冒険者たちの魔物スープ(2/2)
鍋の湯が沸騰し、レティが摘んできた香草薬草を洗い終わったころ、オッゾとリンが戻ってきた。鹿一頭背負ってくるか……と思いきや、そうでもない。オッゾがシダの葉に載せた、自分の頭よりも一回り大きな肉塊を抱え、リンはといえば、幾種類かの木の実をかかえている。
「わざわざ切り出してきたのかい」
「丸ごと引きずって来たら、肉食の魔物とか引き寄せそうだからな。これだけあれば十分だろ」
「まあ、そうだね。それで、リンは何をとって来てくれたんだい」
「野ブドウとベアナッツ。あと、シロパンの実も」
「パンの実! そりゃ最高だ!」
モスタウは喜び余って拳を突き上げた。先ほど思い描いたパーフェクトなバランスの食事が、現実になるのだから。
つややかな薄紅色の皮が特徴のシロパンの実は、その名の通りパンの代用になる果実だ。火に入れて果汁を飛ばすと、ふかふかの食感になり、まさに焼き立てパン。森の中で見つけられたら幸運、そんな食材だ。
「今日はいいぞ、今日は! ああ、じゃあ、リン、さっそく火に入れておいてよ」
「了解」
「おいおい、肉は!?」
「もちろん忘れてないさ。とりあえず下に置いて」
オッゾは土がむきだしになった地面を選び、シダの葉ごと肉を置いた。そこへモスタウが、ナイフを持って歩み寄る。
慣れた手つきで肉を食べやすいサイズに切りわける。まだ温かく、切り進めていると血がにじんでくる。スープを煮込んでいる間に、ナイフの手入れもしないといけないな、とモスタウは思った。
切る仕事を終えたら、今度はレティの鍋を取り、上から熱湯をかける。すると、肉の表面が白くなり、同時に点々と散っていた血を固め、ごみと一緒に洗い流す。さらに水をかけて念入りに洗い流せば、下ごしらえは完了だ。
大鍋で沸かしてあった湯は、飲み水として各人の水筒に詰めた。さらに残ったものはレティの鍋へ一旦移し、出発前にも補給できるようにしておく。そうして空にした大鍋に、再度水を張った。今度は正真正銘、スープ用である。
「腹減った……まだめっちゃ時間かかるよな」
「ブドウでも食べてなよ。あっ、リン、ベアナッツはこっちにも少しちょうだい。肉とハーブだけじゃあちょっと寂しいしね」
ベアナッツは胡桃の仲間だ。固い殻を割って、中の柔らかい部分を食す。わずかに甘味があるそれは、おやつに食べるだけでなく、料理のアクセントにもちょうどいい。リンとレティとで割っていたところから、軽く一つかみもらってくる。
ややして、鍋がぽこぽこと沸き立って来たところで、モスタウは魔物の肉を鍋に入れた。続けて、積んできたハーブも豪快に投入する。だがベアナッツはもう少し後、完成する少し前に散らすつもりだ。
味つけは塩を少しだけ。今のところ、アザヘイムで塩を入手する方法は見つかっていない。影の山脈を越える前、オーストッドの町で調達したのが最後だ。大切に使っていかなければならない。
ぐつぐつと音を立ててスープが煮込まれていく。浮いて集まってくるアクを、たまにレードルですくって捨てながら、肉に火が通るまで、じっくりと待つ。仲間たちとくだらない話をし、冒険の疲れをとるリフレッシュの時間だと思えば、まったく苦ではない。
そろそろいいだろうか、とモスタウが腰を上げたころには、すっかり日が暮れ、空の主役は明るく輝く月にとってかわられていた。
赤々と燃えるたき火に照らされる中、鍋からはハーブの香りと共に湯気がもうもうと立ち昇っている。ベアナッツを加えがてら、モスタウはレードルですくって、そっと味見をした。
その瞬間、眠たそうに細まっていたまぶたが、ぱちっと開かれた。
「うん、いい感じだ! みんな、できたよ、ご飯にしよう」
その言葉を待っていたとばかりに、だらついていたパーティは、椀を持ってわっと集合する。
「おっ、うまそううまそう」
「いい匂い」
「ラパラパがあるともっといいんだけどねえ」
「なにそれ」
「香辛料さ。昔、ボクにミクラの迷宮で冒険を教えてくれた人が使ってたんだ。大元は迷宮の魔草だったから、ここらでも見つかるかもしれないって思ってるんだけど、今んとこダメ」
モスタウは目に見えて肩を落とした。しかし、手に入るもので調理をするのも冒険の醍醐味である、と気を取り直す。
メンバーの食器にスープがよそわれた。シロパンの実もちょうどいい具合に焼き上がっており、炭化した皮の割れ目から、ふかふかとした白い繊維が顔をのぞかせている。
「これ、外の部分は捨てちゃっていいの?」
「うん。レティはパンの実はじめてなのか」
「そうなの。まさか、こんな森の中で焼き立てパンが食べられるなんて思わなかったな」
レティはにっこりと笑った。
温かいパンに、温かいスープ。冒険真っただ中だと思えば、最上級の夕食だ。
「じゃあ、いただきまーす」
誰ともなく輪唱が起こり、かちゃかちゃと食器の音が辺りに響く。
歩き疲れ、空っぽになった腹に、スープが優しく染み渡る。モスディーアの肉は脂身が少なく、がっついて食べても嫌にならない味だった。強いハーブの香りがスープ全体に回っていて、爽やかで、かつ豪華な風味を醸している。
誰も言葉を発せず、味わうことに集中していた。料理人に向けて「おいしい」とも告げないのは、今さらわざわざ言わなくとも、パーティ内では重々承知のことだから。
たき火を囲んだ食卓に、安らかな時が流れていく。
勢いよく頬張ったオッゾが、おかわりに手を出そうとしたときだ。空の月に影が差し、ふっと辺りが暗くなった。
一同、動きを止めて空を見上げる。
夜空を横切って、翼を広げたドラゴンが飛んでいった。悠々と、堂々と。北から南へ。アザヘイムの奥地から、影の山脈を越え、人間の国々がある土地へ。
ドラゴンはあっという間にパーティの頭上を過ぎ去った。奪われていた月星の光が、再び世界に戻って来る。同時に、人間たちの時も動き始めた。
「ありゃ山越えるなあ。王国のやつら、きっと大騒ぎするぜ」
「でも、どうしてわざわざ奥地から出てくるのかしら」
「さあね。それをアタシらで確かめてやろうじゃないの」
リンがたくましい笑顔を浮かべた。
このパーティで目指すは、アザヘイムの最果ての地。未だ誰もたどり着かない秘境の真実を、この目で確かめること。どれほどの距離があるかも、どんな苦難が待ち受けているかもわからないが、誰一人として、このメンバーなら叶えられると信じてやまなかった。
スプーンをくわえながら、モスタウが呟いた。
「最果てにはなにがあるかな。おいしいものがあるといいけど」
「ドラゴンの王様が居るってアタシは聞いたよ」
「大丈夫かなあ。そんなのが出てきたら、みんな食べられちゃうかも」
「大丈夫、大丈夫。俺とリンがいるんだ、余裕でやっつけてやるさ!」
「そしたらモスタウがドラゴン料理のフルコース作って大宴会だね」
「うーん……ドラゴンは毒があるから難しそうだねえ。ああ、でも、気になるなあ。僕も食べたことないからなあ。焼けばいいのかな、煮込めばいいのかな。燻製とか、フリッターとか、ミートパイとか!」
めくるめく飛び出す料理のイメージに、一行は一気に沸き立った。食欲は人間の本能、それをこうも刺激されれば、自然と心が奮い立つ。
一杯のスープを糧に、夢見人たちの休息は深まっていく。体を休め、体力をつけ、心を癒し、絆を深め、次なる冒険へと進むために。
(冒険者たちの魔物スープ 完)
Notes
【シロパンの実】
「おいおい、そのままかじったって全然パンじゃないぞ。焚き火に放り込んで、皮が炭になるまで焼いてごらん。中の果肉スポンジみたいにふかふかになるから。酸っぱいのも汁と一緒に抜ける。……なんだモスタウ。え? 母さんが焼いたパンのほうがうまいって? そりゃそうだ、麦のパンの代わりだからなあ。でもなあ、冒険中はこういうのがごちそうなんだって。いつかおまえにも、こいつがある感動がわかる時がくるさ」
【迷宮】
ダンジョン。世界に点在する、地上と異なる生態系や摂理を持つ不思議な場所。
神が人間をおちょくるために作ったとか、滅びた文明の名残だとか、あれこれ語られているものの、真相は不明。
冒険者や国家調査団により探索しつくされた迷宮が多い。そういう場でも、腕試し的に潜る人間は後を絶たないのだが。
なお、アザヘイムは地域丸ごとが迷宮という扱い。