冒険者たちの魔物スープ(1/2)
大陸の北側、影の山脈の向こう、魔物が生まれ出でる未開の地、アザヘイム。あまたの冒険者たちが挑んだが、しかしいまだ全域を知ることは叶わぬまま。
未知は人をひきつけてやまない。過酷な旅路だと知りながらも、冒険者たちが探求をやめることはなかった。アザヘイム踏破、それは彼らの間で最大の目標として掲げられている。
今日もまた、冒険者たちは危険と隣り合わせの道を、夢を原動力に歩き続ける。日々の糧にも頭を悩ませながら。
暗い森の中、腹時計の音が響いた。
「あ。モスタウの腹が鳴ったよ」
「ってことは、もうすぐ日が暮れるな。野営の準備をしないと」
「ちょうどいいや。あたし、もうヘトヘトだよ」
ここ「宵入の森」は、アザヘイムの入り口に位置する広大な森林だ。高木がうっそうと茂って空を覆い隠し、延々と続く木々の風景が方向感覚を狂わせる。己らがどれほどの時間、どれほどの距離を歩いたのかすらもわからなくなる、恐ろしい場所だ。
そんな中でこの四人パーティが最も頼りにする時間感覚、それがモスタウの腹の減り方だった。食いしんぼうな彼は、一体どういう原理かは不明だが、毎日決まって同じ時間に腹を鳴らす。たとえ魔物に襲われていようが、深い眠りについていようが、朝と夕の訪れと共に、モスタウの腹は大きな音を立てて鳴くのだ。
一日の終わりを告げる音に、冒険者たちは休息の場を求めた。ちょうど行く手に泉があったから、これ幸いと岸辺に腰をすえる。木の葉や枯れ枝を集めて火をおこし、まずはこれだと、炊事の準備を始めた。
徒歩旅の荷に不要なものを混ぜるのは下策、よって炊事の道具は鍋一つ。携行する食料も保存の利くものが非常用として三日分あるのみ。出来ることなら、現地調達でまかないたいところだ。
腹時計係、兼、料理番のモスタウが、食事の算段を立てる。その隣でパーティの切り込み隊長・オッゾが呟いた。
「肉食べたいなあ、肉。なあ、モスタウ、肉の料理にしようぜ」
「うーん……。ねえレティ、この前のフタツノウサギを干したやつって残ってる?」
「あるよ。でも、薬用にとっておいたほうがいいと思うんだけど。森を抜けたら、代わりになるものが手に入るかわからないし」
「それはそうだね。いざという時に、非常食になることを考えても。というわけで、オッゾ、今日はあきらめて――」
「いいや、肉だ! 見ろ、あそこに居る!」
オッゾは太い人差し指で、前方にある木立を示した。他のメンバーは一斉にそちらを振り返る。
鹿が居た。並の鹿ではない、魔物の一種だ。人の間ではモスディーアとの呼称で通っている。毛が苔色で、二本の角は大木の枝のよう。やや小型だが、気性は荒く、魔法を使って攻撃してくるのが曲者である。
モスディーアの黒い目が、人間たちを真っ直ぐに見ている。眼光は厳しく、鼻からは荒い息の音が立っている。縄張りを侵したのだろうか。それならば、いつ襲ってきてもおかしくはない。
パーティに緊張が走った。ただし、オッゾを除いて。
「肉だ!」
再度そう叫んだオッゾは、自慢の剣を抜きながらに立ち上がった。その表情の眩しいこと、まるで砂漠にオアシスを見つけたごとし。
絶対に食ってやる、気迫がオッゾの背中でメラメラと燃えていた。そんなものを見せつけられれば、モスディーアも怯えひるんで飛び上がる。魔物でも臆す、そして逃げる。生き物であるから当然だ。
回れ右して木立の中に消えていく肉。オッゾは奇声を一つ上げ、次の瞬間には、後を追って駆け出していた。
「待てえい、晩メシ! 逃げるな! 食われろ!」
「おいっ……バカ! 一人で行くんじゃないよ! 危ないって!」
猛スピードで暗がりへと消えていくオッゾを、パーティきっての戦士リンが追う。あたかも仲間を止めに行った風であるが、その女らしからぬ精悍な顔には食欲がありありと浮かび、口は音を無くして「肉、肉」と繰り返している。かくして片手剣を携えた女傑も、あっという間に森へと消えていった。
食欲魔神が人間をかどわかし通り過ぎたのち、残された二人は呆けたように木立の向こうを見つめていた。まず呟いたのは、薬師のレティである。
「……恐るべし食欲」
「ほんとだねえ。まあ、食べる元気も無いってより、ずっといいことだけどねえ」
焚き火に枯れ枝を放り込みながら、モスタウはのほほんと笑った。
空腹は最大の敵、食は力の源。旅の道中でも変わらない鉄則だ。変に固いことを言って、煮炊きの機会を失ったり、食に関心を無くしたりするよりずっといい。
オッゾとリンの行動はいささか軽率ではあるが、かといってモスディーア一頭に敗退するほどの弱卒ではない。それはレティやモスタウもよく理解している。もし群に飛び込むようなことがあれば危ないが、さすがにそうなれば頭を冷やすだろう。否、そうであってほしい。
とにかく、二人は追おうとはしなかった。慌てず騒がず、勇士の帰還を待つ。食事の用意をしながら。
モスタウは、自分が背負って歩いている大鍋に泉の水を汲んだ。飲み水を確保するためだ。もちろん余力がなければそのまま飲むが、一度沸かして消毒したほうがより安全、水筒に詰めて持ち歩くのにも腐りにくくて都合がいいのである。オッゾやリンには「面倒だ」と言われたものだが、モスタウが顔として譲らなかった。食生活の分野でパーティの健康を気遣うのも、料理番の大事な務めである。
「ねえ、レティ。薬用の鍋も貸してくれない? お湯を沸かすだけだからさ」
「いいけど、そんなに水いらないんじゃないかな。このまま沢沿いに行くんでしょ」
「違うよ、今日の料理に使いたいんだ。一回お湯かけて、血生臭いのを抜いたほうがおいしい。かといって、ゆっくり血抜きしてる時間はなさそうだしね」
「なーるほど」
レティはぱちんと一つ手を打って、自分の大切な鍋を取り出した。炊事に使われると油やすすが鍋につき、煎じる薬に悪影響となりそうだから、普段は絶対に他人に貸さない。しかしまあ、湯を沸かす程度だったら拒むこともないだろう。
なおかつモスタウのことは信頼している。適当なことはしまい、特に食事のことに関しては、と。
泉で汲んだ水を火にかけながら、レティはモスタウにたずねた。
「今日の晩ごはんは?」
「スープだね。せっかく水がたくさんあるんだし。この森じゃハーブにも困らないし。ほら、これも、臭み消しになる草だよ。あっちの藪になってるのもいいね」
これ、と言ってモスタウは座ったまま後方に手を伸ばし、一つの草を摘み取った。それはそのままレティの鼻につきつけられる。
「あっ……知ってる感じの匂い」
「セージだね。腸詰めにもよく使ってあるよ」
なるほどそれだ、とレティは納得した。町の酒場で食べた、豚の腸詰めを思い出す。ぷりっとした腸詰めに、かりっと焦げ目がついていて、かぶっとかぶりつけば、ぱりっと皮が破れ、じわっと肉汁が溢れると共にふわっとハーブの匂いが広がった。少々値段は張ったが、あれは実においしかった。エールを飲みながら食べる腸詰め肉、思い出すだけでよだれが出る。
あいにく今は冒険のまっただ中だから、腸詰めなどと手間のかかる食べ物が出てくることはない。それでも、セージの香りは、レティの中で夕食への期待感を跳ね上げた。うきうきとした声を出し、半ば跳び上がるようにして立ち上がった。
「じゃあ私、もっと草集めてきますね。他のハーブとか、色々。そうだ! 薬草も入れましょう。毒消しとか痺れ取りとか、念のために一緒に煮たほうが」
「そうだね。あの二人、ほかにどんな物狩ってくるかわからないからねえ」
蛮族のように飛び出していったオッゾとリンを思って、モスタウは苦笑した。まだ二人が帰ってくる気配はない。
意気揚々と飛び出して入ったはいいものの、魔物を食べること自体にはリスクがある。今回のモスディーアに関しては、冒険者たちの間では「可食」と有名であるからまだよいが、ここは未知の大地、暮らす生き物に関しても不明な部分が多い。食糧難に陥って、ろくに知りもしない小動物をとって食らいついたら、毒にあたってパーティ壊滅、などという事例も冒険者の酒場で聞く定番の話だ。
とは言え、アザヘイムの最奥を目指すのなら、慎重策ばかりでは詰むだろう。リスクを覚悟し、例えば先人たちの経験に従ったり、普通に食べるものに似たものを選んだり、口にする量を少なくして様子を見たりなどなど、工夫をしつつも魔物を食べることは、今後も避けられまい。こんな時には、薬師のレティの存在が頼もしい。
「いやあ、バランスがとれてるっていいよねえ」
ふつふつとわき始めた鍋を見つめながら、モスタウはふふっと笑った。水分、肉、菜――今日の食事は素晴らしい、と。
しいて言うなら、ルートッドの一つでもあればパーフェクトになったのだけれど。しかしそれは高望みだろう、と自分で自分をなだめた。冒険中に腰を据えて温かい食事が取れるだけでも、十分ぜいたくだ。
Notes
【宵入の森】
山を下る私の眼下に広がったのは、夜のように黒い森であった。
私はひとまずこの森を「宵入の森」と名付けることにした。アザヘイムという夜闇のような大地のはじまりという意味である。
まずはこの森を無事に通り抜けられることを願おう。森の向こうには丘があり、城のようなものも見えるが、人間が住んでいるのだろうか。それとも――
(冒険者ヘザック=ローマンの手記より)
【フタツノウサギ】
名前の通り角が二本生えた兎。アザヘイム特有の生き物ではない。
肉質は硬く、わずかに苦味がある。食用価値は低い。
ただし、止血・造血の薬の材料になるため、干し肉が冒険者の迷宮探索には必携品になっている。
角を粉にしたものを煎じて飲むと霊薬に……ということはない。