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見習い魔女のミラクルスープ (3/3)

 ところが、学院長の顔はかつてないほど厳しさを増していた。こころなしか、眉間にあるしわの数も倍増した気がする。そんなものに見られては、ニーナの浮ついていた心も一気に弾けてしぼんだ。


 学院長は表面ばかりの優しさを繕ったまま、ニーナに畳み掛けてくる。


「……それで? わたくしには、何が起こったのかまったくわかりませんが」

「ええっ。そんなこと……!」


 視覚の変化はきちんと起こった、手順を間違えてもいない、見た目にも昨日と同じ。念のためにマンドレイクまで添えて再現したのに。


 ニーナはスープボウルを奪い返して、スプーンも使わず豪快に飲み干した。魚と干し肉で出汁をとり、ハーブとキャロットを加えて煮込んだスープの味。後味には爽やかな鼻の香りが漂う。間違いない、昨日と同じおいしい魔法薬だ。


「ちゃんとできてる……できてるのに」


 間違いない。味は魔法薬の歴史を覆すほどにおいしい、体もぐんと温かくなる。昨日と違って眠くならないのは今の緊張感のせいだろう。不安がまさって幸福感が沸いてこないのも、きっと同じだ。仕上がりは問題ない、それなのに。


 ニーナが慌てふためく中、学院長は表情をぴくりとも変えず、ただレシピを穴が開くほどに見つめていた。肘掛けに置いた右手の指が、こつこつと不穏なリズムを奏でている。


「あのう、学院長……」


 おずおずとニーナが話しかけても、学院長は黙したまま。脳の中で駆け巡る魔法論理を見つめるのに忙しくて、目の前に居る少女のことなど視界に入っていないのだ。


 不穏な気配が講堂を満たす。ニーナの後ろで順番待ちをしている生徒も、既に勝利を勝ち取った生徒たちも、まだ自分の薬と格闘している者たちも、全員が息を呑んでなりゆきを見守っている。誰より真っ青な顔をしているのは、無論、ニーナ自身だが。


 やがて、学院長の指の動きが止まり、講堂に静寂が訪れた。直後、ごくりと生唾を飲み込む音が響き渡る。ニーナは今、ヘビに睨まれたカエルであった。


 学院長がニーナの名を呼んだ。今度は優しさのかけらもない。ひっ、と悲鳴を上げるのをどうにかこらえて、いたいけ少女は詰問に身構えた。


「わたくしの見立てでは、これは魔法薬にはならないのですが。ただ適当な材料を混ぜて煮ただけ。そうではありませんか?」

「い、いいえ! わたしが昨日飲んだ時は、ちゃんと力があったんです! 今も、ちょっと弱くなってるけど、ちゃんと」

「では、どういう効果か説明をなさい」

「えっと、体がぽかぽかします」

「温かいものを食べたら何でもそうなりましょう。魔法ではありません」

「あと、眠くなる効果もあって」

「特別なことでもなんでもなく、お腹いっぱい食べたらそうなります」

「それに、幸せ気分になれる! 最高じゃないですか!」

「単に満腹になったからでしょう。それか、自信過剰なあなたの勝手な思い込み。わたくしは今、非常に不愉快な気分です。それが魔法薬ならば、どうにかしていただけるのではなくて?」


 学院長の青い目が氷のように感じられた。


 ニーナはくっと手を握りしめて、もう折れそうな心を精一杯支えて、最後の効果を告げた。 


「でも、すごくおいしいんです。他のどんな薬より、ずっと。これは、とても良いことです。まずい薬より、おいしい薬のほうが、みんな喜ぶから。……きっと」


 ニーナは心細げに胸の前で両手を組み、うつむきながら上目遣いで学院長を見た。


 だが、帰ってきたのはげんなりとしたため息ひとつ。


 しばしの沈黙。それから、「もうよい」と学院長は刺々しく言い放った。


「ニーナさん。あなたは魔女たる資格がありません。ただの料理人です」

「えっ。でも、ちゃんと才能があるからって、入学の時に!」

「才能はあっても、魔女にふさわしき心や常識が無い。薬を作れと言ってスープを煮込むなど、前代未聞の愚行! ここがどういう場所なのか、知っているのですか!?」

「王国の誇る、世界一の魔法学院です……」

「その通り! 偉大なる始祖、フェオルさまが、優れた魔法使いを育てるために開いた、神聖なる場所なのです。決して、料理人養成所ではない! あなたは、すべての魔法使いを冒涜する行為をなした!」


 学院長は弾みで椅子から立ち上がった。烈火のごとく怒れる形相で、ニーナを、そしてその向こうに居る若き魔法使いたちを見通して、説いた。


「なぜフェオルさまが学院を開き、我々に魔法を学ばせたのか。国の繁栄のため、文明の向上のため、外敵を退けるため、未来永劫の発展のため。すなわち、求められているのは王家と王国民に確実な利益をもたらす魔法、それだけです。入学に際し、あなたがたも心に刻み込んだはず。そうですね?」


 一瞬間を置いたのち、生徒たちからタイミングの揃わない「はい」の声が次々と上がった。それに学院長はうなずいてから、さらに言葉を続ける。その凍てつく眼差しは、今度はニーナ個人を射抜いていた。


「ただいまこの王国は常に危機にさらされています。四方を他国に囲まれ、遠く北より巨大な魔物も飛来する。さらには『狂いの賢者』の魔手がつきまとう。このような状況ででは、より一層優秀で勤勉な魔術師が求められる。我々学院は、そうした人材を育てなければならない。それなのに、あなたのよう遊び半分の無能な魔女に、席を与えられましょうか」

「ちがう、わたしは、遊びなんかじゃ……! 本当に、国家魔術師になりたくて!」

「その資格が無いと言っているのです。この学院であなたに教えることはなにもありません。時間を割くだけ無駄、労力をかけるだけ無駄。今すぐ出て行きなさい!」


 学院長の杖がニーナへ向く。次の瞬間には、問答無用で講堂の外まで吹き飛ばされた。やや遅れて、荷物もすべて。


「ごめんなさい! 頑張りますから、お願いです! わたしは、一流の魔女になりたいんです! お願いです、お勉強させてください!」


 どれだけ叫んでも、無情に閉ざされた扉が開かれることはなかった。




 ニーナは泣きながら城下町をさまよっていた。右手で涙をぬぐい、左手では大きな荷物をひきずって。学院を追放されてしまっては寮にも居られないから、全部持って出てきたのである。


「お母さま、お姉さま、ごめんなざい……わたし……」


 自分は学院を卒業して、国家魔術師になることが約束されたものだとうぬぼれていたし、二人もそれを期待していた。それなのにこのザマだ。なんて思われるだろうか。恥ずかしいと思われるにきまっている。悲しくてしかたがない。どんな顔して会えばいいのかわからないから、家にも帰れない。


 涙はどれだけこぼれても止まらない。手で拭っても拭っても、頬を伝い流しても、後から後から溢れてくる。


 泣きながら歩いていると通行人の注目を集める。ざわざわと市中が色めき立つが、それすらもニーナは気にかけられなかった。人目なんてどうでもいい、ただ、泣きたい。


 どこに行こうか。行くあてなんてどこにもないけれども、とにかく、学院があるこの王都に居たくなかった。石畳を進む足は、無意識の内に城門へと向かっている。 


「おい、お嬢ちゃん! ちょっと!」

「なんですか……」 

「君、荷物に穴が空いてるんじゃないか。魔法の花の種とか、こぼしてるんじゃないか」


 通りすがりの男に声をかけられて、示されるがままに後ろを振り返った。


 不思議な光景があった。石畳のうえに色とりどりの花が咲いている、しかもニーナが通った後をなぞるように小路を作って。


 呆然と見ていた。花びらならともかく、種なんて持ち歩いていない。まして、こんな魔法みたいな花なんて。


「知らないです……わかんないです」

「でも君の後ろに続いてるんだ。君、学院の子だろう? 変な呪文でも間違えて唱えたんじゃないか? それで――」

「違います! わたしは、わたしは……魔女には、なれないんです!」


 言ったとたんにぶわっと涙が吹き出した。おいおいと泣き声を上げながら、ニーナは走ってその場を去った。――自分は魔女なんかじゃない。ただのスープを魔法薬だと思い込む、大馬鹿者だ。


 しかし。ニーナが空中に散らした涙は、微小な花の種になった。手で拭った涙も、頬を伝った涙も、乾いたら全部花の種になっていた。それが宙を舞い地面に落ち、ぽんぽんと虹色の花を咲かせているのだ。


 ニーナの作った魔法薬は失敗では無かった。この花の小路こそが「ニーナミラクルスペシャル」の真の効果なのだ。ニーナ本人はいまだに気づいていないし、なんの役にも立たない魔法だから、学院長の目に留まることもなかったけれども。


 小さな見習い魔女が去った城下は、衛兵や魔術師もが出てくる大騒ぎになっていた。石の上に花が咲く現象なんてみたことがない、こんな魔法を使うものは王国に居ない、一体これはどういうことなのか、と。


「何か、天変地異の前触れでは……神がお怒りなのでは……」

「こらっ触っちゃダメよ。呪いの花だったら、どうするの」

「キレイだね。たまにはこんな魔法もいいじゃない? どうやったら使えるようになるんだろう」

「一体誰が……まさか、また『狂いの賢者』のしわざか!」


 衛兵が犯人に目星をつけて騒ぎ始めたところで、路地の奥から一人の男がやってきた。金色の髪に赤色の目、グレーの外套をまとって、肩には虹色の色彩をもつ大型の鳥を乗せせた青年。彼こそ今しがた冤罪をかけられた「狂いの賢者」その人である――ただし、今はオフの姿なので、町人に気づかれる由はない。


「なんだなんだ。俺はまだ何もしてないぞ? なんでもう大混乱になってんだ」


 ぼやいたところで、彼は花道の存在に気づいた。風にさらさらと歌う虹が魔法でもたらされたもの。それを人目で見抜き、気だるそうだった表情を、一気に満開にさせた。 


「ほーう? あの学院が全部芽を腐らせちまったかと思ったが、これはこれは、おもしろいヤツが残ってるじゃないか。なあ、プリズマ」


 ぶつぶつと言いながら、肩の鳥の頭を撫でる。そして男は美しい小路に沿って歩き始めた。城門の方向、町の外へと。


 目的はひとつ。この魔法を使った主を見つけ出すため。


 騒乱の町を悠々と横切る男の耳に、肩の鳥が話しかけた。


「ねえ、見つけてどうするんだよ」

「どんな馬鹿者か顔を見てみたいじゃないか。かわいげのあるやつなら、そうだなあ……弟子にしてやってもおもしろいかもな」

「弟子!? マジで!? ジュバレーン、どうしちゃったの!?」

「気まぐれってやつだ。それと、町中で名前を呼ぶんじゃねえって言ってるだろ、誰かに聞かれたら面倒だ」


 そんなやりとりを重ねながら、誰より偉大な魔術師と使い魔とが歩いていく。目印である花の道は、城の外へ、町外れの丘へと続いているようだ。



 丘で膝を抱いているニーナはまだ知らない。自分の魔法が前代未聞の力を発揮したことも、とんでもない魔法t買いに目をかけられたことも。こんな奇跡のようなこと、微塵も思っていない。


 見習い魔女はまだ知らない。ミラクルでスペシャルな薬……いや、スープが、世界最高の魔女となる未来をもたらしたことを。


(見習い魔女のミラクルスープ 了)


Notes 

【狂いの賢者】

何十年と王国に付きまとう、神出鬼没の犯罪者。フードで顔を隠し、マントを着込んで、一人かどうかも怪しい。

城の美術品を軒並み駄作に変化させたり、酒樽の中身だけを盗み去ったり、派手ないたずらをして回る。目的は不明。

出現した時は国家魔術師が捕縛に向かうが、高等な魔術師であるがゆえ、逃げられっぱなしである。

「というか、あいつらの魔法なんて、フェオルが作った型どおりだからお見通しなんだよ。目つぶってでも対処できるわ」(ジュバレーンが愛弟子に向けた発言より)


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