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第3章 誰が為に腕は鳴る!?
無鉄砲、無鉄砲、無鉄砲。
「幸音ちゃんの、無鉄砲の大馬鹿者!」
顎下にガーゼ、掌に包帯を巻きつけ自宅で療養していた幸音を見るなり、陽子は顔を真っ赤にしてかんかんに怒った。
「透くん」
「僕は知らないからね。用心するようにって以前から言ってたことだし」
本日は灰色のパーカーの上から割烹着を着た狐の面の透が薄情な声を出す。
おまけに「自業自得だよ、さっちゃん」と口笛を吹きながら来客用に用意した林檎を呆れて傍観する四名の友人達に差し出した。
「もらい物ですけど、どうぞおあがり下さい」
ウサギ型に器用にカッティングされた林檎に突き刺さるのは五つの爪楊枝。
「お、旨そうな林檎。いただきまーす」
「高良さん、遠慮って言葉と無縁ですよね」
お手拭をくるくると丸めながら、右手で林檎を一つ取り上げた高良の横で紅茶を盆に乗せて現れた恵美子が呆れたように言葉を零す。
幸音の部屋に集った面々はそれぞれ手前勝手に好きな場所に腰を下ろしていた。
寝台の脇に陣取るのはウサギの毛皮で作られた鞄を斜め掛けにした幼女風少女、菅原陽子だったし、高良は部屋の中心、液晶テレビと対面する赤いソファに陣どっていた。恵美子は透の手伝いをしながら本棚の手前にクッションを敷いて足を伸ばしていたし、透は給仕をするためあっちに行ったりこっちに行ったりと部屋の白い扉から、幸音の寝台側まで忙しなく移動していた。
「こーゆーのは早い者勝ちなんだぞ。ひの、ふの、み、いつ・・・。一人一個、俺が四個。ほら、西山も庄野も遠慮なく食えよ」
自分の手柄のように林檎を差し出す高良に三月と由貴は肩身を狭くしながらしょぼしょぼと受け取った。幸音の家に訪れる道中、散々陽子に絞られたためだった。
彼らが部屋の四隅、本棚の脇にぽっかりと開いた板床の空間に二人して暗い顔をして固まり、正座しているのは陽子が命じたためである。
そして、陽子は寝台の上で重湯を啜っていた幸音に人差し指を突きつけ容赦なく可愛らしい声で怒り狂っていた。
「女の子なのに顔に傷作ってどうするの!?」
「あ、いや。ヨーコさん、あたしより倉科くんの方が重症なんですケド」
駆けつけた三月の処置が早かったため、軽症で済んだもののあのまま放置されていれば間違いなく倉科悠馬の頸部を中枢とする四肢神経はその末端に至るまで活動の意味を忘れていたはずだ。よくもまあ、あの激痛の中で動けたものだと幸音はひそかに悠馬を尊敬してみたりした。
しかし、陽子は違ったらしく悠馬の家を見舞うなり「男のクセに情けない」だの、「股下についてるものちょん切れ」だの、女性としては有るまじき発言を連発していたらしい。さすがに言いすぎだろうと笑うのは高良の言で、倉科邸へ赴く陽子の抑え役として同行を求められたものの、まったく役に立たなかった恵美子は己の責任を感じて深くしょげていた。
しかし、高良青年が言うところによれば陽子の怒りがこの度あまりにひどいのは「ストレス発散のための自分用サンドバック、通称倉科悠馬が、自分以外の人間によって使用不可能に一時的に成り下がったこと」と説明した。
もっと噛み砕いた説明を求めた恵美子に対し、高良は煙草の煙を燻らせながらのんびりと応じたという。
曰く、陽子は自分以外の人間が自分の所有物に手出しをしたことが許せなかった、という。
ああ、なるほど、と理解の早い恵美子はぽん、と手を打ちかけすぐに言葉を撤回した。
そのあとストレスを溜め込んで持て余した菅原陽子は、タイミング悪く現れた三月に噛み付いて、放送禁止用語を駆使して罵倒し始めた。恵美子はその陽子の姿を生暖かく傍観し、静かに記憶を心の奥底に封印したのだった。
「そういう問題じゃないでしょ! 副店長からくれぐれも、安全第一にって言われてたはずだよ!」
ぷりぷりと怒り心頭の陽子さんは林檎をボリボリと貪っている高良の背後、視線が合うなりギクリと身を強張らした二人の野郎を鋭く見つめた。吐き捨てるように「役立たずどもめ」と言い捨て、少しは落ち着いたのか恵美子が白いテーブルの上に用意した紅茶に口をつける。
幸音は陽子さんが静かになったので再びゆっくりと重湯を啜った。
幸音の部屋は恵美子の部屋の隣にあり、家の二階に面する東向きの朝日が眩しい六畳スペースの洋室で、恵美子の部屋は昔箪笥が在った名残の和室である。幸音には一人妹がいるが、破天荒で天真爛漫、しっかり者の性格で二年前に突然家を飛び出し、自宅から10分のアパートに未来の結婚相手と同棲生活をスタートさせた。それ以来空室になった部屋を恵美子が使い始めたのが去年の五月のことで、妹と仲良しの恵美子は彼女の家にもよく遊びに訪れているという。
昼前の明るい日差しが部屋に入り込み、ゆるく引かれたライムグリーンのカーテンを照らしている。寒いので部屋は締め切り、暖房を入れているが人口密度が高いせいかやや暑い。幸音はひんやりとした指先で首筋を触れ、その冷たさに小さく息をつく。
今日は土曜日で、本来なら飲み会が開かれる手はずとなっていたのだが、主要メンバーがこの有様であるので見事に順延の運びとなった。キャンセル料は取られなかったし、別の日程に組み替えればよかっただけなのだが幸音は由貴に申し訳なく思う。
「なんか、すみません」
幸音は重湯を握り締める両手にもろもろの思いを込めて、深く嘆息した。