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スーパーの吉村さん  作者: 立花愛莉
第1章 魔術師に明日はない
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1-8



「ありが()う」



 ティッシュを数枚取り上げて鼻を覆いちーんと鼻をかむ。それから再びティッシュを取り上げ、鼻をかんだティッシュを中に包んで綺麗に丸め、幸音から最も遠いゴミ箱にそっと投げ入れた。丸められたティッシュは綺麗な放物線を描き、静かに円筒形の籠の中に入ったのだった。



「はぁ。世知辛い」



 青色吐息。



 悩ましげな表情を浮かべるその中年男の横顔に、幸音は心臓が大きく跳ねたような気がした。が、まさしく気がしただけだった。



 すんすんと鼻を啜る三月から視線を外し、壁にかけられている振り子時計に視線を向ければ、時刻は既に八時四十分を回っている。先ほど来る前店内を見渡したところ、取り立てて目立ったお客はいなかったし、今頃悠馬が一人で閉店準備をしているのだろうとあたりを付ける。



 放置されればされるほど仕事量が増す悠馬の性癖を慮って、幸音はあと十分程度なら三月のOL風愚痴に付き合ってやれそうだと計算した。



「売価変更終わったんですか?」



 そう尋ねたのは、おそらく終了しているだろうことを見越してだ。



 三月がわざわざ陽子と交替したあと、悠馬を使って幸音を呼ばせた理由は全てそこにある。



「ああ。うん。それは倉科くんがやってくれたよ」



 再びティッシュを手にちーんと鼻をかむ三月の姿に、幸音は手元のコーヒーを見下ろし、半ば呆れながら口をつけた。話を聞くモードに移行だ。



「まったく、陽子ちゃんってばどうしてあんなに粗暴粗野なのかな。他の従業員さんたちにはそうでもないくせに」



「・・・・・。他の従業員さんたちというより、そういう扱いを受けているのは副店長をはじめとして倉科くんと高良さんと石崎さん、男性陣だけだと思いますケド」



 外面大王で八方美人、とは高良の言だが、嫌いな人間と苦手な人間をとことん攻撃する陽子さんの暴走を止める手段を幸音は知らない。主に男性全般を嫌悪対象として認定している麗しの美少女陽子さんは、限定的に誰か特定の人間をいじめるという性癖を所持していない。



 陽子が三月や悠馬に厳しい態度を取るのは、嫌いでないことくらい幸音が言わずとも本人達は理解している。嫌いな人間を完膚なきにまで叩き潰して再起不能にさせるくらいへそでお茶が沸かせるくらい簡単な陽子さんが、三月や悠馬を初めとした面々を放置し続ける理由は単なる好意の裏返しである。どう接していいのか分からないのではなく、そうすることが愛情なのである。



 歪んだ愛情表現を数年間も目の当たりにしてきた幸音だからわかる推論だ。



「でもでも。あからさま過ぎないかなぁ? 流石に四年間も一緒にお店を作ってきた人間としては、もうちょっと軟化した態度を取ってくれてもいいと思うんだよね」



「といいますと?」



「例えば、・・・・・」



「・・・・・」



「・・・・」



「・・・・・・・・思いつかないんですね」



「あいや、でも。ひとつくらいこうして欲しいってのはあるネ! 幸音ちゃんみたいに特別待遇で接して欲しいってわけじゃないケド」



「ケド、なんですか?」



 これが陽子の中身だったらさぞ可愛いことだろうが、悲しいかな。目の前の男はただの中年盛りのオッサンである。



 八の字に足を閉じる両膝の上に丸めた拳を載せ、椅子ごともじもじとする中年オッサンのどこが可愛いものか。不覚にも胸がキュンとなってしまった自分を恥じ、幸音は顔を引き締めて問うた。



「せめて、もう少し僕のことを大切にしてくれたら・・・」



 恥らって俯きがちになる三月の様子に幸音は見てはならない釜の蓋を開けた気分で、酸っぱい顔をした。劇画風の漫画なればこれ以上ないほど深い皺と縦線、横線が顔表情のくぼみというくぼみに影陰を生じさせていたことだろう。



「・・・・・・」



「あ、今大切にされて無いって訳じゃもちろんないんだヨ! 放置プレイも慣れてくればそれなりに楽しいって言うか、倉科くんみたくマゾに目覚めたというわけじゃないんだけどね。蔑むような目で見つめられるのも快感っていうか。って、どうしてそんな汚物でも見たような顔をするかなぁ」



 自分がそんな顔をしていたとはつゆ知らず、流石に副店長相手に失礼だと、幸音は顔を引き締めかけ、結局止めた。



 この人は正真正銘真性のマゾヒストだ。



 快感という言葉自体既にヤバイ。



 悠馬も相当だが、アレは外見に目をつぶれば、高校生とまだ若いのだし今からいくらでも取り返しがつくような気さえする。



 しかし、この目の前の男はダメだ。中年盛り、オッサンと呼ばれる分類の人間になってからそういう性癖に目覚めてしまっては人生オワリだ。



 情状酌量の余地なしである。



「相当終わってマスネ」



 人間的に。



「ああ。その目もいいヨネ。でも吉村ちゃんは可愛いけど、陽子ちゃんみたいな鋭さはまだまだ足りないネ。大人の色気って言うのかな? なんかこう、人を人とも思わぬ目! アレこそ僕が求める境地なんだよ!」



 分かるかい?



 と幸音の両手を三月がぎゅっと握り締めた。



 骨と皮で、必要以上に脂肪のない蜘蛛の足のような指がひんやりと幸音の両手を覆う。



 そして突然、後方からぼと、と何か重いものが落下する音が聞こえた。



「あ、あ、あ」



 震える声が多分一秒間に六十回くらい振動している。


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