2-15
恵美子はレジを幸音と入れ替わると淀みなく体を電話機へ勧めた。受話器を持ち上げ、シャープ、9とボタンをおす。
ピンポーンと緊張感に欠けた音が店内に響き渡った。
同時に幸音が立つレジへ男性の客が買い物籠をもって訪れる。
「いらっしゃいませ。お預かりいたします。お買い物袋はお持ちですか?」
店内放送に神経を向けながら幸音は両手で籠を受け取った。台の上に音なく置き、50代中ほど程度の男性客が静かに頷くのを認める。ありがとうございます、と笑顔を維持しながら幸音は応じ滑らかに商品を手早くレーザーに読み取らせていく。
「298円、128円、98円が・・・3点、498円、546円」
『本日は、お忙しい中スーパーニコニコにお越しくださいまして誠にありがとうございます。業務連絡します。潮さん潮さん、引田様から10番にお電話です。至急カウンターまでお願いします』
通常電話であればわざわざカウンターまで来て電話を取る必要はない。各部門の作業室に電話はそこかしこに設置されているし、社員ともなれば自前の店内ピッチを支給されている。
しかし今は違う。この店内放送は緊急の応援を要請していた。
「178円の50円引き、98円の半額が2点。ありがとうございます、1990円頂戴いたします。ポイントカードはお持ちですか?」
店内放送が木霊のように終了し、恵美子は静かに通信を遮断する。それから再度ボタンを操作し受話器を上げたまま1と0を連続して押した。
放送を聴いていたのだろう。
恵美子が連絡を入れた人物は2コールで出た。
「おつかれさまです。カウンターの森元です。西山副店長、棚3にて引田様ご来店です。・・・・はい。先ほど潮さんに応援頼みました。はい。編成は偵察倉科、部隊吉村。それから援護要員庄野の三名です」
「ありがとうございます、お先にポイントカードをお返しいたします。2000円お預かりいたします。―――10円のお返しでございます、お確かめくださいませ」
「了解しました。偵察による現認1回目。倉科によると現在は4棚付近で遊覧中とのことですので、通過もレジで確認します」
「ありがとうございます。またお越しくださいませ」
頭を垂れ、お客が籠を持ってサッカー台へ移動するのを見送り、幸音は釣銭をレジの中に仕分けしていく。
「わかりました。幸音さんへ代わります」
名に反応して幸音が顔を上げる。
恵美子と入れ替わりにレジを抜け、保留かかったままの受話器をとると点滅する1番内線の蛍光グリーンのボタンを押した。
「お待たせしました。お電話代わりました、吉村です」
『吉村さん、お疲れ様』
受話器から届くのはいつも通り落ち着いて、そこはかとなく湿り気を帯びている三月の声だ。しかし、先日のような情けなさや頼りなさといったものは欠片もない。
ただ穏やかに確信めいた信頼を幸音に向けて放っていた。
「おつかれさまです」
『状況は聞いてるよ。そちらに任せるけどいいね?』
「了解しました。確保に全力を尽くします」
『怪我をしないようにね。もしもの場合は自分たちの身を優先させること』
幸音はぐと奥歯を噛み締め顎を上げた。
寄せられているのは絶対の信頼。ただし、己の力量を過信するなとの忠告も入り混じる。
「了解です。庄野くんにも徹底させます」
『では後は任せるね。関係各所への連絡は僕に任せるといい。健闘を、祈るよ』
笑って静かに切られた言葉に胸が熱くなる心地がして幸音は鎖骨下をそっと撫でた。
「吉村さん。俺はどうしたら?」
力が抜けた由貴の声に幸音は頷いた。恵美子が気を利かせてこちらに寄越してくれたらしい。幸音はインカムから断続的に流れる悠馬の声に神経を尖らせつつ、視界を動かした。すると、帽子を脱いで脇に挟み、軽く引き締めた顔立ちで大股に歩み寄ってくる赤毛の女の姿があった。
彼女は紅の色をなくした唇を動かして右耳を指差す。
どうやら、後は任せろということらしかった。
そろそろ夕方ラッシュの時間だ。
先方もそれを見越してこの時間を選んだに違いないとするなら、確信犯の上に常習犯の可能性がある。
人ごみと忙しさに紛れて、獲物を逃がすわけにはいかない。
受話器を元の場所に戻し、恵美子と視線を交わすと、幸音は由貴を真直ぐ見据えたまま右耳に指を当てて通達を下す。
「吉村幸音です。これより、副店長指示でケースOからケースSに移行。対象名をM18、チームコードをYとし、吉村、倉科、そして庄野は、犯人確保に全力を投じ戦力を展開します。なお、新人一名を随行投入するためコードの簡略化は不能とします。以上」
『了解』
『りょうかーい』
『了解っス』
『了解です』
『わしの見せ場も残しとけよ!』
ピリと耳朶を電気が打つ痺れが走り、由貴は僅かに顔を顰めた。しかし、視線は凛然と声放つ幸音に向けたままだ。
いったいこれから何が起きるのか。
彼女の言葉がなにを意味するか判断できず由貴は混乱する。
「吉村さん」
「さあ、庄野くん。我々のスーパーニコニコが、スーパーたる由縁。とくとご覧頂きましょうか」
嫣然と微笑する年相応の笑顔を閃かせた幸音に、由貴は戸惑いを隠せずなすがまま頷いたのだった。