釣りたてドラゴンのおためしスープ (2/2)
水が湯に変わるころになると、辺りも徐々に明るくなり始めた。煙ってて見ることはできないが、地平の果てに太陽が顔を出し始めたのだろう。
プリズマも戻ってきた。上手につるを編んだ荒目の籠を、大きなくちばしにぶらさげている。重そうに飛んでくるのを見て、ニーナが籠を受け取りに走った。
「ありがと、ニーナ」
「こんなにたくさん。何に使うの?」
「色々だよ。ジュバレーンに頼まれた薬の材料もあるし、趣味で集めてる石とかも。あっ、お茶にはこのミズヨモギを使ってね。器はこれを」
プリズマは埋もれていたオーガナッツの殻を引っ張り出した。半分に割った胡桃の殻を、ニーナの握り拳二つ分くらいに拡大したようなもの。なるほど、手ごろなカップになる。
さっそくそれにヨモギの葉を入れ、上から熱湯を注ぎ茶にする。うっすら色が出たところで、どろどろになった葉を捨てて、息を吹きながら茶をすする。
青くさいしちょっぴり苦い。でもまずくはなかった。それに体が温まる。ほうっ、とニーナは満足の息を笑顔と共にもらした。
「そうだ、プーちゃん。ジュバレーンさま、さっきからずぅーっとああやって動かないの。どうしちゃったのかな」
「ドラゴンが来るのを待ってるんだよ。時間的にそろそろ……あっ、始まった!」
長らく静止していたジュバレーンが、湖に向かって腕を伸ばし、手のひらを向けた。同時に呪文も唱える。
すると、湖を覆っていた雲が左右に割れた。黒から青に変わりつつある湖面がはっきりと現れる。それでも向こう岸は遠く見えないままであったが。
その湖にジュバレーンは足を進めた。こともなげに水面を歩く。一歩ごとにかすかな波紋は立つが、体が沈んでいくことはない。
徐々に遠ざかる師の影を、ニーナはカップを口につけたまま、目をまんまるにして見守っていた。
ニーナの膝の上でプリズマが解説をするが、聞こえているのかどうか定かでない。
「今日のお目当てのドラゴンは、普段は湖底で暮らしてるんだ。ただ、日の出の時間帯だけ、小魚を食べに上にあがって来る。捕まえるならそのタイミングしかないってわけ」
ずっと水面と見つめ合っていたのは、研ぎ澄ませた五感でドラゴンの動きを探っていたのだ。
そして突き止めたドラゴンの浮上点でジュバレーンは足を止めた。湖面は風でさざなみ立つ以外、静まり返っている。水の透明度も高いから、よくよく目を凝らせば、水中に魚が泳ぎ回っている影が見える。もちろん、より大きなドラゴンの影も。
ジュバレーンは右手を空に掲げた。すると手の中に光が集まり、さらにそこから一筋の糸が放たれ、水の中に飛び込んだ。釣り糸だ。
「釣りって言ってるけど、正確にはあの糸でドラゴンを絡め取るんだ。光の方が速いから、姿が見えてれば確実に捕まえられる。あのドラゴン自体、明るい方に向かってくる習性があるしねー」
光を紡いだ強靭なる糸は、術者の意のままに水中を駆けめぐる。右へ左へ、くぐりまたいで弧を描き。そうして逃げる隙を与えずに、ドラゴンを縛り上げた。
だが、ドラゴンも無抵抗で捕まってくれやしない。拘束から抜け出そうと暴れだす。ジュバレーンの体が引っ張られ、大きく前に傾いた。
二の足で踏ん張り、転落は免れた。もう片方の手も使って糸をたぐるが、抵抗がつよくなかなか引き上げられない。ジュバレーンの体が振り回され、あたりには激しい波が立つ。
一方、こちらは岸辺。ニーナは手に汗握り、白熱する師とドラゴンとの戦いを眺めていた。興奮のあまり、無駄に息が荒くなっている。大波が立つたびに歓声が漏れていた。
「やっぱり、ドラゴンが相手だと、ジュバレーンさまの魔法でも簡単には効かないんだ」
「というか、あれは単なる腕力不足。普段魔法にたよりきりだから、こういうとき、ああなる」
「なるほど」
「だからニーナは運動もするようにね。魔女だからって、全部魔法はだめだよ」
「はーい」
己が反面教師にされていることは知らないまま、ジュバレーンは細腕でドラゴンとの格闘を続けていた。三を引いては二をひき戻され、そんなことを繰り返す。あたりはもう明るくなっていた。
そして、ついにその時が。
糸を中心に水面が盛り上がる。ここぞとばかりにジュバレーンは、熱い咆哮と共に渾身の力を込めて、獲物を引き上げた。
湖より飛び出たドラゴンの影が空中に舞った。朝日の中、飛沫と共にきらめく姿を見て、観衆からも歓声があがる。
体は湖と同じ深い青の鱗で覆われている。頭には短い角が二本、胴は意外と細く、さらに長い尾がすらりと伸び、全身を総じると流線型だ。大きく開けた口には鋭い牙が並んでいて、背にはきちんと翼がある。これが、ドラゴン。
初めてドラゴンを見た感動に浸っていたニーナの口から、素直な感想が口をつく。
「……ちいさい」
と。
頭から尾を真っすぐ伸ばしても、ジュバレーンの足下から胸元までしかない。想像していたものとずいぶん違う。手足が小さいのも相まって、翼がなかったら、ただの巨大魚にしか見えない。
「ねえ、プーちゃん、あれがドラゴン? ほんとうに? お話のと全然違う!」
「ドラゴンも色々いるからねー。大きいのが多いけど、もっと小さいのだっているよ」
「えーっ。なんか、がっかり……」
拍子抜けして肩を落とすニーナ。湖の方をみれば、ジュバレーンがドラゴンを引きずって戻ってくる。翼も手足も胴にぴったりとくっつけ暴れられないようにしているが、おかげでますます魚にしか見えない。
ジュバレーンは上陸するなり、地面に座り込んだ。
「あー、疲れた。もう動きたくない」
そうぼやきながら、隣に転がしたドラゴンへと手を伸ばす。探るのは喉元。よく見ると、一枚だけわずかに色味と質感の違う鱗がある。その根元に指を二本添えて、短い呪文を。すると、ばちんと大きな音がして、鱗が剥がれ落ちた。
大きさは鶏の卵ほど。緑がかった紺青で、一見滑らかだが、触れるとざらついているのがわかる。そんな戦利品の鱗をつまみ上げ、ジュバレーンは空にかざした。無意識の内に口元がほころんでいる。
そこへニーナとプリズマもやってきた。
「ジュバレーンさま、ドラゴン、どうするんですか」
「ん? ああ。残りはおまえにやるよ」
「えぇっ、まるごと!?」
「俺はこれがあればいい。おまえも魔女なんだろ? ドラゴンくらいうまく使いこなしてみろ」
はははとジュバレーンはいつになく爽やかに笑った。
これは色々な意味で大チャンスだ。ニーナはごくりとつばを飲み、師匠とドラゴンとを交互に見た。間違えるわけにはいかない。
「あの、ひとつ質問していいですか」
「なんだぁ?」
「……このドラゴンは、食べられますか」
ジュバレーンが固まった。後ろではプリズマが翼で顔を覆い笑いを殺している。
ニーナのきらきらした瞳に見つめられ、ジュバレーンはなんと答えたものか、思い悩んでいた。可食不食の問題ではなく、魔法使いとしての思考の問題だ。
「あーっと……こいつは毒もないし、食べられるが」
「わかりました! ありがとうございます!」
聞いたら即行動、ニーナは糸でぐるぐる巻のドラゴンの尻尾を掴み、鍋の方へと引きずり始めた。
「待て待て待てニーナ、おまえっ、もっと他にないのか。昨日読んでただろ、あれにもドラゴンの魔法的有用性は書いてあっただろ」
「だって、お腹ぺこぺこですもん。それに、食べるのだって、ドラゴンのゆーよーせーです、きっと」
「……いい、わかった。だったらせめて、角とか骨は別でとっとけ。大体、料理にしてもこれ丸ごと煮込むのは無しだろう、常識的に」
「そう、ですね」
鶏でも魚でも普段食べるのはほとんど肉だけだ。それもだいたい食べやすい大きさに切ってある。
じゃあ、とニーナは鞄を漁りナイフを取り出した。なんの変哲もないナイフだが、だからこそ使いやすい。
取って返しでドラゴンの元へ。そしてナイフの刃を背中に突き立てた。
パキン。そんな軽い響きが鳴った。銀色の物体が宙を舞い、地面に突き刺さる。
ドラゴンは無傷だ。ニーナは刃が半分なくなったナイフを見て、唖然としていた。
「ドラゴンの鱗は超絶頑丈で刃物なんて通用しない。おとぎ話しか知らないにしても常識、だよな」
形容しがたい空気が流れる。ニーナは目を潤ませ、縋るようにジュバレーンを見た。
返答は呆れたため息だった。
「――まあ、ざっとこんな感じだろう」
しばしの後、ドラゴンは部位ごとに解体されていた。どういう仕組みかは不明だが、ジュバレーンが光る指先で触れると、鱗も剥がれるし肉も切れるしで、いともたやすく終わったのである。最後には水を呼び出して、血も綺麗に洗い流した。
ニーナ待望の肉は、三口で食べ終わるほどの大振りにカットされ、大きな木の葉の上に盛られている。ピンク色で弾力のある肉質だ。どことなく鶏の肉に似ている。
「じゃあさっそく!」
ニーナは受け皿の葉っぱごと持ち上げて、一思いに鍋へ投入した。湯はかなり蒸発していたが、それがちょうどいい塩梅で、肉をひたひたに浸す。ぼこぼこ鳴っていたのは一旦静かになったが、すぐにまた、ふつふつと泡をたて始めた。
「おいおい豪快だなあ。つーか、雑だよなあ」
「いいんです、今日はおためしです。ドラゴンがおいしかったら、ちゃんとしたドラゴン料理を考えて、食べればいいんです」
「おまえそんなに料理できたっけ」
「むー……」
その通りだから腹が立つ。ニーナは拗ねてぷんと頬を膨らませ、鍋に向きを変えた。
ドラゴンの肉は白くなっている。スープもどんより白くなっている。そこまではともかく、表面に汚い感じの泡がもこもこ浮かんでいるのが気に食わない。
ふっと目に留まったのは、カップの代わりにしていたオーガナッツの殻。それを掴むと、レードルの代わりにして、泡をすくって捨てた。
と、そこへ。
「ニーナ、これ使えってジュバレーンが」
プリズマが言うから振り向けば、そこには普段づかいの食器が。スープボウルにスプーンとフォーク、レードルも一緒になって、優しい黄色のクロスの上に載っている。もちろんニーナは持って来ていないから、おそらく、ジュバレーンが魔法で取り出したのだろう。
当の本人は素知らぬ顔。芝草の上で仰向けに寝っ転がり、手に入れた一枚の鱗を光にかざして愛でている。ニーナの方をかえりみることもない。
「あと、スープで食べるなら、この辺のものも入れちゃいなよ」
と言ってプリズマが籠から食材を取り出す。茶色でふとましいキノコと、雪の結晶をまぶしたような草。聞けば、雪の結晶ではなく、地面から吸い上げた塩の結晶なのだとか。軽く煮込んでやれば程よい塩味がスープについて、味が整う。
ニーナは大喜びでプリズマからの食材も鍋に入れた。軽くレードルで混ぜるようにして、しっかり火を通す。肉を半分に割って、生でないことを確認したら完成だ。
ごろごろした大ぶりの肉は、火が通ってからも鶏肉だと錯覚してしまう見た目だった。しかし、普通においしそうだ。魔力の強い生き物だと言うから、スープが紫色になったり、火花が飛び散ったり、どぶのような臭いがしたりといった、食べ物らしからぬ外見に仕上がることも覚悟していたのだが。
「まっ、後は味よね。いくら見た目が大成功でも、まずかったらダメだもん」
さながら一流美食家の試食会のようにうそぶきながら、ニーナはうきうきとスープをよそった。
いただきます。心の中で言うやいなや、ニーナはスプーンを構えた。
まずは肉から。念願のドラゴン、これを食べないことには始まらない。スプーンでつつけばほろほろとほぐれたから、食べやすい大きさして、口の中につっこんだ。
「……んー」
「どう?」
「あんまりおいしくない。っていうか、味がしないし……なんだかもそもそする」
ドラゴンの肉は鶏と魚を足したような感じだった。ある程度の大きさにはほぐれやすいのだが、噛むと少々筋っぽい。そして淡泊な味わいだ。
食べられるけれどいまいち、と思いながら飲み込む。口の水分が無くなったような感覚が残るから、次はスープをすくった。少し濁っているのが気になるが、果たして。
「……おいしい!」
二口目は直接ボウルに口をつけて、夢中ですするように。
おいしい、うまい。味付けはほんの少しの塩分だけだったはずなのに、口の中には旨味が爆弾のように弾ける。身の味気なさとは真逆で、こってりと濃いおいしさだ。さっと短時間で簡単に作ったのに、贅沢な材料をじっくり煮込んで作ったスープに匹敵する。
あまりのおいしさに、ニーナは身もだえしていた。感極まってスプーンを持った手もぶんぶん振り回す。
「おいしいかい?」
「うん! これならお店が開けるかも!」
「そっかー。魔女の料理屋さんってのもいいかもねー」
「プーちゃんもどう?」
「んー、熱いのはちょっとぉ……鳥だし」
「残念」
そういってまたスープを飲む。感動するおいしさだ、おためしで適当に作ったとは思えない。この思い、誰かと共有したくてたまらない。
ニーナはちらっと横目でジュバレーンを見た。相変わらず我関せずと言った風で、鱗を指先でいじり倒している。
「ジュバレーンさまも食べてみませんか。絶対にびっくりしますよ! 感動で泣いちゃうかも」
「いらん」
「もー、そんなこと言わないでください」
「嫌だね。んなもん食ったら、魔力に中る」
「あたる?」
「食ったら気持ち悪くなるんだ。おまえと違って、俺は繊細な魔法使いなんだ。考えるだけで吐き気がするからやめてくれ」
――どこが繊細なんだろう。ニーナの心の声は、プリズマがぼそっと呟いて代弁した。
一瞬だけ、ジュバレーンの渋い顔が反論するようにこちらを向いたが、すぐにまた、鱗に向き直ってしまった。それで気持ち悪いほどにこにこと笑っている、まるで宝石を手に入れたかのよう。
そこまで嬉しそうな姿を見せられると、ニーナも鱗のことが気になって仕方がなかった。食べることよりも大事ななにか、さては世界一の魔法使いに欠かせない秘めたる力が込められているのか。
「そんなにすごい鱗なんですか、それ。すごい魔法の力があるとか」
「そういう観点なら普通の鱗も一緒だ。ここに魔力が集中しているわけじゃない」
「じゃあ、ものすごく高く売れるとか」
「俺はあんまり金は必要ないしなあ。それに、大したことにはならんぞ。これ見てドラゴンの鱗だって思う人間は少ないだろうし」
「だったら、どうしてそんなに大事そうに」
「すっごい上等の爪やすりになるんだよ」
「……はい?」
ニーナはぽかんと口を開けた。爪やすり、とは。いや、物は知っているが、しかし。聞き間違えたのだろうか? 勘違いだろうか?
いいや、爪やすりで正しかった。困惑しているニーナに向けて、ジュバレーンは興奮して捲し立てて来る。
「一回これで爪磨いてみろ、全然仕上がりが違って感動するぞ。ほらみろ、ぴっかぴかだろ? このきめ細やかさがやみつきになって……あぁ、もう他のもんで代用できるか」
はぁ、と磨いた爪と鱗とをうっとり見つめる。今まで一度も見たことがないほど、恍惚としていた。正直、気持ち悪いと思う。
思考停止して固まっているニーナに対して、プリズマは慣れ切った様子。ニーナの隣で何事もなかったように羽繕いをしている。
どっと疲れた気がした。朝、太陽よりも早起きして、師匠の言動に振り回されて、それが全部、たかが爪やすりのためだったとは。
「……ジュバレーンさまの馬鹿っ」
その声は聞こえているのかいないのか。ジュバレーンは鼻歌混じりに爪を磨いている。
もうこんな師匠に付き合っていられない。ニーナはスープのおかわりをよそった。ボウルに山盛りのドラゴンの肉、お腹はぺこぺこだからちゃんと平らげられる。小さく崩して、汁気と一緒にすくって、ぱくりと。
――スープがおいしかったから、まー、いっか!
(釣りたてドラゴンのおためしスープ 了)
Notes
【オーガナッツ】
胡桃の仲間。巨大で厳つい堅果であることから、鬼の名をつけられた。
大陸南東部の台地や、東海の火山島、影の山脈以北に分布する。
果実内部には複数の種子がつまっており、これは食用可。脂質が非常に多く美味。
ただし殻は金づちでも割るのが困難。対火性も強い。
筋の部分のみやや柔らかいので鋭利な刃物で削るか、腐食が進んで脆くなったものを選び採集と良い。
【魔力に中る】
澄んだ水に泥水を入れたら濁る。水に油を落としたら、混ざらず異物のように存在し続ける。現象としてはそのようなものらしい。
強烈な魔力を外から一気に摂取すると、自分のもともと持つ魔力とのバランスが崩れる。
「吐き気はするし、腹は痛いし、頭はガンガンするし、魔法も上手く使えねえ。体を内側から化け物に乗っ取られるような気分だ。とにかく、気持ち悪い、死ねる」
(かつてドラゴン肉を食べてしまった際のジュバレーンの訴え)




