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オーストッドの名物スープ

 オーストッドは、影の山脈を越える冒険者たちにとって、最後の町であった。山の向こうは魔物がはびこる未開の地、ここで武器防具に薬草道具、時には旅の仲間など、すべての準備を完璧にして、冒険へと繰り出すのが慣習となっている。


 そしてもう一つ、冒険者たちが必ず求める、オーストッド名物があった。


 それは、スープ。北門近くの古びた食堂で出される、特別な名も無いただのスープだ。しかしそれこそ、冒険者の間で至高のスープと語られる逸品なのである。



「悪いねおかみさん、閉店間際に」

「構わないさ。スープが残っていたから、きっとまだ誰かくると思っていたさ」

「ちょうど三人分?」

「ああ。ちょいと色つけてね」


 お客にウインクを向けてから、食堂のふっくらとしたおかみさんは、スープの鍋を火に乗せた。この時間まで残っているのは珍しい。だがそういう時は、今日のように、先を急ぐ冒険者が駆け込んでくるものなのである。子供の頃からずっと見てきて、よくわかっていた。


 息を弾ませてテーブルにつくのは三人の若い冒険者。まだ幼さ残る青年に、明るくはつらつとした娘、その二人より歳上の精悍な男の三人組だ。待つ間にも楽し気に談笑していた。



 スープが熱々になるのを待っている。その間に、おかみさんはエールを出した。明日の日の出と一緒に旅立たなければいけないのに、酒が体に残るといけないから、一口だけでいい。そう言われたから、木のコップに半分ほどだけ注いである。不思議なことだが、食堂にくる冒険者たちには「飲まない」という選択肢はない。


 ことことと温まるスープを混ぜる。熱々になるには、もう少し時間がかかりそうだ。その間に、おかみさんはパンを用意する。


 平たい四角のパンに、スライスした塩漬け肉を乗せて、オーブンの中に入れる。軽く炙れば肉の脂が溶けだして、うまみと一緒にパンに染み込んでいく。熱気に混ざりいい香りが昇ってきて、おかみさんは思わず口元をほころばせた。


 こげ目がうっすらついたら取り出して、オニオンスライスを散らして完成だ。生のオニオンは少し辛いが、そこがいい。エールとの相性もばっちりから、時にはお客にはオニオンスライスだけ求められることすらある。オニオンはスープにも欠かせないから、この食堂の食糧庫には、いつもオニオンの茶色い山がある。


 仕上がったパンが大皿に乗った頃にはスープも熱々になっていた。もうもうと白い湯気を立てるスープを、おかみさんは木のボウルにすくいとる。三つに均等に、具材の野菜もバランスよく。今の時季はオニオンとカブとルートッドーー芋の仲間で、ほくほくした食感が特徴的だ――を、おおぶりに切ってあるから、一日経ってもまだ形が残っている。煮溶けてしまってもおいしいけど、やっぱり具がごろごろ入っていた方がいい。おかみさんはそう思っていた。


「はい、お待たせ! スープとオニオンのパンね」

「わあっ、おいしそう!」

「オレもうお腹ぺこぺこだぜ。いただきますっ!」


 青年が木のスプーンを握り、スープにがっつく。大きく口を開き、すくったカブを一口でぱくりと。


「あっつぅ! あつっ! はふっ!」

「そりゃそうだ、バカかおまえは」

「もう、今日くらいゆっくり食べなよ。明日からはこんなちゃんとした風に食べれないんだからね」


 娘が口をとがらせる通り、冒険者にとってテーブルについて食事をするのは貴重なことだ。それどころか、手の込んだ料理を食べられるかすら危うい。未開の地へ分け入っていくから当然だ。食材は現地調達、あるいは持ち歩く保存食に限られるし、煮炊きをする場所や道具も限られる。場合によっては、飲まず食わずで洞窟の中をさまよい続ける羽目になることも。


 本当にそうだよ、とおかみさんも娘を擁護した。この食堂にも、影の山脈から飢えて逃げ帰って来た冒険者が転がり込むことがままあるから、冒険者の食事情が厳しいことはよく知っていた。


「勢い十分なのはいいことだけどね。落ち着ける時間は大事にしなきゃいけないよ。おいしいもの食べて、楽しくおしゃべりして、ゆっくり休んで。冒険に出かける前は、そのほうがいいだろう」

「……あーい、そうします。おかみさん、水ください」

「はいよ」

  

 舌を出してひいひい言っている青年に苦笑いしてから、おかみさんは飲み水を取りに厨房へ戻った。この食堂の厨房は、カウンター越しに客席を見通せるつくりだ。だから、御客らが舌鼓を打つのが聞こえてくる。


 ふうふうと息を吹きかける音、かちゃかちゃと食器が鳴る音、もぐもぐとパンを食べる音、そして、うまいうまいと漏らす声。


「うーん、噂通りって感じぃ!」

「今まで食べた中で一番だ」

「おかみさーん、なんでここのスープはこんなにうまいんだ?」


 夜も深まる食堂に、明るい声が響き渡る。そして、食卓にコップを置いてから、おかみさんも太陽のように笑った。


「そりゃあ、わたしの愛が一杯詰まっているからさね」

「へえー。おかみさん、なんだかお母さんみたい」

「そうだよ、わたしはみんなのお母さんさ。ほーら、抱っこして欲しい子はおいでなさい」


 胸を張って手を広げ冗談めかすように言うと、冒険者たちはどっと笑った。



「急いでいるところへ言うのも変だけど、ゆっくりしていきなさいね」


 それだけ言って、おかみさんはスープの仕込みに入った。この客らが来る前に材料の下ごしらえは終わらせてあるから、後は煮込むだけ。深い大鍋を火にかけて、少しばかりの油をしいて熱する。


 皮を剥いて四つに割ったオニオンとカブを鍋に入れ、木べらで混ぜながら炒める。火は小さく、じっくりと時間をかけ炒め、野菜の味を凝集させていく。焦がさないように気を付けながら。


 先に入れた二つがしんなりしたところで、同じ大きさに切ったルートッドも加えた。後にしたのは焦げ付きやすいから。おかみさんと夫の通称「おやじさん」――今晩は酒場へ、商人らとエールを煽りに行っている――が食堂を継いだばかりの頃には、よく焦げ付かせて、野菜を台無しにしたものである。


 じっくりとゆっくりと、ここは焦っちゃダメ、ここで慌てちゃダメ。おかみさんはそんな風に心の中で唄いながら、丁寧に丁寧に野菜を炒めた。


「……よし!」


 毎日スープに向き合って養われたカンで、おかみさんは木べらを上げた。


 ふと後ろを見ると、青年と娘とが興味津々な表情で厨房を覗きこんでいた。もう一人の男が「失礼だからやめろよ」などと声をかけているが、聞く耳持たずといった風である。


 おかみさんの方も別に見られていたって平気だ。先代からは秘伝のレシピとは言われているが、そんなに大それたものでもないと思っている。


 わくわくとした観客の熱視線にあてられながら、おかみさんは厨房の隅に置いてあった、一回り小さい鍋を抱えた。中にはうっすら黄色を帯びつつ透き通っている液体がたっぷり入っている。


 それを見て、二人がどよめいた。


「それ、スープじゃん!」

「明日の分、もう出来てるんですか?」

「いいや、まだまだこれから煮込むんだよ。これは昼間に旦那が作ったベースさ」

「ベースって……どういうこと?」

「こっちはククヘンの足をハーブと一緒に煮込んだやつだ。うま味がたっぷり溶け込んでいるんだよ」

「えぇー? どうせ同じスープになるなら、野菜と一緒に煮ちゃえばいいのに」

「そこが大事なんだよ。ククヘンの足は、肉の部分よりずっとアクが多いし、具にして食べるものでも無いからね。別にしたほうが、スープがおいしくなるのさ」


 得意気に語りながら、おかみさんは鶏のダシで取ったベースを、炒めた野菜の上に注ぎ込んだ。それから鍋いっぱいまで水を足して、塩も一握り振りいれたら、あとは煮込んでいくのみ。


 火にかかったスープが沸き立ってくるまでに時間がかかる、当然目を離すことはできない。ことこと煮え始めてからも、アクをすくったり、噴きこぼれないよう火を調節したり、ずっと隣について居なければいけないのだ。まるで赤んぼうと同じである。


 アク取り用のレードルを握ったまま、おかみさんは「よっこらしょ」と椅子に座った。


「なあ、おかみさん、まさか朝までずっとこうやっているのか!?」

「まさかぁ! しばらく煮たら火を消すよ。さすがに寝ないと、わたしもやってられないさ」

「よく働いて、よく眠る、元気の基本ですね」

「その通りだよ」


 からからとおかみさんは笑った。


 実はスープも寝るとおいしくなる。火を消した後も残った熱で野菜は柔らかくなり、夜が更けて、さらに朝が近づくにつれ、全体の味も自然と整っていく。太陽が昇って、おなかを空かせた冒険者たちがやってくるころ、食堂の名物スープもようやく完全な姿になって、お客の心を満たす力を持つのだ。


「大変だなあ」


 青年があっけらかんと呟いた。隣では娘もしきりに首を縦に振っている。


「アタシ、一回だけ侯爵さまのお城の食事会に呼ばれたことがあるんだけど、こんなに手間のかかった風じゃなかったよ。おかみさんはすごいなあ」

「愛がたっぷりって、こういうことかっ! オレ、すっげー感動する!」

「おいしいわけだ。ありがとうございます、おかみさん」

「でも、どうしてここまでするの?」


 娘が元々丸い目をさらに丸く開けて小首を傾げた。おかみさんもにっこり笑って、冒険者たちを交互にみわたしながら言った。


「あんたたちみたいな無茶しいの冒険者に、ちゃんと生きて戻ってきてもらいたいからさ。『もう一度あのスープを食べるまで死ねるか!』って思って、はってでも帰ってきて欲しい。だから世界で一番おいしいスープを食べてもらおうって、爺ちゃんのころからずっとやってきたんだよ」


 影の山脈の向こうを目指してオーストッドを出発し、またこの町に戻ってくる人は少ない。冒険が楽しくて、あるいは山の向こうには楽園が広がっていたから、そんな風な理由なのかもしれないが、何にしても見送るばかりなのは寂しいものである。


 だからおかみさんは今日もスープを煮込む。冒険者たちの心の故郷になるために。スープを食べる人の笑顔を思えば、こまめなアク取りも苦ではない。


「でも、なんでスープなんですか? 他にも色々おいしいものできそうなのに」

「変にかしこまった料理より、気楽に食べられるでしょ? お腹が弱っていたり、疲れて食欲が無かったりしても、スープならそんなに負担にならないし。ついでに食材も無駄にならない。こんなにいい料理は他にないよ」


 温かい笑顔を浮かべて、おかみさんは胸を張った。


 心も体も温まり、栄養もたっぷり取れるスープは、老若男女、食べる人を選ばない。ありふれている料理だが、作り方しだいであらゆる味をつくりだせる。まるで虹のように、スープは無限の可能性を持っているのだ。


 ことことと煮えていくオーストッドの名物スープを、おかみさんは今日も慈愛のおももちで世話していく。その背中に、冒険者たちの声が届いた。


「よーし決めた! 俺、絶対またこのスープ食べに来るからな!」

「私もっ!」

「おかみさん、俺たちまた来るから、それまで元気でいてくれよ」


 まるで母親が待つ家に帰るように。その言葉が、おかみさんにとって何より嬉しかった。


(オーストッドの名物スープ 完)

Notes(作中の単語を適当に解説するコーナー)

【影の山脈】

大陸を横断する高き山々。北側は魔物が跋扈する混沌の地・アザヘイム。

登って越えるにしても、先人が掘った洞窟を進むにしても、半端な実力と準備では歯が立たない。

オーストッド近郊が一番高低差が少ないため、ここを越えるルートを取るのが普通。

もちろん普通で無い者は他所から登ってもよいし、登らなくてもよい。冒険者は常に自由である。


【ククヘン】

最も一般的に食用される鶏。飼育もされる。卵も利用する。

肉は食べ、骨は粉にして畑に撒き、むしった羽は衣類やクッションなどに。捨てるところなんてまるで無い。

せっかくなので利用できるものは全部利用しよう。仮に誰かが捨てても、誰かが拾う。世の中そんな風にできている。



【ルートッド】

遠い昔にアザヘイムから持ち帰られた根菜。根っこが丸く肥大する、いわゆる芋。

別の世界でジャガイモと呼ばれている物と酷似している。

ゆでてよし焼いてよし、保存性もよいし、麦や豆の代わりに主食にもなる、万能食材。

最初に定着した「オーストッド」と「根」を意味する言葉を重ねた名前がつけられ、大陸に広められた。

が、なぜか南部の土では上手く育たない。植えても腐って枯れてしまう。

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