出逢い
灰色の雲が、空を残らず覆っていた。頬に触れる風はきわめて静かで、馬の蹄の地を駆る音だけが僕の耳に届く。どこまでも伸びる道は白く乾き、その向こうにそびえる森は暗く翳っていた。
――まるで色を嫌っているかのようだ。
僕は逸る気持ちを抑えながら、周囲の秩序を乱さぬように馬を駆った。
領土線沿いの小さな村の、そのまた外れ。森の中のごく細い小路を、僕は馬に乗って進んでいた。真昼時だというのに辺りはじとりと暗かった。天気のせいだけではない。折り重なるように生い茂る枝々が、空からの光のほとんどを遮っているのだ。馬の歩みを進めるほどに、森は深くなっていった。
本当にこんなところに? その疑問が胸を過ったとき、僕の目にそれは飛び込んできた。
背の低い、錆びた鉄の門。鬱蒼とした木々に紛れるように、目指すものはあった。僕は道の脇に馬を停め、自分の足で湿った地面を踏みしめた。
鈍色の門に手を伸ばしかけたとき、中から一人の婦人が出てきた。
ほつれた髪に色褪せたスカート、辺りをうかがう怯えた目、荒れた手には一かかえの壺。婦人は僕の姿を見るなりぎょっとして、身体で壺を隠すようにしながら足早に立ち去っていった。
その婦人と入れ替わるように、僕は門をくぐった。木々を切り開いて作ったらしい庭には、何種類もの植物が生えていた。どれもこれも奇妙なかたちの深い色の葉をしていて、お互い絡み合うように枝を伸ばしている。僕はとくべつ植物に詳しいわけではなかったが、それにしてもそこに生えているものにはことごとく見覚えがなく、恐らく呪術に使用するものだろうとなんとなく予想した。
家――というよりも小屋と言ってもいい大きさだ――は、植物の群れの中に隠れるように存在していた。
壁は不気味な暗色の蔦にびっしりと覆われ、わずかに見える隙間からくすんだ褐色のレンガがのぞいている。蔦に埋もれるようにしてあった粗末な木の扉の前に立ち、僕は少しだけ襟を正した。そして静かに深呼吸をし、扉を短く二度ノックした。こんこん、という音が淀んだ空気に余韻を残す。
ややあってきぃと軋んだ音をたて、小さく扉が開かれた。同時にその隙間から、何か甘い匂いがふわりと漏れ出てくる。
続いて現れたのは、からすの羽のような髪と雪のような肌をした女性だった。着ているものも真っ黒で、まるで顔と腕だけがぼうっと闇に浮き上がっているように見える。それはくすんだ色の多いこの場所において、ただひとつの透き通った白だった。
彼女はすっとした眉を寄せ、訝しげな視線を僕に向けていた。年は僕より十ほど上だろうか。僕はにこやかな笑顔を作った。
「こんにちは。未来が視えるというのは、あなたですか?」
僕はやわらかな口調でそう言ったが、どういう訳か彼女はそれを聞くなり僕を鋭く睨みつけた。そして「人違いよ」と短く言い、ばたんと扉を閉ざしてしまった。
それが僕と彼女の出逢いだった。
彼女の反応に、僕は少なからずショックを受けていた。
ただひとこと、声をかけただけなのに。
行き道とは打って変わって、僕の心は萎んでいた。馬に乗ってゆっくりと立ち去りながらも、あの家を取り巻く空気が僕を追いかけてきているように感じた。
挨拶の仕方が、悪かったのだろうか。僕は彼女に対して怒りや疑問よりも、ばつの悪さを感じていた。
あのような場所にわざわざ居を構えている彼女は、少し風変りな人物なのだろう。しかしだからこそ、もっと慎重に接するべきだったのかもしれない。いずれにせよ僕のせいで機嫌を損ねてしまったのであれば、詫びねばなるまい。
僕は馬に制止をかけ、振り返った。そして白く伸びる道を――その先にある森を眺めた。空を覆う雲はいつしか灰色から鈍色に変わり、重い風が足元をすり抜けていった。まもなく雨が降り出しそうだ。
僕は小さく溜め息をつき、今日のところは謝りに引き返すことを諦め、再び自分の屋敷へと歩を進めた。