魔境の番人とポタージュスープ (2/3)
倉庫から持ち出したポテトの籠は厨房へ運び入れ、冒険者たちは一旦その場を離れた。番人のすすめで入浴と着替えをしたためだ。熱い湯で体を洗い、清潔な衣服に着替える。とても未開の地を冒険している最中とは思えない、極上の待遇だ。先ほどまで垂れ流しだった不満も、もう全然出てこない。
四人そろって厨房へ戻る。そこでは既に番人が調理の支度を進めていた。色々の縮尺が彼基準で設えられているため、テーブルも棚も人間から見ると大きすぎる。だからまず、踏み台を設置したり、道具を取りやすい位置に降ろしておいたりといった作業をしていた。
冒険者たちがやってきたことに気づくと、何とも言わずテーブルに集まってくれ、と。料理が並んでいるわけではない。調理を手伝うというのは暗黙の了解だ。
テーブルにはやはりと言うべきか、ポテトがバットに盛られていた。泥を洗い落として濡れた状態で十数個ずつ、二つのバットがある。先ほど倉庫から持って来たそれぞれの籠だということは、想像するに難くない。二つを識別できるように、バットに記号札もつけてある。
「えー、料理にとりかかる前に、まずは背景を少し説明したいと思います」
テーブルに集った人間たちを前に、番人が穏やかに説き始めた。
「私はポテトの品種改良に取り組んでおります。色々と課題はあるのですが、そのうちの一つが、ポタージュスープによく合う、舌触りが滑らかでコクのある味を持っているポテトを作りたいということです。そして――」
番人はテーブルに置いてある二つのバットを指示した。
「選抜してきたものの中から、今日はこの二種類を実際にポタージュスープにして試食します。せっかくですので、皆さまのご意見もお聞かせいただければと思う次第です。ではさっそく。確認しますけど、ナイフは使えますよね? 一応、人間の手に合いそうなものを用意してみたのですが」
「ちょっとでかいけど、ま、これくらいならいけるぜ」
「これで皮を剥けばいいんですか?」
「はい、そうです。それと芽が出ているようなら、それも取り除いてください。毒がありますから」
「毒!? いつものルートッドもそうなの? アタシ、知らずに食べてたけど……」
「なるほどねぇ。ルートッドって時々えぐみがあるなって思ってたけど、そういうことだったのかなぁ」
「ルートッド、ですって?」
番人のこめかみがぴしりと鳴った。
「そんな変な名前を勝手につけて、あたかも自分の手柄にみせかけるなど! あの人間……盗人猛々しいとはこのことです! まったく、人の苦労も知らないで……!」
「え……え? 何?」
「あなた方がルートッドと呼んでいるポテトは、私が何十年もかかり育成した、血と汗の結晶なのです! どんな土でも育つよう頑強に、大きな芋がたくさんとれるよう、なおかつどのように調理加工しても美味となるような、そういう風に、この私が作り上げたのです! だのに、ようやく完成した種芋を、ごっそり盗みおって……」
ルートッドは、遠い昔にある冒険者がアザヘイムより持ち帰った芋の一種である。人々の間ではそういう認識だ。その冒険者がどういう次第でルートッドを発見したかについては、誰も興味を持たない。盗品であるとは思いもよらないことだ。そもそも、冒険の最中に入手した宝物に対して、盗品という見方をすることがない。モンスターから奪った物については、盗品ではなく、価値ある戦果だ。
ルートッドを持ち帰った冒険者にも悪気はなかっただろう。魔境の門番の怒りに晒される彼らも、先達のしでかしたことを責める気は起こさなかった。
ただ、とんでもない地雷を踏んでしまったことを悟り、どうしようと慄くばかりだ。
番人が怒り始めてからというもの、厨房のありとあらゆる物がカタカタと震えている。恨み節を吐くその背には、さっきまでなかったどす黒い炎が燃え上がっているようにすら見えた。見えない何かに肌をなでまわされている気がして総毛立つ、この感覚は、魔法攻撃に晒される時に似ている。
まずい、非常に危険だ。気を逸らさないと。焦る人間たちの中で、それでもまだ鷹揚な外面を保っていた男、モスタウが前に出た。
「あ、あの」
「はい?」
「ポテト以外の食材って、ありますか?」
「多少なら備蓄がありますが……どうしてですか?」
「ポタージュだけだと寂しいので、何かもう一品くらい料理があればいいかなぁと。全員で皮むきするほどの量でもないし、調理は僕がやりますから」
「ふうむ。確かに、人間の燃費だとこの量では肉体を維持できませんでしたね。これはうっかりしてました。では、せっかくなのでお願いします。向こうの小部屋にいくらか食糧がありますので――」
「じゃ、じゃあ! 俺たちは皮を剥いてるな!」
「アタシも、ちゃんとやってるから、ゆっくり見て来てちょうだい」
「くれぐれも二種を混ぜませんように」
「はーい、大丈夫でーす」
隣の部屋へ向かう二人をぎこちない笑みで見送って、その姿が視界から外れた瞬間、残った三人は安堵の息を吐いた。体の力も抜けて、テーブルに寄りかかる。
「助かった……」
「いい機転の利かせかただったぜ、モスタウ」
「実は助かるための思い付きじゃなくて、純粋にアザヘイムの食べ物が気になってただけだったりして」
レティが茶化すように言った直後、小部屋からモスタウの歓声が轟いた。続けて「すっごい!」「なにこれ!?」などと嬉しそうに騒ぐ声も。
「……図星みたいだな」
「食べることになるとアイツはねぇ」
「ま、まあ。そこがいいところだし。じゃあ、私たちは私たちのことしましょ」
いそいそとナイフを手に取り、ポテトの皮剥きに取り掛かった。
ややして小部屋の二人が戻ってくる。モスタウは運搬用の浅い網かごに色々と食材を載せほくほく顔だ。そのまま一人調理台へと向かい、元から自分の仕事場であったかのように躊躇いなく道具を漁って料理に取り掛かった。
一方、皮剥き班もきちんと仕事を終えていた。
「終わったぜ。次は? 茹でるのか?」
「そうですけれども、鍋で茹でると時間がかかりますのでそれはしません。彼も火を使いたいようですしね」
「なんかすいません、うちのモスタウが」
「でも違うならどうするのさ」
「そこは……まあ、魔法でちょちょっと。少し下がっててください」
番人は三人組をテーブルから離すと、バットの上に積まれたポテトの山に骨の両手をかざした。
そして何かを呟き始める。何の意味も持たない音の連なりに聞こえるそれは、しかし強い力を込められた魔法の詠唱であると、人間たちにもすぐにわかった。ざわりと空間が震え、見えない力が肌をなでる。先ほどとは違って怖気はしない。
長い詠唱が終わり、声が途切れた。刹那、シュウと蒸気が鋭く抜けるような音が響いた。同時に熱気が番人の手のひら、いや、その下方にあるポテトから放たれ、興味深げに覗きこんでいた三人の顔を煽った。
そして。バットの上にある芋は、みな茹でたてホカホカになっていた。
「な、なんだ!? すげぇ、お湯も無いのに一瞬で茹だったぞ!」
「平たく言えば、熱を与えてポテト自身が含んでいる水を沸騰させたのです。通常外から加熱するところを内側から加熱した、と言ってもいいかもしれません」
「それ、さ。水分ってことは、アタシたちの体も沸騰するんじゃ……」
「はい。だから下がってくださいと。巻き込まれれば一瞬で釜茹でですからねぇ」
「怖いこと言うー」
「大丈夫ですよ、効果範囲から外れていればなんのことないですから。もし同じ術をかけられそうになったら、とにかく走り回って場所をずらすことです」
番人はからからと笑いながら、湯気立ち上るポテトをそれぞれ大きなボウルの中にうつす。そしてマッシャーと一緒に人間たちへ差し出した。
「このポテトを潰してください。なめらかになるまでしっかりと。一人余った方は、私と一緒にミルクを取りだす方をやりましょう」
「ミルクを取りだす、って?」
「そこに積んである実ですよ。中に獣の乳に似た汁を溜めるのです」
「あれ飾りじゃなかったんだ」
確かにテーブルの上、作業をしていた反対側に、かごに盛られた緑の球が置いてあった。だが固く艶やかな質感で、握りこぶし大に揃ったサイズの均一さから、蝋細工かなにかだと思い込んでいた。貴族が食卓に花や装飾品を置く、そのアザヘイム版だ、と。
それなら私が、と手をあげたのは、パーティの中で一番非力なレティだった。というのも、マッシャーが番人の手に合わせたサイズでかなり大きく、人間では両手で握って扱わなければいけない代物なのだ。そんな力仕事だったら、普段から剣を振り回している二人に任せたほうが良い。
テーブルの対辺に分かれて、それぞれの手仕事を始める。ミルクの方は、外皮の柔らかい部分――茎に繋がっていた部分らしい――を探し、ナイフで丸い穴をあけ、中身をボウルに注ぐという内容だった。マッシャーを振るうより力がいらない。
モスタウが調理を行う環境音を背景に、黙々と作業をする。が、それはほんの最初だけだった。冒険者たちは社交的だ。至近距離に居ながらの沈黙には耐えかねる。
まず音を上げたのはレティだ。目線は手元のまま、隣に立つスケルトンの男へ話しかける。
「いつもは独りでここの番をしているの?」
「はい。番人と言っても、誰に頼まれた仕事でもないので。そもそも関所自体、形ばかりで、あって無いようなものです」
「ん? ここが『試練の門』で、あんたがアザヘイムへの侵入者……っていうか、俺たちみたいな冒険者だけど、それを追い返す怪物、ってわけじゃないのか? そういうことになってるんだが」
「いいえ。攻撃されたら身を守るくらいで、通せんぼなどしたことありませんし、逃げ帰った者が勝手に言っているだけでしょう」
ほほほ、と笑う姿には嘘偽りも悪意も無い。
しかしそれでは、この関門の存在自体が腑に落ちない。
「じゃあ番人やってる必要ないじゃない。どういうわけ?」
「……待っている方が居るのです。いつか必ずここを通る、その時まで私はここで往来を見守らなくては」
「おっ。女か?」
「いいえ」
番人が目を細めた。骨格は動かないが、そんな風に見えた。
「我らが次代の王、ベルジェロイ様。現王に反発して出て行ったきり、消息は不明です。が、王の座に相応しいのはあの方をおいて他に居ない。戻られた際には、大切に御身をお迎えしなくては」
王。その言葉に冒険者たちが息を飲んだ。アザヘイムの奥地に何があるのか、魔物たちを束ねる親玉がいるのではないか。そうまことしやかに語られど、誰かが確証したわけではなかった。
番人の言ったことが真実なら、それだけで大きな成果だ。冒険者たちは興奮気味に顔を見合わせた。
「王が居るってことは、この先に魔物たちの国があるってこと!?」
「あぁ……まあ、そうですね。あなたがたの思い描くような国のかたちではありませんが、それに準ずるものがあり、王が居ます」
「つまり魔王ってことか……一体どんなやつなんだ……」
「焦らずとも、この混沌の地を進めばおのずと知ることになるでしょう。……いけませんね、私としたことがお喋りが過ぎました。ポテトの調子はどうですか?」
二人ともがボウルを傾けて番人に見せる。すっかり潰れてペースト状になっている、ポタージュにするに十分だ。ミルクの実も全部取りだし終わった。
後は鍋に入れて煮込むだけ。番人はそそくさと立ち上がり、鍋を取りに動いた。
その途中、彼は小さな声で呟いた。つい調子に乗って喋りすぎた、と。
「新界人には教えてならないことだというに」
自戒気味に放たれた言葉を意識して聞いた人間はいない。テーブルの三人組はそちらで盛り上がっているし、一瞬反応して振り向いたモスタウも、何かわからぬ単語よりも料理の方がずっと大事と、即座に火へ向き直りフライパンの相手に集中したのだった。
Notes
【試練の門】
城だと思っていたものは、単なる城ではなく、関門であった。
門の向こうには整備された道が続いている。しかし通る者は居ない。
それにしても、だ。これまで見てきた魔物たちにはそぐわない文明の影を感じる。
やはりアザヘイムにも人間が住んでいるのだろうか?
それとも独自の文明を持つ、高等な生き物がいるというのか?
ただ一つ。わかっていることがある。
この関門には番人のごとく行く手を阻む巨大な魔物が住み着いている。
黒い山のような存在が、見張り台の上で呪詛のごとき声を上げているのを見た。
あれを出し抜かなければ、この先へ進むことは叶うまい。
私はこの関門を「試練の門」と名付け、これより突破を試みる。
そして願わくば、無事に試練へ打ち勝たんことを。
(冒険者ヘザック=ローマンの手記より)




