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圧迫しそうなほどの重量感がある扉を前に身動きがとれない。
俺は虎の尾を踏む思いで槙さんが待ち構えている自室の前に立っていた。
珠の回収作業を終え、気づいたときには日は疾うに暮れてしまっていた。
要した時間はそれほどでもない。
それでも、達哉の件を総合的に見たら相手を待たせていい時間を優に超えている。
いくらか世間知らずとは言えど容易にわかった。
怒っているのだろうか。心配しているのだろうか。
どちらにせよ小言を言われるのは確実だった。
(槙さんに会うのに、気が重い)
待たせていることを考えると帰る等という無神経なことはできない。そして無神経になりたくない。
ただならぬ意思を込め、金箔付きの戸口に手をかける。
「夏樹?」
ビクッ
(まだ手をかけただけだよ!?)
返事は出来なかった。
少し気配を感じたから半信半疑で言ったのだろうと高を括っていた。
使用人は沢山いるんだ。俺だとわかるはずがないと。
「夏樹」
打って変わって、はっきりと芯の通った声色だった。
近づいてくる音。
段々大きくなる。
心臓がバクバクなっていることが、血液の大きな波でわかる。
珠が再び溢れ出してきた。
先程の鮮やかな黄色ではない。
紫に青の色彩が所々浮かぶマーブル。
こんな状況でも、見とれてしまうほどの、綺麗な色合いであった。
(どうしよう。怒ってるかも…。もう無神経でもいい。槙さんならきっと笑って許してくれる。疲れてそのままかえって寝た、うん、そうしよう)
言い訳は決まった。
早速戸口から背を向け、一気に走り出す。
「夏樹?そんなに急いでどこに行くんです?」
走り出した。それは確か。
でも二歩目が地上に到達することなく終わった。
いつの間にか、部屋から出てきた槙さんに左腕を捕まれ、反動で向かい合わせになっていた。
縫い止められたように体が槙さんの手中に納まっている。
離せない。
体温が直に感じて、ちょっぴり赤面ものだ。
「ふぎゃっ」
「さあ、入りましょう。約束通り夏樹が愛してやまない、僕が淹れる緑茶をご馳走しますね」
大きな手で頬を包まれた。
強制的に槙さんと目が合わさる。
だらだらと汗をかいている内心は、珠の存在によって隠せない。
「えっと、もう遅…」
「まさかさんざん待たせておいて帰る何てことないですよね。夏樹がそんな非常識なことするはずありあせんよね。ああ、そんな顔しないでください。心配せずとも僕は怒ってなんかいませんよ。所詮、粗大ゴミごときの存在と、二人きりで、誰もいない密室で居て、僕を待たせて話していたことなんて」
先ほど考えた言い訳を口にするが、相手が上手だった。
笑顔でもの申す槙さんはほんとに怖い。
顔がひきつる感覚が増してきた。
(魔王だ。魔王がいる)
さっきまでなかった鳥肌が一気に総動員された瞬間だった。
「日も落ちましたし、少し肌寒いでしょう。さあ、中へどうぞ。大丈夫です。夏樹の小さく可愛らしい珠は僕が一粒ずつ拾って大切に保管します」
保管せずに返してほしいとは言えなかった。
「…なんか目がエロいよ、槙さん。それにギラギラしてるよ」
先ほどとは違う意味で怖さが襲う。
払拭するように身震いをした。
そんな俺を見ていた槙さんは何故か嬉しそうに妖艶に微笑む。
そのままどこその執事の如く立ち振舞いで室内へ誘導する。
逃がさんと肩を抱き、中央にセッティングしたロイヤルな椅子に座らせた。
「…えっと、ごめんね?待たせて」
槙さんは俺の正面に座った。
悪魔の微笑みは崩れず。
「…えっと、早く緑茶飲みたいなー、なんて」
悪魔の微笑みは崩れず。
「…えっと、えっと、…怒ってる?」
「いいえ、怒ってませんよ」
「……」
沈黙。時間だけが刻刻と過ぎて行く。
(何か今日こんなことばっかだなぁ)
達哉の二の舞を演じているようだ。
そんな槙さんに、正直参っていた。
世の中には言葉にすることで怒りを晴らす人と、顔に笑顔を張り付け、無言で相手を威圧する人がいる。
前者はいい。
何て言ったって、分かりやすいに及ぶものはない。
何とか丸め込めば、自然にペースはこっちのものだ。
しかし後者は、だ。
有無を一切許さない。
発言は全て言い訳と見なされているようでやるせない。
槙さんは間違いなく後者に当てはまる。
それに加え、普段温厚な人ほど怒ると怖い、という特権も足される。
俺にとって最恐ベスト3に入るほどなのだ。
思い耽っていると、ガタッと立ち上がる音。
驚いて顔を上げると、横から抱き締められた。
「わっ」
重心がずれ、椅子から落ちそうになり、慌ててしがみつく。
「槙さっ」
「一緒に、いないでください」
「…ぇ?」
ゆっくりと語りかけるように囁く。
「他人と一緒に、ずっと一緒にいないで」
声から、震えが伝わってきた。
こんな槙さんは知らない。
どんな時でも、凛としてまっすぐ。
目が合うように、見上げた。
ぎゅっと、頭までも腹部に抱き込まれた。
一瞬だけ目が合った。槙さんは、辛そうだった。
身動きが取れず、されるままで、力を抜いた。
重さをすべて受け止めてくれる。
いつもの変わらない優しさを感じた。
*
「お待たせしました」
あのあと、槙さんは何事もなかったかのように離れていった。
いくらかほんわりを取り戻したした槙さんはものの数分で、戸口に落ちている珠を広い集めた。
そして約束通り、緑茶を淹れてきてくれた。
俺もつられてか、平然と振る舞っている。
(さっきのって、槙さんの独占欲?)
滅多に見ない、大胆な行動に、今は少し嬉しい。体がほかほかする。
「冷めないうちにどうぞ」
真っ白いコップが二つ。
片方は受け皿がある。
受け皿がない方が前に置かれた。
茶葉のよい香りが擽る。
緑茶はガラスコップがいいと言う人がいるが、俺は断然ホット派なため、家では湯呑みを使う。
新条家はどこからみても洋風の家だ。和の物などないのだろう。
「ありがとう」
一口飲む。抹茶の苦味が口に広がる。
苦すぎず、薄すぎない。絶妙なバランスに頬が緩んだ。
二口目を口にしたとこで槙さんがこちらを見ていることに気がついた。
「…色、綺麗だよね」
恥ずかしくて顔を背けた。
「ええ、そうですね。綺麗です」
緑茶の色は美しい。透き通る、鮮やかな緑。深すぎず、黄緑ともまた違った明るい色彩。
「いつも綺麗です」
緑茶を口に運びながら、槙さんを盗み見る。
口調も、表情も優しいものになっていた。
穏やかな気持ちで飲み干す。
緑茶は淹れる人によって味が違う。
品質や水にもよるが、醸し出される風味に大きな違いがでる。
風味こそが緑茶の醍醐味だ。
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