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幕間-フェリーの上で

4


 湿った風と水音が心地良かった。

 隣に佇むのが美少女というのも、良いアクセントになっていたかもしれない。フェリーが進むのにあわせて、かもめが空を飛んでいた。

「寒くはない?」

『大丈夫だよ』

 僕とシャルフィスの距離は、一人分だけあいている。

 手を伸ばせば触れられる距離。

 恋人同士でも遠い距離。なら、異星人同士である場合、この相対距離は──近いのだろうか、遠いのだろうか。

 僕は上手く判断することができなかった。

 ちらり、とシャルフィスを見遣ると、彼女は風で遊んでいる長い髪を手で抑えているところだった。僕の視線に気付き、口の端をつり上げる。妙に勝ち気な仕草だった。

「──段々、シャルフィスの態度も学習して行っている気がするんだけれど、どこで覚えるの」

『廻りにこれだけあれば、やってみようという気持ちになるんだ。事前情報よりも人は制限されているとはいっても、覚える情報には事欠かないよ』

 人が制限されている……それは、「特区」の扱いのことであると分かる。

 政府は異星人とのコンタクトが出来る場所を定め、コンタクト対象者以外は今日に限り出入りを制限していたのだった。コンタクト対象者以外で「特区」に居られるのは、例えば販売業の仕事をしているなど、正当な理由があり、交流に不都合がないようにとの配慮があった人だけだ。

「知ってたんだね?」

『隠すつもりがあったのかな?』面白そうにシャルフィスは言った。『でも、何となく分かるよ。初めての異星間交流。警戒する気持ちも分かる。好奇心があることも。リスクは確かに存在するし、もしかしたなら正しくない技術的向上があるかもしれない』

 そう。

 友好を示した異星人との交流は好奇心を刺激し歓迎の流れがあったけれど、別の意味で危険を指摘する人達もいた。

 例えば、未知の病原体。微生物。それらが人間社会に──地球環境にどれほどの影響を与え、真っ当ではない進化を促すか……誰も答えは提示できなかった。

 また異星人による新技術の流入の歓迎・非歓迎もあった。もっとも、こちらに関してはコンタクトの正式決定前に、ロビンソン側から技術提供はしないと断言されたのだったが。理由は、シャルフィスの言葉通り、正しくない進化に繋がるから、とのことだった。

 世論は割れた。

 自分たちが及びもしない技術を持つ異星人とのコンタクトを受諾するか、拒否するか、何度も何度も俎上にあがった。コンタクトの正式決定がなされ、具体的な日付が決まった後も反対派は叫び続けていた。

「誰もが不安だった」

『良く分かるよ。前例がないということは、予想が付かなくて怖いということ。勢いで一歩目があっても、ね。二の足を踏んでしまう』

「ロビンソンでもそうだった?」

 シャルフィスは肩を竦めた。

『──どうかな。その頃の記録は残っていないから、何とも言えないんだ。でも、きっと最初は迷ったはずだよ。ナオキ達と同じように』

 僕たちと同じように。

 その言葉は僕の胸の裡に、すとん、と降りてきた。

 僕らもまた──僕らもまた(・・・・・)、彼女たちと同じような進化を辿るのだろうか──。例えば、衛星のひとつを漂流衛星と改造し、最先端の技術で衛星ごと旅をして廻り、どこかの星で地球外の知的生命体とコンタクトをする。あるいは、彼女たちと同じように旅に出て、もう一度ロビンソンと出会い、ロビンソンの方に出向くことが。

 それはとても魅力的だった。

 もっとも、僕の生きている間には、その未来はやってきそうにないけれど。

 どこか苦い味があった。

『ナオキ?』

 呼ばれて、僕は微苦笑を零す。

 胸の裡に芽生えた小さな渇望を、覆い隠すように。

「なんでもない。でも、コンタクトの不安は、僕から見ればどこか滑稽だった」

 反対派が掲げていた言葉は、悪い妄想のようにしか思えなかった。


Hello, ナオキ。──


 そうしてやってくるメールの中に、世界観の違いはあっても、悪意のようなものは何一つなかった。

 だって、彼女たちは戦争もファーストフードも知らなかったのだから。日々の他愛のない話と疑問。メールの異星間交流は、知識を持った小さな子供同士のやり取りに似ていた。

「まるで、不安を煽っているかのようだった」

『それはナオキが、わたしと交流をしていたからだね』

「そうかな?」

 ──問いかけておいて、そうかもしれない、と僕は思う。接することが出来たからこそ、僕の中に異星人の──シャルフィスを基にした印象が根付いていた。

 皆がコンタクトが出来たら、反対派など居なかったのだろうか。

 くるり、と反転してフェリーの手すりに背中を預ける。体重を掛けると、きし、と小さな音が鳴った。

 そんなことはあり得ない、と僕の問いかけは自己解決される。

『落ちたら危険だよ』

 どことなく眉尻を下げてシャルフィスは言った。

「大丈夫だよ。僕一人程度で、壊れるぐらいならフェリーなんて周航できない」

『想定される範囲内の耐久性はテストされているんだ?』

「当然」

『なるほど』

 頷き、シャルフィスも手すりに体重を掛ける。

 やはり、きし、という音は鳴った。

「落ちるよ」

『ナオキが落ちないのであれば、大丈夫』

「それは、どうだろう?」

 僕が言うと、シャルフィスは上目遣いに僕を見た。

 悪戯心が芽生えていた。悪意はない、小さないじわる。

 仮に、と僕は前置きする。

「僕よりもシャルフィスがずっとずっと重かったなら、たぶん手すりは持たないと思う。海の方に真っ逆さまだよ」

『失礼だね』ぱしん、とシャルフィスは軽く僕の手を叩いた。『わたしはナオキよりも重くない』

 くつくつ、と僕は笑った。

 どこの星でも体重の話は深刻な問題なのだろうか。

「そういうのは共通なんだ?」

 シャルフィスは憮然とした表情を繕った。

『それも先ほどの問いかけと同じだよ。答えは、まさか。ただ、こちらではそういうのは女性に対して失礼に当たるんだと勉強したんだ』

「シャルフィスも女性の定義なんだね」

『ナオキ、それは酷い。そうでなければ、こんな格好なんてしないでしょう?』

 彼女は身に纏っているキュロットスカートをつまみ上げた。

『わたしのことを何だと思っているの?』

「ごめん、ごめん」笑みはそのままに、言葉だけの謝罪を放つ。声に険が混じっていないからこそ、出来たことだった。「少し安心した。シャルフィスの性別って、改めて訊いていた訳ではないから、それで同性だったら微妙な気持ちになるところだった」

 何よりも僕自身、今日は大胆なことをしている自覚があった。

 ふむ、と彼女は頷く。

『さっきの話、少しは影響しているんだね?』

「さっき?」

『「わたし達は星の名前もそうだけれど、環境によって自分たちの身体情報も書き換えられる」……違う?』

 指摘されて、僕は頬を掻く。

 影響がない、とは言えなかった。

「そうだね。でも、言い訳に聞こえるかもしれないけれど、僕はシャルフィスが男でも女でも、逢えて良かったなと思っているよ」

『もちろん、その言葉を信じるよ』

「あっさりしているね?」

『信じられなければ、異星間交流なんて出来ないんだ。嘘だ、偽りだ、なんてわたし達が言い始めたらコンタクトは消滅してしまう。なによりも、ナオキとは数ヶ月間ずっとメールのやり取りを行って、今日だって朝から一緒に過ごしている。これで信じられない理由は、見付けられない』

 シャルフィスは少し歳の離れた姉のように笑う。

 綻びのない肯定。僕は、それが嬉しくなった。そして、それを裏切るような行いはしたくないと強く強く思う。

 彼女たちは、僕たちよりもずっと高度な心の在り方をしている。

「ありがとう」

『どういたしまして。──ついでにひとつ教えておくと、コンタクトは必ず男女のペアで行われているんだよ』

 フェリーが橋の下に入り、僕たちの居る場所が影になる。数秒の時を経て、再び陽が差したときには、シャルフィスはにこりと笑っていた。

『理由は、分かると思うけれど』

 僕は肩を竦める。

「たぶん、その方が僕たちに適応しやすいから、だよね。軋轢を生まない為だ」

『その通り。同性同士よりも、異性同士の方が、友好的になると考えられた』

「でも、異性同士の場合、厄介な問題が発生し易いんじゃない?」

『例えば?』

「恋愛感情を持って、離れ難くなる、とか」

『仮にそうなったとしても、18時間後に離れることは絶対なんだ。例外は無いんだよ。ロビンソン側の住人は、それを必ず知っている。だから、それさえ覚悟していれば、恋愛感情ぐらい問題はないんだ』

「他にもあるよ」

『言ってごらん』

 手は促す方向に向いていた。

 それは、と口ごもる。

 思い至った可能性──考えたくもないことだけれど、地球人側が問題を起こしてしまった場合である──それを、そのまま口にして良いものか迷ったからだ。あり得ないと断言できるほど、人間は草食的な性格ばかりではない。

 迷っている風が手に取るように分かったのか、当ててあげようか、と彼女は言った。

『犯罪めいたことを心配しているんだね?』

 ずばりと言われて、僕はたじろぐ。

『大丈夫だよ。わたし達はそんなにか弱くもないし、みんな数ヶ月もメールを続けて居たんだから為人ひととなりの一端は見えているんだよ』

「偽っているかもしれないよ。簡単なテキストだけだから、黙って演じようと思えば不可能ではない気がする」

『最初はどこから発信されているのかも分からなかったのに、そうするメリットはないでしょう? わたし達が異星人だと知って即信じたとしても、メールのやり取りはそこに着くまで十通近いはずだよ』

 仮に十通ぴったりで異星人を信じるとしても、そこに至るまで約一ヶ月が費やされることになる。9月の時点では、メールは4日周期だった。そして、どういう技術を使っていたのか、メールを2通以上送ることも不可能だったからだ。

 その間、何の思惑もなく騙し続けられるか……普通なら、否、だ。

「なるほど。確かに、ね」

『それに、日本は平和な場所だと思っている。コンタクトを行う大半は、その平和な場所で育ってきた子達だから、刹那的な判断を下す子は殆ど居ないと判断しているんだ』

「コンタクトが日本以外で行われたら、その言葉はなかったね」

『それはない』

 強い断言。

 瞳は自信に満ちていた。

 それは日本以外では、そもそもコンタクトは行わなかったという風に聞こえた。いや、そもそも、どうして大半が日本人だったのだろうか。

「不思議だったんだけれどさ」

『うん』

「どうして日本だったの? 今回こちら側でコンタクトを行うのは、シャルフィスの言う通り、大半が日本人だ。その関係で日本が『特区』を設けたんだけれど……偶然そうなった訳ではないよね?」

『そうだね』

 シャルフィスは唇に人差し指をあてる。

 本日何度も見た、オフレコのポーズ。

 手すりから少し離れると、こつこつ、とシャルフィスは船上を歩く。離れないよう、僕もまた彼女の数歩後に続いた。

『幾つか理由があるけれど、いちばんの理由は、考え方が自由だったからなんだ。誰かの迷惑にならない限り、何を信じるのも信じないのも自由だった。色々な行事を取り入れていたし、良い意味で節操がなかった。わたし達を驚きながらも受け入れてくれそうだった』

 12/25のクリスマスや1/1の正月、2/14のバレンタインなど、イベントの日付が頭に浮かんだ。特定の宗教に偏っている国ではないし、言い換えれば自分たちの思う通り、柔軟に物事を取り入れることが出来る利点がある。それは、きっと間違ってはいないはずだった。

『第二に、平和だったということもあるんだ。数の少ないわたし達には戦争の概念はなかったけれど、傷つける武器の概念はあった。自衛の為には必要にもなるからね。けれども、日本は銃を始め、そういったものは他の国と比べて制限されている。安全神話というのも、こちらにはあったそうだね』

「その安全神話は、とっくの昔に崩壊が叫ばれているよ」

『分かっているよ』

「それでも、理由になるんだ?」

『そうだね。旅行する分には、平和に見えるから』

 なるほど、と僕は頷く。

 外国を知らない僕が言う台詞ではないけれど──それでも、日本は平和だと良く言われる。酷い事件はある。醜い出来事もある。それらは新聞の三面記事を賑わせていたし、TVのワイドショーでも流されていた。それでも、幸せと不幸を天秤に掛けたら、幸せの方に傾くだろう。

 概ね、平和に見える事は間違いない。

 理由の一端としては、納得の出来るものではある。

 だけれど────

「『特区』を実現するには、苦労も多かったはずだよ。最初は難色を示されたんじゃない?」

 日本という国は、そこに住まう大人達は、どこかよりも一歩先に行こうとする気質ではないはずだった。世代が上になるにつれて保守派が多くなり、変革を嫌う傾向がある。歳を取れば保守派が増える傾向にあるのはどこも同じかもしれなかったが、その性質は他よりも強い。そして、この場所にほんは上の世代がまだまだ舵を取っているのだ。数の問題もあり、若人ぼくらの言葉は届き難い。

 そうだね、とシャルフィスは相槌を打った。

 振り返った表情は、とても優しかった。

『紆余曲折あったよ。それでも、それだけで逢えるのなら、全然苦労なんて思わなかったんだよ。先の理由から大抵は日本人とメールをやり取りしていたし、ナオキ達のテキストに、ユーモアに、わたし達は心惹かれる事が多かった。それはわたしだけではなくて、他のロビンソンの住人達もそうだったんだ』

「なるほど、ね」

 まっすぐに見詰められて、僕は気恥ずかしくなり、空を見上げる。

 圧倒的な存在感を放つ、大きな球形。赤と緑と紫で彩られた漂流惑星ロビンソンは、もちろんまだ空にあった。今日と、そしてあと数日間は見えるであろう惑星。

『オフレコはここまでだね』

「話してくれてありがとう」

『ナオキは信用しているからね』

 屈託のない笑顔に、僕は内心で言葉を留めることを誓う。この信用を裏切りたくはなかったというのもあるし、シャルフィスから贈られた秘密を自分だけのものにしたいという気持ちもあった。

「……」

 充足と──時間が経つにつれて、少しずつ意識していく別れに寂寥を感じる。

 波の音が聞こえる。

 風がシャルフィスの香りを、僕の鼻まで運ぶ。

 薄く喉の渇く。




 僕は……。



 目を閉じて、軽く息を吐く。

 手を伸ばす。

「ところで、さ」

 敢えて声を雰囲気を変えた。シャルフィスの手を取り、引く。不安定な船の上で彼女は少し揺れ、より僕の側に近づく。引いた感触では、重さはそんなになかった。同世代の異性と比べても遜色のない軽さである。

「話を戻すことになるんだけれど」掌中の手から相手を意識する。「ロビンソンでは体重を量る習慣とかはないの?」

『はい?』

 言って、数瞬後に彼女は半眼で睨んだ。

『まだ言うか』

「単純な興味」

『まったくもう……それでも失礼なんだよ』彼女は憮然とした表情を取り繕った。『環境によって身体情報が変わるんだ。──計ったって、意味がない』

 すい、とシャルフィスのもう片方の手が伸びる。

 僕の頬に冷たい手が触れ、頬の肉を摘まれた。

「い……」

『ついでに言っておくけれど、ね? 次に体重の話をしたら、海へ突き落とすよ』

 僅かの間。

 少しだけ恋人同士に近いものを纏って、僕たちは笑った。

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