SS.花嵐の橋
しゅんしゅんと音を立てるケトルを火から外し、スープ皿のインスタントコーンポタージュにそそぎ、軽くかき混ぜる。
妻が元気だった頃はこんなインスタントじゃなくてきちんとしたポタージュを作ってくれたが。
コーンポタージュとバターを塗った焼きたてのトースト、手でちぎっただけのサラダを載せたトレイを手に妻の部屋に向かう。
日当たりのいい妻の部屋。開け放たれた窓から吹き込む風がカーテンを躍らせ、ベッドに半身を起こした妻は髪を三つ編みにするのに一生懸命だった。
まるで少女のように。
「ごはんだよ。食べれるかい?」
「でも、学校に遅れてしまうわ」
「大丈夫。今日は学校はお休みだよ」
「そうだったかしら」
演技でもなんでもなく、妻は本当に自分が女学生であると思っている。
長年連れ添ってきた私のこともかかりつけの医者ぐらいにしか思っていない。
コーンポタージュを食べようとした彼女の手が止まる。
「うふふ。ねえ、見て」
「ん? ああ」
外から舞い込んできたのだろう。スプーンの上に桜の花びらが載っていた。
「今は桜の時期なのね。わたし、桜が好きなの。見に行きたいわ」
「そうか。じゃあ、食事が済んだら外に桜を見に行こうか」
近所の小川の川岸は桜が満開で、私は妻の車椅子を押しながら川に架かる小さな橋を渡っていた。
突然の強風で散り乱れた花びらが私たちの周りで舞い踊る。
昔。私たちがまだ学生の頃、この橋の上で同じように桜吹雪に見舞われたことがあった。
その時、セーラー服に三つ編みのお下げだった彼女は確か……。
「ねえ、知ってる? こんなふうに風で桜の花びらが散り乱れることを花嵐っていうのよ」
あの頃と同じ無邪気な笑顔。そんな彼女への気持ちは今も変わらない。
ああ。知ってるよ。ずっと昔、君が教えてくれたんだ。
Fin.