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予約限定 アフターヌーンティーセット

 がらんがらんという音に、彼女は読んでいた文庫本から意識をそちらに向けた。制服姿の女子高生だ。この店には珍しいお客さんだと彼女は思う。


 この店は基本的には常連客ばかりだ。本日は、ソファー席にいつものお爺ちゃん、その隣のテーブル席に父子三人の家族連れ。そしてカウンターに自分という面子だった。

 父子連れのうち、子どもの方はこの店の従業員である零さんの子どもたちだ。零さん本人はめったに店に姿を見せないが、子どもたちはちょこちょここの店で食事をしている姿を見かける。ランドセルを背負った男女二人のきょうだいは微笑ましいので印象に残っているのだ。

 娘さんの方は零さんに似ているが、息子さんの方はお父さんに似ている気がする。父親よりも優しい雰囲気があるのは母親譲りなのだろう。

 事情があって零さんは旦那さんと別居しているというから、今日は久しぶりの父子面談といった様子だった。


「いらっしゃいませ」

「すみません、予約していた室町ですけど」

「はい、室町様ですね。テラス席のご案内になります。どうぞ」

 亜里沙が女子高生を案内する先のテラス席は、満開の藤棚の下になっていた。庭一面につるを伸ばす巨大な藤の樹は薄紫色の花を数多に垂らし空一面を覆っている。

 むせかえるほどに強い甘い芳香を、硝子越しでも感じられる華やかさだった。


 わずかに時を挟んでカランカランとベルの音が新たな客の来店を告げる。人の気配に僅かに視線を上げると、数席離れたカウンターの片隅にいつものお兄さんが座ろうとする姿が見えた。

「いらっしゃい。今日はお連れさんが居るんだね」

「いいえ、案内役をかって出ただけですよ。この店は少々わかり難い場所にありますので」

「確かに。わかり難い所にあって済まないね」

「其処が気にいっている所でもあるのですけれどね」

 雄大とお兄さんの会話に視線を動かせば、亜里沙の先導でテラス席に向かうロングヘアの少女の姿があった。テラス席にいた女子高生が喜色満面で立ち上がって迎えている。

 向かい合って座り、談笑する二人の少女。片や制服姿の清楚な少女であり、片や藤の花の精のような可憐な少女だった。タイプの異なる二人の美少女の姿に眼福であると頷いた。なかなか見れない光景だ。


 だが、亜里沙がテラス席に向かい運んで行く物の存在に、すぐに興味は奪われた。

「あ……ありささん、それって……」

「アフターヌーンティーセットは予約限定だから駄目だよ」

「ううぅ……」

 三段のケーキスタンドをお盆に載せた亜里沙が笑顔で釘を刺す。目映いほどに魅力的なのは、それが存在そのものに特別感の漂うメニューだからだろうか。

「二名分からしか、予約受けてくれないじゃんかあ……」

 がっくりと項垂れるのは、そのメニューが一人でこの店を訪れる自分にとって、値段以上の難易度を有しているからだった。『お一人様』を拒む存在なのである。


 一番下の皿には華奢なサイズのサンドイッチ。元々のアフターヌーンティーではきゅうりのサンドイッチが正式であるそうだが、この店ではそれ以外にも数種のサンドイッチを取り揃え、切り口も非常に鮮やかだ。

 中段はスコーンとクロテッドクリーム、ブルーベリーのジャム。

 最上段には、小振りのフルーツタルト、パウンドケーキ。更に涼やかなフルーツ入りのジュレがグラスで煌めいている。

 見るからに、手間のかかったメニューであり、この店が通常置いているデザートメニューをこえた品数のスイーツが載っていることからもわかるように、スイーツの幾つかは専用に用意された特別製だった。


 羨ましい。

 それが本音だ。


「せめて、スコーン、追加で……後、紅茶、アールグレイでちょうだい」

 新しく紅茶もオーダーし直して、ほんの僅かだけでもご相伴気分--本当に気分だけだが--を味わうことに決めた。

 正確には向こうは『アフターヌーンティー』だが、こちらは『クリームティー』だ。細かいことはどうでもいいが。


 近くのお兄さんの所から芳しい珈琲の香りが漂い、店の中には店主夫婦が忙しく立ち働く音と、和やかに父子三人が会話を楽しむ声。時折ぺらりと紙を捲る音を挟む。

 テラスの二人の少女は、白磁の茶器を傾けながらお喋りに夢中になっている。硝子の向こうの声は聞こえてこないが、見るからに楽しげだ。幸せな楽しい時間をゆっくり過ごすのに、そのメニューほどふさわしいものはないだろう。


「はい、アールグレイとスコーン、お待たせ」

「ありがとー」

 ポットを傾け、茶漉し越しに紅茶を注ぐと、独特の芳香が漂った。因みにアールグレイは、茶葉の品種等ではなく、ベルガモットという柑橘類によって香りが付けられた、フレーバーティーの一種である。

 紅茶は大体は産地の名前で呼ばれている。アッサム、セイロン、ダージリン等は有名な所だろう。緑茶が宇治、狭山、静岡等で呼びわけられるのと似ている気もする。

 フレーバーティーはそれらの紅茶に香りを付けた物をさす。アールグレイの他にアップルティーやキャラメル。他にも店やブランドによって様々な種類がある。

 まあ、同じアールグレイでもピンキリだ。たまにめっちゃ臭いのに当たってがっかりする。


 普段は二杯目からミルクを入れるが、今日は一杯目にも少々ミルクを注ぐ。それはなんとなくスコーンを食べる時の『気分』だ。はっきりした理由などない。

 焼き直され熱々のスコーンを手に取り半分に割る。湯気が見えそうな熱気を感じる。そこにたっぷりとクロテッドクリームをのせる。とろりとクリームが溶けかける所を注意を払いながら口に運んだ。

「うん、やっぱりクロテッドクリームは必須だねぇ」

 生クリームでもバターでもないこっくりとしたクリーム。甘みはないがミルク感がたっぷりとスコーンの生地に染み込んでいる。

 スコーンはそれ単体だと不完全な菓子だとすら言われている。クロテッドクリームとジャムをのせてようやく完成するのだ。単体で食べるとパサつきが気になる菓子ではある。口中の水分が奪われていくのだ。まあそれはそれで美味しく頂くのだけれども。

 アールグレイで口中をさっぱり流して再びスコーンに。

 今後はクロテッドクリームだけではなく、一緒に添えられていたブルーベリージャムものせる。白いクリームの上のジャムは、目にも鮮やかで美味しそうだ。

 本場だと苺ジャムが主流だとも聞くが、この店も含めてブルーベリージャムを出す店の方が多い気がする。どっちも美味しいから良いのだけれども。

「うまー」

 ざくりと表面は香ばしく食感良く。中身はきっちりとしっかりとした生地の詰まったスコーンは粉の味を感じる素朴な味だ。それが濃厚なクリームと上品な甘味のジャムで一気に上等な菓子になる。

「テイクアウトしても良いけど、クリームがねぇ……」

「わざわざクロテッドクリーム買うのも大変だよね」

 呟いたら、亜里沙が苦笑して相槌を入れてくれた。生クリームで代用しても、そんなにたくさん日常的にホイップクリームは使わない。冷凍する方法もあるが、やっぱり消費し難いものがある。

「やっぱりお店で食べるのが、良くなっちゃうんだよね」

「こちらとしては有り難いけどね」

 そう言って笑う亜里沙へ、へらっとした笑顔を向ける。


「藤も満開だねぇ」

「そうだね」

次は何が(・ ・ ・ ・)咲く(・ ・)んだろうね?」

「そればっかりは、気分次第(・ ・ ・ ・)だから」


 少し苦笑して答えた亜里沙の答えを気にもせず、二杯目のアールグレイに砂糖を入れる。

 何時来ても、庭一面(・ ・ ・)を彩る季節の花も、間違いなくこの店の魅力のひとつだろうと思いながら。



クロテッドクリームは、生クリームとバターの中間のようなクリームであります。


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