7頁 ラノベと魔導書は等価である
ミュタンは食い入るようにラノベを見ているようだった。
紙擦れの音が静かな部屋に響く。羞恥に耐えなければならないこの時間はまさに地獄。日本語なんて読めないだろうに、何をそんなに見ているのか。
そういえば、昨日召喚された部屋からでるとき、武士娘のカノンが儂の本がどうとか言ってたような……。
まさか、肌色満載の挿絵が、何か問題に? そのことを告げられたミュタンがそれを確認して王へ報告するとか? そして儂は猥褻物を持つエロ爺として王宮中、いやこの国中の晒し者にされるのでは!?
最悪の展開に、嫌々と手で覆ったままの顔を横に振る。
ああ、神よ。オタクであることがそんなに悪なのでしょうか!
心の中に住む神(美少女)に慈悲を求め訴える。
「オキナ」
「ああ! 許してください! 儂には何もやましいことなどないのです!」
不意に声をかけられ、勢いに任せて思ったことを口走る。
指の隙間からミュタンの方を見ると、一瞬こちらを見るが、すぐにラノベへと視線を戻した。
「何のこと? ところでオキナ聞きたいことがある」
ミュタンはラノベから目を離さずに言った。
「オキナはこの文字をすべて読み、意味を理解できるの?」
「え、えぇ。そりゃまあ。母国語ですし」
小説を読む際、稀に語彙の豊富な著者が難しい言葉を使うので、学のない儂は辞書を引くこともあるが、読んでいたラノベに関してはその心配はなさそうだった。
儂の言葉を聞きミュタンは少し考えた風だったが、ページ半ばというところでラノベを閉じる。
「オキナ、頼みがある」
その台詞は、二度目だ。
「この本を、数日ばかり貸してはもらえないだろうか?」
思わぬ頼み事だった。
「はぁ、貸すのは別に構わないですが……読めるのですかの?」
当然の疑問だった。
ここは異世界、そもそも言語が違う。
今、会話できているのは、儂がこの世界の言葉を喋っているにすぎない。それに関しても召喚されたときの出来事があったからで……。
そこまで考え、思い当たる。今、儂がこの世界の言葉を喋り、それを日本語で認識できているように、何か日本語を翻訳する魔法のようなものがあるのではないだろうか?
「なにか、読む方法でも?」
疑問をそのままぶつけてみる。
ミュタンは顎に手を当てると、小首を傾げ、少し考えているようだった。
うーむ、美少女がとると可愛いポーズその一。
しばらく考えたあと、何かを納得したのかミュタンは口を開いた。
「いや、この言語に関しては魔導書の力で翻訳することができなかった。私の持つ魔導書には、この言語に関する記述がない」
「魔導書……。そういえばミュタンさんが本を広げて何かしたら、言葉が理解できるようになりましたのう。儂が今ミュタンさんと会話できるのも、その魔導書のおかげということですかの?」
「そう。しかしオキナ、あなたには魔導書の力で、無理矢理この世界の言語を理解してもらった。昨日は痛い思いをさせてしまったかもしれない。ごめんなさい」
ふいにミュタンが昨日の出来事を謝る。ぺこりと頭を下げた姿が可愛い。
「あぁ、いや、いいんじゃ。過ぎたことじゃよ。しかし他の六人は平気じゃったのに、儂の国の言葉だけダメだったんじゃな」
「六人に関しては魔導書がその力を正しく発揮し、彼らの言語はこの世界の言語に翻訳されるようになった。が、オキナの世界の言葉は難解にすぎたようだ。おそらく別巻にまとめられている可能性が高い……が、その別巻を私は残念ながら所持していない」
途中から自分に言い聞かせるように言うミュタン。
なんとも不思議な話じゃが、異世界人をもって難解と言わしめる日本語。怖い。
ミュタンが続ける。
「つまり、彼らは自分達の国の言葉で喋っているが、その言葉は声になる直前、自動的にヴィラスイールの言葉に置き換わる。逆にヴィラスイールの言葉を聞いた時、彼らの頭の中で自動的に彼らの世界の言葉に翻訳されている」
ミュタンはゆっくりと考えながら、身振り手振りを交えてそう言った。
「ふむ、自動翻訳というわけか。しかしそれが儂にはできなかったと?」
「そう。だから魔導書を使って、強制的にヴィラスイールの言語全てをオキナの頭へ流し込んだ。オキナが倒れ込んでしまったのはそのせい」
申し訳なさそうに言うミュタン。その顔には反省の色が浮かんでいる。そんな顔も可愛い。
「そうか、それで儂はこの世界の言葉で喋りつつ日本語も喋れるわけか」
他の六人はヴィラスイールの言語を理解したわけではなく、あくまで翻訳された自分達の世界の言語を認識している。
それに対して儂はヴィラスイールの言語を理解し、そのまま会話している。しかし、ベースとなる母国語は日本語なので、ヴィラスイール語を喋りながら日本語で物を考えられる。当然ヴィラスイール語と日本語を交ぜて会話することも可能となるわけだ。
儂は、自分におきた出来事に納得し、同時にその不思議な力に驚嘆した。
「しかし、魔導書とはほんに不思議な物があるもんじゃのう。そういえばミュタンさんは魔導書使いとか言っておったか。そういう人はこの世界には多いので?」
「多いかと聞かれれば、答えは少ない。魔導書は、魔導書を読みとく才能を持った者にしか読むことができないし、使うこともできない。その一握りの者以外には書名もない白紙の紙の束だ」
「なんとまあ。それじゃ儂が見たいと言っても読むこともできないのか。儂、魔法も使えんようだし」
なんとも残念な話だ。
異世界の、それも不思議な力を持つ魔導書という物を読んで見たかったもんじゃが。
残念そうに言うと、ミュタンが「それは違う」と否定する。
「魔法が使えるかどうかは関係ない。オキナに才能があれば魔導書は読めるし、使うこともできる。見たいと言うのであれば、見せるのは構わないが?」
「本当に!」
思わぬ言葉に儂は思わず飛び上がって喜ぶ。
ミュタンは少し驚いたようだ。そして申し訳なさそうな顔で言った。
「ただ、今は魔導書を持ってきていない。それに、私も忙しくてすぐには見せられないと思う」
「いやいや、いいんじゃよ。その本を返すときにでも、ついでに持ってきてもらえればそれで構わんですよ。いやー嬉しいのぅ」
ラノベを貸して、代わりに魔導書が読めるかもしれんとは。
最初は冒険できないと残念がったが、これはこれでラッキーな出来事じゃ。
「では、この本を借りても?」
「OKポッキー。代わりに魔導書は頼みますぞい」
「オッケポッキ? やはりオキナの国の言葉は難しい。……ではお借りする。貴重な本だ、大切に扱う」
丁寧にお辞儀するミュタン。
ローブの袖から一枚の布を取り出すと、ラノベを包み、そのまま袖口に仕舞った。
綺麗に包んで仕舞ったものだと思った。ミュタンの本に対する接し方が伺えた。
「ミュタンさんは本が好きそうじゃのう」
何気なく言う。ミュタンの本に対する接し方を見て思わず言っていた。
ミュタンは照れたのか、うっすらと微笑みながら返す。
「うん。本は好き。……しかしオキナもかなり好きそうに見えた。魔導書が読めるかもしれないと言ったときの喜びようは子供のようだった」
うわ、はしゃぎすぎた。恥ずかしいところを見られたんじゃなかろうか。
いまさらながら恥ずかしくなって赤面する。
「まあ大して読書はしてないけれど、一応図書館で働いていたからのう。本は好きじゃよ」
「そうか。……オキナのような人ならばきっと魔導書も読めることだろう」
「そうかの? そうであれば嬉しいのぅ。ああ、楽しみじゃ」
期待に胸がふくらみ破顔する。
これで魔導書が読めなかったらそこそこ凹むかもしれんが、まあその時はその時じゃな。
数日後には訪れるであろうその時を楽しみに、いましばらく異世界の生活を満喫しようと思った。