Battle of Nagashino
Battle of Nagashino
注)作中の人物は全て女体化しております。また、史実とは異なる個所があります。あらかじめご了承下さい。
「昌景。後は頼みましたよ」
「晴信様」
「日の本を平定し、民に…」
ほうと、胸に残った息を吐き出すと、信玄は息を引き取った。
(あれから2年)
武田信玄が行軍中に逝去した時、火葬を取り仕切ったのは山県だった。彼女の脳裏には、主君の亡骸を荼毘に付した際の炎の色が、今も鮮明に残っている。
「昌景様。あまり夜風に当たっているとお身体に障ります」
「いまゆく」
小姓の言葉に、いらえを返す。
(星は、見えない)
馬上、胸中に沸いた言葉を一人、吐露した。
「敵軍は長篠の野に部隊を展開済み。三ツ者(諜報部隊)からの情報です」
「敵の軍勢は織田、徳川合わせて約四万。触れ込み通り。我が軍の2倍以上」
「現在、大がかりな陣地をこしらえている模様」
「敵鉄砲隊の数が尋常の数ではございません。数千に上るとのこと。現在正確な数を特定中」
部下の報告に、指揮官達が苦い顔をする。
「良くないな」
「そうだな」
山県は内藤のつぶやきに頷くと、面をひきしめ、つと身をひるがえした。陣幕の入口へとその身を移す。
「いずこへ?」
「決まっているだろう」
勝頼殿の所へだと、胸に残っていた呼気全てを吐き出すように、山県は一声漏らした。
「渋い顔をして、どうした。山県」
わしは湯浴み中ぞと、山県の眼前にいる麗人が形の良い眉を顰めた。
「勝頼殿。いますぐ兵を、国元へお引きになるべきです」
これは異な事をと、武田軍最高司令官は、配下の武将に侮蔑の眼を向けた。
「我が軍は日の本一ぞ。武田の騎馬隊に破れぬ敵がいると申すか」
勝頼の眼が、山県の言を怯懦と断じている。
「いくつになっても、命が惜しいと見える」
「昌景」
勝頼の陣幕から出てきた山県の元へ、内藤が歩み寄ってきた。その後ろ背には馬場の姿もあった。彼女も山県を案じるように、気遣わしげな目線を送ってきていた。
「昌豊、信房。後で私の所に来て欲しい」
山県の陣幕の中。武田四名臣のうち三名が会していた。
盆の上に水杯が五つ載って運ばれてきた。各々、無言で杯を取る。自然、杯が残った。 内藤が、その残った二杯は誰のものかと、山県に目で問いかける。
「晴信様と昌信の分だ」
山県が「そこに置け」と、光家に命じた。余った杯が、机上に置かれた。
「勝頼殿は進言を受け入れてくれなかった。ことここに至り、生きて帰るる望みなし。この上は、敵将の首を1つでも多く上げる。この戦での我等の働きは、これに尽き申す」
山県等は、水杯を一息に煽った。
「弾正忠殿。東側の陣地の構築が出来たそうです」
「大義。徳川殿、しばし休まれよ」
信長が艶然と、その秀麗な面に笑みを浮かべる。
「決戦は明朝ぞ」
翌日薄明。武田軍騎馬隊、本体。
「お前たち。日の本最強といえばどこの軍か」
山県の問いに、「我が武田軍です」と配下の武将達が応える。
「その最精鋭部隊がお前達だ。見よ」
同刻。織田・徳川連合軍本陣。
「お主ら。首尾は良いな?」
信長の問いに配下の武将達が、首を縦に振りつつ短く返答する。
「良い。徳川殿」
信長が、盟友へと水を向ける。
「働きに期待する」
「はい」
「眼前は深い霧に包まれている。だが、各々知っての通り、今我々がいる地は兵法でいうところの通形(味方もいけるが敵も来られる地形)である。定石通り、高地である丘に布陣している。兵は敵より精強な上に地の利は我らにある。まさに必勝の状態である」
「きんかん。鉄砲隊は柔軟にな」
信長の呼びかけに、光秀が頭を垂れる。
「お主に預けた鉄砲隊。主力は、あくまで四層目ぞ」
「だが作戦は尊守せよ。内藤の合図があるまで待機。一時たりとも気を緩めるな」
「阿呆の勝頼は別として、あすこにはあの赤備えを率いる山県がいる。無論、内藤、馬場は言うにしかず。気を引き締めよ」
「我が武田軍騎馬隊は地上最強である。時が来たれば敵を粉砕し、圧殺し、なますのように切り刻め」
「ゆけ。信玄の亡霊にすがる哀れな者どもに引導を渡せ」
「第六天魔王に天罰を下す。内に火を燃やせ。くどいようだが、今は林の如く息を潜めよ。以上」
馬防柵第一層、東方面。徳川第五軍団布陣。
「これほどの濃霧。持久戦になるやも」
指揮官の一人が嘯く。だが、その期待を裏切るように鏑矢の音が戦場に木霊した。
「て、敵しゅっ」
首に矢が突き刺さり、全てを味方に伝えきる前に彼女は即死した。
戦端は開かれた。長篠の戦いの幕開けである。
「すぐに応戦しろ!敵は眼前ぞ!」
「弓兵隊、構え!」
徳川軍の弓兵指揮官が次の瞬間、腕を振り下ろす。
「放て!」
無数の矢が武田軍へ襲いかかる。だが、内藤、馬場率いる武田軍は用意周到。矢除けの木製の盾を頭上に掲げ、敵の一射目をやりすごす。
「進軍」
内藤の言葉に従い、兵達が盾を放り捨てつつ敵に襲いかかった。先鋒を務めるは槍部隊二千余名。
地鳴りとなって敵に突っ込んだ。そこかしこで血煙りが上がる。
「鉄砲隊、前へ」
馬場の指揮の元、槍部隊の左側面に伏していた鉄砲隊が射撃の姿勢に入る。数は二百。彼女はその場に、武田軍の全ての足軽鉄砲隊を掻き集めていた。
「敵の後詰を待ちなさい。味方に当てぬよう」
言い含めると、彼女は戦場での常。静かに戦況を睥睨する。
「今の銃声は何か」
「武田の鉄砲隊のものかと」
「つぶせ」
徳川殿救援に利家を向かわせよと、信長は光秀に指示した。
「鉄砲隊、所定の位置まで後退。槍隊前へ。戦闘しつつ敵を引きずり出しなさい」
馬場の預かる東南の戦場。敵がじりじりと前へ前へと進み出てくる。そうこうするうちに、縦列となった。間髪いれず、才女の美声が戦域に鳴り響く。
「鉄砲隊、撃て!」
無傷の武田鉄砲隊から、二百の弾丸が敵縦列に突き刺さった。数瞬遅れて数百本の矢が飛来する。敵が浮足立ち始めた。
「足軽隊、支えて下さい。鉄砲隊は一旦退却しましょう」
だが、馬場の指示を兵達は実行できなかった。敵の増援部隊のためだ。増援部隊隊長は織田家家臣、前田利家。
利家の騎馬隊が戦域を縦横無尽に駆け回る。腕が、足が、首が。人間の部位という部位が中空に舞い踊った。獅子奮迅の働きぶりに、馬場が舌を巻く。
「猛将。さすがです」
「騎馬隊、前へ」
東南の戦況を見守っていた内藤が動いた。馬場の戦域へ援軍を送り込むためだ。
「前進」
ときの声を上げて、内藤配下の騎馬隊が利家隊へ襲いかかった。その勢い、一気呵成。それまでの織田家騎馬隊の勢いを削ぐに十分な圧力だった。重戦車さながらの突進が三波に分けて行われた。さすがの利家も隊の瓦解を防ぐのに手一杯というありさまだった。
だが、利家はすでに目的を果たしていた。
武田の鉄砲隊を壊滅させただけでなく、徳川第五軍団が陣容を立て直す時間を十分に稼いでいたのだ。
「昌豊」
「信房か。お互い無事でなにより」
その言葉に、馬場が笑みをこぼす。
「そろそろ、昌景がしびれを切らしているのでは?」
内藤は北に目をやると、「それもそうか」と配下の三ツ者に首尾を尋ねる。
「あと数分だそうだ」
「分かりました」
優美な所作で、馬場が自身の鎧に付いた埃を落とした。
馬防柵第一層、北方面。守護する織田軍の眼前で突如、柵の一部が地面に埋没した。
同刻。戦場に法螺貝の音が鳴り響いた。
「時来たれり」
山県が配下の武将へ突撃の合図を下した。
「赤備え、剛進」
朱色の巨大な塊が動いた。一瀉千里の激流の如く。
「この振動は、まさか」
「甲斐の紅竜がようやく動きおったわ」
信長が形の良い唇を三日月形にゆがめた。
山県率いる二千余騎の赤備えは、味方工作部隊が開けた馬防柵第一層の穴から内部へ侵入した。勢いに任せ、濁流の如く人馬がなだれこむ。
局地的に、一方的な殺戮が始まった。
「止まるな。進軍を続けよ。狙うは魔王の首のみぞ」
織田軍を文字通り蹴散らしながら、山県等は進軍する。第二層に到着した。行く手の馬防柵には三ツ者の手により、すでに侵入路が作られていた。
「第二層が突破された由にございます」
「よい。さがれ」
信長がおもむろに、隣席する盟友に水を向ける。
「徳川殿。服部殿は所定の位置につかれたか?」
家康はこくりとその問いに頷いた。
「忍びは武田の専売特許ではないことを知らしめて御覧にいれます」
「見えたぞ、第三層だ」
隣を駆ける部下が、ややうろたえた声を上げた。
「昌景様。前方の柵には、穴が開いておりませぬ」
数刻前。第三層地下五メートルのトンネル内部。
「頭。ここでいいんですか」
「そうだ。ここでいい」
「良くやった。お前の家族は末代まで徳川家より扶持を得るだろう…者共、爆砕の陣を敷け!」
半蔵の言葉に従い、配下の忍び達が動いた。あらかじめ掘られていた穴に、火の付いた火薬玉を放り込んでいく。
数瞬後、轟音と共に地面が破裂した。土砂と肉塊が地上数十メートルまで噴きあがった。
武田軍工兵隊壊滅。
この一事により、戦況は大きく織田・徳川連合軍有利に傾いてゆく。
「武田の騎馬隊もこうなっては成す術もあるまい。鉄砲隊、構え」
光秀が掲げた右腕を振り下ろした。
「撃て!」
三百以上の弾丸が、山県隊を襲った。人馬もろとも、血煙りを上げながら次々に横倒しになっていく。
「勝った」
「まだだ。全体、長蛇の陣」
山県の命の下、縦一直線に騎馬隊が隊列を組みなおす。
「突っ込む。我に続け!」
この濃霧のため、兵達の無駄撃ちが多い。距離感の定まらない状態で銃を撃っても、弾丸は明後日の方向に飛ぶのみだ。
「火薬と鉛玉が足りなくなってきたか…どうする、十兵衛」
「十兵衛ちゃん、輜重持ってきたよ~」
「秀吉殿」
光秀の顔が綻んだ。
武器弾薬糧食を補充した光秀隊が、息を吹き返した。
「何人残っているか」
「6人です」
山県がこくりと頷く。
「あれをやる。足軽隊から力の強い者を十数名こちらに差し向けろ」
視線の先には、四層目。最後の馬防柵があった。
「放て!」
山県等が投擲した焙烙玉(陶器製の手榴弾)が放物線を描き、敵塹壕の頭上で爆発した。煙幕が生まれる。
「うろたえるな!玉込めを急げ!」
「遅い」
煙幕の中から、朱色の鎧武者が姿を現す。太刀が縦横無尽に振われ、その度に血煙りが上がる。
「見事なり!しかし、勝敗は決した。その首、私のものとなれ!」
敵将は太刀を抜こうとした姿勢のまま、首を刎ねられていた。
「断る」
直後、敵鉄砲隊の銃声が戦場にこだました。無数の弾丸が、山県の体中に突き刺さった。がくりと、膝が落ちた。太刀を棒代わりに地面に突き刺し、くずおれるのを懸命に耐える。山県の左右を、味方の騎馬隊が駆け抜けていく。
「昌景様!」
馬の背に引き上げられ、後方へ連れられてゆく。
「光家か」
山県が、まどろむような眼差しを小姓に向ける。
「光家、降ろせ」
主の命を受け、光家が馬の手綱を引いた。そっと山県を地面に横たえる。彼女の両目から滂沱の涙が溢れ出した。無駄と知りつつも、懸命に主から流れる血を止めようとする。
「昌景様。血が止まりませぬ…!」
するに任せていた山県が、片手で遮った。「もうよい」と、柔和な表情が語っていた。
「勝てない戦は、するものではないですね。晴信様」
山県は末期にほうと、大きなため息をついた。
この日、武田の騎馬隊は壊滅した。武田四名臣のうち、内藤昌豊、馬場信房、山県昌景の三名がこの戦にて戦死。参戦せず、海津城を守備していた高坂昌信は、からくも生き残った。
後年、甲斐は徳川領となり、平定される。