ゴブリンとはじめてのスープ (3/3)
日の出の森に響く朝告鳥の呼び声が、ゴブリンの目をも覚まさせた。いつの間にか横たわっていた体を、ゆっくり起こす。すると肩から厚手の布がずりおちた。人間族のマントだろう。
具合は少し良くなっていた。倒れた時のことを思えば、体は軽いし、寒気もほとんど引いている。集落までなんとか歩いて帰れそうだ。
きょろきょろと周りを見回す。人間たちのうち、三人はてんで勝手な体勢でまどろんでいた。唯一、怖い顔をした女の人間が、ゴブリンの背後で、何も無い空間に向かって剣をぶんぶん振っている。こちらが起きていることには気づいていないらしい。
今のうちにこっそり帰ってしまおうか。そう思って立ち上がった。けれど。諦めきれないのが。
「火……少しもらえないかな」
夜よりだいぶ縮んでしまったが、黒い炭のうえではまだ炎が灯っている。人間たちがこれをどうする気か知らないけれど、彼らには簡単に作り出せるもののはず。だったら、もらって帰っても怒りやしまい。
昨日、あれを持ち運んでいた姿に習って。ゴブリンは手近に見つけた太い枝を手に、先を火の中に突っ込んだ。
入れてすぐに上げる。しかし枝には火がつかない。おかしいなと思ってもう一度。 だけどやっぱり燃えてこない。
「……やっぱり、魔法の力とかがいるのかなあ」
しょんぼりと肩を落とす。これがあれば、みんなが助かるのに。希望を前にして背を向けなければいけないのは、あまりにも悲しい。
すると、ゴブリンが持っていた枝が取り上げられた。あっと思って見上げると、そこにはさっきまで剣を振っていた人が。
彼女は隣にしゃがみこんだ。そして先程までゴブリンがしていたように、枝を火の中に突っ込む。そのまましばらく待って、それから枝を軽く上げた。
枝の先端が燃えていた。ゴブリンは驚嘆を示した。なるほど、そうか、すぐには火がつかないのだと。はっと隣をみると、人間族の女も軽く笑んでこちらを見ていた。まるで、後進に教えを与えるよう。
それから女は枝を地面に置くと、また剣の素振りに戻っていった。
ゴブリンは燃える枝を自分の手でとった。掲げて振っても、オレンジの火が消えてしまうことはない。
「やった、やった!」
これで集落に持って帰れる。ゴブリンは感動で一杯だった。
――早くみんなのところへ行って、病気を治さなきゃ。
急げ、急げ。胸を埋め尽くす思いのままに、ゴブリンは走り出した。収穫物の入ったかごも、もういい。あれは人間たちへのお礼として置いていこう。とにかく急げ、急いでサムイ病の特効薬を届けるんだ。みんな喜んでくれるから。
ゴブリンは本能として火が怖い。それでも、皆を説得する自信はあった。サムイ病による集落の滅亡を回避できるなら、どんなものにでも縋りたい。気持ちは自分と同じはず。
――こうして小さな火を持っているだけでも、手の周りが温かくて、寒さなんてへっちゃらに感じられるもの。わかってくれるさ。ゴブリンはにっと顔をほころばせた。
だが、同時に気づいた。何もしていないのに、暖かさが増している。いっそ熱いくらいだ。
おかしいと思って、ゴブリンは掲げる枝を見上げた。
「みっ、短くなってる!?」
枝を食べて進んできた炎は、もう握り拳一つ分ほどのところまで迫っていた。
火は森のすべてを燃やし、無にしてしまう。だから恐ろしい、忌むべきものだ。若いゴブリンもきちんと知っていた。知っていたのだが、希望の光に目をくらませて、見えなくなっていたのである。
ゴブリンの背中に寒いものが走った。焼失、死。一瞬にしてパニックに。
このゴブリンはまだ青い。慌てふためくべき状況でも、行動は冷静なままに行う、そのための胆力が足りていなかった。混乱した胸のうちは、動きにそのまま反映される。
火が怖くなったゴブリンは、枝を地面に投げ捨てたのだった。
焼けかけていた手をさすって、息を整える。とりあえず手は無事だ、ひりひりとするが、指一本もなくなってはいない。
そして地面に転がる枝。それを見て、ゴブリンはようやく軽率な行動を悔やんだ。
炎が横に広がっている。枯葉を飲み少しずつ。
ひっと息を飲み、その場に腰を抜かす。どうしよう、どうしよう。思うだけでなにもできない。
その代わり、背後から大きな騒ぎ声が聞こえた。
誰かが走ってくる。振り向けば、人間たちだ。全員いつの間にか目を覚ましていて、そろって全速力でこちらにやってきた。
四人で火の元を取り囲み、周りの枯葉をちらしたり、脱いだマントで叩いたり。ゴブリンが唖然と見守っている中で、しばらくそれが続いた。
やがて。彼らは同時に動きを止めると、安堵したようにへたり込んだ。
その向こうには、もう火は無かった。後に残ったのは、お互いに困ったような顔を見合わせている人間とゴブリンのみ。
森の住民が知らぬところで小火が上がってからしばらく。ゴブリンの集落の入り口に、四人の人間族が立っていた。先頭に居た男の背には、若ゴブリンがしがみついている。
あの後、昨夜と同じように背負われたのだ。そしてやはり、どこへと聞かれているふうだった。
だからゴブリンは素直に集落への道を案内した。結局自分に火を持ち帰ることは無理であった。しかし人間なら、集落でも火を起こすことができるはず。家族の病状を見せれば、昨日助けてくれたみたいにしてくれるはず。それなら言葉が通じなくたって伝わるはず。そんな腹づもりだった。
ゴブリンの姿が見えたとたん、集落の見張りに立っていた戦士ゴブリン二人が駆け寄ってきた。
手には獣の骨でできた槍。構えながら見せる顔はひどく困惑している。無理はないだろう。恐ろしい人間族と仲間のゴブリンが一緒に居るのだから。
「お、おい。はやく逃げろ! こいつらは、オレたちが追い払ってやる」
「違うんだ。この人たちは、オイラのことを助けてくれたんだ。サムイ病を治してくれたんだ」
「なんだって!?」
「だから集落へ入れてあげて。火を使えば、みんなのサムイ病も治るから」
「火! 火はだめだ。あんな恐ろしいもの!」
「おまえは若いから騙されているんだ、集落の真ん中で火なんかつけられてみろ、我々は全滅だ!」
「でも。このまま何もしなかったら、サムイ病でみんな死んじゃうかもしれない。そんなの嫌じゃないか」
戦士たちが黙り込んだ。家族が病で苦しんでいるのは彼らも同じ、自分も病になるかもしれないのも同じ。救いの可能性と火への恐怖とを天秤にかけ迷う。
だったら長を説得しろ。戦士ゴブリンの出した答えはそれであった。わかった、と若いゴブリンは目をキラキラさせて長の住居まで走って行った。
老年の長ゴブリンは、若者の物語を一から静かに聞いてくれた。若ゴブリンが見た火の力と怖さ。そして温かさ。力説されたそれを飲み込み、思考を巡らせる。
そして下した判断は「このまま滅ぶくらいなら、やってみよう」とのことだった。長自ら外に出て、人間たちを招き入れ、集落の中央広場へと案内した。
人間族との間で言葉は通じない。しかし、これまでの行動から、ゴブリンが何を期待しているのかは理解に及んでいた。彼らはさっそく、火を起こし始める。
散々世話を焼いてくれた丸顔の男が地面に座り、乾いた木の皮の上に、これまたよく乾いた草をくしゃくしゃにして並べ、さらに荷物から持ち出した枝を立てた。その枝には、全長の半分ほどまで割れ目が入れてある。最後に自前の弓の弦を差し込んで、弓を持つ手を激しく前後させた。
枝が勢いよく木皮にこすれる。すると、徐々に煙が上がり始めた。そしてすぐ後、枯草に火がついた。
見ていたゴブリンたちが一斉に悲鳴を上げる。何人かは家に逃げ帰り、何人かは武器を構えて人間に警戒を向ける。しかし、長がとりなしの声を響かせ、静かにさせた。火を起こした男が、汗を流しながら優しく笑んでいたのも、敵意を解くのに一役買った。
小さな火に向かって、残りの三人が集めてきた枯葉や枯れ枝をくべていく。そのうち火はあっという間に大きくなり、立派な焚火となった。ちょうどゴブリンの体と同じ大きさで、周りに強い熱気を放っている。
「なんだ……暖かいぞ……」
「みんな近寄ってみろ、すごいぞこれは」
「歩ける者は出て来いって呼びかけて回れ。暗い家の中に居るより、こっちの方がいい」
火に対する恐怖より感動が勝って、ゴブリンたちが焚火に集まり始めた。寒さに震える者たちも、次々家から出てくる。
大成功だ。人間を導いてきたゴブリンは満面の笑みを浮かべた。
ただ、人間族たちはまだ手を止める風では無かった。荷物から、大きく重そうな器を取り出す。これは昨夜見た覚えがあった。
「スープ!」
ゴブリンがはしゃぎ声を上げると、人間たちはびっくりしたような顔をした。しかし、すぐに肯定の色を見せた。
――だったら水が要るんじゃないか。そう思ったのは、スープを知っていたから。
「ねえ、みんな。水を汲んでこよう。人間族がすごい食べ物を作ってくれるって!」
そう声をかけ、自分が率先して走り出した。不思議そうにしていた他のゴブリンたちも、一人二人と後に続いて動いた。
ゴブリンたちが集めた水が鍋いっぱいに張られた。
そこに入れる具材は。すると、優しそうな方の女が、ゴブリンのカゴを見せた。昨日集めた食糧と薬草がそのまま詰まっている。これを使ってもいいか、そう聞かれている気がしたから、もちろんだと頷いた。
彼女と丸顔の男とで、慣れた手つきで食材をとりわけていく。マキマキ豆とシャキシャキ菜、それに薬草。使うのはそれだけのようだ。全部まとめて鍋の中に入れられる。
仕込みの終わった鍋を、組木を利用して火の上に吊るす。そしてしばらく待つことに。
やがて、スープがぽこぽこと泡を立て始めた。見たことのない水の変化に、ゴブリンたちがどよめく。
丸顔の男が真剣な顔で味見をした。なにかが足りない。そんな表情を見せて、自分の荷物から小さな袋を取り出した。中に入っているのはきらきらの白い砂。それを一つまみ鍋の中に足した。
よく混ぜて、もう一度味見をして。そして丸顔の男は満面の笑みを浮かべた。
昨夜と同じように木の器によそい、スプーンを付ける。それが、人間の手づから長ゴブリンに渡された。
「なんと……温かい」
長は目を見張って、いそいそとスプーンでスープをすくい、口に入れた。一瞬顔をしかめたのは、熱さのせいだろう。しかし続いた言葉は。
「皆のもの、すぐに食器を持って来なさい。そして火のところに来られない者たちに、優先して飲ませるのだ。これは、本当にサムイ病を治してくれるかもしれん」
長の言葉を聞いた取り巻きたちが、慌ててスープを試食する。そして次々とった反応は、昨夜のゴブリンと似たようなもの。温かい、おいしい、と。
そして、先駆者となった若ゴブリンはといえば、すでに自分の家に走りきていた。一番大きな木の器を掴んで、取って返しで広場に戻る。スープをよそってもらったら、またかけあし。ただし、今度はこぼさないように。
寝床では、父母と弟妹とが身を寄せて、サムイ病に耐え忍んでいた。
「あぁ、おまえ、よかった。帰って来ないから、心配していたんだ……」
「オイラは平気だよ。それより、早くこれを食べて」
「なんだこれは」
「スープだよ」
「スープ?」
「人間族が火の力でつくってくれた、サムイ病を治す食べ物だよ。寒さが吹き飛ぶから、さあ、早く食べて!」
「ヒュ、ヒュムに火だって!? どういうことなんだ」
「後で話すから、早く食べてみて」
父はなお怪訝な顔をしていたが、息子があまり急かすものだから、ひとまずスープに手をつけた。スプーンですくって、恐る恐る。
ぱっと顔色が変わる。まずは自分で二口目、三口目と続けてすすってから、家族の口にもそっと入れてやる。かなり弱っていた母ゴブリンの顔にも、にわかに活力が戻った。
「ああ、温かいねえ。おまえたちも、父さんにもらいなさい」
「もらったよ。あたたかいよ。おいしいよ、おかあちゃん」
「おとうさん、もっとちょうだい。お団子より、こっちがいい」
四人で一つのスープを分け合って、あっという間に器が空になった。それに反比例するように、活気が沸いてきている。兄ゴブリンは半泣きになって、家族のことを見守っていた。
もう一杯もらおう。そう思って広場に戻る。周りを見れば、他のゴブリンたちもスープの器を持って走り回っている。焚火の傍には、木綿にくるまったゴブリンがたくさん。隣のものと談笑しているあたり、心身が少し楽になったのだろう。
集落全体に明るさが戻ってきていた。きっともう大丈夫。誰もが確信していた。
ゴブリンが人間族の出立を見送って、すでに十の昼夜が過ぎた。その間、集落の中に火が絶やされることはなかった。その裏で、サムイ病の影は集落から消えさった。みなの元気は病が流行る前と同じに、いや、それ以上になっていた。
運命を変えたゴブリンは、快気した父と一緒に、意気揚々と狩りに出ていた。今日も遠出だが、もうびくびくすることはなかった。
「しかしまあ、おまえが救世主になるとはなあ」
「オイラじゃないよ。人間族のおかげだよ」
「だが彼らを連れて来たのはおまえだ。誇らしいぞ」
褒められて、若いゴブリンは照れくさく笑った。
「けれど、おまえは一つミスをした」
「えっ、なに!? 竜の鱗のことは、長が許可してくれたし……」
「スープだ。あれはあまりにおいしすぎる。うちの母さんも、他の家の者も、みんなスープづくりにはまってしまった。……たまには、前みたいなシャキシャキした食事もしたいぞ」
父の拗ねたような言い草に、息子は思わず吹き出した。
そう。人間族がしていたことの見よう見まねで、みなスープを作り始めたのだ。あらゆるものを煮込んで、毎日おいしいスープの研究に精を出す。広場のたき火一つでは足りないし、使いづらいからと、あちこちに炊事場も新しく作られていた。
火というものの力、そしてはじめてのスープに対する目新しさもあるだろう。しかし、特に女ゴブリンたちの熱狂っぷりは尋常でない。父ゴブリンが皮肉めかして言った。
「あれは新しい病気だ。スープ熱、だな」
「でも、サムイ病とは違って、楽しいからいい病気だね」
「まあな」
父子ゴブリンの笑い声が森の中に軽やかに響き渡った。
(ゴブリンとはじめてのスープ 了)
Notes
【シャキシャキ菜】
アイテム分類:食べ物/調理素材 売却価格:10G
厚い葉っぱで食べごたえのある野菜。青くさいので好みがわかれる。
使用で満腹度+5%。「森のサラダ」「とろとろ野菜スープ」などの調理素材になる。
収穫から10日が経過すると「腐った野菜」に変化する。
【竜の鱗】
アイテム分類:その他道具 売却価格:売却不可
ゴブリンに伝わってきた宝。昔むかし翡翠色のドラゴンが南下した時に落としていった。
流れるドラゴンの魔力が毒をはじく。
戦闘中に使えば、毒の状態異常を防ぐことができる。
上級薬師が薬材料「翡翠竜の粉」を精製可能。(制限10回)
上級鍛冶師が「ドラゴンの盾」に加工可能(このアイテムは失われる)




