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根菜と肉団子のスープ

「ふあぁ……っ、さぶっ」

 呟きながら足を早める。天気予報では雪になるとの予報だったが、空を埋め尽くした重たい雲は、未だ雨粒すらこぼしてはいない。

 だが、いっそ雪となってくれた方が、体感的には暖かい気がするのだ。白くたちのぼる吐息に、ますます寒さを実感して、彼女は目的地に向かい足を早めた。

 寒い。とにかく寒い。

 こんな日の食事は温かいものに限る。できれば身体に優しいものであればなおのことありがたい。

 家に帰って自炊するのでも良いはずだが、テレビの音だけを相手に自分で作って独りで食べる気分ではない。


 だから彼女は今日もいつもの路地を曲がる。

 足元の、住民たちが占拠している植木鉢や表の店のゴミ袋を避けながら、更に細い道に入る。

 目的地の一軒家。

 扉を開ける前に隣の黒板を確認することもせずに、少し重たい扉を引き開く。

 がらんがらんと鈴と呼ぶには可愛げのない音が、自分の来訪を知らせた。

 顔にあたる暖かい空気に、知らず全身を縮めていた力を抜く。

「うわあぁぁ……あったかい……」

「いらっしゃい。寒かったでしょう?」

「寒いってもんじゃないよお……」

 この会話だけで、ここを訪れた理由になるだろう。

 冷えきった誰もいない部屋に帰っても、迎えてくれる人は誰もいない。

 コートを脱いでから、カウンター席の一角に座る。

 今日はそういう気分だ。文庫本の新刊などを携えて、ゆっくりと陣取る気分の時はテーブル席を選ぶ時もある。


 店内のテーブルや椅子はバラバラで、どれも時間の経過を感じさせる風情の代物だ。だが、それだけにこの『古民家』という空間に馴染んでいる気にもさせてくれる。

 庭を臨める窓際のソファー席ではいつものお爺ちゃんが新聞を広げており、カウンターの反対の隅では、眼鏡のお兄さんが珈琲片手に分厚い専門書を読んでいる。

 名前は知らないけれど、顔はよく知る『いつものメンバー』をちらりと確認してから、店主の片割れたる女性に顔を向けた。

「ありささんー、今日のスープ、何?」

「今日は肉団子と根菜のスープ。ごはんはひじき」

「じゃあそれでー。紅茶はチャイでー」

「はーい」


 カウンター席は厨房の様子もよく見える。亜里沙とその夫の雄大が、各々作業をする様子を眺めて時間を潰す。

 結露が流れるグラスを指で拭い、コースターの柄を確認する。

 電波状態が悪いこともあって、他の店では知らず知らずのうちに取り出してしまうスマホも鞄の中のままだ。

 ゆっくりと流れる時間を、四季の草花が彩る庭に視線を向けて、ぼんやりと過ごす。

 福寿草の黄色い花を見つけて、冬の季節に明るい色彩を添えてくれる小さな存在に目を細める。

(毒があるとは思えないよね)

 とりとめなく思い浮かべるのは、そんな他愛ないことだ。


「スープセットお待たせ」

「ありがとー」

 亜里沙がお盆にのせて運んで来た本日のスープセットの内容は、根菜たっぷりの肉団子の入ったスープと、ひじきごはん。それに鶏の八幡巻き。別にチキンロールと呼んでも良いのだが、今日の他のメニューと並んだ姿だと、なんだかそう呼びたい気分だった。


 まず、スープから。

 暖かい部屋で多少は暖まったものの、冷えきった身体は温かいものを切望している。スプーンですくい口に運ぶ。ふわりと胡麻油の香りがした。

「あち」

 だが、懲りずに二口目。

 あっさりした味付けのスープは、たっぷり入った根菜の滋味に溢れている。葉野菜ではこの味は出ない。

「ゴボウだよねー」

 良い仕事をしてくれる。きんぴらにしても一人暮らしでは食べきるのが大変な野菜だが、やはり無くては物足りない存在だ。

 大根や人参も皆仲良く角切りで澄んだスープに沈んでいる。一口二口では減った様子も見えない。

 二つ、ででん、と存在感を主張する肉団子をスプーンで割る。好きなものは初めのうちに食べて、最後の一口分もまた残しておくというのが、彼女の流儀なのだ。

 外見よりも容易い抵抗で肉団子は崩れた。その柔らかな感覚も楽しむ。豚肉のあぶらが肉汁と共に感じられた。

「ふあぁ……」

 ため息をひとつ。呼気に温かいものが混じる。

「胡麻油が良いよね」

 コクを増してくれる豚肉のあぶらと風味を増してくれる胡麻油。

 そして何より寒い日には、多少油分の加わったスープの方があたたまる。


 そのままスプーンを隣のひじきごはんに。スープの内容によってはパンの日もあるが、今日のスープにはやっぱりごはんがよく似合う。


 一度スプーンから手を離し、箸を鶏の八幡巻きへと向ける。メインディッシュと呼んで良いのだろうか。スープセットと呼ぶだけあって、なんだかおかずの方が脇役の気配が漂うのだ。

 ゴボウと人参、いんげんが巻かれた鶏肉は、断面がきれいだ。鮮やかな色味があるだけで美味しそうな気がする。

 中身を落としてしまわないように気をつけて持ち上げ、ぱくりといく。やはり一口では無理だった。ひじきごはんの上に残り半分を待機させる。

 鶏肉の表面は焼き目がつけられ、甘辛の味付けで仕上げられている。蒸し焼きにされた肉はモモ肉特有のジューシーさを蓄えていた。こってりした甘めの味付けだが、それが薄味のひじきごはんを進ませる。

 あらかじめ煮てあるゴボウはほどよい食感だけを残していて、人参のほのかな青くささもそれはそれで良い。

 残り半分はごはんと共に楽しむ。口中加味は日本の文化だ。


「ありささんー、今日のも美味しいー」

「ありがとう」

 常連のお爺ちゃんの紅茶のポットに、お湯を足す亜里沙に声を掛ければ、笑顔の返答が戻って来た。


 再びスープに戻る。

 油分のおかげでまだ熱々だ。旨味をたっぷり含んだ大根や人参、そして底に沈んでいた春雨を引っ張り出す。

 ちゅるんとすすったら、一滴テーブルに雫が跳ねた。紙ナフキンで拭う。

 店に入った時には手をつける気になれなかった、冷たいグラスから、水をごくりと飲む。水道水とは違うらしく、カルキくささのない甘みすら感じる美味しい水だ。

 リセットされた口中で残りの食事に新たな気分で取りかかる。


「あー……、美味しかったぁ」


 かちりと小さな音をたてて、スプーンを満足感と共に置く。

 椅子の背もたれに背中を預けて、かすかに伸びれば、厨房の雄大と目が合った。既に彼はチャイの準備をはじめている。

 正確にはマサラチャイと呼ばれるもので、スパイスが共に煮出されているものだ。『チャイ』だと、スパイスの入らない煮出しミルクティーを指すらしい。

 カウンターの前から雄大がカフェオレボウルに入ったチャイを差し出した。

 シナモンの香りがまず届く。

 両手で抱えるように持ち、少しずつ啜るようにして口にする。ブロークンタイプの茶葉を濃いめに煮出しているために、甘めの味付けにもたっぷりのミルクにも負けずに紅茶の風味を主張する。

 ジンジャーのぴりっとした辛みを感じるが、これこそ今日、この紅茶を選んだ理由だ。

 寒い日には生姜をとりたくなる。

 甘いチャイを飲むと、デザートを頼まなくてもなんだか充分満足な気分になる。この店のデザートは美味しいが、だからこそ危険だ。三種のうち売り切れたものがあると、選べぬことがどこか悔しくて、三種全部あれば、どれかを選ばなくてはならないことに頭を抱える。

 三種全部頼んでしまうという暴挙にすら覚えがあるのだ。

『カロリー』という呪いの言葉に後悔することになる。


「はあ……」

 名残惜し気にカフェオレボウルを抱えていても、中身のなくなったそれは、だんだんと温度を下げて行く。そのまま長居をしたくなる自分の心に鞭打って、彼女は椅子から立ち上がった。

「あれ? 今日は早いね」

「寒いからー、あったまったうちに帰るよー」

 亜里沙と会計をしながらそんな会話をして、コートを着込む。マフラーもきっちり巻いて鞄を肩に掛けた。

「じゃあまたね。ごちそうさまー」

 がらんがらんという音と、亜里沙の見送りの言葉を背中に感じて、冷たい風が吹き付ける外へと出ていく。


 お腹の中の温かいごはんのおかげで、行きよりだいぶ寒くない。

 そんなことを考えながら、彼女は暗い路地を気をつけながら急いで行った。

こんな感じのまったり作品を、気が向いたらというタイミングで描いて参ります。気長にお付き合い頂ければありがたく存じます。

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