中編-キミと歩く
『そうして送られたメールは、わたしのところに着くまでに、最初4日の時間を必要としたんだね』
人の少ないアーケード街を歩きながら、シャルフィスは言った。
「その通り。とは言え、僕がそれを分かったのは、もっともっと後になってからだった。次に送ったメールも、やっぱり4日ぐらいは音沙汰がなかった」
どういう原理か、地球側から漂流惑星ロビンソンに転送される時はとてつもなく長い時間が掛かっていた。反対にロビンソン側から地球へのメール送信は、比較的、早いそうだ。彼女達が言うには、それは出力周波数と強度が違うから、らしい。
逆の論理で地球側からのメッセージも素早く受け取れるように出来たら良いのに、そっちの方は技術的に確立されていないそうだ。
例えばキャッチボールで、片方だけボールを遠くまで飛ばせるとして、片方から片方への送球は上手く出来ても、もう片方からのボールは一気に届かないことと同じように。
小難しい理屈はわからないし、説明もされなかったが、端的に言えば技術力に差がありすぎたのだ。キャッチボールで言えば、大人と幼児の飛距離の差があるように。
『奇跡の確率。そうして、メールを続けてくれたのは、実のところ、そんなに多くはなかったんだよ』
「うん、後から悔しがった人は大勢いたよ」
得体のしれないメッセージへの警戒としては正しい。大抵は最初の一通目を無視していた。何かを思って一通目に返信していたとしても、二通目が来る頃には不審なニュースとして知れ渡っている。それでもメールをさらに重ねようとするには、よほどの条件が揃わないと難しかった。
ただ、それが人類初のファーストコンタクトへと導くものだと知っていたら、もっとたくさんの人が血眼になってメールを続けただろう。
『最初のフィルタリングをパスしたとしても、その後、不適切だと判断されてメールのやり取りが出来なくなった子も、わたしは知っているんだよ』
「メール内容は常に検閲されていた?」
『さあ』お店の前に貼ってある音楽コンサートのポスターを眺めつつ、シャルフィスは言った。『実際のところ、機械的に振り分けられていたのか、上層部……検閲官が居たのかはわたし達にも分からないんだよ』
「まるでブラックボックスだね」
『高度に技術化された弊害』シャルフィスは声を潜め、唇に人差し指をあてた。内緒話、ということなのだろうか。『わたし達が使っている翻訳システムもそうね。学べるAIのお陰で、言語の視野は広がるばかり。もうしばらくしたら、現地の言葉で、冗談交じりのコントも出来てしまうかもしれない。同じように検閲システムも数多のフィルタを掛けた所為で、技術の上に成り立っているのに、自律意識が介在しているように見えているだけなのかもしれない』
「極度に高度化された技術は、技術を技術として感じさせない?」
にやり、とシャルフィスは笑う。
音楽ポスターに貼られていた男性アーティストの不敵な笑い方と、どことなく似ていた。
そういうところは学習しなくて良いのに、と僕は内心思う。
『上手いことを言うね。似たような言葉なら、高度化された技術は魔法のように映る、だね。種も仕掛けも分からなければ、科学か魔法かなんて二択、必要がない』
「ふと思ったんだけれど、そういう考え方って共通?」
次のエリアに歩を進めながら問う。
シャルフィスもまたポスターから次のガラスウィンドウ──今度は液晶TVが飾ってあった──に目を移す。
『まさか。地域によって違うから、勉強したんだよ。それはロビンソンに住み、コンタクトを行う者たちの義務だよ』液晶画面に映る登場人物に、彼女はまた立ち止まる。『こっちは面白いね。色々な考え方がある。考えることが出来る余裕があるんだから』
液晶TVの画面は古い映画を映しているようだった。
……愛している。愛している。愛している。そう三回呟いて、老齢の紳士が同じ歳のくらいの老女の手の甲に口付ける。老女は自分の手に重ねられた紳士の手を取り、己の頬へと導いた。小鳥が囀るような心地よい音楽が流れ、老紳士は老女の頬をさすり……
『ナオキ。これは、現実?』
シャルフィスはちょんと指を差した。フィクションの人物は、いままさに時間が経っても色褪せない永遠の“アイ”を誓い合っているところだった。
「映画。作られた舞台だよ。ノンフィクションではなかったはず」
『そっか』目を細めた。『豊かだね。ロビンソンでは、こんな余裕はないんだ。人の数も少ない。旅をするだけの技術はあっても、こうして舞台を組み上げる余裕はないんだ』
「やっぱりちぐはぐな印象を受けるよ」
ふふ、とシャルフィスは声をあげる。
『旅をするには旅をするだけの理由があるんだ。それもまたひとつ。──オフレコだよ?』
「さっきからオフレコばっかり聞いている気がするんだけど」
僕が教えて貰った内緒話は、どこまで内緒なのだろう。
下手をすれば翌日にはすべて広まっていることだってあり得るのに。それは、彼女が僕をこの上なく信用してくれるからだろうか。
考えていることを見透かしたかのように、シャルフィスは笑みは深めた。
『ナオキになら伝えても大丈夫だと、わたしが判断したから。言ったでしょう? その線引きは、実のところ、わたし達自身各々に委ねられているって』
シャルフィスはまた歩き始める。
『ところで、先ほどの舞台はどんな意味があるの?』
意味、と僕は口の中で言葉を転がす。
そうだね、と僕は前置きして。綴られた映画のストーリーを朧気に思い出す。
「お互いに、忘れないと約束して、それが長い時間掛けて果たされたってところかな」
『なるほど』
「そういう約束の仕方は──」
『ロビンソンには』言葉を引き継いで、断言する。『ないんだ』
ガラスウィンドウはさらに次のモノをピックアップする。今度は可愛らしいフリルの付いた服だった。
シャルフィスは、そこでは立ち止まらず、視線を一瞥するだけに留めた。
あまり服には興味がないらしい。あるいは、服もまた、余裕がないという部分に入ってしまうのかもしれなかった。
『話が大きく逸れてしまったね。戻そう。わたしのところにメールが届くまで4日掛かっていた。わたしはメールが来ると即座にアクト・フィーを使って、返信をしていた。こちらからの返信は、向こう側に早く届くのが分かっているから、次に来るまでがとても待ち遠しかった』
「ある意味では、こちらだって一緒だよ」
最初の周期はどうやら4日だと気付いたのは、何通かメールをやりとりした時のことだった。最初の気紛れから始まった文通は、回数を重ねていくごとに好奇心を擽っていた。
「ねえ、次に出したメールの内容を覚えている?」
『もちろん。わたしは、こう書いた。「Hello, ナオキ。楽しい会話を望む。」』
「そう、それ」僕は笑う。「文章とやりたいことが一致してなかった。こちらが書いた事を繰り返して言われているような印象で、一切能動的ではなかったんだよね」
『それについては、申し訳ないと思っているよ。翻訳システムが現地の言葉を覚えるのにはまだ少しばかりの時間が必要だったし、それが完了しない限り、わたし達の言葉は載せられないし』
「いまは分かっているよ」
政府からによる、異星人とのコンタクト発表では、そのあたりの事が少しだけ触れられた事を覚えている。
僕たちが普段使用しているPCや携帯電話には文字コードと呼ばれる約束事があり、ロビンソン側の文字や言葉は当然、登録されていない。だからこそ、彼女たちはこちらの言葉で書く必要があったし、最初の奇妙なメール自体も翻訳システムが学習していない当時、あれ以上のものは出来なかったのだ、と。
*
視界の端にクレープ屋を見付ける。
店頭には特別クレープの日と記載があった。
「少し待って」
シャルフィスに言い置いてから、僕はコールドクレープを二つ買い求める。普段ならカップルで賑わうはずのここも、人の数は多くはなく、「特区」であることを意識させる。交通規制ならぬ、人数規制。交流する人たちを除けば、この「特区」に居られるのは、政府による検査をパスした人達だけだった。
両手にクレープを持ち、シャルフィスの方へ戻る。
彼女は、僕の手に持っているものに対して首を傾げた。
『それは?』
「小麦粉を生地にして、デザートをくるんだお菓子。はい」
利き手とは反対側に持っていたクレープをシャルフィスに渡す。
「そのまま食べられるよ。あ、紙は食べられないからね」
言いながら、利き手に持っていたクレープを頬張ってみせる。突き抜けるような甘い味とイチゴの酸味が舌を通る。
「珈琲と違って甘いけど、口に合う?」
尋ねると、シャルフィスは口に含み、微笑んだ。
『贅沢な味』嚥下して、さらにもう一口、シャルフィスはクレープを口に含む。『わたしは幸せなコンタクトが出来たみたいだね。当初、わたしはコンタクトに参加するつもりはなかったのだけれど、母の言葉に従っていて良かった』
「そうだったんだ? じゃあ、その人の言葉が無かったら、僕もコンタクトは出来ていなかった訳だね」
『それは違う』シャルフィスは再度、クレープを口に運ぶ。気に入ってくれたらしかった。食べ方が下手なのか、口を離した時、頬に生クリームを付けていた。『仮にわたしがコンタクトを行わなかったとしても、ナオキはロビンソンに住む誰かと会っていたはずだよ。会いたがっていた希望者は、実のところ、結構多かった』
僕は微苦笑を零して、シャルフィスの頬に付いた生クリームを指で掬った。朝露の冷たさをまた少しだけ感じる。
『わ……』
驚きは無視して、掬った生クリームを口に含む。
さきほどのよりもずっと甘かった。
「シャルフィスだったから、僕はメールが続いたんだと思っているんだけど。メールの内容は、シャルフィスが組み立てて送っていたで合っているよね?」
『うん。それは間違っていないよ』
「なら、なおさら。他の誰であっても、こうしていたかなんて分からないし」
実際のところ、コンタクトには至らなかっただろうと僕は思う。
「シャルフィスのメールに僕はこう返したね。『Hello, シャルフィス。きみはどこのだれ?』って」
『覚えているよ。だからわたしは、「Hello, ナオキ。わたしはロビンソンに住んでいる。ナオキは地球のどこにいる?」と返したんだ。そう、この時点でようやく、翻訳システムはまともに動き始めた』
「そっか。でも、やっぱり最初はおかしかった。ロビンソンっていう名称も、ぴんと来なくてね。最初に思い浮かんだのは、こちらの有名な小説だったんだ」
『ロビンソン・クルーソーだね。今回名乗る時、わたし達の星の名前はそこから取ったんだよ』
クレープを食べる仕草はそのままに、僕は視線で続きを促した。
シャルフィスはぺろりとクレープを平らげており、紙に付いている生クリームを指で掬っているところだった。
『その頃には、コンタクト方針と呼べるものがロビンソンで決まっていたんだ。何よりも重要なのは、わたし達は相手が受け入れやすい立場を選ばないといけない。侵略を目的としていないんだからね。だから、例えば相手が神様を信じているとしたら、わたし達の第一声はこうだったはずだよ。「わたしを誰だと思う?」って』
「僕たちの場合は、ロビンソンという名前が適切だった?」
『そう考えられた。わたし達は適応していこうとする種だからね。爛れるような灼熱の日々も、凍り付くような絶対凍土の時も、順応していこうとする。今回、地球とコンタクトを取るにあたって、わたし達はそこから順応を始めたんだ』
クレープを食べる手を止める。
そこから順応を始めた、とシャルフィスは言った。
そこから。
星の名前から。
…………どこまで?
白磁のような整いすぎている顔立ちから、そう言えば、と今朝すれ違った漂流惑星ロビンソンの美女を連想する。その連想は、突飛に過ぎるだろうか。
「ねえ、そこからって……」
『たぶん正解』呟くように彼女は言う。『わたし達は星の名前もそうだけれど、環境によって自分たちの身体情報も書き換えられる。それだけの技術を持っているんだ。いまの姿も、地球人に合わせた姿。他の星の生物が、まさか同じカタチをしているなんて、あり得ないでしょう?』
儚げに笑う。
数歩先の距離がどこか遠く感じる。
『怖くなった?』
温度が下がった声。
その儚さが、どことなく傷付いた風に見えた。
美少女の姿は得だと想う。
そんな風にされたら、肯定なんてできなかった。
知らない内に強く握りしめていたクレープを意識しながら、僕は、少しだけ強がって、否定の声をあげる。
「ちょっと驚いただけだよ」
じい、とシャルフィスは僕を見る。
「なに?」
『本当に?』
「本当に。今まで知らなかったんだ。驚きはするよ」
見詰められて数秒。
なるほど、とシャルフィスは言った。
『信じるよ』
どこで覚えたのか、シャルフィスは僕の肩にぽんと手を置いた。
それを見て、僕は心の隅に棘が刺さったような錯覚を受ける。
──いまさらながら、僕は彼女の歳さえも知らない。異星間交流で知ることは、まだまだたくさんあった。先ほどのやりとりは、シャルフィスにとってどれだけの意味を持っていたんだろう。
僕たちの間にある壁は、ベルリンのそれよりも、ずっとずっと高いのだ。
ところで、僕は敢えて明るめに声を出す。
「これもやっぱりオフレコ?」
彼女は、こちらの意図を汲んでくれたのだろうか。少しだけ赤みが差した頬がそこにあった。シャルフィスは微笑んで、唇に人差し指をあてた。
「その通り」
それは仕草だけは彼女そのままに、言い方は今朝の僕そのものだった。