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ゴブリンとはじめてのスープ (1/3)

 うっそうと茂る森の中、ゴブリンたちの集落には重い空気が漂っていた。普段ならば木製の小さな家々の間では、男たちが狩りの成果を見せあったり、子どもたちがリスを追っかけて遊んでいたりするものだが、そうした姿も一切ない。


 病が流行っているのである。大人も子どもも小さな体をがたがた震わせて、「寒い寒い」と苦しむ声を上げることから「サムイ病」とゴブリンたちは呼んでいる。軽い症状ならば、木綿の布団にくるまって、こまめに水を飲み、マキマキ豆と薬草を練った団子を食べていれば、数日のうちに快癒する。しかし症状が重いと、ものを口にすることもできずに衰弱し、やがて死んでしまうのだ。


 この木のうろを利用して作った一軒家の中でも、二人の幼子とその母親とがサムイ病で苦しんでいた。年長の兄ゴブリンが一人で家族を看病している。寒い寒いと泣く子を必死であやし、弱って体を起こすこともできない母に水を飲ませ、片手間にすり鉢を抱えて水でふやかしたマキマキ豆をすりつぶし。額に汗をにじませて、看病疲れも否めない。それでも家族のために頑張っていた。自分の食事もろくにとらないままに。


 そして日が暮れる少し手前になった頃、狩りに出かけていた父ゴブリンが戻って来た。手にあるのはわずかばかりの薬草とマキマキ豆。家族三人で一日分、それだけだ。父も緑の顔を苦く歪めている。


「まずい。非常にまずい。近くの薬はほとんど取りつくしてしまったぞ」

「みんなサムイ病だから、遠くまで狩りに行くこともできないもんね……」


 兄ゴブリンは悔しげに唇を噛んだ。森には危険な魔獣もたくさんいる。それに他のゴブリンの集落もある。互いに縄張り意識を持っているから、向こうの領域に踏み込んで狩りをするのはご法度なのだ。相手の戦士たちに見つかれば、最悪殺されてしまう。


 かと言って薬が尽きれば、集落のゴブリンは全滅してしまうだろう。このままではそう遠くない内に。日々、事態は深刻になっているのだ。父と兄、男二人で小さな背を曲げ、重い溜息を吐いた。


 おまけに、さらに悪いことが判明してしまった、と父が嘆いた。


人間族ヒュムが近くに来ているんだ。マガリネたちが声を聞いたらしい。それに、火をつけた跡もあった」

「火……!」

「ああ、火だ。最悪だ。今のこの状況で村を襲ってきたらひとたまりも無い。我ら戦士の多くもサムイ病で倒れている、あっという間に火に食われてしまうぞ……!」


 ゴブリンの親子は恐怖に震えた。ただし、ゴブリンが火を恐れるのは、この二人に限ったことではない。


 ゴブリンたちは火を使わない。というのも、ゴブリンは妖精の一種として生まれた種族だからである。妖精とは自然が具象化したもの、ゴブリンの場合は森そのものだ。青々と木の葉が茂り、数多の生き物が根付く大地、そこでは火とは魔法などの異常な力でもたらされるものである。不自然、なおかつ森の弱点、自分たちを焼き付くすとても邪悪なもの。ゴブリンたちはそう本能で捉えているのである。


 だから、彼らにとっての灯りは太陽と月がすべてである。夜の帳がおりつつあるうろの中は、ゴブリン父子の心以上に暗くなっていく。


 母子はサムイ病にうなされながら、眠りについていた。それを見た男たちも、干からびかけた紫リンゴをかじって不安と空腹をごまかすと、それから浅い眠りについのだった。



 翌朝。朝告鳥あさつげどりの声に、兄ゴブリンは夢から覚めた。今やはっきりと映像は浮かんでこないが、とても温かくて心地の良い世界だったのは確か。ぼおっとした頭で、余韻を楽しんでいた。


 しかし。


「……寒い、寒い。うぅう……ああ……畜生、寒い」


 そんな父の声に、全身の血が凍りついた。がちがちと歯を鳴らす音まで聞こえてくる。


 ――父さんまで、なんてことだ! 家族みな病魔に伏す惨状、兄ゴブリンはしわしわの手で顔を覆って弱気に泣いた。


「……泣くなぁ。男だろう」

「でも、父さんまで倒れたら。もう、薬もほとんどないんだ。母さんも、弟も妹も、まだ治ってないのに」

「泣いてないで、おまえが狩りに行ってこい。ああ……寒いが、まだ体は動くから。母さんたちのことは、父さんが見ておくから。頼むぞ」


 父はしょぼしょぼとした眼に弱った笑みを浮かべた。そんな顔で見られてしまったら……。兄ゴブリンは涙をごしごしと腕で拭って、ぎゅっと拳を握ると、父の期待に応えるように立ち上がったのだった。



 静かに冷える森の中を、つるを編んだカゴを背負った若いゴブリン一人で歩く。イレギュラーなことである。ゴブリン族はさほど強い存在ではないから、森に潜む獰猛な魔獣や、山の向こうから時々やって来る野蛮な人間族ヒュムを警戒し、常に複数名で組んで狩りをしているのだ。


 この兄ゴブリンも、狩り自体に出たことはあるが、それは常に父や他の戦士ゴブリンの背を追ってのこと。自分で狩場を探したことはない。どんな環境にどんな草木があるとか、どんな危険があってどんな対処をすればいいとか、知識も半人前である。


 しかし、強引な独り立ちを避けられない状況だ。父だけでなく、集落の他の大人ゴブリンたちにもサムイ病が広まっている。動ける残り少ないゴブリンで、集落を維持するための食糧と薬草を集めなければいけない。そうなると、一か所に固まるより、危険をおかしてでも散った方が効率的だ。


 なんとなく心細さを感じながら、兄ゴブリンはひとまず集落の近くを回った。先輩たちと歩いた記憶を頼りに、木の実や薬草が生える場所を渡り歩く。


 しかし、ちっとも収穫はない。昨日父が嘆いていたとおり、近隣は狩りつくしてしまったということらしい。


 しょうがない。ゴブリンは勇気を出し、遠出をすることにした。一人で集落から離れて、何かあったらどうしよう。魔獣に出会ってしまったら。近くに来ているらしい人間族ヒュムに鉢合わせてしまったら。単に風でざわざわと鳴る木の葉すら、一人だと途端に不気味なものに聞こえる。


「しょうがないよ。みんな病気なんだ。オイラがみんなの分も薬草を集めないと。だから、行かないと」


 自分に強く言い聞かせて足を進める。そろりそろりとおっかなびっくり。頭上の枝から枝へ飛び移るリスの影にも怯えながら。帰り道がわかるように、石のナイフで立ち木の皮に目印をつけることも忘れない。


 そうして集落から遠ざかっていく。すると、徐々に薬草や木の実が見つかるようになってきた。木にぶら下がる紫リンゴを揺らして落とす。大樹の陰にごろごろ転がっているコチコチナッツを拾い集める。


 木が倒れて日当たりが良くなっている広場には、甘くて肉厚のシャキシャキ菜の大株があった他、サムイ病に特に効く薬草がたくさん繁っていたものだから、ゴブリンはひとり跳ね踊って喜んだのだった。


 気が付けば、背負ったカゴは満杯になっていた。ずっしりとした重みが背中にのしかかるが、軽い心ではまったく苦にならない。それに随分集落より離れてしまったが、今ではまったくびくびくとはしていない。狩りは大成功だった。


「よし! これなら、父さんにも胸を張ってみせられる!」


 兄ゴブリンは笑顔で帰路を走り始めた。急いで帰って、一刻も早く家族に元気を届けたい、と。


 ところが。彼の速度は、道のりの半分も行かない内にカタツムリのごとくのろまになっていた。ふらふらと足取りは乱れるし、ぜえぜえと息は切れている。目には感情とは違うものからくる涙が浮かび、そして、虚ろであった。


 なぜだろう。頭が揺れる。体にうまく力が入らない。それに。


「……寒い」


 そうやって口に出してしまったのが最後だった。体がぶるぶる、歯がかちかち。歩くというより、もうわけもわからず足を前に出しているような状況。


 いけない、このままではまずい。ぼんやりする頭で危機感を募らせて、ゴブリンは必死であたりを見渡した。誰か助けてくれる仲間が居ないかと。


 しかし集落から離れているここでは、同じゴブリンの影など見当たらなくて当然だ。


 ――どうしよう、寒い、どうしよう。全身から吹き出す汗もそのままに、ゴブリンはただただ焦っていた。


 そんな時にうろのある木を見つけた。ゴブリン家族が住めるような大きさではないけれど、一ゴブリンがねぐらにするにはぴったりの。


 たまらずそこに転がり込んだ。背負ったかごから腕を抜いて、横たわって丸くなる。もう立っているのも限界だったのだ。


 ――ああ、沢の音が聞こえる。水、飲みたいなあ。


 ぼんやりそんなことを思って、そしてそのままゴブリンは意識を失った。



「……うぅ、ん」


 口からあいまいな言葉を漏らして、ゴブリンはふつと目を覚ました。気が付くきっかけになったのは、なにかはっきりしないが、大きな音であった。ただ、流れる水の音などではない。


 うろの中は真っ暗だ。眠ったときよりも、ずっと。どうやら日が暮れてしまったらしい。


 頭はまだ重いし、嫌な寒さが身を震わせる。それでも彼は音の正体を突き止めようと、ゆっくりと体を起こして耳をそばだてた。


 話し声が聞こえる。うろの近く。複数いる。でも、何を言っているのかわからない。ゴブリンの言葉ではないから。それに、普段の森で聞いたことの無い、知らない生き物の声だ。


人間族ヒュムが近くに来ているんだ』


 父の言葉を思い出し、心臓がどきんと鳴った。今聞いているのが、人間族ヒュムの騒ぎ声だ!


 このゴブリンはまだ若く、人間族ヒュムの実物を見たことがなかった。ゴブリンの先輩たちから伝え聞く話によって、とても大きくてとても強くてとても賢い、二つ足で地面を歩く毛無しの猿みたいなものと考えている。


 ただでさえ病気で震える体に、恐怖までがトッピングされる。ゴブリンは平常心をすっかり欠いていた。


 恐怖が一周回って、考えてしまったのだ。人間族ヒュムとやらを見てみたい、などと。


 ゴブリンははいずるようにしてうろから首だけをだした。そして、顔を上げて、右見て、左見て。


 その瞬間、目に光が刺さった。橙色でゆらゆら揺れる大きな光が。太陽ほどのまぶしさではない、それでも、闇に慣れた瞳には強烈すぎた。ぐわっ、と目を覆う。


 それに加えて、本能が危機を知っていた。あの光が何なのか、叫んだ。


「火だ、火だぁっ!」


 怯え戸惑いひたすら叫ぶ。


 その時、また人間族ヒュムの大声が耳を打った。


 ゴブリンは我に返って口を手で覆った。しまった、そう思ったがあとの祭り。気づかれてしまったのは明らかだ。


 慌ててうろの中に体を引っ込め、かごの隣で小さくうずくまった。両手で口を塞いで、目からは恐怖の涙を流して。来ちゃ嫌だ、来るな、来ないでください、そう心の中で祈り続けていた。


 だが祈りむなしく。うろの口に猿の頭によく似た人間族ヒュムのシルエットが覗いた。しかも二つ。ご丁寧に、奥に居るやつは火の燃え盛る太い棒を掲げている。


 奇異な光に照らし出され、ゴブリンは身を縮めてがたがた震えていた。



Notes

【ゴブリン】

地球上では諸説あるが、この世界では妖精と人との中間にあるような存在である。

大陸北部、アザヘイム地域の森林に暮らす原住民。緑褐色~褐色で皺の多い肌をしている。

背丈は大人でも人間の子どもくらい。力もさほど強くない。無駄な争いも好まない。

ところが、人間目線だと醜い異形じみた容貌であること、言葉も通じないことから、冒険者たちからは魔物の一種として扱われ追い回される不遇の種族。


【マキマキ豆】

細く長い鞘がうず巻き状になるのが特徴である豆の仲間。粒は小さいが、たくさん入っている。

宵入よいいりの森と呼ばれる場所では普遍的に見られ、ゴブリンたちの主食でもある。

人間も食べられるが、ゴブリンの真似をして豆を生で食べてはいけない。

豆すべてにおいて、生食は中毒のもとになる。人間は火を使えるのだから、十分に加熱していただこう。

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