺繍を頼まれたんですがこんな高級なマントに刺繍する糸がなく、」

「イナベラ、マントだけ渡されたの?」

「はい。あとは家の名前だけ教えていただきました。」


マントに想い人以外の女が刺繍をしたとなれば男はおもしろくない。エリオットとしても、イナベラが自分以外のために刺繍するのは見当違いと分かっていても面白くなかった。


「刺繍の糸も好みがあるから。男はこだわりが強いから安易に刺繍しないほうがいいよ」


イナベラの顔が青くなった。エリオットは当分はイナベラの傍にいようと決めた。イナベラが時々危なっかしいことはよくわかっていた。


「糸のことは聞いてあげるよ。」

「そんなご迷惑は」

「友人だから大丈夫。気にしないで」

「ありがとうございます」


イナベラは気に入らない糸で刺繍をして多額の請求や不敬罪を受けるのが怖かったのでエリオットに頼ることにした。どの家もイナベラよりも高位の家格だった。

イナベラは恐縮していたが、エリオットは頼りにされるのは嬉しかった。

翌日、エリオットは友人達に自分のイナベラにマントの刺繍を頼んだか尋ねた。

エリオットのイナベラの溺愛を知っている男達はイナベラのクラスに駆けこんだ。エリオットが自分以外のマントに刺繍するイナベラを見れば嫉妬に狂うことがわかっていた。

令嬢達は突然訪ねてきた婚約者に驚いた。

イナベラの机はマントで埋まっていた。マントを不用意に触ることさえ怖かったイナベラは机の上に置いたままだった。授業は膝の上でノートを取っていた。


「イナベラ様が刺繍が好きだから」

「婚約者の刺繍が欲しかっただけなんだけど」

「私も断ったのよ。でもどうしてもって」

「男爵令嬢が君に逆らうわけないだろう」


イナベラは自分の前で言い争う男女に困惑していた。イナベラは強い口調の男子生徒に慣れていなかった。不敬で責められたらと思うと段々恐怖を覚えてきた。

エリオットはイナベラの顔色の悪さを見て、口を挟むことにした。


「僕は独占欲が強いから僕のイナベラが他人のマントに刺繍をするなんて非常に不愉快なんだけど」


エリオットの言葉にエリオットのファンの令嬢達の視線が集まった。


「男は自分の守りたい者に刺繍を頼む。刺繍を頼むのは一種の求愛だ。その役目を譲るなんて、振られたも同然だ。僕はイナベラが他の誰かに依頼した刺繍入りのマントを受け取るなら、最初から断ってくれたほうがいいけど」

「エリオット様のマントって」


エリオットは遠くから聞こえる声を拾って、イナベラの肩を抱いた。


「僕のマントに刺繍するのはイナベラだけだよ。彼女以外の刺繍に価値はない。僕の隣で笑顔で刺繍する姿に心が満たされたよ。彼女を守るために強くなろうって」


イナベラはついていけなかった。まずマントに刺繍する意味も知らなかった。一番悲しいのは、せっかくエリオットとの噂が消えると思っていたのに、失敗したことだった。令嬢達の視線を集めていたので、ため息を飲み込んだ。


「非常に不愉快だけど、どうしても刺繍を頼むなら道具は自分達で用意してくれないか。自分より下位の相手に物をねだるなんて恥を知ってほしい。糸くらい用意してくれないと。僕は安い糸でもいいけど、君達の婚約者は満足しないだろ?」


気付くとイナベラの前からマントがなくなっていた。

糸問題が解決したことはわかった。

イナベラは混乱して思考を放棄した。

また刺繍のテストの時に、提出物と実際の力量の差に教師が疑念を抱き、令嬢達はイナベラに課題を押し付けたことが知られてしまった。おかげで厳しくなった刺繍の授業がもとに戻り、上位貴族の令嬢達は安堵の息をこぼしていた。

エリオットは自分の予想通りの展開に、愉快に笑っていた。

イナベラへの嫌がらせにエリオットは陰で報復をしていた。身に危険を感じた一部の令嬢達がイナベラへの嫌がらせから手を引いていた。

エリオットの暗躍などイナベラは全く気づかなかった。

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