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鮭とこんぶのおにぎり

桜が散る前に投稿できました……

「べくしょっ!」

 派手にくしゃみをして鼻を啜る。うえぇと情けない声が出た。


 何て言うか、漫画とか小説とかの「ヘクション」とか言う可愛い感じのくしゃみとは、どのように発声するものであるのか。そもそもくしゃみとは、意図的に変化させる事が出来るのだろうか。

 まあ、知り合いに「へくちゅ」という、可愛い感じのくしゃみをする輩がいたが、それはそれで当人的には苦痛であるらしい。くしゃみをした直後、周囲全員から生暖かい眼差しを向けられたりするそうだ。


 この季節、くしゃみからはどうしても逃れられないものだろう。


 がらんがらんと鈴の音をたてて、この店を訪れたのは、今日はちょっとだけ目的が異なる。食事をするのももちろん理由の一つではあるのだが。


「いらっしゃい」

「あ。雄大君だ。ありささんは?」

「奥で接客中」

 迎えたのは、店主夫婦の夫の方。普段は厨房内が定位置の雄大だった。言われた言葉に奥を見れば、亜里沙は背広姿の男性客と話込んでいる最中らしい。

(ちゃんとすれば格好良さそうな、残念な美形だ)

 男性客に対するそんな彼女の講評は、いくら内心に留めているとはいえ充分失礼だろう。

「今日は何にする?」

「今日はテラスが良いなぁ。満開でしょ?」

「ああ。昨日あたりから見頃だよ」

 雄大と一緒に庭の方向を向けば、ガラス越しでも桜の古木が満開になっている様子がよく見えた。

「この店でもなきゃ、花見も心からは楽しめなくってさぁ……」

「大変だな。じゃあメニューは、『いつも』の『ごはんの軽食』で構わないか?」

「うん、それでー」


 オーダーの後にテラス席に向かうべく移動をはじめる。

 なんとなく寝癖のような、ナチュラルにも程があるだろうといった髪をかき回した男性客が、亜里沙相手に談笑している隣をすり抜ける。

「何時も入り浸ってる癖に、会いに来たら居ねえって酷いよなあ」

「そんな風に、薫君の都合良くいくわけ無いでしょう」

 呆れた様子の亜里沙の声には親しみが込められている気がする。単なる客ではないのかもしれない。

「伝言預かろうか?」

「うんにゃ。せっかくだからこのまま会いに行くよ。帰りに寄るからそんときはよろしく」

「そう?」

 そう言って店の出口へと向かった彼が、扉を開いたカランカランというベルの音を背中で聞きながら、テラス席に出るためのガラス戸を開く。ふわりと人工の物ではない甘い香りが漂う庭。そこに張り出た形で設えられたテラスには、白いテーブルセットが置いてある。よいしょとばかりに彼女は椅子に腰掛けた。


 見上げれば桜の古木が満開の花を付けている。ソメイヨシノではないらしく、少しだけ紅色が強い気がする。悠々と思うままに伸びた枝は目の前まで迫っていて、可憐な花をすぐ近くで楽しむ事ができた。

 テラスまで出るともう一本の桜の樹も見る事ができる。こちらは店内からは死角になるのだ。目の前の古木に比べると迫力はいささか劣るが、白に近い五片の花びらの可憐さは古木にも負けていない。テラス席が花見の特等席である所以の一つだ。

 更に庭の奥には小さな祠が在るのがわかる。

 丁寧に清められ、大切に扱われていることがわかる、その小さな神域は周囲に自然に溶け込んでいた。

 本当の『一番の特等席』は、きっと其処なのだろう。

 見事な景色をお裾分けしてもらっている気分になって、ぱんぱんと柏手を打っておいた。


「お待たせ。何してるの?」

「んー。別にー」

 注文の品を運んで来た亜里沙が不思議そうにしているのに、何でもないと笑って誤魔化す。わざわざ説明するのは気恥ずかしい。


「おーっ。ありがとー」

「お花見だからね」

 この店の『ごはんの軽食』とは、おにぎりのセットのことだ。基本的には、おにぎりが二つに小鉢というセットになる。具は日替わりでランダムだが、苦手なものなどの時は変えてもらうことも可能だった。

 だが、今日のセットは特別製。お花見バージョンなのであった。

 つまりテラスでお花見をする際ーー『いつも』ーーのごはんの軽食メニューなのである。

 皿ではなく、四角い竹かごの中に料理が盛り付けられていた。おにぎりが二つ、鮮やかな黄色のだし巻き玉子、唐揚げ、お新香という、見た目もメニューも行楽気分にしてくれる組み合わせになっていた。

 皿の上に盛り合わせれば、何のことはない普通のおにぎりセットだが、竹かごに盛られているだけで、特別感が漂う。器というのはやはり重要なのだ。


 おにぎりに手を伸ばし、大口を開けてかぶりつく。海苔はパリパリしているとまではいかない。ごはん自体がまだ温かい為に、その湿気を含んでいるのだ。それでも香ばしさを感じる海苔を噛み千切り、柔らかく空気を含んで握られた本体へと到達する。

 手塩を付けて握られた温かいおにぎりというものを、最後に食べたのは何時だったかな、と、ふと思った。コンビニや専門店が溢れているが、本当に『手作り』したおにぎりというものは、最近とんと食べていなかったような気がする。

 少し甘さの感じるしょっぱさと海の味。茶色く染まった米粒と黒い細長い中身が断面からのぞいている。

「こんぶかぁ」

 中身を知った時のこの安心感は何だろう。もぐもぐと咀嚼しながら空を眺める。

 おにぎりの手軽さは、こうやって半ば上の空で食事をすることが出来るという良さもある。


 桜を楽しみながら、だし巻き玉子を摘まむ。ぷるぷると揺れていたその玉子料理は見た目以上にしっかりとした存在感だ。口の中に出汁の味と風味が広がった。

「んー……」

 満開を迎えて、ちらちらと花びらを舞わせ始めた古木。盛りの今も良いけれど、桜吹雪も捨てがたい。けれどもその下で食事をするという観点からは、やはりこの時期が一番か。

 二つ目のおにぎりは、ほどよい塩気の鮭だった。辛すぎないそれは、魚の身のあぶらと旨味も充分楽しめる。

 おにぎりを片手に持ったままで、唐揚げに手を伸ばす。

「うむ」

 さっぱりとしたこの感触は、鶏の胸肉だ。モモ肉の肉汁溢れるジューシーな唐揚げも間違いなく美味だが、胸肉には胸肉の良さがある。

 辛みと爽やかな風味がよぎる。一瞬遅れて正体は柚子こしょうであることに気付いた。塩味と柚子こしょうのあっさりとした味付けが、胸肉には良く合っていた。


 軽食のセットというだけあって、だし巻き玉子も唐揚げも、もっと食べたいと思わせる程度の分量だ。美味しいだけに余計にそう思う。

 残りのおにぎりを、桜をおかずに味わい尽くして、ふう。と一息ついた。


「さあて」

 呟いて片手をあげる。物足りない、そんな程度であることこそが免罪符なのだ。桜の下ではやはり……

「団子も良いけど、この季節はやっぱりこれだよねー」

 意を汲んで、亜里沙が運んで来てくれたのは、桜餅と煎茶の組み合わせだった。

 洋菓子の多いこの店だが、桜が咲いている間は、必ず置いてあるメニューなのだった。スイーツ担当の零さんは器用に色々作ってくれるが、やはり洋菓子が得意であり、和菓子も作れるが、肝心要となる餡子は信頼する店で仕入れた物を使っているのだという。

 今日の桜餅は長命寺餅とも呼ばれる関東風のものだ。クレープ状の、米粉も入っているのか普段食べるものより、もちもちした生地で餡子を巻いたタイプの桜餅だ。

 しょっぱい桜葉と独特の風味を味わいながら、餅の食感とさらりとした餡子も楽しむ。

 片手に湯飲みを持ちながら考えた。

 桜が散るまでには、まだ時間があるなあーーと。


(……明日来れば、道明寺餅の桜餅が食べられるかなあ)


 ーーまだ、今年の花見を終わりにするのは、勿体ないだろうなと。



花見がしたいが……時間と気力と体力が足りません……桜が……桜が散ってしまう……


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