〜乗り込むモノ〜
「くそっ」
不意に漏れ出た今の感情を表すのに最もふさわしい言葉を発する。
この世界におけるルウンの初めての敗北は、予想以上にルウンに屈辱を与えていた。力がなかった、いや自分の力を信じていなかった、転生前のルウンであれば、たとえ少し得意な科目のテストであっても、誰に負けたところで、ここまで悔しくはなかっただろう。それは集団の中で生きるに連れすり減ってしまった、独占欲や喪失感のせいだろう。しかしこの世界で生まれ、圧倒的な恐怖を体現していた、巨大蜘蛛をいともたやすくルウンは葬った。それがルウンを天狗にしてしまった。自分が腕をふるえば、何人も抵抗を許すことなく、葬れれると勘違いしていた。だが、違った。
先ほどまでこの部屋にいた男、ガインはまさに強者だった。たしかに前半は相当手加減しており、もし最初っから全力で攻撃に徹していれば勝てたであろうが、それはガインも同様だ、これは感覚でしかないが、ガインは最後のルウンの一撃を受け流す時でさえ、本気ではなかった。それが余計にルウンに屈辱を与えていた。
うつむくルウンに声を掛けれずにいるアリスは、ただ黙ってルウンを見つめていた。アリスにはなぜルウンが落ち込んでいるのかわからないでいた。なぜならまだ切り出せてはいないが、実はルウンは敗北したもののAAAの試験に合格していた。理由は簡単、ガインがそうしたからだ。本来なら試験管がどうこう言っても敗北すればそのクラスの合格はあり得ないが、ハーチラス王国唯一のSSのしかも最強の戦士であるガインの言葉の持つ力は国王にまで迫る、そんな男が合格といったのであれば、試験の結果はどうあれ合格なのだ、それにガインは最強なのだ、そんな存在に認められたルウンが落ち込む通りなどないはずだったのだが、ルウンにとってはあまり関係のないことだったのだ。
「アリス、君の父親…ガインさんは普段どこにいるんだ?」
静寂に満ちていた一室に無駄に反響するようにルウンの言葉がこだまする。その言葉の意味を汲み取るのに少し時間を要したアリスは
「…えぇっと、この時間帯ですと、おそらく訓練所にいると思います。」
アリスは外の景色、正確には日の傾きを見てそう答えた。その視線の先には、数時間前ルウンとガイン戦ったコロッセオとそれに隣接するように建てられた、冒険者集会所、その冒険者集会所を間に挟むように建てられた、立方体の建物があった。
「もしかしてあの真四角の建物が訓練所か?」
「はい、表面上は…」
とアリスは、すこし悟った表情になり、目は夕日にむかって遠くを見ていた。すこし疑問におもったルウンだったが、それ以上はアリスに何も質問することなく部屋を出て行った。
「訓練所に行かれるんでしたら、私も行きます」
そして、先ほどまでルウンが療養していた部屋には誰もいなくなり、再び静寂に包まれた。もう二度とこの部屋で誰かが泊まることがないと知ることなく、この部屋は次のお客を待つべく、もともと仕掛けられていた魔術によって清潔な部屋へと整えられた。
ルウンは足早に訓練所へと向かう、その速さはアリスにとっては小走りになってしまうもので、二人とも気づかなかったが、通りすぎる人々は皆ルウンの顔を見て、先ほどのコロッセオの件で声をかけようとしたが、あまりの苛立ちに無意識に微弱な威圧を放っていたルウンに近づけるものはいなかった。
苛立ちつのる想いで扉に手をかければ、本来の開き方をするより先に耐久度に限界が起きて、扉がいびつに変形する。金属が悲鳴をあげ、なかにいた数十人の人間の目がルウンに注がれる。しかし、一人こうなることがわかっていたのか、静かに鋭い目つきでルウンを見ていた。
「どうした、もう一度戦いに来たのか?」
ルウンの全力で放つ『威圧』はガインから放たれる同等の力を持つ『威圧』によって相殺されてしまう。しかしそれでも耐えられない多数はルウンから距離をとったり、訓練所から逃げ出したりした。
「いや…もう一度ガインさんの殺気を感じて確信したかっただけです。」
「それで?」
「俺に、あなたの技術を教えてください」
ルウンは屈辱にまみれた心を無理矢理に落ち着かせ、冷静になって考えた結果、ガインに敵対するよりもガインの技を習得する方が、ルウン自身の強さが向上すると結論を出した。その言葉を聞いて、ガインは口角をあげ、ガインの近くにいて唯一逃げ出さなかった一人の長身の男は苛立ちを表情に出した。
「いいだろ「なりません!お義父さん!!」君にお義父さんと呼ばれる筋合いはない」
長身の男が叫んで、ガインを制した直後、ルウンすらも逃げたくなりそうな殺気がガインから放たれた。
「と、とにかく貴様!貴様のようなどこの馬の骨かもわからぬものが、ガイン様の教えを乞うなどと…思い上がりもいいところだ!」
「っち、お前に話しかけてるつもりはねぇんだよ。俺はガインさんに用があるんだ」
ガインの放つ殺気をなんとか無視し、ルウンに再度叫びルウンの胸ぐらをつかむ。転生前にもこのように胸ぐらをつかまれた記憶があったが、その時にはなかった腕力が今のルウンにはある。返答しながら胸ぐらを掴んでいる右手の手首を掴み、ほんのすこし力を入れながら小さく舌打ちをして返答する。
「っく!貴様…この俺に勝てると思うなよ」
長身の男は突き飛ばすように胸ぐらを掴んでいた腕を離し、同時にルウンも手を離す。
「後悔すんなよ、今の俺は加減できねぇぞ」
「ほざけ、一応俺の名を教えてやる、俺の名はゲイル=ロビング。貴様を治療院送りにする者の名であり、未来永劫勇者として語られる名だ。」
「ルウン=ローレン。貴様に恐怖を刻む者の名だ」
ゲイルと名乗った男を見上げるような形で対面し、互いに構えをとる。すでに蚊帳の外となっていたガインと遅れてやってきたアリスは、すこし二人から距離をとったところで観覧を決め込んでいた。