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その四 グラナダ

九日目 五月十七日(月曜日)

 九時間のバス旅行を経て、二人を乗せたバスは漸くグラナダのバス・ターミナルに到着した。

 グラナダはイベリア半島での最後のイスラム王国として、イスラム文化の精髄が香り高く残っている古都である。

 「千四百九十二年、コロンブスの新大陸発見の年ですが、イスラムの最後の砦であるグラナダが陥落し、アルハンブラ宮殿をカトリック両王、イサベルとフェルナンデス、に明け渡した上で、退去を余儀なくされた当時のイスラムの王様が嘆き悲しむのを見た王様のおっかさんが、お前は男のように戦わず、女のように泣いている、となじったという話も伝わっています」

 「おっかない、おっかさんだったんですね」

 香織は笑いながら言った。

 「グラナダはスペイン語では『石榴ざくろ』という意味で、いろんなところで石榴のレリーフ或いは模様が見ることができますよ」

 七時半、少し眠い目をこすりながら、バスを降りた三池たちの眼に南国アンダルシアの太陽はあくまで眩しかった。

 バス・ターミナルのカフェテリアで、コーヒーとパンといったコンチネンタル風な簡単な朝食を摂った。

 いろんなコース・メニューはあったが、長い乗車時間だったので、あまり食欲は無かった。

 「今回は、私の退職記念旅行なんです。きちんとお支払いしたいと思っていますので、後で精算のほう、宜しくお願いします。三池さんに負担をおかけするつもりはございませんので」

 「ああ、そうですか。分かりました。香織さんに負担して戴く分は纏めておきますよ」

 香織の気持は分かるが、そうは、いかない、と三池は思っていた。

 「僕の場合は、退職記念旅行としては別にしませんでした。引越しをして、落ち着いたところで、ハワイとか上海に行っては来ましたが。ああ、そうそう、一度僕の家に遊びに来ませんか。勿論、お母様も連れて。近くにいい温泉があるんです。また、スパ・リゾートという温泉センターもあり、東京から来る人で連日混んでいます。お母様にも久し振りにお会いしたいと思っていますし」

 香織は微笑んでいた。

 「実を言いますと、ここグラナダではアルハンブラ宮殿に隣接しているパラドールに泊まりたかったんです。パラドールというのは国営のホテルで、歴史的建造物を改築してホテルにしているので、宿泊料金は結構高いのですが、贅沢で優雅な時間を味わえるということで世界的にも有名な宿泊設備なんです。ただ、僕がインターネットでアクセスした時には既に満室となっており、予約は叶いませんでした。その代わり、アルハンブラ宮殿に、これまた隣接しているホテルがありましたので、ここを予約したわけです。小さなホテルですが、なかなか評判がいいホテルです。何と言っても、宮殿の隣です。でも、料金は今回の旅の中で一番高い料金です」

 朝食後、タクシーでホテルに向かった。

 チェックインは午後一時です、と言われた。

 それで、チェックインまでの時間、荷物だけ預けて、市内見物に出掛けることとした。

 ホテルのロビーの隅に、フラメンコ・ショーの案内書が置かれてあった。

 バルセロナで観た店の名前と同じ、『ロス・タラントス』という名前の店で行なわれるフラメンコ・ショーで、三池はホテルの担当に話をして、明日の分を予約して貰った。

 ホテルの担当は愛想良く、このショーは素晴らしいですよ、と言っていた。

 ホテルの近くに、グラナダ名物の観光バス、アルハンブラ・バスの停留所があり、そこから市内に向かうアルハンブラ・バスに乗った。

 運転手から、『ボーノ』と呼ばれる七回回数券を買って乗り込んだ。

 日本人の観光客が目立った。

 多くは、三池と同じくらいの年輩の旅行者だった。

 俺たち、団塊の世代は皆元気がいい、旅行は無形の財産だと思っている、子供や孫に金を残してもしょうがないと思っている世代だ、一杯旅をして、その思い出だけを冥土の土産にして旅立とうと思っている世代だ、と三池は思った。

 バスはヌエバという名前の広場に着いた。

 そして、バスを乗り換えて、アルバイシンに向かった。

 アルバイシンのサン・ニコラス展望台からのアルハンブラ宮殿の眺めは評判通りの美しさであった。

 暫く、景色を楽しんだ後で、またバスに乗り、ヌエバ広場に戻り、そこからは歩いて市内の名所を訪れることとした。

 二百メートルほど歩いたところに、王室礼拝堂があり、隣接してカテドラルがあった。

 王室礼拝堂には、二組の夫婦の遺骸が安置されている。

 レコンキスタを完了させたカトリック両王、イサベルとフェルナンドの遺骸と、両王の娘、フアナとその夫フェリーペの遺骸である。

 フアナはあのフアナ・ラ・ロカ(狂女フアナ)と美公・フェリーペと言われた美男子フェリーペのことか、と三池は思った。

 フェリーペは美男子でよく女にもて、フアナは嫉妬で精神に変調をきたし、フェリーペが若死にしてからは完全に狂い、狂王として死ぬまで幽閉された、と云われている。

 但し、本当に狂っていたかどうか、陰謀説も渦巻いている。

 しかし、女が、愛した男の早過ぎる死に直面して狂ってしまう、それほど、女は哀しいものなのか、と三池は思った。

 カテドラルは、ステンドグラスの見事さと煌びやかな黄金の主祭壇で有名だ。

 メキシコでもそうだ、と三池は思った。

 メキシコでも黄金を惜しみなく使った祭檀は多く、数百年を経た今も当時の煌びやかな輝きは少しも失ってはいない。

 その祭檀に向かって、インディオの子孫たちは敬虔な祈りを捧げている光景を何度も見た。

 征服者である白人の凄まじい搾取の結果として建造されたカテドラルの黄金に彩られた祭壇の前で、被搾取者のインディオの子孫たちが与えられた宗教の信仰を捧げているのだ。

 三池はグラナダのカテドラルの中、黄金祭檀を前にして、何とも遣りきれない怒りを感じていた。

 しかし、その反面、時代を越えた美しさというものは確かにある、美しいものはいつの時代でも美しいものだ、たとえ、それが如何に醜悪な搾取に基づいていたとしても、と三池は思った。

 二人はカテドラルを出て歩いた。

 近くに、日本語情報センターがあった。

 そのセンターはビルの三階にあり、狭い階段を登り、『日本語情報センター』という貼り紙が貼られているドアをノックした。

 中から、中年の男性が現われ、三池たちを室内に招じ入れた。

 三池たちはスペイン滞在二十七年というOさんと暫く雑談し、いろんな観光パンフレットを貰った。

 センターを出て、少し南の方向に歩くと、左手の方にエル・コルテ・イングレスの大型店が見えた。

 もっと南に下ると、ガルシア・ロルカ記念館があるという話であったが、行かなかった。

 「ガルシア・ロルカはスペイン内戦勃発時、フランコ軍に捕まり、銃殺されたんです。それも、自分の死体を埋葬するための穴を掘らされた挙句、銃殺されたという話です」

 三池は香織に話をしながら、大学の頃を思い出していた。

 三池が大学に入学したのは、昭和四十三年、千九百六十八年だ。

 全共闘が一番盛り上がった頃だ。

 その頃、反帝学評という全学連組織があった。

 何かの集会で、その反帝学評のメンバーが歌っていた歌があった。

 インターナショナルとか、ワルシャワ労働歌という歌はかなり有名だったが、彼らが歌っていたその歌は知らなかった。

 周りの者に訊いてみた。

 国際旅団の歌だ、と言っていた。

 内容はこんな感じだった。

 おいらの生まれはここではないが、おいらの夢はここにある、国際旅団の行くところ、ファシストは倒る、・・・、といった歌詞だったように思う。

 彼らは、「国際旅団」というところを「反帝学評」という言葉に変えて歌っていた。

 スペイン内戦勃発時、フランコ軍に対抗する共和国軍に多くの若者が国を越えてスペインに集結し、銃を取って戦った。

 彼らの組織を「国際旅団」と言った。

 銃を取るよりは、ペンを取る方が似合っていた若者ばかりであった。

 その内の一人に、アーネスト・ヘミングウェイが居た。

 彼はこの時の経験を基にした小説を発表した。

 『誰がために鐘は鳴る』という小説である。

 スペイン内戦は多くの悲劇を生んだ。

 ガルシア・ロルカもその一人だ。

 古都は古都故に、つまり古い歴史を持っているが故に、多くの悲劇を見て来た、このグラナダも例外ではないだろう、と思いながら、三池は石の敷石舗道を歩いていた。

 昼食はエル・コルテ・イングレス近くのベラクルスというレストランで摂った。

 ランチ定食で安く、結構美味しかった。

 定食もフルコース並みの構成で結構安い値段で食べられるものなんですね、と香織が言っていた。

 飲みもの、パン、プリメーロ・プラト(一番目の料理)、セグンド・プラト(二番目の料理)、デザートという構成であり、日本人には量が多く、十分満腹になった。

 プリメーロ(第一の皿)、セグンド(第二の皿)と二つともかなりの量の料理であり、男はともかく、食の細い女性ではとても食べきれない量となる。

 昼食の後、ヌエバ広場に戻り、アルハンブラ・バスに乗ってホテルに行き、チェックインを済ませた。

 ここでも、香織はセニョーラと呼ばれた。

 香織は少し複雑な表情をしたが、誤解を楽しんでいるようにも見えた。

 部屋に通され、窓を開けると、アルハンブラ宮殿の外壁がすぐそこに見え、小鳥の囀りと共に、少し涼しい風が吹き込んできた。

 季節は初夏であり、スペインはともかく、日本ならば一年で一番いい季節だ、と三池は思った。

 香織がシャワーを浴び、その後で三池もシャワーを浴び、昨夜からの汗を流した。

 ベッドに横になったら、気が緩んだせいか、そのまま少し眠ってしまった。

 目が覚めた時は既に八時を過ぎていた。

 外はまだ明るかったが、香織を誘って軽い夕食を摂ることとした。

 百メートルほど離れたところにあるパラドール・デ・グラナダに行き、そこのカフェテリアでワインを飲みながら、サンドウィッチをつまんだ。

 カフェテリアは屋外にあり、前方に、アルハンブラ宮殿のヘネラリフェ離宮が見えていた。

 カフェテリアに入る際、レストランが目に入った。

 レストランは正装に近い、キチンとした服を着こなした男女でほとんど満員の状態で、予約無しで普通の観光客が入れるような雰囲気では無かった。

 カジュアルな服装の観光客はカフェテリアに入るしか無いようにも思われた。

 九時を過ぎ、ようやく夕暮れが忍び寄って来た。

 十時になって、夜が来た。

 前方のヘネラレフェ離宮にも照明が灯され、美しい夜景を見せていた。

 三池はふと、メキシコのタスコの丘の上のホテルから見た街の夜景を思い出した。

 タスコは『慕情の街』と言われる。

 二十九歳の三池は或る女性のことを想っていた。

 メリダのユカタン州立大学に留学していた女子学生だった。

 三池は企業から派遣された研修生であったが、彼女は留学生試験を合格して来ていた学生留学生であった。

 三池はその女の子に淡い恋心を抱いていたが、想いが通じることは無かった。

 その女の子は、同学年の男子留学生と恋仲となっていた。

 その女の子が或る晩、三池のアパートを訪れた。

 三池はドキドキしながら、その女の子を室内に招じ入れた。

 だが、訪問の意を知って、三池は何かロマンスを期待した自分を嗤った。

 女の子は、その男子留学生に体を許したのに、この頃冷たい態度を取られてしまう、どうしてなの、と年長の三池に相談に来ただけであった。

 三池の恋はこうしてあっさりと葬り去られた。

 三池はタスコのホテルのベランダから山沿いの街の夜景を見ながら、恋の痛みに耐えていた。

 あの時の俺は二十九歳、今の俺は六十歳、何にも変わっていない、少し分別らしいものが付いているだけだろう、邪魔な分別かも知れないが、と三池は思った。

 ふと、傍らの香織を見た。

 彼女も三池を見ていた。

 微かに微笑んでいた。

 「明日は、午後の時間で、アルハンブラ宮殿見物を予約してあります。実は、明後日も、午前の時間でアルハンブラ宮殿の予約を入れてあるんです。この際、徹底的に観たいと思いましてね。満喫しましょう」

 三池は笑いながら、香織に言った。


十日目 五月十八日(火曜日)

 ホテルの食堂で朝食を食べた。

 小さなホテルであったが、アルハンブラ宮殿に隣接したこのホテルの人気は高く、満室となっており、食堂のテーブルもほぼ満席といった状態であった。

 フランス語、ドイツ語、英語と、いろんな言語が飛び交っていた。

 ホテルを出て、アルハンブラ・バスに乗り、サクロモンテ洞窟博物館に行った。

 最寄りのバス停で降りて歩きだしたところ、ロス・タラントスという看板が目に入った。

 今夜のフラメンコ・ショーで訪れる予定の洞窟劇場であった。

 クエバと呼ばれる洞窟住居を見物した。

 洞窟住居は、冬は暖かく、夏は涼しいと言われる。

 香織はいろいろと興味を抱いたらしく、洞窟での生活の様子など細かく観察していた。

 見物を終え、バスに乗ってヌエバ広場に戻った。

 そして、アラブ街として有名なカルデリア・ヌエバ通りをウインドウ・ショッピングしながら歩いた。

 ウインドウ・ショッピングに飽いたのか、香織は時々、店に入り、少し買っていたようだった。

 行きずりのレストランで昼食を済ませ、ホテルに一旦帰った。

 アルハンブラ・バスから降りてホテルに向って歩いていると、空から白いものがフワフワと落ちてきた。

 綿毛のような白い物体であった。

 何かな、と思い、宮殿を警備するガードマンに訊いてみた。

 アラモの種子だ、と言う。

 「香織さん、これはアラモ、つまり、ポプラの綿毛です。日本でも、丁度今頃から六月の上旬にかけて、ポプラから綿毛のような種子が空中に飛散するということを聞いたことがあります」

 「アラモって、ポプラのことなんですか?」

 「香織さん、ご存知ですか、アラモの砦を?」

 「あの西部劇で有名なアラモの砦、ですか?」

 「そうです。その、アラモですよ。デビー・クロケットを始めとするテキサス義勇軍がアラモの砦に立て籠もり、メキシコ正規軍と一戦を交え、全滅したと言われる、あのアラモですよ」

 アラモの砦での戦いはアメリカ合衆国軍を勇気付け、「アラモを忘れるな」という言葉がその後のメキシコ軍との戦いでの合言葉となり、テキサスの独立を果たし、その後の米墨戦争をアメリカ合衆国軍の圧倒的な勝利に結びつけた。

 どこか、「真珠湾を忘れるな」というスローガンと似ているな、と三池は思った。

 アラモの砦がアメリカ合衆国軍を奮い立たせた悲話ならば、どっこい、メキシコ軍にも悲話がある。

 アラモの砦を忘れるな、とばかり、アメリカ合衆国軍がメキシコに攻めて来て、首都メキシコシティのチャプルテペック城に迫った時のことだ。

 この城に立て籠もったメキシコ軍には、士官学校の生徒たちも居た。

 生徒であるから、まだ少年と言っていい年齢の若者たちばかりだ。

 当時の慣例で、士官学校に学ぶ士官候補生はまだ軍人とは見なされず、戦闘に参加する義務は無かった。

 士官候補生の多くはチャプルテペック城から去った。

 しかし、祖国の危機を迎え、司令官の説得にも応じず、六人の士官候補生が残留し、戦闘に加わった。

 彼らは実に勇敢に戦い、全員が戦死した。

 十三歳から二十歳までの若者であった。

 三池はこの話を日墨交換研修生としてメキシコに来た時に聞いた。

 白虎隊、或いは、二本松少年隊のような悲話として、三池の胸を打った。

 今、彼らはチャプルテペックの森の中に、『英雄少年たち』として讃えられ、記念碑も建てられている。

 また、メキシコ国歌の中でも彼らのことは触れられており、メキシコ人の心の中にいつまでも生き続けている。


 午後二時、アルハンブラ宮殿の入場門を潜った。

 驚くほど、観光客で溢れかえっていた。

 本命であるナスル朝宮殿への入場は時間が指定されており、とりあえず、三池と香織はヘネラリフェ離宮の庭園から見物することとした。

 庭園は、噎せかえるほどの香気に満ちていた。

 丁度、薔薇が咲き誇る季節だったのだ。

 赤、白、黄、ピンクの薔薇が一斉に咲き誇り、観光客を迎えていた。

 三池と香織は薔薇の艶やかさと香りに包まれて、陶然とした気分で庭園を散策した。

 素晴らしいひとときとなった。

 ぞろぞろと続く行列に混じってヘネラリフェ離宮とアルカサルと呼ばれる要塞砦を見物し、午後五時にナスル朝宮殿に入った。

 入場制限を行っているにも拘わらず、ここも観光客で溢れ返っていたが、二人は優雅なひとときを味わった。

 壁面を飾る精緻な漆喰、色とりどりの色彩と文様に彩られたタイルは三池たちを陶然とさせ、幻惑させた。

 午後七時にアルハンブラ宮殿を出て、ホテルで暫く休憩した後、昨夜と同じく、パラドール・デ・グラナダのカフェテリアに入り、夕食を摂った。

 相変わらず、カフェテリアから眺めるヘネラリフェ離宮の夜景は美しく、見ている内に、三池は思わず涙が零れ落ちそうになった。

 暖かい色の街灯は郷愁を誘う。

 タスコもそうだったが、このヘネラリフェ離宮の夜の照明はオレンジ色の暖かさを感じる色に統一されている。

 赤、青、緑といったどぎついイルミネーションは一切無い。

 どこか、懐かしいランプの色が人の郷愁を誘うのだ。

 生きていることは、ただ、それだけで素晴らしい、と三池は思っていた。

 ホテルに戻り、フラメンコ・ショー見物ツアーのバスを待った。

 夜九時に迎えのマイクロバスが来て、二人は乗り込んだ。

 バスは途中、アルバイシンに立ち寄り、サン・ニコラス展望台からのアルハンブラ宮殿の夜景を見せた上で、ロス・タラントスへ向かった。

 ドリンク付きのショー見物であり、二人は壁際の椅子に座り、ワインを飲みながら、ショーの開演を待った。

 午後十時半、フラメンコ・ショーが始まり、たっぷり一時間のショーを楽しんだ。

 観客と触れんばかりの近さで踊るフラメンコは観客を圧倒するものであり、さすがに評判通りの感動を与えた。

 踊り手は男性が二人、女性が三人という構成でそれぞれが十分程度踊った。

 最後に踊った女性は少し年配の女性であったが、お決まりのカスタネットを両手に付け、貫禄たっぷりに踊った。

 三池と香織は臨場感溢れる踊りを心から堪能した。

 零時を少しまわった頃、ホテルに戻った。

 香織も感激冷めやらぬ風情で、シャワーを浴びながら、フラメンコのカンテ(唄)を鼻歌で唄っていた。

 歌なぞ歌いそうもない娘のように見えた彼女の意外な一面に、三池は戸惑いを感じていた。

 俺は、香織のことを知っているようで、実はあまり知ってはいない、と三池は思った。

 しかし、その思いと同時に、香織はこの旅行の中で、山本さんの娘さんで、部下の女子事務員から、成熟した一人の女性へ変貌を遂げつつあった。

 それは、危険な変貌ではあるものの、どこか甘美な変貌であるようにも思えた。


十一日目 五月十九日(水曜日)

 少し遅めの朝食を摂った。

 隣のテーブルに座っていた米国人夫婦から話し掛けられた。

 香織が主役となって、会話が弾んだ。

 スペイン語文化圏では小さくなっていた香織にすれば、得意な英語を話すことができるということは喜びであった。

 時々、マイ・ハズバンドという単語が出てきた。

 どうやら、自分に言及する時は、この単語を使っているようだ、と三池は思った。

 朝食を済ませ、部屋に戻った香織は、断りも無しに、ハズバンドと言ったことを遠慮勝ちに三池に詫びた。

 外国人との会話の中で、ユア・ハズバンドと言われ、話の成り行きでそう言ったんでしょう、僕の方こそ恐縮していますよ、と三池が言った。

 香織は少し安堵したような感じで嬉しそうな表情を浮かべた。

 八時半にアルハンブラ宮殿に入場した。

 九時半にナスル朝宮殿に入場した。

 何回観ても素晴らしいところであり、このような形で実際に観ることができる、何という幸せか、と三池は感謝した。

 アラブの模様で統一された漆喰の壁面は眺める者全てを千夜一夜の世界に誘う。

 スペイン旅行の前に予備知識として読んだ、ワシントン・アービングの名著、『アルハンブラ物語』の断章が所々で三池の脳裏を過ぎり、三池を陶然とざせた。

 アービングが訪れた時のアルハンブラ宮殿はほとんど廃墟に近い状況であったと云われている。

 しかし、彼が書いた『アルハンブラ物語』はベストセラーとなり、アルハンブラ宮殿を窮状から救えという動きが全世界的な運動となり、莫大な寄付が寄せられた。

 その結果、アルハンブラ宮殿は往時の優美な姿に復旧した。

 アルハンブラ宮殿にとって、アービングという米国人は恩人であり、宮殿で実際アービングが住んだ部屋には、そのことを示すプレートが扉に掲げられており、街から宮殿に行く坂道の途中には、アービングの銅像も建立されている。

 宮殿見物の中で、三池はグラナダの名前の由来を案内人に尋ねてみた。

 柘榴を意味するグラナダとは関係無く、昔、この土地はガルラナタと呼ばれていたらしいが、それがいつの間にか、グラナダという発音に変化して、定着してしまった、という話をその案内人はしていた。

 午後一時頃、アルハンブラ宮殿を退場して、パラドール・デ・グラナダのカフェテリアに入り、前方にのびのびと広がる眺望を楽しみながら、昼食を摂った。

 その後、ホテルに戻り、明日に備え、少し荷物の整理をした。

 夜、市内に行き、カテドラル近くのレストラン、エル・アグアドールでパエーリャ・デ・マリスコス(シーフード・パエーリャ)を食べた。

 海老、浅利、ムール貝がふんだんに入り、レモンを振りかけて味をキリッとしめて食べた。

 その後、バルに入り、クロケッタと呼ばれるコロッケと、エンサラダ・デ・アルロースと呼ばれる野菜が入ったお米のリゾットのようなものを一人前ずつ注文し、地元のビールを飲みながら食べた。

 「私たち、これまでいろんなタパを食べましたね」

 「いや、まだまだ序の口。これからも話の種にいろんなタパを食べましょう。何と言っても、百種類以上、あるという話ですから。日本に帰って、ああ、これ、食べ忘れたと言って、後悔しないように」

 三池が気合を込めて言った。

 その気合を込めた口調がよほど面白かったのか、香織は珍しく声を上げて笑った。


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