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オーストッド旅立ちのスープ

 オーストッドの町には激しい雨音がとどろいていた。


 北門の近くにある古びた食堂。この店のスープは冒険者たちの間で名物だとうたわれていて、普段ならば、この開店間際の時間も繁盛している。


 しかし、殴りつけるような雨を見ると、宿から出る気分も失せるのだろう。食堂は静かだった。


 ――まあ、こんな日もあるさね。しかたない、と思いながら、食堂のおかみさんはとろ火にかけてあるスープの大鍋を軽くかき混ぜた。少しとろっとしたスープの中に、とろとろになったオニオンと、透き通ったカブ、それに角が取れてほくほくになったルートッドが踊る。ちょうど食べごろだ、天気が悪いのがもったいない。


 と、その時だった。玄関扉が開いた。きしむ音が入店を告げてくれる。


「いらっしゃい!」


 おかみさんが破顔して振り向くと、いかにも冒険者といった外見の男が店先に立っていた。多少着衣が汚れている者の、豪雨の中をやって来たにしては、不思議と濡れねずみになっていない。纏っている頭巾や外套が、撥水の魔法をかけた一級品だからだ。


 冒険者多しと言えど、そのようなものを着られる者は数少ない。よほど稼ぎがいいか、あるいはパーティに魔法使いが居るか、条件が限られる。


 それもあって、おかみさんにはこの男のことがすぐに思い起こされた。そう、初めて訪れた客ではない。


 オーストッドの北にある影の山脈。それを越えたところに広がる宵入りの森。これらのエリアを縄張りに、珍品の狩り採集を行うことを稼業にしている冒険者集団がいる。彼は、そのパーティの一員だ。八人組の大所帯で活動していた、とおかみさんは記憶している。


「久しぶりだね。ちょっと待ってておくれ、いつもみたいにテーブルくっつけるから」

「いや、いい」

「遠慮しないで、見ての通り他のお客さんはいないからさ。好きなだけ騒いでおくれ」

「一人なんだ」

「え?」

「……みんな、死んだんだ」


 ざあっと雨の音が大きくなった。おかみさんの顔も、空と同じくらい暗くくもった。


『いってきます。また食べに来るわ』

『ちゃんと帰って来るから、おかみさんも元気でいてくれよ』


 かつて交わしたそんな言葉が頭の中にこだまして、胸が苦しくなる。


 一方で、当の男は苦笑していた。


「そんな顔しないでくれよ、おかみさん。冒険者界隈じゃあよくあること。あっさり死ぬかもしれないのはわかってて、こういう暮らし方を続けてきたんだ。おかみさんが心を痛めることじゃないよ」

「だけど……寂しいだろ」

「いいや。いつかこうなるとは、覚悟してたんだ。おれは寂しいなんて思わない」


 ふっと男は笑った。一匹狼、そんな言葉が似合う雰囲気だった。


 明日どうなるかわからない。未知に挑む冒険者たちが、その覚悟を持って活動していることを、おかみさんはよく知っていた。山を越えるとオーストッドを発って、それきりになる冒険者の方がむしろ多いのも、身をもってわかっている。


 命からがら返ってきた仲間から訃報を聞かされるのも、これが初めてではない。


 しかし、何度経験しても人の死に慣れることはない。苦しいし、悲しい。一度きりのお客さんでもそうだ。まして、今日の彼らは、何度か食堂に来ていた顔なじみなのである。


 おかみさんの目に、じわりと涙もにじんだ。


 それを見て冒険者は眉を下げた。困り、諭す。


「やめてくれよ。おれは、おかみさんのスープを食べに来たんだ。おれはそのためだけにここに来たんだ。だから、もし、おれたちのことを哀れんでくれるのなら、いつもの元気なおかみさんの顔を見せてくれよ。いつもみたいに、うまいスープを出してくれよ」


 それはもはや懇願だった。


 おかみさんは軽く目を拭った。そして、弱々しくも笑った。


「そうだ、泣いててもしょうがないね。わたしにできるのは、生きて帰って来てくれたあなたに、おいしい料理を食べさせてあげることくらいだもの」


 おかみさんは調理場に面するカウンターの椅子を一脚引くと、冒険者に声をかけた。


「さあ、座って。すぐに熱々のスープを出すからさ。今日もいい出来だから、期待してよ」

「ありがとう、おかみさん」


 冒険者もようやく穏やかな表情を見せると、おかみさんが用意してくれた席についた。頭巾も外套も脱がないが、冒険者には不審なことではない。ことさら彼の場合は、貴重で冒険には欠かせない力をもった魔法の衣なのだ、身から離して盗まれたり紛失したりするリスクは負いたくないだろう。


 おかみさんはかっぷくのよい体をあくせく動かして、さっとスープを用意した。大ぶりのボウルに、野菜がごろごろ入ったスープ。ほわほわと白い湯気が立ち上がっている。


 おかみさんはスープをカウンター越しに渡した。冒険者の男は、宝物を見つけたように、感極まった顔で受け取った。


 その後に、丸パンが乗った小皿が続いた。冒険者はきょとんとして、「頼んでいない」と示すが、おかみさんは笑顔で押し付けた。お腹がぺこぺこだろうからサービスだ、と。


 冒険者はパンの皿を脇に置いて、まずはスプーンを手に取った。待ち望んだスープである。オーストッドを訪れる冒険者たちの心に深く根付いている、ふるさとの味としても過言でない。


 まずは液体の部分だけ、スプーンですくって口に運ぶ。スープの味と匂いを舌に染み渡らせるように、ゆっくりと味わう。


 そこで、恍惚としていた男の表情がにわかに変わった。


 二口目、三口目がすぐに続く。今度は真面目な顔で、少し首も傾けて、なにかを考えるようにしながら。


 まだ足りない。焦りに近い雰囲気を漂わせ、冒険者は柔らかく煮えた野菜を口に入れる。オニオンもカブもルートッドも、じっくりと噛んで、一口ずつ味わうように。


 だが、口を動かせば動かすほど、男の顔は曇る一方だった。


 やがて彼はスプーンを置いてしまった。


 困惑顔のおかみさんに、これまた当惑したように冒険者がたずねた。


「なあ、おかみさん。スープのレシピ、変えたのか」

「えっ……そんなことないよ、ずっと同じさね。今日だけ特別なことをしたってこともないし」

「そっか……そうなのか……」


 冒険者はためらいがちにおかみさんから目を逸らし、押し黙ってしまった。曇った雨音が異様に大きく店内に響く。


 しかし少しの後、意を決したように彼は目線を上げると、きっぱりと言った。


「おいしくないんだ。おかみさんのスープが、全然おいしくない。いつものあのスープと違う。なにがって言われるとわからないんだけど、とにかくおいしくないんだ」


 おかみさんの肝が冷えた。うっかりハーブを入れ忘れたか、それとも野菜を焦がしてしまったとか。慌ててスープ鍋に飛びついて、自分でも味を確かめる。


 しかし、問題はなかった。いつも自分が煮込む、鶏のうまみと野菜の甘味が調和をなす、この食堂の名物スープの味である。


 さて、どういうことなのか。おかみさんは困り果てた。良い説明も思いつかないまま、もう一度お客の方を振り返った。


 彼は彼で頭を抱えてしまっている。


「あのスープが食べたいから必死に帰って来たのに……あのスープがもう一度食べられれば、おれは独りぼっちでも、また冒険に出られる、そう信じて来たんだ……おれは、おれは……これからどうすればいい、どこに行けばいい」


 彼が繰り出す問いかけに答える者はいなかった。丸めた背中の向こうには、がらんとした客席が広がるのみ。おかげで余計にカウンターの男が寂しげに見える。


 ――ああ、わかった。


 おかみさんは悟った、今日のスープになにが足りないのか。


 しかしそれは、非常に言いづらいことである。


 言うか、言わないか。おかみさんは迷って何度も行き来した。


 そして決めた……言おう、と。


 お客さんにおいしいスープを食べてもらうのが、自分の務めである。だったら、おいしくない原因は自分が取り除かなければならない。スープのアクをすくって捨てるのと同じだ。


「わかったよ、スープがまずい理由」

「なんだって」

「それは……あんたが、一人だからさ」

「ひとり、だから?」

「ああ、そうさね。いつもは、仲間とお喋りして、笑って、そうしながら食べるだろう? おいしい、おいしい言い合いながらさ。それが一番大事な隠し味なんだ。わたしもこんなに強く思い知らされたのは、はじめてだけどね」


 おかみさんは苦笑して肩をすくめた。


 それは舌で感じる味ではなく、もっと深く、心で決まる味なのだろう。楽しい、心地よい、食事を介した繋がりで生まれる感情が、ある種のスパイスとなって効いてくる。おかみさんの手でも届かない、その人その人の心の中に。


 男はじっとスープの器を見つめていた。


「……冒険者なんて、いつ死んでもおかしくない。今日の友が、明日はもうこの世の人でなくなっていても不思議じゃない。だから、みんなが遠いところに行ってしまって、おれ一人が取り残されたと気づいた時も、寂しいとは思わなかった。でも……」


 ふっと、彼は切なげに笑った。


「そうか。そういうことだったのか。おれは、やっぱり、寂しかったんだ。一人だけ仲間外れにされて、寂しかったんだな」 


 そこまで言い切ると、冒険者は声を上げて笑い始めた。つきものが落ちたすっきりとした顔で、腹の底から笑っていた。


 やがて、息を落ちつけると、彼はまたスプーンを手に取った。そして、おかみさんに声をかける。


「なあ、おかみさん。おれの話を聞いてくれないか? 久しぶりに人と話すんだ。お腹減ってるから、悪いけど食べながらで」

「もちろんさ。なんでも聞くよ」


 おかみさんは調理場の片隅にある腰かけを持って来て、客と向かい合うように座った。


 冒険者は語り始めた。影の山脈の向こうで見た物聞いた物、仲間と共に巡った冒険の思い出話を。時にスープをすすり、時にパンをちぎりながら。


 たとえば、山にある不思議な泉の話。銀色に輝くその泉の水を水筒に入れておくと、次の朝には特上の酒になっている。おかげで険しい山脈越えが、いつも楽しくできるのだと。


 未開の地での食生活の話もこんこんと語った。未知の食材に手を出す緊張感、それがたまらなくおいしかった時の喜び。運が悪いと植物の根っこくらいしか食べられるものが手に入らない、最悪なのは雨が降って火が仕えない時だ。


 野草で粗末なスープを作ったりすると、みなでオーストッドのことを思い出すものだった。冒険者は喋りながら、嬉しそうにスープをすすった。


 おかみさんも、時々口をはさみながら、楽しく冒険者の話を聞いていた。普段は忙しくて、こんなふうに一人とじっくり話すことができない。だから、おかみさんにとっても冒険の話は新鮮であったのだ。


 男の語りは尽きない。魔物との戦いのこと、他の冒険者パーティから聞いた噂話、珍品を持ち帰って貴族に捧げた時の笑い話、他にも他にもいくらでも出てくる。


 彼の冒険の思い出より先に、スープが尽きた。最後に残った一かけらのルートッドを頬張ると、彼は不意に外套の裏を探った。


 そして、取り出した物を食器の隣に並べた。


 それは宝玉。まん丸で傷一つない、大きさはちょうど一口で飲み込めるくらい。乳白色で艶やか。貴族が装飾品として身に付ける真珠というものに似ている、とおかみさんは思った。ただ、あれよりこちらの方がずっと大きいが。


「宵入りの森で魔物を倒したら、それが転がり出てきたんだ。どういうものかはわからないけれど、宝石としてきっと高値がつく。今回の冒険で一番の収穫は、これだったよ。きれいだろう?」

「ああ、ほんとうだ」


 冒険者は満足げに笑うと、最後のパンのかけらでスープの器をきれいに拭い、ひょいと口に放り込んだ。


「おかみさん、ありがとう、ごちそうさま。食べにこられてよかった」

「おいしかったかい?」

「ああ、もちろん。おれたちの大好きな、旅立ちのスープだった」


 冒険者の男は、満面の笑みを浮かべた。あまりに気持ちのよいものだったから、おかみさんもつられて笑みをこぼした。


 そして、彼はほほえんだまま言ったのだった。


「これでもう、未練はない。そろそろ、あいつらのところに行くとするよ」


 は、とおかみさんは固まった。しかし、彼は続ける。


「今度は、あの世を冒険するんだ。みんなで。あいつら先に行っちゃって……待っててくれているだろうか」


 ふふっと、男が笑みをこぼした。


 そしてそれを最後に、冒険者の姿はすっと消えてしまった。


 おかみさんの目の前には、誰もいない客席が広がっている。


 あまりのことにおかみさんは呆然としていた。


 確かに今の今まで彼はここに居た。パンくずの皿も、舐めたように綺麗なスープの器も、彼が取り出した宝玉だって、そっくりそのまま残っている。それなのに、本人の姿だけが唐突に消え失せてしまったのだった。


 おかみさんは弾かれたように外に飛び出した。


 いつの間にか雨も上がっている。太陽の光に目を眩ませながら、おかみさんは左右を見通した。しかし当然と言うべきか、魔法の外套を纏って歩く男の姿はない。


 おかみさんは悟った。瞬間、じわりと涙がにじんでくる。


 目をこすって、おかみさんは弱々しく笑った。


 ――いってらっしゃい、よい冒険を。


 いつもとは違って、心の中で見送りの言葉をはなむけた。見上げた空は、嘘のように晴れ渡っていた。


(オーストッド旅立ちのスープ 了)

Notes

【あの世】

死後の世界。実在するかどうかは不明。

だが、きっと安らかなところだろう。

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