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トマトと豆のカレー

 がらんがらんと派手な鈴の音を鳴らして扉を開けた瞬間、感じたのはスパイスの複雑な香りだった。

 確認せずともわかる。だが、つい見てしまう。

 匂いの元は、ワイワイと賑やかにテーブルを囲む三人組。この店には珍しい男子高校生という存在だ。そんな彼らが、見ていて気持ちの良い程の食欲でスプーンで口に運んでいる物がその『原因』だ。


「カレーかあ……何て言うか、暑くなってくると食べたくなるよね」

 本当に真夏のあっつい日には勘弁して欲しいが。何もせずとも汗だくだという日には、更に汗のかく物は食べたくないのだ。死んでしまう。

「ありささんーっ、今日のカレーって何?」

 店主夫婦の妻の方である亜里沙に問いかければ、彼女はいつも通り笑いながら答えた。

「今日のカレーは、トマトと豆のカレーだよ。ヒヨコ豆がメインかな」

 メニューを聞いて、フムと頷く。

 豆のカレーは、なんと言うか罪悪感の少ないカレーだ。動物性のたんぱく質が入っていないマクロビ的なイメージのあるカレー。マクロビの意味とか詳しくは知らないし、本当に身体に良いかも別に調べようとは思わない。結構世の中なんてそんなもんではないだろうか。


 ガツンと肉たっぷりのカレーも間違いなく美味だが、この、薄着の季節が日に日に近付き、テレビがやたらとジムとエステのCMを流すようになったこの時期では、ふと我に返った瞬間にスパイスの発汗作用を越えた冷や汗をかくことになってしまう。

 なので、罪悪感が少ないということは、やはり美味しいご飯を食べるのに重要な事柄なのである。


「じゃあ今日はカレーで、パン付けてー」

「はあい」

 亜里沙が注文を聞いて厨房に向かうのを見送って、カウンターの席に座る。

 高校生たちの賑やかな声をBGMに、鮮やかな紅色に彩られた中庭の光景を楽しむ。今咲いているのはツツジの花だ。道路の植え込みとしてもよく見られるツツジだが、花が咲いている時と咲いていない時の印象はだいぶ違う。

 植え込みとしての印象は『緑』そのものだが、花の盛りの時期は、濃いピンクの花々が緑の葉をすっかりと覆い隠してしまう。

 少し小振りの花による、なだらかな小山が華やかな光景を作っていた。

(ツツジは、花が萎んだ時も何だか面白いよねー)

 萎んだ花が、葉の奥に引っ込んでいくような姿で隠れていくのだ。なんとなく可愛いと思う。

 あくまでも個人の感想であるので、異論は聞かない。


「はい、お待たせ」

 ことりと水の入ったグラスと共に置かれた、本日の主役。

 トマトの水分で煮込まれたそのカレーは、だいぶ赤い色味が強く、水分が少ない。ごろごろとした具としての存在感を主張するものは、ヒヨコ豆の他には、人参をはじめとした野菜類で占められている。予想通り身体に良さそうだ。

 一緒に注文したパンは、やや薄切りにされてこんがりとトーストされている。定番の食パンだけでなく、ゴマの入った半月型のものも添えられていた。

「やっぱり美味しそう」

 ウキウキとスプーンでカレーをすくい、一口。

 まず最初に来たのはトマトの酸味と旨味。その後で遅れてスパイスの風味と辛さを感じた。二口目はトーストの隅にのせてパンごとぱくり。カレーの味わいに、パン生地のほのかな甘味と香ばしいざくりとした食感が加わる。


 カレーといえば、まず思い浮かぶのはナンだけれども、いわゆる『食事パン』との組み合わせもなかなか美味である。と思う。

「水分多いカレーだと、ご飯の方が好きだけどねぇ」

 箸休めとして、小振りの鉢に盛られたコールスローに手を伸ばす。

 新鮮な野菜をマヨネーズで和えたそのサラダが、口の中の辛味を和らげてくれる。


 途中、趣向を変えてパンそのものの味も楽しむ。バターを塗っただけでも『ご馳走』になる美味しいパンだが、今日はオリーブオイルとほんの少しの岩塩を散らす。ゴマの香りがふわりと鼻先に届いた。


 ごくごくと飲んだグラスの水には、かすかに柑橘の風味があった。紅茶の美味しいこの店だが、カレーを食べる間は、お冷やで行きたい。辛味のきついカレーならば、チャイやラッシーで辛さを和らげたいと思うところだが、良くも悪くも『カフェ』のカレーであるので、そこまで食べる人間を選ばないのだ。

 カランと涼しげな音をたてたグラスに、亜里沙がタイミングを計っていたように新しく水を注ぎ入れてくれる。


 具材であるヒヨコ豆もほくほくとしている。たっぷりと口に頬張って、よく煮込まれた他の野菜の柔らかさや甘味と共に舌鼓を打つ。

 豆というものは意外と侮れない。肉が無くとも満足感のあるボリュームと食感などの食べごたえを演出してくれる。


 ある程度食べ進めたところで、一度、進行状況を確認する。

 パンとルーの残量をそれぞれ確認するのだ。

 これはご飯の時もだが、カレーを最後まで美味しく食べる為には重要な事項ではなかろうか。配分を誤り、どちらかが残ってしまうと、悲しい。

 ささやかな脳内作戦会議の後、再びスプーンを進めていく。


 とっくに男子高校生たちはカレーを食べ終わったらしい。各々ドリンクを手にして雑談に耽っている。

 よくわからないけれど、ゲームか何かの話で盛り上がっているようだ。そういえば、最近とんとゲームもやっていないなぁと、聞こえてくる会話を聞き流しながら独白する。

 それにしても、元気だ。淡々と話す口振りの子とマイペースな口調の子に、突っ込み気質の子がぽんぽんと会話を繋げていくという状況のようだ。仲が良いなぁと、なんだかほのぼのする。

 こういったノリが自分に無くなったことに気付いた時、あー……もう若くないなぁなんて思ったりした。

 具体的には徹夜がしんどくなった時と、ボーリング場の隣のレーンのグループのテンションに引いてしまった時だ。もう、無理。


 なんだかカレーがしょっぱくなりそうだから、思考を切り替えた。


 空になった皿を前に、スプーンを置いて考える。

「さぁて、何にするかなぁ」

 そこでようやく紅茶のメニューを開く。甘いものが飲みたい気分だ。それとも無糖のものとデザートの組み合わせにするべきか。いやいや、そこでデザートを頼んだら、せっかくカレーがヘルシー志向だったのに、意味がない。


「そうやって悩んでるのも、いつも通りだねぇ」

 亜里沙が笑って言うのを聞いてから、彼女は今日の気分はこれだと、季節限定のフルーツティーを指差したのだった。

ご飯と食べるカレーはまた今度……

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