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釣りたてドラゴンのおためしスープ (1/2)

 梟の鳴く声が響く夜。森を見下ろす小さな城の一室で、見習い魔女のニーナはベッドに寝っ転がって魔導書を読んでいた。師匠が私室に持っていたものをこっそり盗んで……もとい借りてきた、とてもすごいことが書いてありそうな一冊だ。これを読めば世界一の魔女になる秘訣がわかるはず、いや読み切った頃にはそうなっているかも。純朴な少女はそう信じて、かび臭い書物を一心不乱でめくっていた。


 が。読めども読めども成長するどころか、ニーナの顔は暗くしわくちゃになっていくばかり。口からこぼれ出てくるの高尚な呪文ではなく、むーとか、うーとか、意味も無い唸り声ばかりだ。


 やがて。不満はなぜか本の持ち主たる師匠へ向く。


「きっとジュバレーンさまがいじわるしてるんだわ。わたしの方がすっごい魔女になったら困るから、読めないように魔法をかけているのよ、きっと」


 ぷんと頬を膨らませ、いらいらを晴らすために開いた本にげんこつを食らわせる。これで秘密の魔法が解けたらしめたものと思ったが、特に何も起こらなかった。始めから本に魔法などかかっていないから、あたりまえである。


 自分が正しいと思い込んでいるニーナは、物言わぬ魔導書にぷんすかと愚痴をこぼしながら、布団にくるまってにらめっこを再開した。


 と、その時だった。部屋の扉が乱暴にノックされる。ながらに、「開けるぞ」と声が。師匠で城主の男、ジュバレーンだ。


 ニーナは慌てて本を自分の胸の下へ押し込んだ。ついでに首回りにふとんを寄せて隙間を塞ぎ、完全に見えないように努力する。盗んで……もとい黙って借りてきた本、持ち主に見つかるのはばつが悪い。


 間髪入れずに開いたドアの向こう、ほこりっぽい廊下を背景に、金髪碧眼の男が佇んでいた。長めの髪はぼさっとし、表情もどこか淀んでいて、あまり機嫌がよさそうではない。夜も更けて来たからだろうか、一応いつもはもう少しきりっとしているのだが。


「どっ、どうしたんですか、ジュバレーンさま」


 イモムシのように布団にくるまって、冷や汗たらたら笑顔を取り繕っているニーナにむかい、ジュバレーンはぶっきらぼうに目的だけを告げた。


「明日ドラゴン釣りに行く。ついてきたかったら、日の出までに水鏡みかがみの部屋へ来い」

「日の出まで!? 起きられない――」

「嫌ならいい。おまえは置いていく」

「いえっ、行きます!」


 ドラゴン。それは魔法を学ぶ者なら誰しも一度は接したいと憧れる生き物だ。ドラゴンは全身が魔力の塊みたいなもの、角も牙も鱗も肝も、魔法の薬や儀式の高級な材料である。それだけでなく、凶暴で強大なドラゴンを制することができるなら、世界屈指の魔法使いと名乗って不足はない。


 ――それを釣りに行くだなんて! ニーナは目をきらきらさせてジュバレーンを見た。いや、こうしては居られない。さっそくお出かけの準備をして、さっさと寝なくては。


 ジュバレーンも言い終わるなりドアを締めかけた。が、半分程動かしたところで止める。ベットで転がったままニヤニヤ浮つくニーナを見据え、びしりと言った。 


「それから。俺の部屋の物を勝手に持っていくな」

「な、なんのことか、わかんないでーす」

「そっか。じゃあいい。……あーあ、参ったなあ、誰が持って行ったんだか。あれは勝手に読むと目がドロドロに腐って落ちる呪いがかけてあるから、早いところ突きとめて――」


 そこで甲高い悲鳴が部屋中の物を震わせた。布団をぽーんと跳ね除けたニーナは、目を押さえながらジュバレーンの前へものすごい勢いで滑り込み、ごめんなさいごめんなさい呪いを解いてお願いしますなどと謝罪の呪文を叫び始めた。


 ジュバレーンはため息交じりに腕を組んで、ついには泣き出した弟子を見下ろした。そして言う。


「呪いは嘘だ、馬ァ鹿。……読んでもいいが、汚すなよ」


 それだけ残して、師はドアを閉めた。


 むっとした顔で床にへたり込んでいたニーナ。ぼんやりとベッドの上の魔導書に目をやり、そしてハッと。大慌てでベッドに飛び乗り、魔導書をパラパラめくって確認する。


「……よかったぁ、汚れてない」


 ほっとして本を小さな胸に抱く。師匠からの命令だ、大切にしなくては。


 表紙を閉じたついでに、今日の勉強はこれでおしまい。ニーナは魔導書を部屋の隅にある机に置いた。


「だって、明日は早起きしないとだもんね! ドラゴン釣りに行くんだもの! ああっ、それじゃあ、今から準備もしなきゃ、大変大変」


 ドラゴンを釣り上げるのに必要そうなものをイメージしながら、ぱたぱたと小さな部屋を走り回る。目はきらきらに冴えていて、寝付けそうな様子はない。そんなニーナを置いて世は更けてゆく――



 そして、翌早朝。夜明けを目前に静謐な空気に包まれる城の一室、水鏡の間。床一面に浅く水が湛えられた部屋の中心、水が届かない円形の舞台上にジュバレーンは灰色の外套を羽織り待機していた。肩には使い魔の赤い鳥プリズマを連れている。


 そこへニーナは遅刻せずにやってきた。結局ほとんど眠れなかったのだが、眠気よりわくわく感が勝って意外に元気な顔をしていた。もちろん、出かける支度もばっちりである。


 そんな彼女を見て、師ジュバレーンは開口一番、


「なんだ、その大荷物は」


 と呆れ顔。


 ドラゴン釣りの道具だとニーナが言い張る荷物は、自分の体より大きく膨れ上がっている。その内訳はといえば、杖に糸をくっつけた即席の釣り竿や、釣り上げたドラゴンを拘束するためのロープや痺れ薬、それから鱗や角を削るためのナイフに、魔法薬を煎じる鍋とか、釣れるまでの暇つぶしの本など。鞄の中からチューチューとネズミの鳴き声がするのは空耳ではない、ドラゴンの釣り餌として籠に閉じ込め入れてある。


 ただし準備できなかったものもあった。


「おっきなドラゴンが怒って暴れちゃった時にやっつけるための道具は無いので、その時はジュバレーンさまがどうにかしてくださいっ」


 ニーナの目はきらきら輝いていた。ある種の尊敬のまなざし。ジュバレーンは白けた顔でそれを浴びている。肩でプリズマがくすくす笑っているのとはまるで対照的だ。


「……まあいい。説明するのも面倒だ。行くぞ」

「はーい!」


 ニーナはるんたったとリズミカルに飛び石をわたり、ジュバレーンの背中に寄り添った。


 それを待っていたように、奥の壁伝いに水が流れ落ちてきた。静かに、まるでカーテンをかけるように。


 やがてその水幕に外の風景が映し出され始めた。だが、この城近辺の森ではない。ニーナの知らないどこかの草地だ。ちらほらと可憐な花が咲いているのも見えるが、遠景は霧に隠されてしまっている。


 壁一面の水鏡に映る像が鮮明になったところで、床の水が割れて人ひとり歩ける道が現れた。舞台から真っ直ぐに鏡の世界へ伸びている。


 その道を通って、一行は水鏡の中へ踏みこんだ。あったはずの壁は無く、するりと足が通り抜ける。不思議なことに衣服が水で濡れることもない。


 そして次の一歩は城の床ではなく、しっとりとした草地を踏んでいた。振り返っても元の部屋は影すらなく、延々と霧の風景が広がっている。


「ほわあ……」

「一々アホな顔すんな。もう何回目だ」

「だって、すごいんですもの! 空間を飛び越えるなんて、そんな魔法見たことなかった! すごい、ここ、どこなんですか!? 野原? 大草原?」


 荷物の重さも忘れ、ニーナははしゃいで走り回る。が、急にその足が止まった。大きく息を吸い、そして。


「へっくしゅん! ……さむぅーいー」

「雲を被る大高地だ。そんなぺらぺらのローブじゃ寒くて当然だ」


 そっけなく言って、ジュバレーンは霧、いや薄雲の向こうへ先行する。かなり早足だ、あっという間に姿が見えなくなってしまった。


 置いていかれてしまう、慌ててニーナは追いかけるが、視界不良な場所だから、足下に飛び出していた岩の頭にけつまずき、派手に転倒する。すぐに顔を起こすも涙目だ。


 そこへ、白い景色の向こうから、赤い影が飛んできた。ジュバレーンの使い魔、プリズマだ。すーっと高度を下げ、ニーナの目の前に着地する。虹色の風切羽が並ぶ大きな翼を器用に動かし、ニーナの頭をあやすようになでた。


「プーちゃぁん……」

「ゆっくり行けばいいよ。真っ直ぐに進んで、坂を降りたらすぐ湖だからね。ジュバレーンが火を起こしているから、そこで温まればいいよ。お湯でもわかして、お茶でも飲んでさ」

「お茶の材料なんて持ってきてない」

「これから色々採ってくるからさ。じゃあ、先に行って待っててねー」


 プリズマはくちばしでニーナのおでこをコツンとやると、翼を広げ右手方向に飛んでいってしまった。


 ニーナは目を袖でこすると、地面とのハグをやめて立ち上がった。鞄の紐をきゅっと握り、プリズマに言われたとおり、ゆっくりと、まっすぐに、とぼとぼ歩いていく。


「ジュバレーンさまの、馬鹿っ」


 歩きながらにそんな悪態がつけるくらいだから大丈夫だ。



 日の出を前にした早朝で、世界はどんよりと暗い時間帯だ。火は際立って明るく視界に浮かび、野を下るニーナを導いてくれた。


 燃える炎がはっきりと映った途端、ニーナは砂漠に水を得たように駆けよった。顔を舐められるかの近さまでせまり、暖をとる。焚き火ではあるが、維持するのに薪をくべる必要はない。ジュバレーンの魔力を糧にする魔法火だからだ。


 さて、ジュバレーンはどこにいるかと思えば、すでに湖のほとりに立ち、じっと遠くの水面をみやっていた。涼風に髪や外套をなびかせ佇む様は、非常に荘厳なものに見える。なにかとんでもないことが起こるのでは、そんな予感めいたものすら感じる。


 ――この人は伝説の存在として語り継がれる魔法使い。普段のあんまりな態度で忘れかけていた事実を認め、ニーナは息を飲んだ。


「ジュバレーンさま」

「おまえはそこで見ていろ、付いてくんな。ぎゃんぎゃん騒がれて、あげく湖に落っこちられでもしたらたまらん」

「……いつものいじわるなジュバレーンさまだった」

「なんだって? 湖に突き落とされたいってか?」

「なんにも言ってないです!」


 ぷるぷると赤毛を横にふる。今回は冗談だとわかっているが、ジュバレーンなら本気でやりかねない気もする。こういう時は大人しく聞いておくのが吉だ。


 黙って見ている。その姿勢を取りながら、ニーナはハッと気づいた。湖を見る師の背へ、大声で叫ぶ。


「ジュバレーンさま、釣り竿は!?」

「必要ない」

「そんなの、釣り餌と一緒に腕まで食べられちゃうからダメです」

「餌もいらん。特にネズミは絶対いらん」

「ええっ!? 道具も餌もなしで、一体どうやって釣りするんですか」

「どうやってって……俺は魔法使いだぞ? 魔法に決まってるだろ」


 あたりまえだろうと暗に呆れられ、ニーナは黙った。返す言葉もない、師は万能の魔法使いであることを失念していた。


 そもそもドラゴンは概して巨大な存在だと聞いている。そんなものを釣り上げようと思ったら、一般の釣り竿なんてまるで棒きれのように頼りない。ましてニーナ手製の代用釣り竿など、棒どころかつまようじで戦うようなもの。どう考えても無茶である。


 どうやらドラゴン釣りのために夜遅くまでかけて準備したものは、全部無駄だったらしい。背中でチューチュー鳴く声を聞きながら、ニーナは嘆息した。必要ないとわかったとたん、一気に荷物が重くなった気すらする。


「……わたし、岸辺でお魚釣ろうかな」

「派手に騒がなければいいぞ。ただ、肉食魚も結構多いから、指食いちぎられんように気を付けろよ」

「うえー」


 ニーナは即座に案を却下した。痛いのは嫌いなのだ。


 その代わりと言うわけではないが、ニーナは鍋を鞄から取り出した。これに湖の水を汲んでお湯をわかすのだ。プリズマがお茶の材料をとってきてくれるとも言っていたし、ただの白湯でも飲めばうんと暖まる。


 それに、ずっと考えていることがある。


――ドラゴンって食べられるのかしら。


 心の中で呟くと、ニーナのお腹がきゅるきゅる鳴いた。朝ごはんを食べないで出てきたものだから、お腹が空いてたまらないのである。


 食欲を満たせるかどうかは師匠の成果にかかっている。ドラゴンを釣る魔法がどんなものかは知らないが、ジュバレーンさまとにかく頑張って、とニーナは心の中でエールを送った。騒ぐなと言われた矢先に大声を出せば、またチクリと刺されるだろうから。



Notes

【魔導書】

魔法の呪文や術式が記された書物、または魔法使いが魔法に関する知見を論述した書物のこと。

ニーナが見ていたものは後者の性格が強いため、仮に丸暗記したところで、即座に大魔女になれるわけではない。

表題には古代文字で「グリモワール・オブ・フェオル」と記されていた。


【ネズミ】

かさこそ走り回り、家や食べ物をかじって、どんどん増える厄介な生き物。よく魔法の実験台にもされる。

杖からベタベタするものを発射する「ネズミとりの魔法」はニーナの得意技。学院寮に居るころは、ネズミを捕まえペットにしていた。(いつも不注意で脱走される)

なお、ジュバレーンはネズミが嫌い。絶対にニーナに知られるものかと心に決めている。


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