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「ちょっと待ってください。危険なことはするなって、そういう考えじゃなかったんですか!?」
いの一番で声を荒げたのは珍しいことに恵美子だった。もともと表立って主張をすることが得意でない彼女としては珍しく、片足立ちになりながら高良に突っかかる。
高良は片眉をかすかに上げると遠慮なく話を続ける。
「そうは言ってないだろ元森。俺が言いたいのは現行の防犯システムじゃ不十分で、現状維持したいならそれ相応の成果を挙げて見せろってことだ」
「威張って言うことですか!」
「威張るも何もお前、いったい吉村が何のために迂遠な言い方したのかわかってないのか?」
「そ、れは」
頬杖を付いて赤いソファに寝そべる高良は気まずく視線を戦がせる恵美子に退屈な吐息を吐いた。
「お前が反対する理由もわからんでもないがな。俺とてこんな面倒くさくてなんも利益にならんことは極力したくない。だが、そこにいるソイツがただじゃ引き下がらんって言う目をしてるもんでな」
ソイツと指差されたのは紛れもなく幸音のことである。
「まぁ、それに、吉村が言っていた事情とやらも加味してやらんことには話は進まんし、可哀想だろ。俺とて別にお前たちが憎くて言ってるわけじゃないんだからな」
「そんなことはわかってますけど。でも」
「あーはいはい。その先は言うなよ。まったく、どいつもこいつも頭が固い連中ばっかでやんなるよ、ホント。お前は違うよな、吉村?」
「高良さん、条件ってホントにそれだけなんですよね?」
おどけて肩を竦めた高良の言葉に念を押すように問いかけて、幸音はしんと静まり返った部屋中で背筋を正した。
「幸音さん! 本気ですか!?」
幸音の声にぎょっとして声を荒げた恵美子は彼女を振り返った。幸音は恵美子の問いかけに応じず、凛然とした態度で高良の言葉を待つ。しかし、高良が言葉を選んでいる間に恵美子が口を挟んだ。
「ダメですよそんなの! 相手なんて何か知れたものじゃないし、第一、その人たちのせいで幸音さんが怪我をしたって言うのに。躊躇なく無抵抗な人間に向けて魔術使うような日と達の気が知れない。そんな相手に危険を冒してわざわざ会いに行く理由はありません」
「恵美子ちゃん」
「今回ばかりはダメです。幸音さんがなんと言おうと、あたしは絶対絶対、絶対に反対ですからね!! どうしても行くって言うなら」
「おい、お前。いい加減にしろ。そんなことで吉村は引き下がらんよ。それに、その先を言ってでもみろ俺じゃなくて菅原が確実にお前を叩き潰すぞ」
「そんなこと、しないよぉ」
てへ、と黒い微笑を漂わせる陽子は笑っていない眼を三日月型に歪めた。機嫌よさげに両頬に手を当ててころころとカーペットの上で寝転がっている。
恵美子はぞっとして一瞬口を閉じてしまう。合間を縫うように発言したのは幸音だ。
「誰になんと言われようと、この一件は私の責任として処理する他ありません。高良さんも陽子さんも副店長だって止めることは出来ないし、止める必要もないと考えているはずです。庄野くんと高良さんが主張するようにうちの防犯システムは穴だらけで、その原因はすべて私にあります。この問題がわかっていながら、何とかなるだろうと楽観的に考え、その結果、仲間を危機に追い込んで怪我をさせた・・・。売られた喧嘩は買うというか、出された招待状は貰い受けるというか。とにかく、もろもろの事情を含めて私は絶対に犯人を許しません。―――だから」
「俺は反対です」
息つく間もなく決意を並び立てていた幸音の言葉を分断したのは庄野だった。青年は幸音を鋭く睨みつけると嘲笑めいた表情で、見下げるように鼻で笑う。
「ハ。なんですか、ソレ。自己満足とか大概にして欲しいんですけど」
「自己満足?」
由貴は前髪の端を弄びながらさらに失笑した。
「だってそうでしょ? 自分が一番重い責任背負ってるって雰囲気だしまくって、自分が一人で処理しなければならないって、ナニソレ、何様ですか? 俺よりも劣る魔術の腕で、魔導師のライセンスも取れていないくせに法律犯してまで窃盗ゲームをするような人間と対峙する気ですか? どうかしてる。そういうの辞めてもらえませんか? はっきり言って、すごくイラつく。見ていて不快ですよ。そこまで何を守りたいのか知りませんけど、全部自分の責任として背負い込んでその結果また失敗して、今回みたいに怪我とかしたらどうするんです? それこそ馬鹿らしいし、目も当てられませんよね」
「・・・」
「防犯システムが穴だらけの理由が例えば吉村さんだとして、倉科が怪我をした要因がそれとして。もし今回の事件がただの怪我でなくて死亡事故に繋がったとした場合、吉村さんは同じ台詞を吐けるんですか? 聞いてて反吐が出るくらいの偽善者ぶりに怖気が立ちますよ。死んでしまったら責任も何も取れるわけがないじゃないですか。それを、楽観的に考えてた? 売られた喧嘩を買う? 自己陶酔もここまでくれば立派ですね」
「何が言いたいの」
冷ややかな視線で感情を押し殺し静かに応じる幸音に、由貴は凄絶な微笑で持って応じ口元を綻ばせた。
「だから言ってるでしょ? 俺は反対です。そんな連中無視して店の防犯対策に万全をきたす方が先決です。憂いがあればこれを立ち、失策があればこれを埋める。原因がわかっているならそれを取り除いて、改善策を提示する。当たり前のことですよ。それともなんですか? わざわざご託を並べてまで守りたいもの、隠したい理由でもあるんですか?」
「理由がないと責任を負っちゃあいけないってわけ?」
「いいえ。責任を取るということに関して言えば至極立派な志だとは思います。けれど俺が言いたいのはそういうことじゃない。命をかけて犯人を捕縛する義理や義務があなたにはあるんですか?」
「愚問だわね。論点が堂々巡りしてるわよ庄野くん」
三月も陽子も、高良も透も口を挟まない。恵美子は息を呑んで幸音と由貴を交互に見る。彼らは互いに一歩も譲らず絶対零度の舌鋒を繰り広げていた。
室温が一気に零度まで下降したような肌寒さに思わず両肩を擦ってしまうほど。
「店の防犯対策さえ万全なら、再びやつらが来たとしても対処のしようがあるし、もっと楽に捕縛できる。防犯カメラの証拠だってあるんですから、陣地を固めて網を張っておく方が安心だしずっと楽でしょう。少ない情報から犯人を探し出す徒労を思えば、その方がずいぶん効率的だし、合理的です。それに警察組織もあるんですから、捜査は彼らに任せておけばいいと、俺は思いますけどね」
「あら。ずいぶん悠長なことを言うのね。このままあいつらを放置しろっていうつもり? 確かに警察の届出はしたけ
ど、お役所なんて連中下位の事案になればなるほど着手するのに遅くなるっていうのに、手を拱いて犯人捕縛まで待っていろって言うの? それこそ冗談じゃないわね。野放しにしたら何をするかわかったものじゃないわ」
「それを民間人の俺たちがやる必要がどこにあるんですか? 任せられるんだったら任せておけばいいじゃないですか。警察だって―――」
「君になんといわれようと、誰がなんと反対しようと、あたしは今回だけは自分の考えを曲げる気はないの」
嫣然と微笑して幸音は口元を勝ち誇ったように綻ばせた。
思わず息を呑んでしまうほどの説得力のない威圧感に、由貴は言葉を飲み込んでしまった。それは明らかな敗因の一つで、幸音は小さく呼吸を繰り返すと高良、三月、陽子へ順に視線を送る。
恵美子はもはや何もいうことが出来ず、透は呆れて物も言えず、由貴だけは頑として納得せず、交渉は一部決裂した。そうして結局、幸音は高良の要求をのみ、条件を果たすべく四日後から奔走することになる。
これが西暦2011年11月27日に生じた、通称「スーパーニコニコ分裂騒動」の中核を担う事件の一端であった。