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幻界式スープごはん(2/2)

「それはきっとエキラゼアの渦だろうねぇ。あぁ、コーヒーどうぞ。砂糖とミルクはお好きなように」


 ログハウスに飛び込んできた突然の訪問客の、「新界人が眠りの湖に打ち上げられたんだけど」という突拍子もない質問に、家主であるブンさんは動じた気配を見せなかった。


 本棚で埋め尽くされた部屋の中央に置かれたテーブルに二人分のコーヒーカップを置くと、自分も対面に腰をおろした。


 やはりと言うべきか、ブンさんも犬である。ただテールと違ってふさふさの長毛だ。人間大の背丈であるせいで獰猛な熊みたいな雰囲気が漂う。しかし丸い眼鏡をかけた顔を見れば、思慮深く落ち着いたひとだとは十分に伝わってきた。


 ジェットは苦くて熱い液体に舌を焼いている。ひそめられた眉が「嫌いだ、これ」と語っている。


 ブンさんはそれを見ても特になにと言わず、自分は年季の入ったパイプをくわえ、「エキラゼアの渦」について低くものびやかな声音で解説した。


「昔、眠りの湖の底にエキラゼアという国があった。その国では不可思議な道具を使って、新界からあらゆる物資を取り込み、自分たちの生活物資としていた。その道具を、アスマ考古学でエキラゼアの渦と呼ぶ。ただし、テールは知っているだろうが、精霊王が認めた以外の方法で幻界と新界を接続することは禁じられている。『渦』は禁則を破った道具だったのだ。結果、エキラゼアは精霊王の怒りを買って滅ぼされた」

「エキラゼア伝説は聞いたことがあるけれど、それなら『渦』がジェットを吸い込んだ理由にはならないのでは? 道具を使える者も滅んだように思えるけど」

「確かにエキラゼアの国民は全滅だ。精霊王は『渦』自体も破壊しようとした。だが、そうすると困ったことになるとわかったのさ」


 ブンさんはわずかに口角をもたげた。


「眠りの湖には数多くのウオガシラたちが住んでいる。そいつらもエキラゼアが得た新界物資のおこぼれをもらって、生態を維持していたのだよ。正確には、エキラゼアが出したごみを漁っていただけとも言えるが」

「あっ……ウオガシラって、もしかしてあの鮫頭の、俺を喰おうとした。あれは一体なんなんですか?」

「妖精に近い存在だ。湖の平穏を守っている。掃除も彼らの役割なのさ。ちなみに食べるのは死んだ動物だけ、きみのことも息があるか確認していただけだろう」


 確かにそんな風なことを口走っていたが。ジェットは神妙な面持ちで固まってしまった。――あれが妖精? あんなかわいげのないものが?


 それはともかく。ブンさんはジェットの注意を引くために、ふうっと大きくを煙を吹いた。

 

「妖精の存在は自然の調和を保つのに欠かせない。もしもウオガシラたちの生態系が崩れたら、眠りの湖の平穏が消え去り、付近一帯が乱れかねない。だから精霊王は『渦』をウオガシラたちに託し、必要最小限の使用を許したのだよ」

「えっと、つまりジェットがぼくたちの世界に来たのは」

「ウオガシラの餌集めに巻き込まれた、不幸な事故の結果だ。本当なら生き物を吸い込まないように制御するんだが、なにせウオガシラは頭があまりよろしくない。うっかりミスがあって然りさ」


 ははっとブンさんは笑った。テールもつられるように吹き出して、「まあ、ウオガシラじゃしょうがないね」と。


 ジェットはまったく笑えなかった。あんなわけのわからない生き物のうっかりミスで、船員一同海の藻屑になるところだったのだ。ジェット個人に至っては、死ぬよりも理不尽な目にあわされている。


 考える程に腹が立ってくる。その苛立ちをぶつけるように机を手で打つと、ジェットはブンさんに噛みつくように訊ねた。


「どうして俺がこっちに来たのかは、もうどうでもいい。俺は元の世界に帰れるんだよな? そのエキラゼアの渦ってのをもう一度使えばいいのか!?」

「あぁ、それは……。うん、はっきり言おう。難しいことだ」


 ブンさんは黒い毛のなかに埋もれるような目を憐れみにかたちどり、まじめな口調で語りはじめた。


「エキラゼアの渦は一方通行だ。新界から幻界に物を取り寄せるだけで、その逆は不可能。自分でウオガシラから聞き出したことだから間違いない。大変な仕事だったんだぞ、いかんせんあいつらの語彙が少なすぎて会話が成立しない」

「じゃあ、他の方法は! どこかに道が繋がっていないのか?」

「逆に聞きたいが、きみは新界で幻界に行く手段を聞いたことがあるのかい」


 それは、とジェットは口ごもった。幻界の存在だって来たことで初めて知った。仕事がらあちこちの町に行くが、まるで聞いたことがない。


 広い世界をつぶさに探せば見つかるかもしれないが、望みは薄いだろう。もしも行き来する方法が知られていたら、幻界が命知らずの冒険者であふれかえっていてしかるべし。


 ブンさんはやれやれとばかりに煙を吐き出した。


「いくつか繋がっている道はあるらしい。だが、公にはされていない。仮に見つけたとしても、精霊王によって管理されているだろうから、安易に通行することはできない。それに……一度幻界に来た新界人は、もとの世界へ帰ることができない。らしい」

「どうして!?」

「そういう条件で幻界への立ち入りを許可するのだそうだ。人から聞いたことだから、本当かどうかはわからない。きみの場合は不正な方法で来ているから望みはあるかもしれないが……いや、だからこそ、精霊王に知れたら存在を消されるかもしれない」

「そんな……」


 ジェットは落胆の色を隠せなかった。


 落ちきった肩に、テールの手が肉球を押す。


「元気だして。ぼくはもちろん、町のみんなもきっときみのことを歓迎するよ。新界がどんなところかは知らないけれど……幻界もいいところだよ」

「住むの? 俺、ここに?」

「うん。だって他に行くあてないでしょ。だから、ぼくのうちにおいでよ。そのうち、きみの家もちゃんと建てよう」


 テールはほがらかに笑っている。ぱたぱたと尻尾も揺れていた。


 確かに、この町を出たとしてどうしていいかわからない。それに元の世界に帰れないのなら――いつか帰るという思いはあっても――幻界に住む場所が必要だ。


 ジェットは弱々しくうなずいて、テールの申し出をありがたく受けたのだった。住めば都、そうなればいいと思いながら。



 カンの町は大きな、本当に大きな木々が立ち並んでできている。町が林の中にあるのではない。そびえ立つ特大の樹木の内部に空洞があり、それを利用して家ないし店として暮らしているのだった。ブンさんの家のような地面に建てたログハウスも見られるが、少数派だ。


 テールの家も樹木の中に作られたものだった。根元に玄関がある二階建て。カンの町の中では若木で部屋の径は少々小さめの方なのだが、一人で暮らすには十分ゆとりがある。少なくとも、ベッドを新しく一台もちこめるだけの余裕があった。


 木の中にある以外、もとの世界の住居と大きく違うところはない。ジェットの場合は船上暮らしだから、窓のある空間に一通りの家具が揃っていて、それでも窮屈でないというだけで、とびきり贅沢な寝床だと感じられた。


 ただ、潮風の匂いがしないで、常に青々とした森の香りに包まれているのところには、なんとなく居心地の悪さを覚えた。


 自宅の紹介が終わると、休む暇もなくテールが外出の誘いをかけて来た。


「お腹すいているでしょ? ごはん食べに行こうよ」


 正直なところあんまりだった。食事はしばらくとっていないのに、気が立っているせいか、空腹感を覚えないのである。


 しかし、この誘いはテールの気づかいだ。早く幻界になじめるように他の住民と会ったり、幻界のものを食べたりしたほうがいい。そんな心がまざまざと感じられた。


 だからジェットは断らず、テールに連れられて外へ出た。



 幻界はじめての食事は、大きなボウルに一杯のスープだった。


 大きい。洗面器ぐらいある。


「……こんなに?」

「だってスープ屋だもの。スープでお腹いっぱいにするなら、これぐらい食べないと」

「そうよん。うちのスープはこの量で最高なのん。これ一杯で栄養満点、バランスもよし。だから、残しちゃいやんよ、新界のお兄さん」


 うふふ、とスープ屋の主人は笑った。白いもこもこの犬だ、見ようによっては羊にも見える。ジェットから見ると幻界人は男女の区別がつきにくいのだが、このひとはきっと女の人だろうと確信があった。喋り言葉もそうだし、動作の雰囲気からして。


 さて店主のことはよしとして、スープだ。ジェットは改めて洗面器、もといスープボウルをまじまじと覗き込んだ。


 全体としてはうっすら茶色い。器の底から半分ぐらいには白い粒つぶが敷き詰められている。麦かと思ったが少し雰囲気が違う、少しぼそっとしているようだ。


 その上にもたっぷりの具材がある。一口大の肉や瓜、赤カブなんかは馴染みのある外見だが、黒い玉やひなびた根っこの輪切りは正体の検討がつかない。中央には刻んだ青菜が盛られ、その上に一口サイズでしんなりとした赤い果実が鎮座していた。


「幻界の食べ物は変かしらん?」

「いや、思ったほど奇天烈じゃなかった」

「それはよかった、はじめましてでいきなり変わったものばかりじゃよくないもの。さぁ、食べて食べてぇん」


 店主は特大のスプーンをジェットの手に押し付けてきた。口のサイズに合ってないのだが、お構いなしである。ジェットの方から小さいのを出してくれと頼んで、ようやく馴染む大きさのものに交換してくれた。曰く、幻界のこども用らしいが。


 気を取り直してジェットはスプーンを握った。どこから手を付けようか。


 まっさきに目を引くのは山に盛られた青菜だ。先に食べ始めていた隣のテールを盗み見ると、青菜は全体に散りまぜられていた。


 なるほど、とジェットも真似をする。青菜の山を広げて、そこに沈んでいる白い粒とも混ぜ合わせた。


 と、ここで気になるのが上にあった赤い果実だ。ジェットはスプーンですくって店主に訊ねた。


「これはどうすれば?」

「スプーンでちぎって全体に広げるみたいにするのん。酸っぱくってさっぱりして元気モリモリよん。でもぉ、一粒いっぺんに口に入れたらダメダメよん」


 へぇと相槌を打ちながら、ジェットは言われた通りに赤い実にスプーンを立てた。柔らかい。ボウルの縁に押し付けるようにすると簡単にちぎれた。中はとろけたような果肉で、スプーンの背をつかって適当にボウルの中を泳がせると、簡単に全体へ広がった。


 それにしても、ダメと言われると逆に試してみたくなるのは人間の性か。赤い果実を塊で食べたらどうなってしまうのだろう。気になったジェットは、半分ほどの大きさになった粒をひょいと口の中に放りこんだ。


 とたん、口内の全神経が強烈な酸に貫かれた。つんっと顔の全部品が中央に寄った気がする。


 酸っぱい。悶える程に酸っぱい。こんなに小さいのに、レモンを丸かじりするのといい勝負だ。


「だからダメダメよんって言ったのにぃ。スープでお口をごまかしなさい」


 促されるがままにスープをすくって口を漱ぐように飲む。そうすることで強烈な酸味がおさまって来ると、なるほど、さっぱりと言われる理由がよくわかった。酸っぱいだけでなく、塩気のあるスープとあわさると、果実らしい甘い風味も感じられる。ただ非常にかすかなもので、それが他にない独特のおいしさを醸していた。


 今度は汁気だけでなく具材も。ジェットは赤い実を混ぜ込んだ白い粒をスプーン一杯にすくい上げた。馴染みの無いものだから、口に入れる前につい眺めてしまう。


「新界には米もないのん?」

「コメ?」

「いまあなたが見ているそれよん。この辺りでは主食に近いんだけど」

「新界にもあるそうだよ。ただ、盛んに食べられているものではないって。向こうでは米の仲間のムギっていうのが主食らしいね」


 横からテールが饒舌に割り込んできた。その言葉に二人は呆気にとられている。


「ねぇテールちゃん。あなた、新界に詳しいのねん」

「好きだから」

「行ったことあるのか!?」

「ううん。爺ちゃんからいろんな話を聞いただけだよ、それで素敵なところなんだろうなって思ってるだけ。爺ちゃんは虹姫様から聞いた話だって言ってたよ」


 ふふっとテールが屈託のない笑みをこぼした。


「新界はぼくの憧れだったんだ。だから、ぼくはジェットに会えてとても嬉しい。夢がかなったようなものだもの。ううん、本当は今でも夢じゃないかって思ってる」

「それは俺の方だよ。いきなり別の世界にくるなんて」

「でも現実だ、夢まぼろしじゃない。足をぶつけたら痛いし、ジェットの手を握ったら温かいし、それにごはんの味もする」

「うん、そうだな」


 ジェットは弱ったような笑顔を見せた。間を埋めるように、スプーンに乗せたままだった米を口に運ぶ。スープの味がよくしみていて、かつ柔らかい。噛んでいるとほんのり甘くなってくる。スープに浸っているせいで、さらさらと流し込むように食べられる。とてもお腹に溜まりそうだ。


「気に入ったかしらん?」

「ああ、割といける」

「ですって。よかったわねん、テールちゃん。幻界のごはん、気に入ってもらえたって」

「うん、本当に良かった。これからずっと住むのに、ご飯が合わないと嫌だもんね」


 テールのいうことには一理ある、とジェットは思った。船乗りという仕事柄あちこちの港町に立ち寄ることになるが、うまい店がある町には長く滞在したくなるし、その逆も然り。ごはんがおいしいに越したことはない。


 そういう意味では、この幻界のスープごはんはかなり上等な方だ。味はよく、量も十分すぎるほどだが、食べていて重いと感じるものではない。また具材をみるに食すに抵抗があるものはない――黒い球体は割ってみたらゆで玉子だと判明した。大きさ的にも鶏の、ではないだろうが、食べても普通の玉子の味だった。


 だから食事のことは問題でない。ジェットが複雑に感じているのは。


 ――俺は、ずっとこの世界に住むのか……?


 そんな本音は無邪気に喜んでいるテールの前では出せなかった。


「ねぇジェット。新界の話を聞かせてよ。どんなことでもいいから、ジェットの好きなこと」

「わたしも聞きたいわぁ」

「おう、じゃあ、俺の仕事の船の話からしようかな」


 ジェットは複雑な心をしまい込んだ。帰る方法もわからないのだ、どうしたってしばらく幻界に滞在することになる。だったら、難しく考えるのは後にして、この世界に溶け込むことが先決だ。


 幸いにも人は気さくだし、飯はうまい。すぐに馴染むことができるだろう。


 ジェットは幻界式の食事に舌鼓を打ちながら、歓談に興じたのだった。同じ卓を囲って、同じ時間を共有する。世界線が違っても、それが親交を深めるに最高であることは変わらない。


<つづく>


【精霊王】

幻界の一番偉い存在。雲に隠された城に住んでいる……と言われている。

わりと自己中心的な存在が、神様とは概してそういうものである。


【ブンさん】

長毛のシェパード系。


【スープ屋の店主】

プードル的な。


【黒い玉】

ヒバラヘビドリ(火腹蛇鶏)の卵。体内に炎を宿しており、すすで着色するため卵が黒くなる。

鶏の顔だが嘴は無く舌をちろちろさせる。蛇の腹だがフォルムは鶏。翼には鱗と羽毛が混在し、脚は鶏で尾は蛇。

ヘビっぽいトリなのか、トリっぽいヘビなのか。百年近く議論されているが、いまだ結論が出ていない。

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