大国様が本気で義父を攻略するようです・六
注意:このお話は、男性同士の恋愛表現が含まれております。閲覧の際はご注意ください。
私にとっての父は貴方だけです。他に誰もいないのです。
私には貴方しかいない。貴方の代わりなどいないのです。
そう、父は貴方だけ。
私の父は、貴方だけです。
だから、どうか、どうか。
私を、見捨てないで――。
~大国様が本気で義父を攻略するようです・六~
雨が降っている。梅雨の匂いが屋敷を覆っている。
俺――スサノオは出雲の屋敷で、のんびりと雨を眺めていた。
いや、正確には、さっきまではひとりでのんびりと、眺めていた、だろうな。
現在俺は、娘や息子に囲まれてあれこれと世話をされている。
娘の宗像三姉妹からは、綺麗な着物を贈ってもらった。
息子のヤシマジヌミは、肩を揉んでくれてるし、その嫁チルは高価な茶を出してくれた。
もう息子娘じゃないにも関わらず、出雲の子供達である木俣や事代、鳥鳴海に果ては建御名方まで何かと俺によくしてくれる始末である。お前らの父親はどうしたという本音はぐっと飲み込んだ。
いつものように嫁のクシナダに聞くと、今日は父の日というらしい。
遥か遠い異国で、父子家庭で育った娘が、母の日と同じように、父に感謝する日を立ち上げようとしたことがきっかけだという。孝行な娘だと思う。
正直、ここまで盛大に感謝されるとは思っていなかった。きっと、宅急便で酒でもなんでも贈るかと思っていたがそんなことはなく。みんなじかに会いに来て、元気な姿を見せてくれた。字面だけみると年寄りじみてて何か嫌だ。
荒くれの俺がこんなんでいいのだろうか。俺はというと、父親には前日に酒を贈っておいた。今日電話で「ありがとうな馬鹿息子!」と感謝の気持ちなんだか皮肉何だかわけの分からない言葉を受け取った。
さて、俺は今結構困っている。
というのも、義理の息子である大国が、やたらと親孝行したがって離れないというわけだ。
娘の婿が大国ということだから、義理とはいえ息子であることに違いはない。……が、大国にも実の父親はいる。大国は、その父親に孝行する気がまるでないのだ。
天冬衣――大国の実父である彼は、息子の大国どころか、殆どの神々と交流を持たない奇妙な男である。俺にさえ顔を見せることがない。誰かと一緒にいるのを、避けているようにさえ思える。
「お義父さん、お義父さん」
大国の声は弾んでいる。どこか嬉しそうで、冬衣のことを聞けない。大国は冬衣が嫌いだからだ。嬉しげな義理息子に水を差すのは、何だかはばかられた。
「……あんだよ」
「肩でも揉みましょうか? それとも腰ですか?」
「あいにくマッサージはヤシマにやってもらったよ」
「ではお茶でも?」
「それはチルがくれた」
「残念です。それではお酒はいかがでしょうか」
「イチ(宗像三神の真ん中っこ、イチキシマ姫である)がくれた」
「うーん、困りましたね……。これではいかにしてお義父さんに日々の感謝をお伝えすればよろしいのか」
大国は頭を抱えている。しなくていい、とは言えない。
「……分かってるとは思うが、孝行されたくらいじゃ俺はお前になびかねえからな?」
「存じております」
大国は完璧な微笑でもって答えた。
ことの発端は数か月前。ある朝、大国は俺に向かってこう告げた。
『お義父さん、私と子作りしてください!!』
彼奴は俺を女神か何かと勘違いしていたんじゃないかと本気で思った。そして奴の頭がとうとういかれてしまったのだと、割と本気で心配した。
だがよくよく聞いてみれば、彼奴は本気で俺が好きだと言う。義理の父親として以上に、俺を、俺自身に情愛を抱いたという。
正直、俺にはクシナダがいるし、同性を好きになるような性格ではない……はず。
本来ならこんなふざけた求愛は蹴っ飛ばしてやりたいところだ。だけれど大国は本気だった。
だからその本気に、最大限応えてやろうと決意した。
『変化球じゃなく直球で求愛してきたら、ちょっとは揺らいでやるかもな』
今回の親孝行も、父の日に乗じた点数稼ぎかと疑っていたがそんなことはなかった。
何の曇りもなく、俺に日頃の感謝を伝えようと一途だった。ただ、隙あらば過度に触れて来ようとするから、その辺は注意が必要だったけど。
その心が嫌なわけじゃない。それどころか、嬉しいくらいだ。
どこかこそばゆい一方で、その愛情を受けるべきは自分ではないことを感じてしまう。
俺は、大国の義理の親ではあるが、実の親じゃない。
あいつの父親は冬衣なのだ。だから、この好意は、俺が受けていいものじゃないのだ。
その日の夕方、ようやく人の出入りが落ち着いた。孫たちは別れを惜しみ「また顔を見せに来ます」と言ってくれた。娘たちは「たまには電話するね」と期待させてくれた。
一緒にいたクシナダは、いつの間にか部屋をあとにしていた。たぶん、スセリが食事を作っているから、手伝いに行ったのだろう。
部屋には、俺と大国だけが残された。
大国は完璧な微笑を少し幼くさせたような笑顔で俺に寄り添う。その笑顔が視界に入るたび、違うよ、と突き付けなければならないことを苦しく思った。
「お義父さん」
「何だよ」
「私は、父の日でなくとも、常日頃からお義父さんには感謝しているのです」
「……うん、知ってる」
「貴方がいたからこそ、私は今日も生きていられるのです」
「んな大げさな」
とんでもない、と大国は言う。
大国が言っているのは、大昔に祟り神に成ったときのことだろう。ある日、何かをきっかけにして、大国は日本全土に祟りをまき散らした。もう手遅れであると思われた時、俺が大国に自分の血で浄化して、暴走を止めた。
俺にとってはなんてことはない。義理の息子を助けたというそれだけのこと。
だが大国はそれが大きなことだったようで、その時がきっかけで俺に本気で求愛するようになった。
大国のその気持ちは分からないわけじゃない。よく知っているからこそ、大国の慕情が苦しいのだ。
その父親への愛情は、俺に向けるべきものじゃないだろう?
義理の息子の屈託ない笑顔に水を差すのはためらわれた。でもこれは言わなきゃならないことだ。
心が重たい。だけど、俺は口を開いた。
「なあ、大国」
「はい」
「俺はお前の実の父じゃない」
大国の表情が、固まった。
やっぱり、冬衣のことは大国にとって触れてほしくないことだったんだ。
大国は、冬衣が苦手で、嫌いだ。
冬衣に優しくしてもらった記憶がないという。
大国は兄弟が多かった。そしてその兄たちにひどい目に遭わされたこともあったからか、兄弟仲はよくない。ついでに父親との仲も悪い。
実の父親……冬衣のことは大国にとって触れてほしくないことだった。それに触れてしまったことが、少し罪悪感を生む。
「お義父さん……?」
「俺は義父だけど、実父じゃない。お前の父親は、冬衣……」
「あんな男、父親なんかじゃない」
恨みがこもった声だった。綺麗な声を低くして、憎悪で満たす。
俺が、大国を傷つけてしまったんだ。胸が痛みを訴える。でも大国は、それ以上に痛いのだ。
「あの男も今更、私が愛想を振りまいたところで何も感じないでしょう。八十といる兄弟がいて、そのうちのひとりの私が来たって、何も……」
「大国……」
言うべきじゃなかったのかも知れない。痛みとこそばゆさに、俺だけが耐えていればよかったのかも知れない。
――でも、それでいいのか?
心中でそう自問すると、違う、と本心が告げた。
かつて、俺は父親であるイザナギとは一生相いれないと思っていた。怖かったから。海を治めるよりも母親のところへ行きたいと駄々をこねた自分を拒絶した父が、怖かった。
だから大人になっても、俺がヤマタノオロチを対峙しても、子供ができても年を重ねても、父親という存在が怖くてしかたがなかった。
でも、そんな自分でも父親と和解できた。母や姉兄の協力を得て、仲直りすることができたのだ。絶望的だった関係を修復することができたんだ。
俺ができたのだ。だから大国もできるはず――とは言えない。大国と冬衣の溝は、もっと深い。
きっと俺が思っている以上に、大国はその深さを実感しているんだろう。昔の俺と同じように、もう関係を良い方向へ持っていくことなどできないと、諦めているんだ。きっと、仲を良くしたいだなんて思ってもいないんだろう。分かってる。分かってるよ、大国。
「大国」
「……はい」
俺は自然に、大国の頭を撫でていた。俺が突き放してしまったのだ。だったら後のフォローもしなきゃならない。
フォローもして、息子たちの関係にも決着を付けさせる。――俺がしなきゃならないのは、それだけだ。
「大丈夫だ。もし、冬衣と上手くいかなかったら、俺のとこに来い」
「お義父さん……?」
俺はつとめて笑う。上手に笑えたかな。安心させられたかな。
「もし冬衣と何かあっても、お前に落ち度があったとしても……俺はお前の味方だよ」
万が一、あいつが冬衣の絶対零度に負けてしまったとしても、冬衣が息子を拒んだのだとしても、大国をひとりにはさせない。大国の頭を撫でたり、背中をさするくらいの慰めは、俺にだってできる。
かつて俺が、母や姉兄に支えられて父親と和解できたように。
今度は、俺が大国を支えて、冬衣と仲良くさせる手助けをする。――ただの自己満足だと分かっている。大国と冬衣が仲良くなればいいなあ、という俺の独り善がりな望みをかなえるための偽善だと分かっている。
でも大国は、完璧な微笑でもって、
「はい」
とうなずいた。
義父に助言を頂き、私は実父である冬衣の屋敷まで来ていた。
父と交流した記憶はない。父の背中の記憶はあるけれど、それだけだ。顔はぎりぎり覚えている。癪な事実であるが、私は父親似なのだ。
小さい頃は、よく兄たちに遊んでもらっていた。でも大人になるにつれ、次第に関係は悪化していった。私は、兄たちにとって都合のよい奴隷のような存在にされていた。どうしてそうなったのか分からない。解明する気も失せた。
父の屋敷はとても小さい。私の暮らす出雲の屋敷とは比べ物にならない。義父の屋敷も小さくてささやかだけれど、その比じゃなかった。
屋根はあちこち壊れているし、戸を開けようとするとなかなか開かない。力を入れても開かない。コツがいるようだった。腹立ちまぎれに蹴とばしたら、どうにか開いた。
中は薄暗い。逢魔が時だというのに、父は灯りもまともにつけていないようだった。
私は「ただいま」の一言を呟いて、奥へと進んでいく。小さい頃は、こんなボロ屋に住んでいたのだと、今更懐かしくなる。
廊下を歩くたび、足元がぎしぎし軋んだ。底が抜ける恐怖に怯えながら、私は父のいるであろう奥の部屋をただ目指す。
埃と木くずの匂いで満ちていたさっきまでの空間とは打って変わって、父の部屋は優しい匂いがした。洗剤の匂いだろうか。
「とうさん」
襖を開ける。暖気がこちらへ流れ込んできた。
私の声は震えていた。緊張しているんだろうか。拒絶が怖いんだろうか。縁結びの神たる私が、こんなことに怯えているなど情けないと自嘲する。
襖の奥には、もう夏になるというのに炬燵に身を押し込めている者がいた。私の父――冬衣だ。
父はそれだけでは足りないらしく、もこもこの半纏を羽織って襟巻を首にぐるぐると巻き、耳当てで耳を防寒している。
父は冬を告げる神だ。冬になると屋敷を出て中つ国中を歩き回る。冬が来たと告げるために、渡り歩く。
冬を告げる神の癖に、寒さにはめっぽう弱い。だから夏でもああして過剰な防寒対策をする。
父は背を向けたまま、何も答えない。かすかに肩が上下しているから、呼吸はしている。死んではいない。
「父さん」
父は何も言葉を返さない。こちらを振り向こうともしない。
もうだめだったんだろう、父との縁は、切れてしまったのだろう。そう諦めかけた時、
「オオナムヂか」
父が、低く声を発した。
「……っ、父さん?」
「懐かしい声がしたと思ったら、お前だったか。もう五百二十と半年も顔を合わせていなかったな」
「それほどの長い年月、お互いに会ってもいなかったのにどうして私だと分かったのですか」
「確かにな。どうしてだろう、なあ。この冬衣にも分からんよ」
父は妙にマイペースだった。こちらを振り向こうともしない。炬燵から出るのはさすがに酷か。そこだけは責められまい。
「いつまでずっとそこに座り続けるおつもりですか」
「冬が来たら出るよ」
「座りっぱなしは体に毒ですよ?」
「神だから毒くらい浄化してやろうさ」
私は頭痛を覚えた。今まで父に抱いて来た憎悪や嫌悪、恨みつらみが全て音を立てて抜けていく。空気が抜けたみたいに、しぼんでいく。自分のペースを崩すことがない父と会話して、心が折れることはなけれど力が抜けた。
暖簾を押しているような、まるで手ごたえを感じない。これは駄目だ。別の意味で心が折れる。
私はその場を離れるつもりでいた。もう父とは修復できない。こんなマイペースな男が実の父だとは思わなかった。
出雲へ帰ろうと踵を返しかけて、ふと足を止めた。
ひとつだけ、違和感があったのだ。
炬燵や暖房、半纏に襖は手入れが行き届いていて新品と見まごうほどだ。傍らに置いてある座布団は枕代わりにするのだろう。ふかふかして、遠目からでも気持ちよさそうだった。
そんな新品に包まれた空間の中で、父が装着している耳当てと襟巻だけが、妙にボロボロだった。
「父さん、耳当て……襟巻もですが、いつ買われたのですか」
「買ってはいない。贈り物だからな」
「は……?」
父は、ようやくこちらを振り向いた。眠そうな半眼で見上げて来た。
「忘れたか。お前が初めて小遣いをねだったことがあったろう。珍しいと思って少しばかり与えたら、その小遣いで買ってきた。……それがこれらだよ」
父が、愛おしそうに襟巻と耳当てを撫でつけた。
そういえばそうだった。
まだ私が幼かった頃。小さくて、兄たちとも仲が良かった頃。
その日はどんな日だったか覚えていない。ただ、寒かったのは覚えている。寒さが大の苦手な父を見かねて、確か小遣いをねだって買ったのだ。神とはいえ、子供が買える品など限られている。
私は大人になった。子供だったあの頃と、気が遠くなるくらいの差がついた。その年月は、五百年を上回る。
そんな長い時間、父は捨てず新調せず、後生大事にそれを愛用していたのだ。
私は、それに気づかなかった。拒絶を恐れて、父の真意(父は天然だから、真意など最初からないんだろうけど)から目をそらしていた。
馬鹿は私の方だった。
「……ふ、くく」
思わず笑いがこぼれる。
「オオナムヂ?」
「父さん、私は、とんだ馬鹿でした」
「うむ、そうか」
「そして貴方も大概に馬鹿です」
「……冬衣は普通だ」
「貴方の普通は、常識的に馬鹿です」
「親に対して馬鹿馬鹿いうものではないぞ」
「……そうですね。でも、そんな父さん、嫌いじゃないです」
「そうか。冬衣は、どんなオオナムヂも嫌いじゃないぞ」
私は、全身の力が抜けていくのを感じていた。
張り詰めていた気が緩んで、目から涙がこぼれて来た。
だけれど顔は笑っていた。
その場にへたり込んで、体を引きずるように、父のもとへ倒れこむ。私を抱き留めた父は、以外にも驚いて慌てていた。眠そうな目を心配で滲ませて、私を見つめてくれる。
「大丈夫か、オオナムヂ。気分でも悪いか?」
「いいえ。むしろ心地が良いのです、父さん」
「うむ、そうか。だが万が一があってはならん。今夜は、ここに泊まるとよい」
「そうします」
私は珍しく、出雲の屋敷を留守にした。
私は、気が済むまで、父に抱き着いていた。あれだけ防寒しているのに体が冷たくてしかたがなかった。でもその冷たさが心地よかった。
お義父さん、ごめんなさい。今日は出雲へ帰りません。
ですが、一晩明けたら帰ります。
その時は、お義父さんに慰めてもらう必要はありません。
ただ、ワガママを言わせてもらうとですね。
「よくやったな」と貴方からも褒めてもらいたいのです。
ですから、一晩だけ待っていてくださいね、お義父さん?
6月は父の日のお話にしようと前々から決めておりました。無事に書けてよかったです。