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第1話前編 困惑令嬢の生活 

男爵令嬢イナベラには婚約者はいない。

そしてイナベラには嫌いなものがある。

周囲とは違うイナベラの赤毛の髪。

髪より嫌いなのは、クラスメイトの令嬢に大人気の伯爵令息のエリオットである。

なぜかイナベラは嫌いな伯爵令息エリオットと婚約していると周囲に誤解されている。



***


イナベラは全寮制の学園に入学してしばらく経つが、よくある光景に襲われていた。

イナベラにとって休み時間にエリオットファンの令嬢に囲まれるのはよくある光景である。

エリオットファンの令嬢がイナベラに話す内容はいつも同じだった。


「イナベラ様、身の程をわきまえてください。貴方みたいな方がエリオット様には釣り合わないわ」

「はい。わきまえております」

「でしたら、」

「何をしているの?」


イナベラ達が話ていると、穏やかな顔をしたエリオットが会話に乱入するのもよくある光景である。


「エリオット様!!」


令嬢達は輝かしい金髪と青い瞳の容姿端麗のエリオットを見て頬を染める。

文武両道で物腰が柔らかなエリオットは令嬢達の憧れであり、名門伯爵家次男は下位貴族ばかりのイナベラのクラスでは人気者だった。


「僕のイナベラに粗相があった?」


エリオットに見つめられて、胸がいっぱいになった令嬢はうっとりと見惚れて言葉が出ない。


「それは…」

「僕がイナベラのかわりに謝罪をするよ。すまなかった。許してくれないか」

「エリオット様が言うなら。」

「感謝するよ」


イナベラを囲んでいた

令嬢達はエリオットの甘い笑顔に、さらにうっとりとしていた。イナベラだけが穏やかな表情を装い、冷めた瞳で見ていた。


「僕が言い聞かせるから、これで」


優雅にイナベラの手を強引にとり、エリオットは立ち去った。

イナベラは手を振り解いて逃げたかったが、逃してもらえないことを過去の経験で知っていた。

しばらく歩き、人気がない場所でエリオットはようやくイナベラの手を放した。


「本当に目が離せない。だからいつも傍を離れないでと言ってるのに」


学年もクラスも違うイナベラには無理である。

エリオットの教室にいつでも来ていいと言われてもイナベラは一度も訪ねたことはない。


「お気遣いありがとうございます」

「君は僕がいないと駄目だろう」


機嫌良さそうにイナベラに話しかけ続けるエリオット。

イナベラは目の前のエリオットの嬉しそうな顔が嫌だった。

イナベラはエリオットがいなくても問題ない。

むしろ側に居るほうが迷惑だった。社交もできないと遠回しに責められるエリオットの言葉に慣れても不愉快に思っていた。


「失礼します」


イナベラは嫌な気持ちを我慢して穏やかな顔を作り礼をして速足で逃げ出した。


エリオットはいつもイナベラをバカにしていた。

一生懸命作ろうとした友達もエリオットのせいで失敗した。

おしゃれをして足を踏み入れた社交界で、エリオットはいつもバカにする。

周囲がどんなに憧れようとエリオットはイナベラにとって意地悪な男である。

エリオットはいつもイナベラの言葉を聞かない。

いつもイナベラが悪いと決めつける。

イナベラは本能のまま憩いの場所を目指す。

学園の裏庭の奥にある薬草園の木陰はイナベラにとって唯一、心が休まる場所である。

薬草園は虫が多く、生徒は近寄らない。

イナベラは虫よりもエリオットのほうが怖い。

イナベラの世界にエリオットより怖くて嫌いなものはない。

イナベラの学園で唯一の話し相手は薬草の世話をしている博士である。

イナベラは薬草園の木陰で膝を抱えてうずくまった。

エリオットから離れたくて、違う学園に入りたいと父に願っても許されなかった。


「具合悪いのか?」


イナベラは聞いたことのない声に顔をあげた。


「いえ。大丈夫です。邪魔ですか?」

「いや、俺も息抜きにきただけだから」


イナベラは自分に話しかける男子生徒を不思議そうに見上げた。

エリオットとエリオットのファン以外でイナベラに話しかける生徒はいない。

話しかけてもすぐに逃げられてしまう。イナベラの薄汚い赤毛が原因だとイナベラは思っている。


「そうですか」


ぼんやりしているイナベラの隣に男子生徒は腰掛けた。


「良い場所だよな」

「はい」

「いつもここに?」

「時々です」

「そうか。俺はそろそろ行かないと。またな」


手を振って去っていく男子生徒をイナベラは不思議そうに眺める。

イナベラがぼんやりしていると、博士に暗くなるから帰りなさいと追い出されてしまった。


***


学園でイナベラに話しかけるのは、博士と教師とエリオットファンの令嬢とエリオットだけである。

学園の休憩時間はイナベラはずっと読書をして過ごしている。

友達作りは遙か昔に諦めた。苦行の学園生活で唯一の救いは勉強が楽しいこと。

イナベラ自身を見て怯える生徒の視線も慣れた。

家に帰れば大好きな家族と領民がイナベラをいつも暖かく迎えてくれる。

学園では疎まれる赤毛を綺麗と言ってくれる。だから、男爵令嬢らしく頑張ることにした。

どんなことを言われても泣くのはやめた。イナベラが泣けばエリオットが喜ぶのも嫌だった。

嬉しそうに頭を撫でられるのも不快だった。

弱小男爵家が伯爵家のエリオットへの無礼は許されない。嫌な手を振り払うわけにもいかず、されるがまま耐えるしかなかった。



お昼休みに食堂で食事をしているとイナベラの隣の席に座り食事をしているエリオットは気にせず箸を進めた。

エリオットの話を適当に相槌をうち聞き流していた。嫌な言葉も気にしない。穏やかな顔を作り、平静を装い食事をする時間はイナベラにとって苦行だった。

食べ終わり、食器をのせたお盆を返しに立ち上がるとエリオットにお盆を奪われた。

周りの令嬢達はイナベラにきつい視線を投げかける。イナベラは是非立場をかわって欲しいといつも思っていた。イナベラは一度も食器を返して欲しいと頼んだことはない。

勝手に教室に戻るとエリオットに文句を言われるので、帰ってくるのを待つしかなかった。令嬢達の視線を浴びながらエリオットに手を引かれ教室に戻っても、昼休みの終わるギリギリの時間まで、話に付き合わなければいけなかった。

他の令嬢が話しかけてもエリオットはあしらった。令嬢の突き刺さる視線にイナベラは気づかないフリをした。令嬢達もエリオットと一緒でイナベラの言葉は聞こえないことをよく知っていた。


ぼんやりしていたイナベラは廊下で肩を叩かれてエリオットに視線を向けた。


「イナベラ、この本もう読んだ?」


イナベラは得意げに笑うエリオットに差し出される本に視線を向けた。好きな作家の本だった。


「興味あるだろう?」


エリオットはいつもイナベラに本を自慢をした。でも続く言葉を知っていた。


「可愛くお願いすれば貸してあげるよ」


いつも向けられる試すような笑顔が嫌いだった。本から視線をそらし穏やかに微笑んだ。


「お気遣いいただきありがとうございます。授業がありますので失礼します」


イナベラは礼をして立ち去った。

エリオットはいつもイナベラが好む本を見せつけ自慢した。

イナベラの家は裕福ではないため高価な本にはお金を使えない。

本はいつも図書室で借りていた。

イナベラの趣味が読書なのは学園が暇だからである。

興味をひかれても、エリオットに頼んで貸してもらうほど求めるものではない。

もし頼んでも自慢されて終わるだけだろうし、エリオットとは関わりたくない気持ちが勝っていた。

イナベラはエリオットとのやり取りは苦行でも、悩むことはやめた。

無駄なことを考えても仕方ない。

爵位の低い男爵令嬢のイナベラには伯爵令息のエリオットに付き合う選択肢しか残されていないから。

時が流れてもエリオットに振り回されるのはイナベラにとって変わらない日常である。

そんなイナベラは日課の苦行よりも大事なことがある。

もうすぐイナベラの大事な弟の誕生日である。

イナベラは授業が終わるとすぐに薬草園に向かった。

すぐに移動しないとエリオットやエリオットのファンに捕まることを知っていた。

イナベラは苦行の学園生活で、気配の消し方と素早さを身につけた。

イナベラは、博士を見つけて笑顔で近づいた。

放課後、誰にも捕まらず薬草園に着いたことで気分が浮上した。


「博士、糸を染めたいので、薬草や花を分けてもらっていいですか?」

「構わない。道具も貸してやろう」

「ありがとうございます」


色とりどりの刺繍糸は高価だった。だが白い糸は安価である。

イナベラは弟のために、刺繍したハンカチを何枚か贈るつもりだった。

ハンカチはすでに縫い上げた。あとは刺繍をするだけだった。イナベラは弟の好きな物語に出る青い龍と剣の刺繍をするために糸を染める準備をはじめた。


「何してるの?」


草をすりつぶしていたイナベラは顔を上げた。

以前会った生徒が不思議そうに見ていた。


「糸を染める準備をしているんです」

「糸を染める?」

「色鮮やかな刺繍糸は高価です。だから自分で染めるんです。博士に許可はいただいてます」

「おもしろそうだな。手伝ってもいいか?」

「白い糸をお持ちなら、分けられますが・・」

「過程が気になるだけだから、糸はいらないよ」

「わかりました」


イナベラは男子生徒と一緒に黙々と作業した。男子生徒は驚くほど器用だった。

2日かかると見越していた作業が1日で終わったことをイナベラは喜んだ。

せっかくなので白いハンカチも一緒に染めた。


「後は一晩寝かせるだけです。」

「明日の放課後?」

「はい。楽しみです」


初めて会った時に空虚な目をしていたイナベラが嬉々として糸を染める姿にライアンは驚いていた。ライアンは侯爵子息だった。いつも人に囲まれ疲れていたので、逃げてくるのは薬草園だった。自分に興味を持たないイナベラが物珍しかった。


***

イナベラはライアンにお礼をしたかった。イナベラより器用なライアンのおかげで作業が早く終わったことを感謝していた。ただ貴重な糸を分けることはできなかった。

イナベラは家事全般は得意だった。

お礼にお菓子を作ることにした。学園の厨房の材料はお金がかからない。高価なお菓子は買えないので、おやつはいつも自分で作っていた。

料理人はイナベラが来ると快く隅の厨房を譲ってくれた。

イナベラは邪魔にならない時間に訪ねていた。そして、イナベラはいつも料理人におすそ分けをしていたので好かれていた。

ライアンにとってお礼になるかはわからなかった。

ライアンに断られれば博士と二人で食べればいいかと思い、数種類のお菓子を作った。明後日からは刺繍に集中するので、甘い物ほしいので余りが出ても問題はなかった。

イナベラのお菓子は弟も大好きだった。イナベラはいつも弟の喜ぶ顔を思い浮かべながら、楽しそうにお菓子を作っていた。

料理人は楽しそうに料理をするイナベラのために、お菓子の材料を残してくれていることに全く気付いていなかった。


***


イナベラは料理人からナッツが余ったと譲ってもらったので、クッキーとカップケーキをたくさん焼いた。

ナッツは輸入品なので貴重なものである。貴重なおやつが手に入ったイナベラは機嫌がよかった。

上機嫌なのはまだ理由があった。最近はありがたい情報を教えてもらった。

料理人から早朝に厨房を借りられることを知ったのでお昼は自分で作ることにした。

食堂に行かずにお昼が食べれるのはありがたかった。

イナベラは人気のない庭園の隅の木陰で本を読み、サンドイッチを食べるのが日課になった。

苦行の昼休みが至福の時間に変わった。


「ここにいたのか」


イナベラは聞こえる声に気分が落ち込んだ。

エリオットに会いたくなかった。

だから隠れて食事をしていた。憩いのお昼の時間が終わり、ため息を飲みこみ平静を装い穏やかな表情を纏った。


「ごきげんよう。エリオット様」

「なんで、こんなところに・・」


目の前の相手に見つかりたくなかったとは言えなかった。


「外で食事をしたかったんです。」

「それならテラスに席をとったよ。もしかして、いじめられたのか?」


自分に意地悪をする一番の相手は目の前にいた。イナベラは放っておいて食事をすることにした。


「だから僕の傍にいればいいと言っただろうが」


イナベラは意地悪されたとは一言も言っていない。エリオットはいつも一人で会話していたので適当に相槌をうち流していた。

イナベラは食べかけのサンドイッチを急いで飲み込んで後にすることにした。

この男と話すのは時間の無駄である。捕まる前に逃げるのが一番である。


「次の休み出かけないか?」

「予定があるので申し訳ありません。失礼します」


イナベラは礼をして去っていった。休みの日は刺繍をすると決めていた。そしてエリオットとは絶対に過ごしたくなかった。


***


放課後、イナベラは薬草園に足早に向かった。エリオットを見かけたので、声をかけられる前に気配を殺してそっと通りすぎた。

色水から糸を取り出すと綺麗に染まっていた。初めてにしては上出来とイナベラは自画自賛した。

糸と布を取り出し、干しているとライアンが現れた。

小さい体で必死に干しているイナベラを見かねて手伝った。イナベラは驚いたが、ありがたく甘えることにした。イナベラを見て怯えない男子生徒はエリオット以外でライアンが初めてだった。


「ありがとうございました」

「気にしないで。綺麗に染まったな」

「はい。綺麗に染まりました。甘い物は好きですか?」

「嫌いじゃないけど、あんまり好きではない」


イナベラは茶葉の混じったクッキーの小袋を渡した。


「甘みを抑えてあるので、よければどうぞ。博士、おやつ持ってきました。」


イナベラは博士を見つけたので、おすそ分けのお菓子を渡した。

ライアンはイナベラの贈り物に警戒したが、博士の方が量が多く杞憂と気付いた。

そして博士のもとに行き、帰ってこないイナベラが自分に特別な好意があるとは思えず、クッキーを口に入れた。

ライアンは、好みの味に顔をほころばせた。


***


イナべラは糸が出来上がり念願の刺繍をしていた。

簡単な剣の刺繍から始めた。休憩時間は本を読まずにずっと刺繍に費やした。食事も教室ですませた。隣にエリオットがいようとも気にしなかった。大好きな弟のことを考えれば嫌なことも耐えられた。数日かけて、剣の刺繍をおえたイナベラは龍の刺繍に挑みはじめた。

剣と違って繊細な作業だった。これを見れば弟が驚くだろうと思うと苦ではなかった。高いものは買えない。でもこのハンカチを持っているのはイナベラの弟だけである。専門の針子には敵わない。でも弟なら喜んでくれると思っていた。エリオットの隣で上機嫌に刺繍をするイナベラの様子を睨んでいた令嬢達の様子は気付かなかった。


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