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甘いコーンとたまごのスープ (1/3)

 ノザンベル王都の小さな酒場は、今日も騎士団の男たちで賑わっていた。


「おーいエリザちゃん、エールもう一杯頼む!」

「はーい!」

「エリザちゃん、こっちにもお願い。あと、鶏肉(ククヘン)のフリッターももう一皿」

「わかりました。空のお皿は持ってっちゃいますね」


 むせかえるような酒と男の匂いをものともせず、看板娘のエリザは笑顔で客席を飛び回る。


「なー、エリザちゅわん、俺と結婚してくれよう」

「うふふ、酔っぱらってそんなこと言っちゃだめですよ」


 ちょっかいをかけられても、そばかす顔にはにかんだ微笑みを浮かべ軽く流して、カウンター内で調理に勤しむ店主夫妻のもとへ戻る。


「エリザ、これを団長さんに」

「あっ、はい!」


 団長さん、と聞いたとたんに笑顔が割り増しになった。騎士団長、四十手前の渋くて凛々しい男の人、強くて知的で優しくて――早い話、エリザは団長のことが好きであった。恋心という意味で。ともすれば親子ほどに歳が離れているから、実ることはないと諦めている。それでも、大好きだった。


 団長たちはカウンターの席でくつろいでいる。喧噪の店内でこの一角だけは、やや落ち着いた雰囲気を保っていた。そこへ料理――ルートッドと豚肉の炒めものを運んだ。


「はい、団長さん」

「ありがとう」

「ねえねえエリザちゃん。すごく甘いコーンがあるなんて信じられる?」

「コーンが甘い……ですか?」


 エリザは首を横に振った。コーンといえば硬くて粉っぽい雑穀の一種、食べられないことは無いが、特段おいしいものでは無い。世間では家畜の飼料にされるのが普通だ。


「団長が昔、甘くておいしいコーンを食べたっていうんだよ」

「団長さんが」

「ああ。若いころに遠征した地でな。ナンクアッドとの国境付近でもあったし、交易品だったのかもしれんが、あれきり一度も出会ったことがない。だが、うまかった。ゆでただけなのに、驚くほど甘い。ああ……思い出したら、もう一度食べたくなった」

「そんなの、私も食べてみたいなあ」

「エリザちゃんも絶対に気に入るよ。もし手に入ったら、必ず分けてあげるさ」


 団長の優しい笑顔にエリザの胸はきゅんと締まった。ぽっと体が熱くなり、顔が赤くなってしまったような。


「え、エールを運ばなきゃ!」


 エリザは照れ隠しをするようにくるりと後ろに向いて、先ほど受けた注文の対応に急いだ。



 両手にエールがなみなみ入った大きなジョッキを持って、空いた皿を下げて、料理を運んで、客とちょっとだけ雑談して、また注文を受けて。そんなこんなで一度忙しくなるとなかなか途切れない。


 しばらくして客の満腹が訪れると、エリザもカウンター内で一息つけた。


 額の汗をぬぐい、水をごくごく飲んで。その間にちらちらと視線が向くのは、やはりカウンターにいる団長の方だ。素敵な人だ、ずっと見ていたい。その気持ちも当然あるが、それ以外にも一つ気になっていることがある。団長の食の進みだ。


 このところぼんやり思ってはいたのだが、今日はっきりと確信した。普段より食べる速さも量も落ちている。今、団長がちびちびと飲んでいるエールは、入店した直後に出したものだし、ルートッドと豚肉の炒めものもまだ半分近く残っている。以前なら熱々の内にぺろりと平らげて、もう一皿別の料理を頼むほどだったのに。


 心配だ。エリザは足元のごみを拾うふりしてさりげなく団長の前に移動し、そういえば、と何気ないふうにたずねた。


「団長さん、最近あまり飲まれないですね。食べるのも、前みたいな勢いがないし。どうかしたんですか?」

「実は胃腑を患ってしまって。酒を飲んだり、こういう物を食べたりすると、ちょっとばかり痛むのだ」

「ええっ!? それならちゃんと休まないと」

「大丈夫だ、大したものじゃない。それに自分の管理の問題だ、エリザちゃんが気にすることでもない」

「でもぉ……」


 エリザには団長が無理をしているようにしか見えなかった。顔もわずかにやせてしまっている、言う以上に病状は深刻なのではないか。騎士団長としての立場ゆえ、療養する暇もないのかもしれない。団長は独り身で、世話してくれる家族がいないのも無関係とは思えない。


 一刻も早く休んでほしい、何なら今すぐにでもベッドに押し込めてしまいたい。あいにく、そんなことが出来る立場ではないからやらないけれど。でも、だけど、それでも。エリザの中には度し難いもやが立ち込めた。片想いでも、団長は大事な人なのだ。何でもいいから助けになりたい、と。


 一方、心配される当人は、ゆっくりと炒めもを食べながら、穏やかな面持ちで両隣の部下と談笑している。


「神の思し召しかもしれんな。そろそろ引退しろと」

「またまた団長は。まだ全然若いじゃないですか」

「隠居するって言うなら、せめて奥さんできてからにしてください」

「……まあ、そうだな」

「ほんとうですよ。そろそろきちんと考えた方がいいですよ。なんなら、僕らでいい相手見つけますよ」

「どういう人がいいですか? エリザちゃんみたいな明るくて元気な子ですか?」

「わっ、私!?」


 エリザは目を真ん丸にしたまま放心してしまった。


 その向かいで、団長はエールのジョッキを片手に持ったまま、目を白黒させて激しくむせこんでいた。切れ切れの息で、どうにか言葉を絞り出す。


「いや、さ、さすがに歳が……。ただ、その、なんだ、もし――」

「あくまでも『みたいな』です。エリザちゃんを、とは言ってませんって。エリザちゃんも、ごめんごめん。びっくりさせちゃった」

「私……」

「まったくだ、失礼なやつだ。すまんなエリザちゃん、君のような若い子に……っ」


 団長はぐっと顔をしかめ、胃のあたりを右手で押さえる。カウンターの縁を握った左手は、白むほどに力が入っている。「大丈夫ですか!?」と慌てる部下たちには、絞り出した笑みと共に「平気だ」と答えているが、それが虚勢とは誰が見ても手に取るようにわかる。


 エリザは今にも泣きそうな顔で見ていた。痛みは一時的なものなのか、団長は既に姿勢を戻し深呼吸していた。そして何事も無かったかのように、部下に話しかけている。


「あの、団長さん――」

「おーいエリザ、料理を運んでくれないか」

「あっ、わかりました!」


 いくら心配でも、店主からお呼びがかかったらそちらに行くしかない。後ろ髪を引かれるように、団長のもとを離れた。


 渡された皿に盛られたのはククヘンのフリッター、さくさくの衣がたまらない、エールが非常に進む大人気の一品だ。もちろん団長も好きで、店に来ると毎度のように食べていた。


 でも、油で揚げた料理は、弱った胃には毒を塗り込むようなものだろう。なおかつ、酒場の料理自体油っぽいものが多い。この店に来て飲食することが、団長の病を悪化させるのではないか。


 エリザは料理を卓に出してから、客席側より団長の背を望む。いつも通り大きな背中だ、しかし見ていると心がちくちく痛む。


 ――もしかしたら、これが最後で、もう会えなくなってしまうのでは。そんな不安に襲われて、エリザは胸の前できゅっと手を握った。人知れず、自慢の笑顔も消してしまって。



 客がみな帰り、店も閉まった。エリザはカウンター席でまかないを食べ、空になった器をそのままに、ぼーっと考え込んでいた。


 団長のために自分が出来ることは。あくまでも酒場の店員、それを逸脱しない範囲で。となると、やはり食事まわりのことだ。


 ふと、エリザは団長の話を思い出した。


「甘いコーン、かあ」


 懐かしそうに語っていた団長の顔が目に浮かぶ。思い出の食べ物なのだろう、多少無理してでも食べたくなるような。もし手に入れば、喜んで食べてくれるに違いない。そして栄養を取って元気を蓄え、病気も吹き飛ばしてしまう、そんな風になるのではないか。


 決まりだ、甘いコーンを探そう。エリザはぱっと顔を輝かせて手を叩いた。



 翌日、エリザは市場にいた。王都なだけあって交易品も色々と流れてくるから、甘いコーンもたまたま入ってくることがあるかもしれない。また各地を転々とする行商人なら、甘いコーンがどこで手に入るものなのか知っているかもしれないと。


 ところが、どちらの期待も空振りであった。置いてあるのは普通の硬いコーンばかり、商人に質問して回っても「知らない」、「聞いたことない」が続いただけだった。


「そんな貴重なものがあったら、まずは王宮に持っていくよ」


 途中で言われたその言葉、エリザはそれもそうだと納得した。王家に献上した方が、市で売るよりずっと良い褒賞がでるはず。


 そして、王家に近しい騎士団長が見たことないと語っていたのだから、やはりノザンベルで手に入れることは出来ないのだろう。エリザはあきらめて市場を去った。


 それでも、手掛かりくらいは欲しいものである。甘いコーンが本当に存在することを確かめたい。そんな思いでエリザが次に向かったのは、冒険者が集う宿屋であった。各地を放浪し、人里離れた秘境へも入っていく彼らなら、普通は知らないことも知っているかもしれないと。


 王都で最も大きな宿には、今日も自由人たちがたむろしていた。宿屋の老主人にあいさつしてから、広間で談話する冒険者たちに聞いて回る。騎士団長から聞いた、ゆでただけでも甘くておいしいコーンの話、どんな小さな手がかりでもいいから教えてほしいと。


 ところが。返事は思わぬほうからやってきた。宿の主人が、しわがれた声で言ったのだ。


「なんじゃ。そりゃ南西の島国にある野菜のことだぞ」

「えっ。どうして知ってるんですか!?」

「わしも昔は冒険者だったからのう」


 からからと老主人は笑った。また、南から上って来たという冒険者パーティからも、心当たりがあるという声が届く。


 曰く、ノザンベルから南の国の、さらに南西に浮かぶ小さな島々で食べられている野菜らしい。南の王国の一部でも栽培されているから、ノザンベルとの国境付近なら交易品として流れてくることもあるだろう。しかし、気候の関係で栽培を普及させることは難しく、また保存性が悪いのもあって、北上してくることは無い。


「じゃあ、王都で手に入れることは」

「無理だと思うよ」


 うんうんと周りの冒険者たちが頷いた。エリザはがっくりと肩を落とした。



 収穫の無いまま酒場に戻り、看板娘として飛び回る。顔は笑っているが、心は深く沈んだまま。


「はい。エールと、揚げ豆大盛りです」

「どうもエリザちゃん。今日もかわいいね」


 愛想笑いを返して、カウンターに戻る。と、その途中、別のテーブルの会話が耳に入った。


「また例の赤い魔女が出たらしい。どこから来るんだろうな、ほんと」

「飛んできてるんだろう、魔女だから」


 魔女。魔法の力を使う不思議な存在だ。そして魔法文化の中心は、南の国にある。はっとしてエリザは談笑する男たちに割って入った。


「あの。魔女が、この近くに居るんですか?」

「王都の西に森があるだろう? そこに時々出るんだ。真っ赤な服を着た、派手な魔女」

「住んでるんじゃなくって?」

「一回騎士団をあげて探索したらしいが、家も住処も見つからなかったそうだよ。でも旅の魔女にしちゃあ、しょっちゅう目撃されるし。不思議なやつさ」

「危なくはないの?」

「襲われたって話は聞かないなあ。逆に何かいいことしてもらったって話もないけど」

「なんだいエリザちゃん、魔女に弟子入りしたいのか?」

「そういうわけじゃないんですけど、ちょっと興味があって。聞いてみちゃいました」


 深く心の内に踏み込まれる前に、エリザはテーブルを離れた。相変わらずにこやかに笑って、そして今度は、心もきちんと明るく浮いていた。

Notes

【ナンクアッド】

ノザンベル王国の南に接する魔法国家。

近年とみに魔法使いの育成、魔法による軍事強化に力を入れており、近隣諸国との間にも不穏な空気が流れている。

ただ、今は国内で厄介が起こっているらしく、国家間で戦争が起こるまでには至っていない。


【フリッター】

食材に小麦粉などを溶いた衣をつけ、高温の油で揚げた料理。

肉から魚、野菜や芋に茸まで、なんでも揚げる。

ノザンベル王都では油の入手がしやすいのもあり、揚げる調理法は大衆化している。

年に一度、王都中の料理人がフリッターで味を競う「フリッター大祭」などという物も開かれるそうだ。

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