コンビーフとコールスローのサンドイッチ
「やばい。お腹へった」
どうしよう。酷く中途半端な時間だ。夕飯にするには早すぎる。今食べたら、寝る前に空腹で眠れない症候群に罹患するにちがいない。
だからといって、カフェメニューでは満たされない。
ケーキや菓子なんぞでは、今の自分の欲求は癒せない。
「ううう……変な時間に忙しくなるから……お昼食べ損ねたし……」
空腹も峠を越えれば、耐えることが出来てしまう。その時は、まあ一食抜いても死にはしないから良いか、と思ったのだ。
駄目だった。
「せめて、ワッフル位食べごたえがあれば……」
いや、違う。甘いものではない。
何が違うという理由はあげられないが、そういう気分だ。
だから彼女は今日も路地を曲がる。
がらんがらんと大きな音をたてて、扉を開け放った。
「ありささんーっ、お腹空いたよー。今日のパンのサラダって何ー?」
「いらっしゃい」
唐突な彼女の台詞にも、慣れっこという表情で店主は応じると、傍らの手書きのメニューを示した。
「今日はコールスローだよ。マヨネーズ使ってないやつね。別のが良ければなんとかするけど」
「ううん、それでお願いーっ、サンドにしてね」
「パンはトースト? そのまま?」
「焼いてー」
「ドリンクは?」
「アッサム、ホットで」
この店の軽食メニューは『パン』と『ごはん』の二種類。朝だけならば『モーニング』と呼称される内容だ。
一日を通して提供しているメニューであるために、その名称は避けたらしい。
パンのメニューは『基本的』にはトーストとサラダのセットだ。何故『基本的』なのかと言えば、店主はちょっとしたアレンジには簡単に応じてくれる為だ。
一番簡単なアレンジは、サラダを挟んでサンドイッチにしてくれるというものだった。
コートを脱いで、鞄をドンと置く。椅子の上を占拠したのは中身をごそごそとかき回す為だった。半分まで目を通した雑誌を引っ張り出す。食べ物の特集記事が表紙で主張している。色気のある話題なんてものには興味はない。それもどうかとは思うが、まあ、ないものは仕方がない。
パラパラと、読むというより眺めているようにしている間に、声がかかる。
「はい、お待たせ」
亜里沙が差し出してくれたのは、真ん中でカットし皿にのせられたサンドイッチと、紅茶のポットだ。
まず、鮮やかなオレンジ色が目を惹く。
ニンジンとキャベツの千切りが層になったそのサンドイッチは、一見すると結構な厚みがある。こんがりと焼き目のついた全粒粉の食パンで挟まれた野菜の量はかなりのものだ。
食パン自体も『サンドイッチ用』のものではない。トースト用の厚さのあるものだ。
腹の虫の訴えを無視して、ティーカップの上に茶漉しを引っ掛けるようにしてのせる。その上から、ポットのお茶を注ぐと『紅茶』の名にふさわしい赤みの強い水色の茶が揺れる。
まず、喉を湿らせる。
一杯目の紅茶には砂糖もミルクも入れない派なのだ。『紅茶らしい』安定した風味がアッサムの良いところだと思う。
「ありささんーっ、これ一緒に入っているの何?」
「今日はコンビーフ入れてみたの、苦手?」
「ううん。大丈夫ーっ」
キャベツの下には更に茶色い層が出来ていた。亜里沙に確認すればコンビーフの層であるらしい。
大口をあけてかぶりつく。
この厚みに対抗するためには、そこで躊躇う訳にはいかない。
残念ながら千切りニンジンとキャベツの幾らかが落下する。だが、大半は捕らえることに成功した。
「ん?」
さっぱりした味付けのサラダだ。だが、それだけではない。強い塩味や濃い味付けはないのに物足りなさを感じさせない風味がある。
もう一口、がぶり。
トーストしたパンの香ばしさと食感。作りたてのサンドはバターの仕事もあって、パンが水分を含むこともなく、心地良い感覚を伝えてくる。
野菜の歯触りも良い。キャベツは少ししんなりとしており、ニンジンはしゃきしゃきとしている。それぞれにコールスローとしてあるべき姿の野菜たちだ。
コンビーフにはハーブが刻んで混ぜられていた。
成る程、これも風味の一因だろう。
「マスタードとビネガーかなぁ」
料理自体の造詣は深くないために、食べたものの調味料を当てることなど出来ない。だが、柑橘の風味の無い酸味にそんな推測をする。
マスタードだと思われる風味は、辛味ではなく爽やかさに近い主張を味覚に訴えていた。ふわっと爽快感が鼻に抜ける。
見た目のインパクトに比べて、すんなりと半分程が胃に納まった。これも野菜がメインであるお蔭だろう。
再び紅茶。無糖にするのは食事時のお供であるからというのもある。
甘いドリンク片手に食事というのは、何だか苦手だ。
残り半分もあっという間に食べ進めた。
皿の上に戻すと、ニンジンとキャベツの落下を留めることが難しい気がしたのだ。一度手にした後は、そのままの勢いで食べてしまった。
「はふぅ」
落ち着きを見せた腹の虫を一撫でして、カップの中の紅茶を飲み干す。二杯目の紅茶を注いだ。
ポットで出される紅茶はここが良い。自分の好きな濃さの紅茶を自分の好きなタイミングでたっぷりと楽しめるのだ。
時間の経過と共に濃くなり、苦味を感じる紅茶をすこし少な目に。
今後は砂糖を入れてぐるりとスプーンで混ぜる。ミルクも様子を見ながら入れる。はじめに少な目にしたのはこのためだ。
一杯目はストレート。濃くなった二杯目にミルクと砂糖。これが紅茶を楽しみ尽くす最も効率的な方法だと、勝手に自分では思っているのだ。
正解など無い。
所詮は『嗜好品』だ。自分の『嗜好』に合わせて、好きなように飲むのが一番だろう。
「アッサムにはミルクだよねー」
濃い目の二杯目のミルクティー。これが一番お気に入りのタイミングだ。ゆっくりじっくり味わうことにする。
再び雑誌を取り出して、時間を過ごすお供にする。
「いつものお願いします」
カウンター席で眼鏡のお兄さんが、雄大に声を掛けている。『お兄さん』は帰り際に珈琲を更にテイクアウトするのが『お約束』だ。
珈琲のメニューは少ないが、店主夫婦信頼の店から仕入れた豆を使っていると以前言っていた。あまり詳しくないが、それもまた時には楽しんでいる。
それにしても、自家焙煎とかスペシャリティとか、珈琲を売りにする店はあれだけ世の中に溢れかえっているのに、何故に紅茶の店は少ないのか。わざわざ金出して注文した紅茶が、蒸らしも足りないティーパックのものの時の苛立ちは半端ない。自宅で飲んだ方がよっぽど美味しいじゃないか! という気になる。
珈琲にかける情熱の半分でも紅茶に向けろ! メニューにのせる以上はな! と香りの足りない色水を啜ることになるのだ。あれはない。
カランカランとお兄さんが帰宅するベルの音をBGMに、そんなことを考える。
「差し湯いる?」
「お願いー」
更にポットに残った、一杯分には少し足りない量の濃くなりすぎた分にはお湯を足して貰う。
「……どうしよう」
お腹を落ち着かせる為だったというのに、胃が仕事を初めてしまった。まだ行けるぞと自己主張をしている。
「うぐぐ……デザート……だが……」
葛藤する。
夕飯前のお凌ぎのはずだった。ここで追加注文してしまうのは、その本来の趣旨を逸脱してしまう。
「今日のデザートは零さんの新作だよ」
葛藤する彼女へ、亜里沙が悪魔の誘惑のごとき一言を告げる。
この店の従業員の一人。デザートとパンを担当している美人のお姉さんの名前を告げる。子育て中のママでもあるため、レアキャラ並の遭遇率だが、名前だけはいつもよく聞いている。
今日のパンも美味しかったです。
「……」
何故に限定とか、特別とか、新作とかいう、スペシャル的な修飾語というのは抗い難いのか。本能なのか。もうこれは日本人の本能なのか。
「……今日のデザート、何?」
「スコーンはいつも通りなんだけどね、チーズケーキは柚子なんだって。それで新作はシフォンケーキの方で……」
アッサムのミルクティーと、スコーンの組み合わせも鉄板中の鉄板だ。新作を検討するつもりなのに、定番にも惹かれる自分がいる。
食べたいものがありすぎて、ウンウンと唸り声をあげて頭を抱える時間というのは、ある意味とても幸福な時間なのだろう。
彼女はそんな幸福な葛藤に没頭していくのであった。
昨日食べたサンドイッチがおいしかったから……
何だかエッセイとルポと創作が入りまじった感じになるのかもしれないです。どんな感じで書きたくなるのか、見切り発車なもので……