君と君の恋
放課後、二人きりの教室。
「せ~んぱ~い、話、聞いてます?」
机を挟んで向かい合っている浪川明日香が間延びした声をだす。
「聞いてる聞いてる」
奏多は顔を上げることなく答える。
「じゃ、何言ってたか、答えてください」
プラプラと奏多のすねを蹴りながら明日香が問いかける。
「…………」
日誌を書く手を止めて記憶を探る。
おかしい、明日香が話してた記憶はあるのだが、内容が思い出せない。
「やっぱり、聞いてないじゃないですか」
寂しそうな表情をする明日香。
うつむいてしまった明日香は上目づかいに奏多を見る。
「私、先輩のことが好きだって話、してたんですよ」
奏多はゴンッ!と机に頭をぶつける。
とんでもなく痛いが、今の表情を明日香に見られるよりはましだ。
しばらく奏多が固まっていると頭上からクスクスと笑い声が聞こえる。
「私、年上が好きなんです」
からかわれたのだと奏多は気づく。
「そうか、それは気が合うな」
顔を上げた奏多はいつもの無表情に戻っていた。
「え?先輩、年下が好きなんですか?」
わずかに期待したような表情。
「いや、俺も年上が好きなんだよ」
明日香は奏多の言葉を聞いたとたんに拗ねた表情をする。
意趣返しの成功を悟った奏多は再び日誌に取り掛かる。
「もし……もし、私に好きな人ができたら、先輩は、応援してくれますか?」
「あぁ……その時は、応援してやる」
日誌と向き合う奏多は今、自分がどんな顔をしているのかも分からなかった。
☆
「いやぁ~、ほんっと、久しぶりだよなぁ!」
弘毅は五年前と変わらない豪快さで、奏多の背中をたたきながら話す。
「まさか、就職先が被ってるとはな」
弘毅とは高校時代の友人であった。大学進学を機に疎遠になってしまっていたが高校時代はそれなりに仲が良かった。
奏多と弘毅のいる会社では新人は一年ごとに部署を回り、三年ほどで最も適した部署に固定される。そして二人は今年同じ部署に配属された。
「お互い、こまめに連絡するでもないしなぁ」
弘毅のその言葉に奏多は頷く。
「そういえば、あの子……え~と、なんていったっけか?後輩のかわいい子。あの子とはどうなったんだよ?」
奏多は誰のことを言っているのかをすぐに察する。
「いや。高校を出てから一度もあってないよ。連絡も取り合ってない」
努めて平静に話す。しかし弘毅は大げさなまでに驚きの表情を浮かべる。
「いや?うそだろ?」
「そんなもんだろ?」
弘毅のあまりの驚きように奏多は怪訝な顔をする。
「お前、知らないのか?」
「何を?」
「あの子、お前と同じ大学に進学したらしいぞ?」
奏多は地元を離れ他県の大学へと進学した。そこそこ遠い県で同じ出身県の人間すらなかなか見かけないほどだ。なによりも……
「それこそ噓だろ?あいつの学力で受かる大学じゃ……」
「マジだって。去年、高校に顔出したときに花ちゃん先生が言ってたし」
花ちゃん先生とは奏多と弘毅が三年の時に担任だった教師で、弘毅によると『あの子』の三年時の担任でもあったらしい。
「……気づかなかったな」
「マジかよ……」
そのあと弘毅と何を話したのかも覚えていない。
奏多はわけのわからない苛立ちを感じ、やけになって酒を飲んだ。
「いっつぅ……」
翌朝、自分のデスクにたどり着いた奏多は頭を抱えていた。
飲み過ぎた……
「おっす。どうした?二日酔いか?」
頭を抱える奏多を気遣うように弘毅が声をかける。
奏多は小さく頭を動かし、最小限の動きで答える。
「まぁ、昨日、だいぶ飲んでたからなぁ」
苦笑する弘毅。
「でもよ、そんな調子で大丈夫か?今日、入社式だろ?」
弘毅の言葉が奏多の頭の中で繰り返し反響する。
入社式……入社式……歓迎会……
「つぅっ……」
絶望し、抱えていた頭をごとりと落とした奏多は、その衝撃によってうめき声を漏らした。
二日酔いが覚めてしまうほどの衝撃が奏多を襲ったのは、それから数十分後のことであった。
「本日入社いたしました……」
記憶に残る笑顔よりも落ち着いた雰囲気をまとう女性は、しかし、間違えようもなく彼女のものであった。
いくら衝撃的なことがあったとしても二日酔いが収まるわけではない。
その日の勤務時間中には明日香と話す機会は得られなかった。
奏多は二日酔いと気まずさの二重苦を抱えながら歓迎会へと向かった。
「せ~んぱ~い、話、聞いてますか?」
歓迎会も後半へと差し掛かったころ。
こっそりと上司に体調不良の旨を伝え、離れた場所に座っていた奏多に声がかけられる。
「悪い、今日はちょっと体調がわる……」
後輩を無視するわけにはいかず、とりあえず顔を上げる。
しかし、放っておいてもらうための言い訳は、最後まで続かなかった。
「先輩、大丈夫ですか?」
心配そうに揺れる瞳は、とてもよく知っている人物のものであった。
「ああ……大丈夫」
胸にわいてくる気持ちは罪悪感……だろうか。
目をそらし答える。
「顔色、すごく悪いですよ」
しかし、相手は気を悪くした様子もなく、ちょっと待っててくださいと告げると上司のもとへと向かう。
彼女は上司とわずかに言葉を交わすと、すぐさまこちらへと戻ってきて笑顔を浮かべる。その笑顔は朝に見た大人びたものではなく、懐かしいあの笑顔。
「私、ちょっと酔っちゃって、そろそろ帰ろうと思うんですけど、先輩、送ってくれませんか?」
見ていた限りでは、彼女は一口も酒を飲んでいなかった。
その気遣いを奏多は素直に受け取る。
「わかった。少し待ってくれ、荷物を片付けるから」
それだけを言うと、荷物をまとめ、上司へ挨拶をする。
そのまま店を出ると、彼女は笑顔で奏多を待っていた。
「それじゃあ、帰りましょう」
彼女は奏多の手を引いて歩きだす。
帰り道、彼女はただひたすらに話し続ける。
奏多はそんな様子を、手を引かれながら眺めていた。
「先輩?話、聞いてますか?」
「聞いてる聞いてる」
彼女は奏多の適当な相槌に足を止める。
「じゃあ、何言ってたか、答えてください」
彼女はこちらを振り返り、しかし、うつむいたまま問いかける。
「…………」
無言のままの奏多。
「やっぱり、聞いてないじゃないですか」
泣きそうな声の彼女。
「私、先輩のことが好きだって話、してたんですよ」
うつむいたままだった顔を上げた彼女の眼には涙が浮かんでいた。
「それは気が合うな」
驚きの表情を浮かべた彼女の目から一つのしずくが落ちる。
「先輩、年下が、好きなんですか?」
涙を流しながら、嬉しそうに、からかうように問いかける。
「いや、違うよ」
奏多は否定の言葉を口にする。
その言葉を聞いた彼女は、拗ねた表情を作ろうとして、しかし、涙をこらえきれずに失敗する。
「もし、私に好きな人ができたら、先輩は、応援してくれますか?」
「ああ、もちろん。約束だからな」
零れ落ちる涙は勢いを増す。
「ごめんな、気づいてやれなかった」
奏多は謝罪を口にする。五年分の思いを込めて。
そして、二人の距離は近づき……
☆
二人だけの部屋。
「せ~んぱ~い、話、聞いてます?」
テーブルをはさんで向かい合う明日香が間延びした声を漏らす。
「聞いてる聞いてる」
奏多はパソコンから目を離すことなく答える。
「………」
「やっぱり、聞いてないじゃないですか」
拗ねた表情を見せる明日香。
「私、先輩のことが好きだって話、してたんですよ」
仕事の手を止め、明日香を見つめる。
「そうか、それは気が合うな」
一度言葉を着る奏多。
「……俺も、明日香のこと、好きだぞ」
たっぷりと口にするのをためらった後、照れながらも言葉にする。
再びキーボードをたたき始めた奏多の左手には指輪が輝いていた。