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ブルームフォーミュラを愛する者にとってその名前は特別な意味を持つ。
ミシェール・スミス。
BF3にデビューしてから引退までの五年間で、通算優勝回数26回、表彰台に上がれなかった回数は14回、残りは全て2位か3位。
チーム移籍は二回。
最初のチーム、レッドマックスでBF3を制覇し、BF2昇格時にマーニレースチームへ移籍、契約が切れると更新はせずガーランドBFTと契約し、チームをシーズン優勝へ導いた。
一見大胆で豪快な飛び方をする選手と思われがちだが、飛行ログを見ると実に繊細なコントロールで最適なラインを計算された飛び方であると判る。
まさに最速の女王と呼ぶに相応しい。
昴が最も尊敬するフライヤーであり、最も憧れるフライヤーでもある。
日本グランプリは毎回観戦したし、国内のイベントには欠かさず足を運んだ。
魅了されたのはその飛行だけではない。
翼のように日本人が見て可愛いと思うタイプの美少女ではなく、世界で通用する美貌に、すらりとした細身の体つきながら出るところは出た抜群のプロポーション。
現役時代は短かったブロンドの髪は肩にかかるくらいまで伸ばされ、より女性的な魅力が増していた。
そのミシェール・スミスを前に昴は、
「ファンです結婚してください!」
思わずプロポーズしていた。
開口一番のプロポーズにその場に居た全員の時が止まった。
今この瞬間、昴はまさに世界を制した。
「な、なに言ってるのよ! バカなのアホなの頭おかしいんじゃないの!」
最初に我に返ったのは翼だった。
ミシェールの前に膝を折る昴を羽交い締めにするようにして立たせながら罵倒する。
「フフーン、ねえロブ聞いた? 私もまだ捨てたものじゃないわね」
三十手前で十代の少年にプロポーズされた当のミシェールは、なかなか嬉しそうだった。
「よかったね。でも事案になるから本気にしたら駄目だよ」
「うーん、年下の恋人ってのも少し憧れるんだけど」
ミシェールの言葉に昴は反応した。
「はい! 立候補します!」
「駄目に決まってるでしょう! ミシェールさんも何言ってるのよ!」
後ろから拘束されながらも姿勢よく高々と挙げた右手を翼は必死に下ろそうとするが、両手を使って全力でもびくともしなかった。
「だいたいミシェールさん結婚してるのよ!」
「わーわー聞こえないそんな事実は存在しない!」
ミシェール・スミスは既婚者である。
そもそも彼女が引退したのは結婚が原因というのはファンの間では常識である。
もちろん昴もそれを知っているのだが、今だけは知らない。
「男の子とあんなにじゃれついてる翼は初めて見るわね」
「面白いだろう、きっと相性が良いんだろうね」
保護者目線で生暖かい目を向けられるが、それに気付かず翼は昴の両腕をフルネルソンで極める。
しかし一瞬早く昴は両腕を高く伸ばした状態でその場に伏せ、見事にエスケープしていた。
「名乗るのが遅れて申し訳ありません。天見昴です。結婚してください!」
「ごめんなさいね、これでも夫も子供も居る身なのよ」
「構いません! 結婚してください!」
「構いなさいよ!」
翼は首に腕をを回して昴をミシェールから離した。
必死に抵抗しているが、体勢が悪く昴はずるずると引きずられていく。
「ロブ、ロブ、どうしよう、私ちょっとドキドキしてるわ」
「まさかの脈ありか。撃墜王のハートに届くなんて、コウは凄いね」
ミシェール・スミスに恋をしない箒機乗りはいない。
彼女が現役時代はそんな事まで言われるくらいミシェールはモテた。
結婚や交際を申し込んだ相手は数知れず、当時のBF1チャンピオンすらも撃墜されたと女王の伝説の一ページに記録されている。
その撃墜王が結婚を期に引退という発表は当時のブルームフォーミュラ界で衝撃であった。
相手は明かさなかったが、それは正解であった。
初の女性BF1フライヤーとして期待されていた事もあり、ミシェールの夫となる男には冗談ではなくファンと戦いに敗れた男達によって懸賞金がかけられたのだ。
四年経過した今は懸賞金はさすがに取り下げられたが、熱が冷めたとは言い難い。
「旦那に会う前だったらプロポーズ受けてたかもしれないわね」
「ガッデム! どこのどいつだか知らないが幸せ野郎め、ぶっ殺してやる!」
こんなファンがいるからミシェールの夫の正体は今も隠されている。
「何をバカな事言ってるのよ。年の差を考えてよね」
「あと18日で28歳だろう。たかが11歳差じゃないか、問題ない」
「うわぁ」
ミシェールの生年月日を完全に記憶していた昴に翼は引いた。
「ファンって恐いわ。年齢で嘘をつけないじゃない」
「気にしない相手なら年齢をごまかす必要ないんじゃないかな」
「ロブは女心がわかってないわね。だから昔からモテないのよ」
ミシェールの言葉にロブは苦笑を返し、箒機を乾いた布で磨く作業へ逃げた。
「ほらツバサ、いつまでもボーイフレンドと遊んないで準備しなさい」
「遊んでないもん!」
「ボーイフレンドではありません、断じて!」
翼のチョークスリーパーが完全に入っているはずなのだが、昴は元気よく全力で否定した。
どうやら愛の力は人体の限界を容易く超える事ができるらしい。
「コウ、ツバサの相手をしてくれるみたいだけど、お願いしていいかしら?」
「貴女のお願いなら喜んで」
「ありがとう。先行して逃げきってちょうだい。ツバサは5秒後にスタートして、抜いたら勝ちよ。二人ともバッテリーはミドル、六周よ」
指示されるまでもなくロブは二人の箒機のバッテリーをミドルバッテリーに交換し始める。
フライヤーとメカニックとして長年コンビを組んだ阿吽の呼吸といったところだろう。
「追いかけっこですか」
「そうよ、六周終ってなくてもツバサがコウを抜けば勝ち。コウは六周ツバサを抑えたら勝ち。簡単でしょう?」
もちろん簡単なわけがない。
さすが女王、平然と無茶ぶりをしてくれる。
しかし昴はその無茶ぶりに胸を熱くさせていた。
当然である。
先程負けたばかりの相手に早くもリベンジの機会がやってきた。
それも憧れの女性からのオーダーで。
「余裕ですよ」
不敵に昴が笑うと、その視界の隅で翼がムッと唇を尖らせた。
その様子に昴は内心ほくそ笑んだ。
先程の勝負で翼の精神力が低い事が判明した。
その弱点を点かないという選択肢は無い。
「ぶっちぎっても良いんですよね?」
「フフーン、もちろんよ」
昴とミシェールのやりとりに翼は地面に叩きつけるような足取りで自分の箒機へ向かった。
「煽り耐性低いな」
「あからさまな挑発なのにね」
レースは飛ぶ前から始まっている。
翼はすでに昴のレース外戦術を仕掛けられており、冷静さを欠いている。
ミシェールも昴の意図に気付いており、何も言わずに昴に合わせたのだ。
「今さらですけど、大事なレース前に良かったんですか?」
「構わないわ、大事なレース前なのはコウも同じだしね。むしろコウがツバサの自信をへし折ってくれる事を期待しているわ」
「憧れの女性の期待には応えたいのですが、へし折るのは本当に大丈夫なんですか?」
「ええ、それで駄目になるような鍛え方はしてないわ」
ミシェールのツバサへの信頼に昴は嫉妬しつつ、一礼してから自分の箒機へ向かった。
「さて、どうなるかしら」
ヘルメットのバイザー越しに火花を散らせつつも、どこか嬉しそうな二人を見つめてミシェールは微笑を浮かべた。
―――結果は昴が6周逃げきって勝利した。
ピットに戻ってきてしばらく翼は呆然としていた。
おそらく何故抜けなかったのか解らないのだろう。
そして勝った昴の方は、箒機から降りると椅子に座り込んで、だらしなく伸びていた。
その顔には勝利の喜びより疲労が色濃く表れていた。
「さて翼、敗因を言ってみなさい」
「えっと……格下と侮ってた?」
「本当にそう思っているのならコウに殴られなさい。コウ、痕が残らない程度なら殴って良いわよ」
「もう空の上で殴ってやりましたよ」
レース外戦術を使ったとはいえ、6周抑えた。
BF3に敵無しのフライヤーをBF3にも上がっていないフライヤーが抑えきったのだ。
存分に殴ったと言える。
「うーん、コース取りが上手かった? 読みが当たった? こっちのフェイントを見破った? なんか気付いたらずっと前に居たような気がするんだけど、速かったわけじゃないし、やっぱり何で抜けなかったのか……うーん」
うんうん唸る翼をそのままにして、ミシェールはぐったりしている昴へ顔を向けた。
「コウ、ありがとう。正直期待以上だわ」
「なによりの言葉です」
それだけて元気が出るのだが、いかんせん消耗した気力が大きい。
フライヤーとしての空野翼は間違いなく天見昴より格上である。
実力も実績も昴が翼に勝っている所は無い。
そんな相手を抑えて逃げ切るのは、6周という短い勝負でも激しい消耗を強いられた。
「それにこっちも収穫がありましたから」
「フフーン、勿体ないわね。コウがBF3に居たらツバサはこんなに簡単にBF2に上がってしまう事は無かったでしょうね」
「それは買いかぶり過ぎですよ」
早くBF2に上がることは必ずしも良いことではない。
BF3で腕を磨き、BF2でも通用する実力を身に付けてからでなくてはシーズンを負け越し、そのまま自信を失って引退する事となる。
そうやってブルームフォーミュラの舞台から姿を消したフライヤーは少なくない。
翼は飛行技術こそBF2でも通用するものを持っているが、それだけで勝てるほどレースとは単純ではない。
「BF3では敗けを経験できなかったから、BF2で味わうと思っていたのだけど、その前に受けることができたわ」
「BF3デビュー前に受けなかったんですか?」
「あの娘、速いでしょう?」
「天才って奴はこれだからっ!」
ルーキーがレースで酷い負けを経験したり、罠にはめられて負けたりする事をフライヤーは洗礼と呼ぶ。
それは先輩フライヤーから「お前はまだ殻が取れただけのヒヨコだ」というメッセージなのだが、翼に洗礼を与えてくれるフライヤーは今まで居なかった。
「私も勝つばかりだと駄目だと思って色んなレースで飛ばせたのよ。洗礼を与えてくれそうなフライヤーの出るレースや、レース事態が難しいのとかね。そのために無茶なスケジュール組んだりもしたわ」
「でも勝っちゃったんですね……」
「ええ、あの娘マシントラブルと病欠以外で負け無しなのよ。最低でも表彰台に上がるし」
もちろん勝つことは悪いことではない。
スポンサーもメーカーも喜ぶし、フライヤーのモチベーションも上がる。
しかし指導者としては敗北も経験させておきたかった。
ギリギリの勝負となった時に最後の底力を引き出すのは敗北の経験である。
敗北の苦さを知っているからこそ歯を食い縛り、勝利に手を伸ばす。
泥臭いと言えばそれまでだが、勝負の世界など泥臭くあがいた者がいつの時代も勝者となっているものだ。
「だからコウには本当に感謝しているわ。あんな真っ当な負け方をさせてくれたのだから」
「お望みとあらば何度でも抑えますよ」
「頼もしいわね。でも今日はもう付き合わせる気はないから、ゆっくり休んでね」
ヒラヒラと手を振るとミシェールは箒機を見ているロブの下へ向かった。
空元気を見破られ昴はごまかす為にスポーツドリンクを喉に流し込んだのだが、盛大にむせて咳き込んだ。
「フフーン、男の子のああいう所って可愛いわね」
「からかったら駄目だよ。男が見栄を張る時は真剣なんだから」
「そんな不粋な女のつもりはないわよ」
「どうだか」
ロブが吐くため息をミシェールは視界に入れず、昴のGB-4000を見る。
「て、どうだった?」
ロブは朝からずっと昴のGB-4000を触ってデータを取っていた。
個人的な興味もあったが、瞬間加速システムを取り付けるために詳細を知る必要があったのと、翼が気にかける相手の箒機ということでミシェールからの指示もあった。
「言葉を選ぶならユニークだね」
「選ばなかったら?」
「クレイジー」
ロブはタブレットにデータ取りの終わったGB-4000のスペックを表示させてミシェールに見せた。
「……これ本当?」
「僕には翼とスカイウィングが負けたのが信じられないね」
「これだけを見たら私も信じなかったでしょうね。私でもこの箒機で勝つのは不可能よ」
引退したとはいえ女王の技量を持ってしても不可能と口にする。
それだけ箒機の性能が違う……などという話ではない。
「この箒機、なんで真っ直ぐ飛べるの?」
真っ直ぐ飛ぶことが信じられない。
昴のGB-4000はそんな箒機であった。
「メカニックとして言わせてもらうと、神業のようなコントロール技術なら可能ってところだね」
明らかな欠陥機。
元々のパーツがほとんど残っていないくらい改造が施されているが、紛れもなくデチェーン。
メーカー間の相性すら計算して外しているとしか言いようがない。
「徹底的に機体の安定性を崩してある。まっとうな技術屋ならこんな箒機で空を飛ぼうとしている人間がいたら殴ってでも止めるだろうね」
普通に飛ばすだけでも神経を使う。
翼との追いかけっこであれほど消耗したのも納得できる。
「これはとんでもない誤算だったわ」
「いい意味で?」
「両方。正直コウの才能は異常よ。特異すぎて嫉妬する気にもなれないわ」
ただ速く飛ぶ才能や、上手く飛ぶ才能であればフライヤーなら誰でも持っている。
ミシェール自身も引退した身とはいえ、その才はまだ消えておらず、鍛え直して勘を取り戻せばもう一度くらいはBF2を制覇できると自負している。
だが昴のソレに比肩できるとはとても思えなかった。
いや対抗したいとすら思わない。
「あの子、まっとうな箒機に乗ったらどうなるのかしら?」
「どうだろう。なにせ特化しすぎているから、案外平凡な腕前を披露することになるかもね」
「特化……例のアレね?」
昴が切り札言ってシュミレータで披露したものをミシェールは報告で聞いていた。
「僕が思うにコウの飛行技術はアレをやることに特化している。他は、まあオマケみたいなものだね」
「そんなに凄かったの?」
「あくまでシュミレータだけど、完全に使いこなしていたよ。それがどれほどの技術を要求されるか、君ならわかるだろう」
「まあね」
昴の切り札はミシェールも誰もやらないからという理由で、習得してみようと練習した事がある。
しかしすぐに止めた。
アレは普通の飛行技術とはあまりにかけ離れている。
習得するには、それまで身に付けたものを全て捨てなくては実戦で通用するレベルで習得することはできないとわかった。
「フフーン、異質の飛行技術。それを活かすなら?」
ミシェールは興味深そうに、面白そうにロブに続きをロブに振った。
「アレを行うことを前提にした箒機にのせることだね」
「やっぱりね。やっぱりそうなるわよね」
なにが可笑しいのかミシェールはニヤニヤしながらロブの背中をバンバン叩く。
「ロブ、オーナー命令よ。コウの箒機を完璧に仕上げなさい」
「そこまで肩入れしていいのかな?」
ロブはガーランドウィングのチーフメカニックである。
一流のメカニックであるロブでも昴のGB-4000を完璧に仕上げるとなると、かかりっきりになってしまう。
そうなると翼の箒機には当然手が回らなくなる。
それではチームとして明らかにマイナスだ。
「フフーン、オーナーは私。だって見たいじゃない。使い手が絶えたと言われるアレを実戦で使いこなすフライヤーとか絶対面白いし、絶対盛り上がるわよ!」
その言葉にロブは諦めて翼の箒機はチームの仲間に任せることにした。
昔から面白いと思ったことに全力となったミシェールを止められた事は一度もないのだ。
「気が進まないな……」
ロブは携帯電話で日本観光を満喫しているだろうチームの仲間をコールし、エマージェンシーだと告げた。
オーマイガッ!
そんな叫びがロブの携帯電話から聞こえてきたのをミシェールはとてもいい笑顔で受け止めたのだった。
「楽しくなってきたわ!」
翼にじゃれつかれて迷惑そうにしている昴を眺めて、ミシェールは新しい玩具を見つけた子供のような顔をした。
「見せてもらうわよ、カールス・マニューバ」
呼び出されたガーランドウィングのメカニックが現地入りすると、ロブは早速箒機の改造に取りかかった。
サーキットのガレージを借り、カートリッジを取り付ける土台を取り付け、天素機関に圧縮天素を送り込む機構を接続する。
後は操作するためのボタンを操縦捍に増設するだけだ。
改造の作業だけなら熟練の技術屋なら片手間でもできる。
問題はバランスをわざと崩しているという馬鹿げた箒機のバランスを崩したままにしなくてはならないという、頭の痛くなる調整をしなくてはならない事だ。
ロブがその難問に挑んでいる間に昴は昨日も使わせてもらったシュミレータを再び借りて、瞬間加速システムを搭載したデータを反映したGB-4000を飛ばしていた。
今回は実機で取ったデータを入力してあるので、昨晩よりも昴にとって乗り馴れた愛機に近づいている。
「そう、最終コーナー抜けたら思いきってブースト!」
休憩がてらやってきた翼のアドバイスを受けながら、瞬間加速システムに慣れるべく昴はほとんど休むことなく飛び続けた。
対戦相手やレース観戦などで瞬間加速システムを使うタイミングは把握していた事もあり、昴はすぐに直線での急加速を習得したのだが、
「ああ、もう! だからVスラッシュはまだ早いって!」
瞬間加速システムならではのVスラッシュを行うと明後日の方向へ飛んでいったり、墜落したりと散々だった。
「いいだろ、やってみたいんだよ」
「今回のレースだとVスラッシュ活かせるところ無いんだから無駄よ、無駄」
高所、低所、高所と続くリングを高速で通過するために使うのがVスラッシュの唯一の活かし方なのだが、残念なことに富士岡スカイフィールドのコースにそんなものは無かった。
なおブルームサーキットのコースは定期的に作り替えられる。
ARゆえに柔軟で自由度が高く、観る者を飽きさせない工夫がされているのだが、実際に飛ぶフライヤーの方は毎回コースが変わるので難儀であった。
「富士岡の特徴は世界最長のロングストレートなんだから、いい位置でブーストするための練習をしないと」
富士岡スカイフィールドはホームストレートの長さが世界最長であり、これは何度コースが作り替えられるても変わらない。
「いざブーストしようとしたら目の前に他の箒機が居ましたじゃあ話にならないんだからね」
「わかってるよ」
ルールによって瞬間加速システム使用中の箒機に対して進路を塞いではならないが、瞬間加速システムを使用する側が故意に進路を塞がれるように飛ぶ事も禁止されている。
ただし前方の箒機が瞬間加速システム使用時に進路を塞がれている後方の箒機が瞬間加速システムを使う事は認められており、その場合に前方の箒機が先に瞬間加速システムの発動を終えたら速やかに進路を譲らなくてはならない。
訳の解らないルールに思えるが、単純に後ろからブースト全開で追う側が抜くという観戦者にとって見た目にが派手でわかりやすい状況を無くさないためのルールだ。
「ところでコウ君」
「うん?」
箒機をスタート地点に戻しながら昴は話しかけてきた翼に応える。
「ガーランドウィングがここまで協力して勝てなかったらどうなると思う?」
「怖いこと言うなよ、考えないようにしてたのに……」
翼だけでなくロブまで力を貸してくれて、チームのシュミレータを貸し切りで使わせて貰っている。
どう考えても破格の協力体制だ。
ここまでさせて負けたらガーランドウィングの看板に泥を塗るも同然だ。
「まあ負けた時の事なんて考えても仕方ないから、それは忘れて。そ・れ・よ・り」
昴のVRメットのバイザーを上げ、翼は至近距離に迫った。
「な、なんでう」
間近の翼の顔に動揺を隠しきれず噛んだ。
「なんで私達がここまで君に協力すると思う?」
「それは僕がサンドバックにちょうどいいからだろ」
そういう契約だ。
翼は昴を勝たせるために力を貸し、昴は翼の練習相手としてボコボコにされる。
「んー、そうなんだけど、実はそれだけじゃないのよ」
「いったい何を要求しやがる気だ。後乗せは承諾しないぞ」
「大丈夫よ。君にとって損がある事じゃないから」
古今東西、詐欺師は皆そう言う。
「これ以上は口止めされてるから言えないけど、君がちゃんと一位になったら教えてあげる」
「なんでレース前に集中を乱すような気になる事を言いやがるかな」
至近距離でじっと見られながら話されるだけでも心を乱される昴にとって新手の精神修行のようにも感じられた。
「気になるなら一位にならないとね」
どうやら本気で一位にならないと何も教えてもらえないようだった。
翼が口止めされていると言ったからには、今回の取引は翼の独断ではなく、ガーランドウィングというチームの意志によるものだと昴は推測した。
「ちなみに二位以下の場合は?」
「特に何もないわよ。個人的には何がなんでも一位になってくれないと困るけど」
なんとなく想像ができた。
(一位の特典はたぶん、翼の専属練習相手としてガーランドウィングと契約といったところかな。BF3ですらないレースで一位になれないようでは契約する価値は無いってところだろう)
言ってみればトライアルを受けているようなものだ。
ガーランドウィング所属の翼の練習相手となるための試験が、今回のレースで一位になること。
それは昴にとってなかなか魅力的な話であった。
翼の練習相手として腕を磨くことができるし、BF2選手のパートナーというキャリアを積む事で、次からトライアルを受ける際にアピールポイントとなる。
練習相手として以上のものを見せれば、あわよくばガーランドウィングのセカンドフライヤーとして契約できるかもしれない。まあこれは望み薄だが。
そして何より、ガーランドウィングに所属するということはミシェールの側に居られるという事だ。
「そういう事なら、絶対に一位にならないとな」
「なになに? 私のために勝ってくれるの?」
「そんなことは一言も言ってない。いつまで顔近づけてるんだ、チューでもする気か」
「し、しないよ!」
慌てて顔を赤くして慌てて距離を取る翼に、昴は内心ほっとしていた。
(危ない危ない。僕にはミシェールさんがいる。アイムクール、OK)
上昇していた心拍数が落ち着いてくるのを感じながら昴は練習を再開するべく、バイザーを下ろそうと手を伸ばしたが、タイミングよくトレーラーに新たな来訪者が現れた。
「コウ、ちょっといいかい? なんだツバサも居たのかい」
ロブだだった。
なにやら赤い顔でわたわたしているのを不思議そうに見たが、すぐに興味を失ったのか、昴にタブレットを見せる。
「取り付けは無事に終わったよ。可能な限り取り付け前と同じ操作感になるよう仕上げたつもりだけど、まあ実際に飛ばしながら微調整していこう」
「ありがとう。こっちも少しはモノにできたよ」
時刻は15:00を過ぎ。
まだまだ実機を飛ばす時間は充分に残っていた。
「それで調整は普通に飛ばせばいいのかな。それともある程度攻める? まさか初っぱなからブースト全開なんて言わないよね?」
「瞬間加速システムは使わないよ。まずは軽く流そう」
タブレットには輪切りにされたGB-4000の図が表示されており、所々赤い点が付けられている。
「これって何の表示?」
「劣化や磨耗、早い話蓄積ダメージだね。修復できる所は手を加えておいたけど、どうしようもない所はそのままになってる」
ページをめくると赤い点のいくつかが修復済みを示す青い点に変わったが、赤い点はまだまだ大量に残っていた。
「ボロボロだな……」
骨董品を使い続けているという自覚はあったが、こうして見るとどれだけ酷使してきたのかよくわかる。
「どれどれ……うわっ酷い」
ひょっこり翼がやって来てタブレットを覗くと、ドン引きした。
「これじゃあオーバーホールしても大差ないんじゃないの?」
「業者に診てもらった時にそう言われたよ。メーカーにもパーツが残ってないってさ」
祖父の代から使っている古い箒機だ。
騙し騙しやってきたが、そろそろ本格的に限界かもしれないと昴は感じていた。
「コウ、落ち着いてよく聞いてくれ。この箒機はもう限界だ」
そして告げられる専門家からの終了宣言。
「瞬間加速システムを使わなければ、あと二回か三回はレースを飛べるだろうけど、使えば今回のレースが最後になる」
瞬間加速システムは箒機に大きな負荷をかける。
急加速によるGもさることながら、圧縮天素を一気に送り込まれた天素機関のダメージは通常飛行の比ではない。
「天素機関の重要な箇所にダメージが蓄積され過ぎている。おそらくブーストに耐えれるのは三回が限度た」
昨今のレースで完走までに使用される瞬間加速システムの平均回数は四回。
「ねえ、ロブ。どうにか……」
「できない」
翼の言葉にロブは否定を返す。
もうやれることはやった。
その上で三回が限度だとロブは判断したのだった。
「そっか……」
古い箒機に拘って飛び続けたツケが回ってきた。
「ぶっつけ本番は危険すぎるから、練習で一回は経験しておくべきだね」
感傷の手痛い利息を払わなくてはならなくなってしまった。
「できることなら二回練習してもらいたいけど」
「駄目よ。ブースト一回だけだと賭けにもならないわ」
なら諦めるか。
いいや。
ここで諦める事ができるなら、とっくに箒機から降りている。
「二人ともちょっと良いかな」
こちとら祖父から三代、命をかけて箒機で飛んでいる骨の髄まで空に取りつかれた生粋の箒機乗りだ。
「凄く無茶を承知で一つ案があるんだけど」
「なにか思い付いたの?」
「安全性を欠いたものは認めないよ」
遥か高みの空に手が届きそうなのだ。
諦める理由などない。
そのためなら、どんな事でもしてやる!
「とりあえずミシェールさんに土下座かな」
「「は?」」
書き溜めが尽きました。
次回更新日は未定です。