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人知れず、夜泣き。  作者: 中め
4/8

零れる。



「ねぇ、もう一緒にお弁当食べるのやめよう」


 昼休みの屋上で、木内が眉間に皺を寄せながら弁当を手渡してきた。


「なんで?」


 木内から弁当を受け取り、蓋を開けると、約束通りのえびフライWITHタルタルソースがいた。間違いのない黄金コンビ。


「橘くんって私のこと、狙ってるの?」


 困り顔で訪ねてくる木内は、何を勘違いしているのだろう。


 俺、腹減ってる時にくそつまんない話をする奴、超絶嫌いなんですけど。


「勘弁してよ」


 目の前に美味そうなえびさんがいると言うのに、木内など相手にしてられん。


 えびフライにタルタルを付けて、口の中へ。


 うーまーいー。今日の木内はウザイけど、料理は相変わらず天才。


「だよね。私も橘くんを狙ったことなんか1度もないし、結構失恋引きずるタイプだし」


 料理の腕は天才だけど、やっぱり何が言いたいのか分からない木内はウザイ。


 しかもその、【俺のことは眼中にない】的な言い方がムカつく。


 せっかくひとがえびフライの感動に浸ってるというのによー。


「だいたい、社内の人となんて付き合う勇気ないもん。振られた後、とても一緒には働けない。気まずいし、みんなに噂されるだろうし」

 

 木内の意味不明な話は続く。


 てか、何で振られる事を前提で話してるの? コイツ。


 そもそも何の話だよ。


「木内さん、弁当を一緒に食べないって話はどこに行ったの?」


 えびフライを頬張りながら、木内の話を元に戻す。


「噂になってるんだよ。私がお弁当で橘くんを釣ってるって」


 木内が不服そうに顔を顰めた。


 くだらん。くだらなすぎる。


「言わせておけばいいじゃん」


「何言ってんの⁉ 私がお弁当で釣ってるって事は、橘くんは【男に捨てられた年増の女のお弁当にまんまと釣られた男】って思われてるってことだよ⁉ 【レベル低い女に捕まったレベルの低い男】ってことなんだよ⁉」


 木内が、エビフライに至福の時を感じている俺の二の腕を揺すった。


 食い辛い。


 そして木内、自分に自信無さすぎ。自分下げすぎ。だから振られるんだ、コイツは。


「だからって、木内さんの弁当が食べれなくなるのは嫌なんですけど」


 やっと見つけた俺の楽しみが無くなるとか、絶対に無理。


「橘くんがお弁当食べてくれるのは嬉しいので、お弁当は作ります。ただ、一緒には食べない」


「それじゃあ、ダメ出し出来ないじゃん」


「しなくていいじゃん。どうしてもしたいなら、LINEですればいいじゃん」


 木内はどうしても陰口を叩かれるのが嫌らしい。


 でも、それじゃ、だめ。


 だって、木内と喋りたいから。


「俺は、木内さんが作った弁当を食いながら木内さんと喋るの、結構楽しいんだけど」


 何気なく言った言葉に、木内が少し顔を赤くした気がした。


「……私も楽しいですよ。何だかんだ、失恋の痛みを和らげるのって同性じゃダメなんですよね 橘くんといる時は、辛いことを忘れられるんですよ……」


 木内が、ちょっと照れた様にモジモジした。


 何言っちゃってんの? 木内。 


「何、俺に抱かれた女みたいなことを言ってるの? 【忘れさせてくれてアリガトウ】的な。きっしょ。壮絶に気色悪い」


「はぁ⁉ ばかじゃないの⁉ どうしたらそんな発想になるの⁉ お前だよ、きっしょいの‼ ゲロ出る」


 木内が更に顔を赤くしてキレた。まぁ、俺の言い方が悪かったんだけど。


 つか、木内にお前呼ばわり。そしてゲロ。


「あのさ、俺今お食事中。木内さん、育ちが悪過ぎない?」


 仮にも女だろうが。仮にも。男に振られたけど、一応、女だろうがよ。もうちょい、おしとやかな言葉を使えっつーの。


「だから嫌なんだよ、お金持ちのお坊ちゃんは。無駄に繊細で」


 木内が、悪態をつきながらそっぽを向いた。


 そういう問題じゃないだろ、木内。 


 マナーの問題だろうがよ。


 料理が上手くても、地がこれだから振られたんだ、木内は。


 まぁ、気取ってなくて好きだけど。


「どうでもいいけど、明日の引越しは何時にアパートに行けばいい?」


 そう、明日は木内の引越しの日。


 俺と木内の休みが被った日。


 木内の作りたての手料理が食える日。


「頼んだ家電と家具はお昼過ぎに届く予定だから、その前にお皿とかを買いに行こうと思うので……10時くらい? 起きられる? あ、でも買い物は1人で出来るから、橘くんは午後からでいいよ」


 木内はそう言うが……それじゃあダメだ。だって、


「オイ。昼メシ作ってくれるんじゃなかったのかよ」


 木内の手料理目当てなのに、食わせてもらえないじゃん。


「え? 夜ご飯じゃないの?」


 が、木内は夜ご飯を作る気でいたらしい。


 俺的には、昼メシ食ってちゃちゃっと手伝って帰るつもりだったけど……好都合。


「何言ってんの? 昼も夜もでしょ」


 意地悪に笑ってやると、


「……なんか、橘くんが言うとエッロ」


 木内が細ーい目をしてオレを見た。


 コイツ、振られて欲求不満なのか?


 やっぱ、コイツきしょい。


「淋しいからって、いちいちムラムラすんなよ、下ネタばばあ」


【ばばあ】は余計だったかも……と言ってから少し後悔していると、


「……若くて可愛かったら振られなかったかな。……イヤ、どのみち振られてたか、私なんか」

 

 木内は一瞬表情を暗くたが、その後無理矢理笑った。


 きっと、彼氏の浮気相手は木内より若いコなのだろう。

 

「どうしてそう思うの? 木内さんはきしょいしエロいけど、料理上手いし喋り易いし、いっぱいいいとこあるじゃん。何、【振られて当然】みたいに言ってんの?」


 確かに木内は特別美人なわけでも、おっぱいがデカイわけでもない。


 でも、不細工なわけでもデブなわけでもない。


 自分が思うほど悪い女じゃないのに。


「それ、褒めてんの? 貶してんの?」


 木内が喜んで良いのか悪いのか、微妙に困っていた。


「褒めても貶してもない。事実じゃん」


「……そうだね。私、もう行くよ。休憩時間終わりだし」


 木内は何かスッキリしない様子で、俺が空にした弁当箱を持って立ち上がった。


「木内さん、次はクリームコロッケ」


 そんな木内に次のリクエスト。


「また手間のかかるモン言うし。カニとか入れないからね‼」


「そんなの入れなくても絶対美味しいじゃん、木内さんのクリームコロッケ。いっぱい食いたいから多めによろしく‼」


 メニューのリクエストのうえに、量の注文まで入れる俺に、


「うん‼」


 木内が満面の笑みで大きく頷いた。


 木内は、きしょくてエロくて料理が上手で喋り易くて……アホだ。


 なんだかんだ言いながらも、アイツは普通にクリームコロッケを作って来て、普通に俺と一緒に食うのだろう。


 ただ、そこも木内のいいところ。





 -------木内の引越しの日。


 木内が『キッチン用品を買いたい』と言った為、待ち合わせ場所は品揃えの良い大型キッチン用品専門店になった。


 お金にキッチリしている木内は、やっぱり時間にもキッチリしていて、俺も待ち合わせ時間の5分前に来たというのに、既に入り口の前にいた。


 私服だからだろうか。木内がいつもとちょっと違って見える。


 店では常にスーツ姿だから、なんか新鮮。


 張り切った感のない、ナチュラルなパンツスタイル。木内らしい。


 でも、【張り切ってない感】が引っかかる。俺、【張り切る】に値しなかったんだろうか。……しなかったんだろうな。俺も、いつも通りの私服だし。


 入り口に向かうと、木内が俺を見つけて手を振った。


「橘くん‼ ……の私服、初めて見たー。やっぱ若いね。オシャレだね。かっこいいね‼ ……ごめんね。私、こんなんで……。ちょっと、離れて歩こっか」


 折角合流したのに、何故か申し訳なさそうに俺から離れては、端っこをめがけて歩こうとする木内。


「なんで離れて歩くの? こんなデカイ店で離れて歩いてたら逸れちゃうじゃん」


 木内の腕を引いて引き寄せる。


「だって、こんなカッコの私と歩くの、嫌でしょ」


 木内が「やっぱり1人で来ればよかった」と俯いた。


 なんで木内は、そんなに自分のカッコを気にしてるんだろう。

 

「なんで嫌なん? そりゃ、木内さんがここにパーティードレスとか着て来ちゃったら離れて歩くけど、至って普通じゃん」


 木内、そこそこセンス良いと思うけど。


 ダサくもなく、オシャレすぎず。無理のない、自然体。


「そーだよね‼ 普通だよね‼ ダサくないよね⁉」


 念を押す様に確認する木内。


「うん。俺、割りと木内さんの服装好きだよ」


 そう言うと、木内が嬉しそうに顔を赤くした。


 木内の言動と行動は全く持って意味不明だったけど、顔を赤らめる木内はちょっと可愛いと思った。


「お皿とかお箸とかは100均でいいとして……フライパンとかお鍋を見に行こう」


 気を取り直した木内が「こっちこっち」と俺の服を引っ張った。


 俺にはどれも同じに見えるフライパンも、木内には違いが分かる様で、「コレは軽い」「コレは使いづらい」などと言いながら物色し始めた。


 ……さっぱり分からない。そして木内がさっさと決めない為、暇。


「俺、食器見てくるわ」


 食器の方がまだ違いが分かる。食器コーナーへ行こうとすると、


「食器は100均で買うからいいんだって」


 木内が「そっちには行かなくていい」と、またも俺の服の裾を引っ張った。


 別に高い洋服じゃないからいいんだけど、でも、伸びるんですけど。


「でも、料理って目でも楽しむもんだろ? やっぱ、それなりのヤツを使った方がいいんじゃね?」


 木内の手を「離しなさい」と退けると、


「……」


 木内が「ふう」と溜息を吐いた。


 感じ悪いな、オイ。

 

「100均ナメんなよ。そして、私の料理は立派なお皿で食べなきゃいけない様な高尚なものではない」


 木内が「はい、フライパン決定ー。次はお鍋でーす」と、鍋のコーナーへと俺の背中を押す。


「あのさ俺、フライパンとか鍋とか違いが分かんなくて、ハッキリ言ってつまんないのね。見るだけだから食器コーナー行かせてよ」


 大の男が女に背中を押されたくらいで動くわけもなく、お鍋コーナーになど全く行く気がない俺は1歩も動かない。


 そんな俺に木内が、おもちゃ屋に入った子どもに言い聞かせる母親みたいに、


「見るだけだよ‼ 買わないよ‼」


 と諭す様に言ってきた。


 どんな扱いしてくれてんだ、木内。


 でも、とりあえず暇なので、


「はーい」


 ここは素直に返事しておく。


 木内の許可が下りた為、1人で食器コーナーへ。


 派手なもの、シックなもの、カッコイイもの、カワイイもの、色々あってやはり鍋を眺めるより格段に楽しい。


『あ。こういうの、俺好きだなー』


 シンプルだけど、所々オシャレな模様の入った食器セットが目に留まる。


 これは100均には絶対に売ってない。


 引越し祝いってことで買ってやろうかな。


 木内の料理は何の器に入っていても美味いけど、これに乗せたら絶対にオシャレ。


 食器セットを買おうと店員を探していると、


「橘くーん‼ お鍋も決まったからお会計して帰るよー」


 フライパンと鍋を持った木内が、俺を探しに食器コーナーにやって来た。


 ついでに木内が持ってるヤツも一緒に会計してやろう。


「買い忘れない? 大丈夫?」


 木内、しっかりしてそうでそうでもないから、一応確認。


「うん。ない。……ある‼ 包丁‼ 包丁もちょっとイイヤツが欲しい」


 木内が、漫画で良く見る『ハッ』とした顔をした。何、ちょっと面白しろいんですけど。

 

 ていうか、料理好きなくせになんで包丁忘れるんだよ、木内。


「俺、鍋とかレジに預けてくるから、木内さんは包丁を選んでて」


 木内に「鍋とフライパン、パス」と手のひらを出すと、


「うん。ごめんね。ありがとう」


 木内は、手に持っていたものを俺に預けると、パタパタと包丁売り場へ走って行った。


 どうせ色んな品物に目移りして、決めるのに時間かかるくせに、つまらなそうにしている俺に気を遣って、急いで包丁を選びに行く木内の背中を、「なんだかんだいい奴なんだよな」と眺めてから、フライパンと鍋と食器セットを預けるべく、俺はレジへと移動した。


 ……しかし、車で来ればよかった。


 食器セットがやけにデカイ。


 電車で来てしまったことを後悔しながら、木内のいる包丁売り場に行く。


 包丁を選ぶ木内の傍には、まな板やフライ返しなども並んでいた。


「こういうのも100均じゃない方がいいんじゃない? こっちの方が長持ちすんだろ」


 フライ返しを指差すも、


「まぁ、それはそうだけどね」


 木内はこっちを見ることもなく、両手に持った包丁をどっちにするか迷っていた。


 つーか、両手に刃物持つ女って、なんか怖い。


 木内の返事が蔑ろだった為、木内の意見など聞かずにフライ返しとまな板を小脇に抱えた。


「よし‼ こっちにしよう。じゃあ、レジに行こっか」


 ようやくどっちの包丁を買うか決めた木内が、「もう買い忘れとかないよな」と呟きながら俺の前を歩く。


 俺が木内の趣味を考慮していない、まな板とフライ返しを買おうとしていることには、全く気付いてない様子。


 レジに着き、


「先程お預けしたお鍋とフライパンと一緒に、これも精算してください」


 木内が店員さんに包丁を手渡す。


「あ、あとこれも。それと、食器セットも一緒に。あ、1回で」


 俺もまな板とフライ返しとクレカを店員さんに渡す。


「何? これ。え? ちょっと待って。何で橘くんが払うの? お会計、ちょっと待って下さい」


 木内がレジを打ち始めた店員さんを慌てて止めた。


「ん? 引越し祝い。あ、気にしないで精算して下さい」


 店員さんにお会計を続ける様促すと、


「すみません、ちょっと待って下さい。私の引越しなんて、全然おめでたいことじゃないじゃん‼ なんで橘くんが身銭を切るの⁉」


 またも、木内が店員さんの手を止める。


 つーか、身銭……。プレゼントでしょうが。


 忘れてた。木内はこういう奴だった。


 謙虚というか、遠慮深いというか、貧乏臭いというか。


『ありがとう』って言って貰っておけばいいのに。


「木内さん、店員さんにも他のお客様にも迷惑だから、先に精算しよう。話は後で聞くから」


 再度「本当にスイマセン、続けて下さい」と店員さんにお願いすると、店員さんが苦笑いをしながらカードを切った。


 俺も苦笑い。正直、喜ばれると思ったのに。


 木内はというと、俺のしたことが相当ムカついたのか、俺をレジに残して何処かに行ってしまった。


 ……俺のしたことは、余計だったのだろうか。

 

 精算を済ませ、出入り口付近で木内を待っていると、木内が小走りでオレの元にやって来た。


「ハイ。さっきのお会計のお金」


 そして、お金を差し出す木内。


 木内は、ATMにお金を下ろしに行っていたらしい。


 木内はどこまでもお金にキッチリしている。


「いらない。引越し祝いって言ったよね?」


 差し出されたお金を押し戻す。


「全然めでたくないし。振られての引越しがめでたいわけがない。それに私はただの同僚なのに、こんなに高価なものを買ってもらうわけにいかない」


 木内が無理矢理俺のシャツのポケットにお金をねじ込んだ。


 確かに俺が選んだ食器セットは、有名ブランドのものではないが、それなりに高価なものだった。


 そんな食器セットの入った袋を覗き込んだ木内は、


「100均でいいって言ったのに。でも、やっぱりセンス良いね、橘くん。形も模様もオシャレだね、この食器」


 と笑った。


 俺は木内のこういう律儀さが嫌いではない。貧乏臭いな、とは思うけど。


 だから、やっぱり木内のお金は受け取れない。


 だって、俺が勝手に買ったものだし。


 木内にプレゼントしたくて買ったのだから。


 なんて言えば、木内は素直に受け取るのだろう。


 なんて言えば、木内は喜ぶだろうか。……あ、そうだ。


「じゃあ、このお金は前払いってことで。今月分のお弁当代」


 ポケットに突っ込まれたお金を取り出し、木内に握らせた。


「私のお弁当がこんなに高いわけないじゃん‼」


 そのお金を押し返そうとする木内。


「手間賃と感謝込み込み価格でこんなもんでしょ。それに、その食器セット買ったのは、今日木内さんが作ってくれた料理を、それにのっけて食いたいと思ったからだし。ぶっちゃけ、俺の為だし」


「イヤ、それにしたって高すぎ……」


「ないよ。高すぎない。俺が木内さんの料理に付けた値段がそれ」


 どうにもこうにも受け取ろうとしない木内を、食い気味で否定。


「私の料理にこんな値段が付くなら、今頃三ツ星レストランで料理長してるっつーの」


 褒めたんだから素直に喜べばいいのに、木内は顔を赤くさせて俯いた。


 なんとなく、木内の性格が分かってきた。


 自分評価の低い木内は、褒められ慣れていないのだろう。


「言っとくけど、今後手を抜いたら容赦なく評価落とすから」


 憎まれ口を叩いたほうが、受け取り易いのだろう。


「じゃあ、今日は腕をぐるんぐるん振るいまくる」


 そう言って木内がお札を折りたたんだ。


 ほらね。やっと受け取った。


「ところで木内さん、荷物が大きすぎてとても徒歩では運べません。ここはひとつ、タクシーで帰りませんか?」


 どうにもこうにも、食器セットがやっぱりデカイ。


 しゃがみ込ん『で歩けない』を猛烈アピール。


「まぁ、臨時収入入ったし。タクシーを使っちゃいましょう」


 木内がさっき折りたたんだお札をヒラヒラさせて笑った。


 臨時収入って……元々それ、木内のお金じゃん。


 タクシー代くらい俺が出そうと思っていたけど、木内に甘えようかな。


 だって俺が出そうとするとまた『なんで橘くんが払うの?』って、さっきみたいな面倒な感じになりそうだし。


「よろしくお願いします。木内お姉さま」


 ペコっと頭を下げてみせると、


「任せなさいな♪」


 と、木内が俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。


 ……何かちょっとドキっとしたりして。




 そして、タクシーで木内の新しいアパートへ。


 木内が鍵を開け、早速中へ入る。


「おじゃましまーす」


 玄関で靴を脱ぎ、まだ何もない部屋にさっき買ったものを無造作に置いて、壁に背中を付けながらそのまま床に腰をつき、足を投げ出した。


 なんだかんだ、ちょっと疲れた。


「お疲れ様です。橘くん」


 木内が俺の傍に来てしゃがむと、ポケットから携帯を取り出し、時間を確認した。


「もう、お昼だねぇ。んー……夜がんばるから、お昼は簡単なのでいい?」


『手抜きしたら評価落とす』って言われたばかりなのに、早速手を抜こうとする木内。


 まぁ、冷蔵庫も何もない状態なんだからしょうがないか。


「何を作ってくれるの?」


「簡単にパスタでも作ろうかと思って。橘くんは何パスタがいい?」


『何パスタがいい?』と聞くあたり、木内はパスタ以外のものを作る気はないのだろう。


 パスタかぁ……。いいねぇ♪

 

「んー。じゃあ明太子スパ」


「いいねぇ。超簡単♪ じゃあ、近くのスーパーでちゃちゃっと材料買って来る‼ 橘くんはテレビでも……まだ届いてないので、その辺で昼寝してて」


 木内が財布を持ち、スクっと立ち上がった。


 昼寝って……布団もないのに。


「俺も一緒に行く」


 床に手をつき立ち上がろうとすると、


「橘くんに持ってもらわなきゃいけない程、材料買わないから大丈夫。行ってきまーす」


 木内が俺の肩を押して座り直させ、1人で買い物に行ってしまった。



 部屋の中には何もない。


 よって、何もする事がない。


 仕方が無いから、木内に言われた通り寝転がってみた。




 -----ん? なんかいい匂いがする。


 あぁー。腹減った。……て、寝てたか‼ 俺‼


 ガバっと身体を起こすと、


「お、起きた。ちょうど今出来ましたー。食べましょーう♪」


 スプーンとフォークを用意していた木内と目が合った。


 テーブルもまだ届いていない為、木内の手料理は、さっき買った食器セットが入っていたダンボールの上に並んでいた。


 リクエスト通りの明太子スパと、ぶたしゃぶサラダと、野菜たっぷりスープ。


 出来立ての湯気が立つ料理たちは、すごく美味そうに俺がチョイスした皿に収まっている。


 ほら見なさい。この食器を買って正解。ダンボールの上でだってオシャレ。


「いただきまーす」


 木内からフォークを受け取り、パスタを豪快にグルグル巻き付け、大口開けてそれを突っ込む。


「はい、美味しーい」


 当たり前の様に美味いな、木内の料理。


「良かった良かった。足りなかったらまた茹でるから言ってね。明太子もまだあるし」


 木内が、遠慮もなくバクバク食う俺を嬉しそうな目で見た。


「じゃあ、今と同じ量茹でて。俺、もう1周出来るから」


 全く気を遣うこともなく、さっき料理を終えたばかりの木内をキッチンに向かわせる。


 でも、木内は嫌がることもなく、むしろ喜んで戻って行った。


 だって、美味いぜ。まじで美味いぜ。スープもサラダも美味いぜ。


「木内さーん。スープとサラダのおかわりあるー?」


 パスタを茹でる木内の後ろ姿に催促。


「スープはあるけど、サラダがない。とりあえず、私のヤツ食べてて。手は付けてないから大丈夫だよ」


「それじゃあ、木内さんのがなくなるじゃん」


 俺、なんか意地汚い奴みたいじゃん。


「いいよ。橘くんの食べっぷりを見てるほうが楽しいし」


 木内がそう言うなら遠慮なく。



 木内の手料理を木内の分までたらふく食って、引越し作業再開。


 配送屋さんが来て、家電やら家具やら衣類が入ったダンボールやらが次々運ばれてきた。


 どんどん生活空間が出来上がっていく。


 木内はあまり部屋にものを置かないタイプらしく、ほどなく引越し作業は終了。


 シンプルな部屋も、木内らしい。


「ふー」


 それでもやっぱり疲れた。運ばれたばかりのソファに寝転ぶ。


「橘くん、夜は何が食べたいですか?」


 寝転がる俺を見下ろす様に、木内がヒョコっと顔を出してきた。


 なんだかんだ、木内は女のコなんだなーと思う。


 木内の仕草が、物凄く可愛いと思った。


「んー°……ハンバーグ」


 疲れたから、とりあえず肉が食いたい。


「じゃあ、ちょっとスーパー行ってくるね」


 木内が財布を持って立ち上がった。


「俺も行く。昼メシより食うから、材料いっぱい必要だよ。さすがに荷物持ちするわ」


 ハンバーグの為なら、張り切って重いものでも何でも持つわ。


 ソファに沈めた身体を起こし、木内と一緒に部屋を出た。



 2人で近くのスーパーへ買い出しに。


 夕方とあって、仕事帰りの奥様や、サラリーマンが結構いて。


 中にはカップルもチラホラ。


「俺たちって、カップルに見えてたりすんのかな?」


 仲睦まじくラブラブオーラを放つカップルを横目にポツリと零すと、


「見えないでしょ。見えてたら困る」


 木内が速攻で否定した。なんか傷つく。てゆーか、腹立つ。


「俺が彼氏に見えるのが、そんなに恥ずかしいんだ? 木内さんは」


「じゃなくて、橘くんが困るでしょうが。綺麗でもオシャレでもない年増の女が彼女って……あ、でも逆に好感度アップするかもね。『あの人は女を外見で判断しないんだ』って」


 カップルに見えない様にする為か、木内が少し俺と距離を空けて歩き出した。

 

 ……だからか。昼間、しきりに自分のカッコを気にしていたのは。


 てか、コイツ。振られて自信を喪失しまくったな。


 捨てられて自分を否定されたと思い込んでいる。


 俺からしたら、捨てた方が馬鹿だと思うけどな。


 木内、ケチ臭いとこと卑屈なとことちょいアホなとこ以外、超いい奴なのに。


 俺は木内の彼氏に見られたとしても全然気にならない為、木内に空けられた距離を詰めた。


 木内と俺がカップルに見えないなら……、


「じゃあ、姉弟とかに見えたりすんのかな? 俺ら」


 全くの他人だから、顔なんか全然似ていないけれども、木内みたいな姉ちゃん、欲しかったかも。


「それも勘弁だな。『悲惨だねー、あのお姉ちゃん。いいとこ全部弟に吸い取られたんだねー』とか言われるもん。絶対に言われる」


 木内、今度は否定どころか拒否。


 つか、底なしに卑屈だな、木内。


 失恋と言うのは、こうも人の心を歪ませてしまうものなのか。


「いいとこって……家がわりと裕福だった以外ないじゃん、俺。それも親のおかげなだけじゃん」


 木内ほど卑屈ではないけれど、俺だって自分に自信満々なわけではない。


「何言ってるの? 顔だって整ってるし、オシャレだし、育ち良いし、何だかんだ優しいし、たまに口悪いけど面白いし。……私の料理を『美味しい』って言ってくれるし。いいとこいっぱいだよ。いいとこだらけだよ」


 木内は多分、自分の料理を褒めてくれるから、俺を『いい奴』だと言ってくれているのだろう。


 でも、それでも何か、嬉しかった。



「あ、肉発見」

 

 木内とスーパーをブラついていると、肉コーナーを通りすがった。


「ハンバーグ♪」と言いながら、何も考えずに牛肉のミンチをカゴに入れると、


「やっぱ橘くんの家は牛肉のハンバーグなんだ。繋ぎにパン粉とか使わないんだろうね。ソースもデミ?」


 俺がカゴに入れた肉を、木内が渋い顔で見つめる。


 何? これ、ハンバーグ用の肉じゃなかったか?


「作り方とか知らないけど、肉は牛だったと思う。確かにソースはデミだった」


「そっか。ウチは豚と牛のあいびき肉だった。なんなら豆腐が入ってることもあったし」


「豆腐⁉」


 肉じゃねーじゃん‼ どうした⁉ 木内家‼


「イヤイヤイヤイヤ。露骨に驚いてますけど、結構普通ですよ? 【豆腐ハンバーグ】なるものも、世間一般的に知られてますから。豆腐を使うと、低カロリー低予算になるわけですよ」


 木内が眉を八にの字にして、困り顔の笑みを見せた。


 ……豆腐ハンバーグ。肉にしか興味なかったから、豆腐ハンバーグの存在を知らなかった。


「でも今日は、引越し手伝ってくれたお礼なので、奮発して牛肉100%のデミソースハンバーグにしよう‼」


 そう言って木内はニカッと笑うけど、


「木内家は何ソースをかけるの?」


「ウチは、ウスターソースとケチャップ混ぜ合わせたものか、ホイールトマトで煮込むか、おろしポン酢かけるか……かな?」


 木内の話す、美味しそうな木内の家の味が食べたくなった。


「どのハンバーグが得意?」


「んー。トマトの煮込みハンバーグかな?」


「じゃあ、それ作って」


 牛肉を元の場所に戻して、あいびき肉をカゴに入れた。


「牛肉じゃなくていいの?」


 俺を「遠慮しなくていいんだよ?」と見上げる木内。


「いいの」


 だって、木内が作れば何でも美味いから。


 肉が決まり、野菜コーナーに向かった時だった。


 突然木内の足がピタッと止まった。


 木内の目が、前方から来る1組のカップルを捕らえていて、そのカップルの男の方もまた、木内を見ていた。


 木内の様子ですぐに分かった。


 ……あれが、木内の元カレか。あれが、木内を捨てた男。


 カップルの女の方が、只ならぬ空気に気が付いた。


 通り過ぎてくれればいいのに、俺らの前で立ち止まる、木内の元カレとその彼女。


「悟の知り合い?」


 女が木内の元カレの腕を揺する。


「あ……私、今野くんと大学が一緒だった木内といいます。初めまして」


 木内が慌てて笑顔を取り繕った。


 大学が一緒……。多分それは事実なんだろうな。さすがに『元カノ』とは名乗れないよな。


「私は悟と同じ職場の後輩で、佐藤といいます」


 佐藤は礼儀の正しい、感じの良い女のコだった。


 もっと嫌な奴だったら、『あんな女に引っかかって、バカな男』とか言いながら、木内がここまで落ち込むこともなかったのかもしれない。


「お隣のイケメンさんは、木内さんの彼氏さんですか?」


 佐藤さんが微笑みながら俺に会釈をした。


「初めまして。木内さんと同じ職場の後輩の橘です」


『彼氏です』と嘘を吐いてやろうと思ったが、多分木内は速攻で否定するだろうから、『違います』とも言わずに、俺もまた事実だけを伝えた。


「……元気そうだね」


 やっと口を開いた、木内の元カレ。


 元気そうも何も、昨日まで同じ部屋に住んでいただろうが。


 目の前の今野とやらが腹立たしくて仕方がない。

 

「……今野くんも」


 更に、木内の作り笑顔が必死すぎて見ていられない。


 毎日営業スマイルしてるくせに、今日の笑顔は下手くそすぎる。


「木内さん、時間ないよ。早く買い物済ませなきゃ」


 そんな木内に助け舟を出す。


 もちろん、時間になど追われていない。


 だって、嫌だった。あんな男に胸を痛めている木内を見るのが、嫌だった。

 

「あ……すみません。私たち、失礼しますね」


 元カレたちにペコと頭を下げる木内の腕を引っ張りながら、掃けた場所はお酒コーナーで。


「飲むか‼ 木内さん‼」


 目に付いたチューハイの缶を、ガンガンかごに放り込む。


「イヤ、イイ。飲んだら泣く。100%泣く」


 木内が、俺がカゴに入れたチューハイを、次々棚に戻す。


「たまになら愚痴聞いてあげるって言ったっしょ。じゃないと木内さん、泣きながら夜の街を徘徊しつつ一人酒するでしょ」


 棚に戻されたチューハイを、再度カゴに入れる。


「……何故それを」


 木内が、驚きながらも眉間に皺を作りながら俺を見た。


「棚卸しの日、あの後タクシー降りて木内さんを追いかけたら、木内さんがおっさんみたいな飲み方しながら泣いてたから」


 そうだ。忘れてた。俺、あの日、木内に散々な目に遭わされたんだった。

 

「……え? ストーカー?」


 木内が眉間の皺をより深く刻んだ。


 は? 何俺に引いちゃってんの? 木内。 


 ふざけんなよ。俺にしたことを謝れよ。


「え? 今何て? 心配して追ってあげたんですよね? おかげで次の日、寝不足で大変だったんですけど? むしろ感謝して欲しいんですけど‼ そしてあの日の行いを謝ってほしいんですけど‼」


 あの日の怒りが今更再燃。


 そうだ。あの頃、俺、木内の事が超絶嫌いだったわ。


「ごめんて。棚卸しの日だったんだよ。悟の浮気現場を見たの」


 俺があの日の怒りを思い出した様に、木内もあの日の光景を思い出した様で、木内の目に薄っすら涙が滲んだのが見えた。


「棚卸しの日もそうだけど、さっきもありがとう。助け舟、出してくれたんでしょ?」


 木内が、俺にまで下手くそな笑顔を作った。


「木内さんは、1人にならないと泣けないの? 誰かしらの前で泣かないと、誰にも慰めて貰えないよ?」


 別に無理して笑うことないのに。泣きたいなら泣けばいいじゃん。


「橘くんももう少ししたら分かるよ。歳を取ると人前で泣けなくなるんだよ。泣いて許されるのは若いうちだけ。実際私に泣かれてごらんよ、うっとしいよー?」


 木内が、涙目のまま「ニッ」と笑って見せた。


「じゃあ、今日確かめよう。本当に木内さんがウザくなるかどうか」


 俺もわざと「ニッ」と木内に笑い返す。


「単に橘くんが飲みたいだけでしょ」


「あ、バレた?」


 だって、俺が帰った後に木内が1人で泣くのかと思うと、胸が痛むから。



 晩ご飯の材料を買って、木内の部屋に戻る。


 今度はテレビがある為、木内の料理の出来上がりをテレビを見ながら待つ。


 時折、キッチンから野菜を切る『トントン』という音、『グツグツ』と鍋が煮える音がする。


 耳障りが良く、心地の良い音。


 料理をする木内のうしろ姿を眺めるのも楽しくて。


 なんで木内の元カレは、こんな幸せを手放したりしたのだろう。


 絶対に後悔する。


 そんなアホな元カレを想って、今日木内は酒を飲みながら涙を流すのだろうか。


 ……どうしよう。今日、木内を慰めてやれるだろうか。


 だって、アホの為に泣くって……アホ以外の何者でもないじゃん。


 木内、アホの極みじゃん‼


 

 暫くすると、


「はーい。お待たせしましたー‼ 煮込みハンバーグ出来ましたー‼」


 アホを極めた女・木内が、お待ちかねのハンバーグを運んで来た。


 ヤバイ。絶対美味いヤツだ、これ。


 木内がテーブルに並べたハンバーグに、思わず鼻を近づける。


 あー、いい匂い。急激に腹減ってきた。


「よし‼ 食べましょう‼」


 テーブルに料理を全部終え運びた木内が、俺の正面に座った。


 では、両手を合わせましょう。


『いただきまーす』


 唱和して、早速主役のハンバーグを口に入れる。トマトが染み染みでまじ美味い。


「美味ーい‼ 木内さん、アナタまじ天才‼」


 こうなると、他のハンバーグも食ってみたい。ポン酢だっけ? ていうか、


「木内さんの得意料理って何?」


 木内は本当に料理が上手い。


 そんな木内が作る、1番美味い料理は何なのだろう。


 どうしても、それを食べてみたくなった。


「得意料理? んー。……ロー……」


 木内は、黒目を右上に向けながら考える仕草をすると、何かを言いかけて辞めた。


「何? 『ロー』って」


「……ロー……ストビーフ」


 木内の口から飛び出る、突っ込んで欲しいとしか思えないメニュー。


「木内さん、突然お金持ちぶらなくていいですよ。ローストビーフなんて、年に何回も作んないでしょ」


 絶対嘘じゃん。何、急に気張り出してんの? 木内。


「うるさいな。得意だもん。超上手に作れるもん‼」


 バレバレな嘘を吐いた上に開き直る木内。


 まぁ、木内だったら超上手に作るだろうけどさ。


「じゃあ、今度作ってよ」


「そうだね。橘くんのお誕生日にでも」


 俺の誕生日がいつかも知らないくせに、超絶テキトーな返しの木内。


 つーか、祝い事の時しか作らない料理を得意料理と言ってくれるなよ。




 夕食を腹いっぱい食って、木内と晩酌。


 木内は泣くだろうか。


 俺の前で、泣いてくれるだろうか。


 木内はカシオレ、俺はビールで乾杯。


 木内はそんなに酒に強い方ではない様で、5分もしたら顔が真っ赤になっていた。


 木内がほんのり酔ってきたところで、木内の話を聞いてあげるべく、聞き役に回る。


「木内さん、愚痴っていいよ」


 木内に目を向けると、木内はボーっと持っていたカシオレの缶を見つめ、ゆっくり口を開いた。


「……可愛かったねー。悟の彼女」


「……うん」


 確かに可愛いコだった。


 でも正直、あんまり良く見てなかった。


 木内の元カレの方が気になったから。


 普通の人だった。中肉中背で顔も普通。オシャレでもダサくもなく。普通だった。


 ハッキリ言って、俺の方が上だと思った。


 木内は、アイツのどこを好きになったのだろう。


「ツイてないなー。悟が彼女さんとあのスーパーにいたってことはさ、多分、彼女さんのお家がこの近くにあるってことだよね。ヤダなー。たまにあのカップルに遭遇したりするのかなー。辛いなー」


 木内は「はぁ」と溜息をひとつ吐くと、カシオレを一口飲んだ。


 何がそんなに辛いのだろう。


 あんな普通でしかない、しかも浮気する様な男に、どうして未練があるのだろう。


「木内さんは、元カレのどこが好きだったの?」


「んー。どこだろう。……何か、私と似てるの。だから、一緒にいるのが楽だった」


 木内が、伏し目がちに寂びそうな顔をした。


「どこが似てたの?」


「んー。まず、歳が一緒だから話が合うし、育った環境も似てたから、価値観も近かった」


 木内に、『俺と一緒にいるのは楽しくない』と言われている様な気がした。


 だって、俺と木内は歳も違うし、育った環境も似ていない。


 でも、俺は木内と話が合わないと思ったことなんて、1度もない。


「それは、俺といる時とどう違うの? 俺といるのは楽じゃない?」


「楽しいけど、楽ではないかも。いっつもちょっと気張ってるよ。オバサンだから、若いコの話を理解出来るかどうか、わりとドキドキする。まぁ、それも面白いから全然嫌じゃないんだけどね」


 木内の言葉が、何か納得いかなかった。


 だって、歳なんか追いつけるわけがない。


 そんなんで楽か楽じゃないかを言われても、どうすることも出来ない。それに、


「俺は、木内さんと喋るのに全然緊張とかしないけどな。分かんない話をされたら『それ、どういう意味?』って聞けばいいだけだし」


 木内の挙げる問題点は、すぐに解消出来るものだし。


「そっか。そうだね」


「だから、楽。俺は、木内さんといるの、楽」


「じゃあ、私も楽にしていいんだ」


 そう言うと、木内が床に転がりだした。


「私、家飲でキッチリ座って飲むの、あんまり好きじゃないの。グダグダだらだらゴロゴロしながら飲みたいの」


 木内の、掌で頭を支え、床に肘をつくスタイルはおっさんそのものだった。


 俺、完全に男扱いされていない。


 別にいいけど。俺もその方が楽だから。


「うん。楽に飲もうよ」


 俺も木内の隣に寝転がる。




 結局木内は泣かなかった。


 飲んで、くだらない話をして、笑って。


 楽しかった。


 隣同士で寝転がって喋っても、俺らの間には何もなく、22:00には木内の部屋を出た。


 女の部屋に来て、何もせずに帰ったのは初めてだ。


 ホントは何度か触ろうとした。


 でも、出来なかった。


 気まずくなるのが嫌で、社内の人とは付き合わないと言っていた木内。


 身体を重ねてしまったら、今の関係が崩れてしまいそうで怖かった。


 木内といる、心地良い空間を失うなんて、絶対に嫌だった。




 木内のアパートからの帰り道、コンビニに寄ると木内の元カレの彼女がいた。


 ……佐藤だっけ。


 木内の予想通り、佐藤はこの辺に住んでいるのだろう。


「あ。夕方にお会いしましたよね?」


 佐藤が俺に気付き、近づいてきた。


「どうも。……ひとりなんだ。彼氏さんは?」


 店内を見渡す限り、木内の元カレの姿はなかった。


「橘さんもひとりなんだ。会社の先輩は?」


 佐藤は俺の質問には答えず、逆に質問を返してきた。


『橘さんも』と言うことは、佐藤はデート帰りなのだろう。


「その、会社の先輩の家からの帰り道」


「そっか。橘さんって何歳なんですか?」


 佐藤は、もう俺の質問には答える気がないらしい。そこまで聞きたい話でもないから、どうでもいいけど。


「23」


 とりあえず、佐藤の質問に答えると、


「あ、タメだ。お友達になりません?」


 佐藤がポケットから携帯を取り出した。


 佐藤は、ただ社交的なだけなのかもしれない。


 でも俺は、彼氏がいるのに平気で異性と連絡先を交換する女が、あまり好きではない。


「ごめんね。俺と佐藤さん、価値観違うみたい」


 そう言って何も買わずにコンビニを出た。




 嫌な予感がする。


 俺と木内の元カレの価値観が一緒だったとしたら、アイツは木内の元に戻ってくるかもしれない。


 木内との居心地の良い空間が、壊されてしまうかもしれない。

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