5.第2王子達のその後
ここで 、騒ぎを起こした第2王子達や婚約破棄されたヴィアゼムスキー侯爵令嬢のその後について語るとしよう。
まず、第2王子から婚約破棄されたヴィアゼムスキー侯爵令嬢について。
公正な調査が行われた結果、ジョルカエフ男爵令嬢への嫌がらせは冤罪であることが証明された。嫌がらせを行っていたのはジョルカエフ男爵令嬢のことが気に入らない面々であり、大半が第2王子派に属する者達だった。
王家とヴィアゼムスキー侯爵家の交渉の結果、第2王子とシルビア嬢は婚約破棄ではなく婚約解消ということになった。シルビア嬢に非はなかったのだから当然である。しかし、彼女に大きな傷がついたことに変わりはない。第2王子に非があったとはいえ婚約解消となったのだから。
今後国内で新たな婚約を結ぶことは絶望的であり、国内に居づらくなった彼女は友好国の一つであるシュヴァーエン王国へ留学することになった。
次に第2王子だが、彼は廃嫡の上、国王が所有する離宮の一つに禁足処分となった。
母親である側妃マティルデ妃も同様に、離縁され王領の修道院の一つで禁足処分にされた。何故マルティデ妃にまで処分が及んだかというと、ジョルカエフ男爵令嬢への嫌がらせもヴィアゼムスキー侯爵令嬢にその罪を被せることも、全てマルティデ妃と彼女の実家であるヘルマン侯爵家が企んだことだったからだ。ヘルマン侯爵家は第2王子派のトップである。勿論ヘルマン侯爵家にも厳罰が下った。当主と継嗣は死罪。領地も一部を王家に返上することになる。
更に、ローゼンフェルト公爵家からの報復も加わる。継嗣毒殺未遂の件でだ。尤も、マルティデ妃とヘルマン侯爵家にとっては狙いはリィンジークとクリスティーナのどちらでもよかったようだ。どちらか一方が死ねばそれでよかったらしい。
大なり小なり関わっていた第2王子派の面々にも相応の処罰が下された。このことが原因で第2王子派は無くなった。他の三つの派閥に対抗するために一致団結すべきか鞍替えするか等で小競り合いを繰り返すようになる。
第2王子派以外で関わっていた面々は各々の派閥を追い出され、こちらも新たな派閥を求めて小競り合いに陥る。
令嬢が処刑されたジョルカエフ男爵家。こちらは爵位返上と領地返上となった。夫人はともかく当主はまともであったため処分を粛々と受け入れた。
第1師団長子息は一兵卒へと落とされた上で放逐。当主も隠居し継嗣が後を継いだ。これによって第1師団長位が空席となり、後任が決まるまでの間は副師団長が代理を務めることになる。
神官長子息も廃嫡となった。神官長は自ら爵位を返上し息子と共に隠居した。
最後まで抵抗した第2王子であったが最早どうにもならない。何度も言うようだが、噂が出始めた頃に己の間違いに気がついていればまだどうにかなったかもしれないのだ。
事の重大さを理解し、心から反省する日がくることを願うばかりである。