潤む。
「あっのクソ女‼」
木内にタクシーで一緒に帰るのを拒否られた。
人が親切に『送ってやる』って言ってんのになんなんだよ。訳わかんねぇ。
そんなに俺と帰りたくねぇのかよ。どいつもこいつも、俺を腫れ物扱いしやがって。
アイツ、ちゃんと彼氏を呼んだんだよな?
貧乏臭い女だから、タクシー代ケチって歩いてたりしないよな。
何かあったら完全に俺の責任じゃん。
あぁー‼ 腹立つ‼ めんどくせー‼
「ワンメーターでスイマセン。あの角で降ろして下さい」
歩いて帰ってたりしたら、今度こそタクシーにぶち込んでやる。
タクシーを降り、店へと引き返す。
「あの女、あっちに向かってったよな?」
木内が走って行った方向に足を進める。
暫く辺りを探していると、コンビ二から出てくる木内が見えた。
袋から買ったばかりのチューハイを出すと、勢い良く飲み出す木内。
そして、それを持ったまま歩き出した。
おっさんか、あの女。
「木う……」
呼び止めようとした時、突然木内が立ち止まった。
「ぐすっ」と鼻を啜る音がした。
「ひっく、ひっく」と木内の肩が上下に動いている。
木内が泣いていた。
声を掛けることが出来なかった。
きっと彼女は、1人になって泣きたかったのだと思うから。
彼女に、何があったのだろう。
チューハイを飲み、泣きながら歩く木内の後ろを、木内に見つからない様に追う。
だって、さすがに心配。
夜道を一人で歩いてるってだけで心配なのに、アイツは酒飲んでるし泣いている。
変なヤツに捕まれば、簡単にヤられるし、殺られる。
……にしても、遠すぎだろ。
歩きすぎだろ。かれこれ2時間は歩いている。
あの女の家、どこなんだよ。
若干尾行したことを後悔していると、木内の足が止まった。
アパートの電気の点いている部屋を見上げる木内。
多分、あそこが木内の部屋。
でも、彼女は入ろうとしなくて。
近くの街灯の下に座っては、また泣いた。
部屋の電気が消えたのが5:00過ぎ。
夜が明けようとしていた。
-----まじ、ふざけんなよ。
なんで俺がこんな目に……って、俺が勝手にしてる訳だけど、『俺がちゃんと送らなかったばっかりに、大変なことになりました』みたいなことになっても迷惑だし。
あのクソ女。まじで超絶うぜぇ。
結局木内が部屋に入って行ったのは、それから30分経ってからだった。
さっさと入れよ、何やってんだよ。
……彼氏と何かあったな、あの女。
------あぁ‼ 俺今日、早番じゃん‼
寝る時間ねぇじゃん‼ つーか、即刻帰らねぇと風呂に入る時間もない。
クソ‼ あの女、まじ厄介。超嫌い。
もう関わりたくねぇわ。
------家に帰り、なんとか風呂には入って出勤。
死ぬほど眠い。それもこれも全部木内のせいだ。
『瞼の目ん玉の絵でも書いて寝てやろうかな』というアホな考えが過ぎる程の眠気と戦っていると、
「おはようございまーす」
木内が出勤して来た。木内も早番だったのか…。
「おは……どうしたの? 目、腫れてるよ?」
木内と仲良しの妊婦、野沢さんが木内に近づき、木内の顔を見て驚いていた。
まぁ、あんだけ泣けば腫れるのは当然だろう。
「昨日映画見て……イヤ。悟と別れようかと……」
木内は一瞬嘘を吐こうとしたが、バレバレにも程があると自分で気付いたのだろう。本当のことを口にした。
「……なんで?」
「他に、好きな人がいるみたいだから」
痛々しく「まぁ、仕方ないよね」と笑う木内に、野沢さんもまた苦笑いを返した。
木内のことは可哀想だなとは思うけど、昨日の仕打ちを思い出すと、同情しようとも思えない。
どうでもいいけど、眠すぎるわい‼
朝礼を終え、開店時間を迎えた。
今日も客入りは上々。
忙しければ眠気も飛ぶかと思ったが、全然眠い。
立ちながら眠れる。勝手に瞼が落ちてくる。気合で瞼を持ち上げようとすると、白目を剥いてしまう。
「えらっしゃいましー」
そして呂律も回らない。
そろそろ店長に注意されそうなレベルだ。
「……あの、昨日あんまり寝られなかったんですか?」
そんな俺の様子が目に入ったのか、木内が近くに寄って来た。
俺の天敵・木内の持ち場は俺と同じアクセ部門。
もう、この女とは関わりたくないのによー。
つーか俺が今、瀕死状態で眠いのは、全部お前のせいだし。
「……まぁ」
『どっか行け』とばかりに適当な返事を返す。
「実は私も昨日はあまり寝てなくて……多めに買ってきたのでおすそ分けです」
木内がそう言いながら、ジュエリーケースの下でエナジードリンクを手渡してきた。
「1本でダメならもう1本あるので言って下さい。トイレに行くフリでもして飲んできて下さい」
そう言うと木内は、そそくさと俺から離れて行った。
木内の事は嫌いだが、今は木内がくれたこれに頼るしかない。
有難く頂きにトイレに向かう。
「くーッ‼」
エナジードリンクを飲み干して気合を入れ直す。
『お金のことはキッチリしなさいと親に言われて育てられたもので』。
ふと木内の言葉が頭を過ぎった。
え? これの分もキッチリ返すべきなの?
とりあえず、目は覚めた。
持ち場に戻って仕事再開。
斜め前では、木内が指輪を見に来たカップルを接客していた。
今のアイツには辛いだろうなー。
お客様の方も、目の周りを腫らせた木内に若干引いちゃってるし。
……代わってやろうかな。
接客を交代すべく木内に近付くと、
「すみません。私の目、気になりますよね。アレルギーなんです。移らないので大丈夫です」
お客様の視線に気付いた木内が、開店前に考えただろう言い訳を笑いながら話していた。
俺の心配は無用だったらしい。
「そうですか。早く治ると良いですね」
お客様も木内に笑顔を返す。
「お気遣い有難う御座います。私の目なんてどうでも良いんですよ。そんなことより、お客様のお気に召す指輪を探しましょう。気になるものが御座いましたら、ケースからお出し致しますので遠慮なく申し付けて下さい」
お客様の優しい一言に、木内が表情を明るくさせた。
調子付いた木内は、カップルに指輪をご購入頂く事に成功。
遅番チームが出勤して来て、手の空いた早番のヤツらが順番に昼休憩に入る。
俺は木内に5分遅れて休憩に入った。
……エナジードリンク代、返すか。
休憩室に行ってみるも、木内は居なかった。
めんどくせぇな。どこ行ったよ、アイツ。屋上か?
エレベーターで最上階まで行き、階段を上って屋上へ。
屋上のドアを開けると、木内がベンチに座り、1人で弁当を食っていた。
「木内さん」
名前を呼ぶと、木内が箸を止めて俺の方を見た。
「橘さん? どうしたんですか?」
「エナジードリンク代、返しにきた」
財布から1000円札を引き抜き、木内に渡す。
「あ、お釣り……細かいの、あったかな?」
木内は俺の1000円を受け取らず、弁当箱をベンチに置くと、自分の財布を取り出し、小銭を確認し始めた。
どこまでもケチくさい女。
「お釣りとかいらねぇから。じゃあ」
風で飛ばないように、弁当箱の下に1000円札を挟み込み、その場を去ろうとすると、
「あれ、1000円もしないです」
貧乏女が俺を呼び止めた。
-----しつこい。
「昨日、結局木内さんお茶しか飲んでないですよね? あのお茶、1000円もしないんで」
「あ……そっか。わざわざありがとうございました」
やっと受け取る気になった木内が、弁当箱の下に挟まっている1000円を財布にしまった。
……にしても、木内の弁当、美味そう。
-----ぐうぅぅう。
まだ昼メシ食ってないし、なんなら朝メシも食う時間なかったしで、空腹のあまり物凄くデカイ音で腹が鳴ってしまった。
「……」
そんな俺に、木内の大人な対処。無言で聞こえないフリをしている。
「つーか、『良かったらどうぞ』とか言っておかず一口くれたりしません?」
何、自分の弁当死守しようとしてんだ、木内。可愛げねぇな、差し出せよ、その弁当。
「……イヤ。どうせ自分しか食べないお弁当だから、かなり適当なんですよ。人様に食べさせられる様な代物じゃないないんですよ」
急に恥ずかしがって、弁当を蓋で隠そうとする木内。
なんだコイツ。可愛いとこあんじゃん。
つーか、隠さなくても上手に出来てんじゃん。
「その卵焼きちょうだい」
蓋の隙間から見える、ウインナーの隣に並んでいた卵焼きを指差す。
木内の卵焼きは、焦げ目のないタイプの綺麗な黄色をしていた。
「私の卵焼き、甘くないですよ?」
「ふーん。木内家は塩味なんだ?」
「塩も入れてないです。白だしとマヨネーズです」
「マヨネーズ?」
何それ。ますます食いたい。
「マヨネーズを入れるとふわっとするんで……あ」
木内がごちゃごちゃうるさいので、勝手に食ってやった。
「うま‼」
やばい。美味い。
木内、料理得意なのかな。
あぁ‼ アルミのカップに収まっている、ほうれん草のバター炒めも食いたい。
木内の弁当を凝視していると、
「お口に合いそうなものだけ食べてください。あ、でも箸がない……」
木内は俺に弁当を差し出すと、「洗ってきます」とさっきまで自分が使っていた箸を持って屋上を下りようとした。
そんな木内の腕を掴んで、箸を奪う。
「俺、『間接キッスー』とか言って大騒ぎする様な歳じゃないんで」
早く食わせろ、ばかやろう。俺の腹が大合唱だっつーの。
早速狙ったバター炒めを口に放り込む。
美味いなー。ほうれん草も美味いし、横にあった胡麻和えも美味い。てゆーか……。
「弁当ちっさ」
全然足りねぇし。
「あとはグミしか持ってません」
木内は、俺の膝の上に乗っていた空の弁当を手に取ると、代わりのグミのパックを俺の膝に乗せた。
「つーか、ゴメン。これまで食っちゃったら、木内さんが食べるものがなくなっちゃうじゃん」
「別にいいですよ。今日はそんなに食欲もなかったし。橘さんが美味しそうに食べてくれて、嬉しかった」
木内が、少し悲しそうに笑った。
-----彼氏が原因だろうな。
木内の弁当食っちゃったし、愚痴の相手くらいしてやろうかな。
「彼氏と上手くいってないんだ? ごめん。朝、野沢さんとの会話、聞こえた」
「……そっか」
そう言ったきり、俯いて何も話そうとしない木内。
気まず。何か喋れよ、木内ー。やっぱコイツ、苦手。
「木内さんは、いつも屋上で休憩してるんですか?」
とりあえず、話題を変えてみる。
「……イヤ。ウチの会社って、噂回るの早いじゃないですか。
今日私、酷い顔で出勤しちゃったし、噂になってると思うんですよ。休憩室だと聞こえてきちゃうじゃないですか。『あの歳で捨てられちゃったんだ、可哀想ー』とか。小声の悪口って、なんであんなに通るんでしょうね」
木内が「ははは」と完全なる空笑いをして見せた。
ひとが折角話題を変えてやったというのに……。
でも、木内の言ったことには共感した。だって、
「俺も、休憩室嫌い。陰で『コネ入社』って散々言われて。未だに言ってる奴もいるし。飽きないのかねー」
昨日今日居心地悪くなった木内とは、訳が違う。
「……知ってたんですか」
「そりゃね」
この会社に、俺の味方はいない。
「あの、前から不思議だったんですけど、なんで橘さんは販売員をしているんですか? 次期社長でしょ? 社長の元で社長業務の補佐とかしなくていいんですか?」
微妙な空気を断ち切るように、今度は木内が話を変えた。
確かに木内の言う通り、俺は販売員をする必要がない。なのにやるのは、
「『コネ入社で宝飾の1つも売ったことないくせに』とか言われたくねぇから。成績を上げて、陰口叩いてる奴らを黙らせたいんだよね」
ただの意地。
「だからか。棚卸しをラストまで引き受けたのも、みんなに陰口叩かせない様にか……。でも、良かった」
木内が何故かニッコリ笑った。
良かったって何が? いちいちいちいちわけの分からん女だな、木内。だから振られるんだよ。
眉間に皺を寄せる俺に、木内が嬉しそうに口を開いた。
「橘さんが、次期社長で良かった。私より年下だけど、尊敬出来ます」
木内の言葉が、素直に嬉しかった。初めて認めてもらえた様な気がした。
なんとなくほっこりしていた俺に、
「橘さん、今月の売り上げトップですよね。どんなセールストークをしているんですか?」
木内が、「新入社員なのにスゴイです‼ パクらせて下さい‼」と、興味津々に仕事の仕方を聞いてきた。
申し訳ないが、木内に伝授する技などない。と言うのも、
「セールストーク……してないよね」
新入社員だからこそ、そんな上等スキルは持っていない。
「……は?」
今度は木内の方が、『何を訳の分からないことを言ってるんだ、コイツ』的な目をしている。
だって、まじでそんな高度なトークしてないし。
「連れにさ、『お前は黙ってニコニコしていれば、女の客がそこそこ買ってくれる』って言われてさ。黙ってニコニコしてたら、まじでそこそこ売れるんだよね」
さっき『陰口叩いてる奴らを黙らせる』などと大口を叩いていたくせに、たいした事は何もしていないというビッグマウスぶり。だっさ。
「だからか。女性客が来店するといち早く飛びつくのは。確かに橘さん、モテ顔ですもんね」
木内が「ふふッ」と笑った。
コイツ、俺を馬鹿にしてんのか? つーか、
「飛びついてない」
人聞きが悪いんだよ、木内‼
「飛びついてますよ」
「ない」
「……じゃあ、そういうことでいいですよ」
木内がしぶしぶ折れた。
「何? 俺の売り方に問題でも?」
木内のしぶしぶ感が若干イラっとする為、開き直ってみせる。
俺も大概タチが悪い。
「全然」
「嘘吐け。本当は軽蔑してるくせに」
更に絡む。今日の俺は、なかなかウザイ。寝不足だからかな。
「してませんよ、本当に。歌が上手いから歌手になる。スタイルが良いからモデルになる。綺麗な顔をフル活用して販売をする。同じことだと思うんですけど、違いますかね?」
木内の言うことは何かちょっと違う気もするが…。
木内はサラっと俺の顔を綺麗と言ってくれた。
木内は貧乏臭い女だけど、俺に嬉しい言葉をたくさんくれる。
……嫌いじゃないかも。むしろ、居心地が良い。
「つーか、だいたい俺はコネ入社じゃねぇっつーの」
居心地が良いから、木内に愚痴りたくなってきた。
最初は木内の愚痴を聞いてやるつもりだったのに……。本末転倒。
「……と、言いますと?」
だって、木内は聞いてくれるから。
「社長の息子が弁護士になりたいって言って、会社を継げなくなったから、社長に頼まれてこの会社に入ったんだっつーの。俺は別にやりたいこともなかったから『じゃあ、入ります』ってなっただけだっつーの。俺から『入れてくれ』って言ったわけじゃねぇのに。息子だったら『コネ入社』って言われなくて済んだだろうに、俺が従兄弟だったばっかりにこの扱い。納得出来ねーっつーの‼」
屋上なのを良いことに、大きい声を上げる。
あ、なんかちょっとスッとする。
「みんなの前でもそのキャラをさらけ出せばいいのに。きっとみんな、橘さんのことを好きになりますよ。誰も『コネ入社』なんて言わなくなりますから」
雄叫ぶ俺を見て木内が笑った。
ほらね。
やっぱり、木内は俺が喜ぶ言葉をくれる。
木内には何でも話せる気がする。つか、聞いて欲しい。
やっと会社で1人、心を開ける人を見つけた。
「木内さん木内さん、明日は何番ですか?」
だからどんどん木内に絡む。
「遅番ですけど?」
「俺も遅番。明日は唐揚げが食いたいですね。ちなみに明日も晴れらしいですよ。屋上日和ですね」
「……了解です」
俺の言わんとすることが伝わったのか、木内は快く了承してくれた。
明日は木内のお手製唐揚げが待っている。
翌日仕事に行くのが楽しみだと思った事なんて、初めてだ。
しかし、唐揚げごときでテンション上げるとか……俺ってまだまだお子ちゃまなのかも。