2-14
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日常は駆け足で過ぎていく。
新人バイトの庄野由貴は相変わらず寡黙で、一言多いが仕事ぶりは熱心で真面目、飲み込みも早かった。
ただ、その性格が災いしてかなかなか周囲の人間と打ち解けられず、ややアルバイト仲間からも浮いた存在だった。幸音は彼と何とか人間らしい良好なコミュニケーションを築こうと四苦八苦していたが、やはり年頃の少年の心は反抗期なみに頑なだった。
放置すればいつかは打ち解けるよ、と陽子は言っていたし幸音もそうだろうとは思っていた。時間が解決してくれる問題だと、取り敢えずは棚に挙げ、日々の仕事に打ち込んでいた11月下旬のある頃。
歓迎会を二日前に控えたある日、事件は起こった。
それはある穏やかな夕下がり。
最低気温が大町町では珍しく3度を記録した日のことだった。
時刻は午後5時35分8秒。
いつにも増して冷凍庫のような冷たさを維持するスーパーニコニコの店内、道路側入り口付近。栄養ドリンクの陳列ケースの裏手。カウンターと1番レジが併設する場所に一人ずつ真剣な面持ちで役職に当たる女性達がいた。
そしてもう一人、2番レジに白髪の青年が立っている。
月一の棚卸し作業の一貫として食品の数量リストと格闘し、在庫合計金額を計算していた幸音は、普段はつけない右耳のはめ込み型インカムから毀れた音声に眉を顰めた。計算機を叩く左指の動きを止め、数字の羅列を追っていたボールペンを絡める右手を静止させる。
2番レジでようやく慣れてきたレジ作業に少し退屈していた由貴も耳から届く同僚の凛然とした声音に眉を顰めた。出勤するなり耳にはめ込むようにといわれた黒色のフリーハンドインカムである。声の主は、二度ほど同じシフトとなった年下の倉科悠馬という高校生の少年だ。
「―――恵美子ちゃん、聞こえたね?」
背後の1レジで業務に当たっていた恵美子が真剣な面立ちで軽く頷いた。
「この時期に珍しいですね。別名、命知らずともいいますが」
「そうだね。間が悪いよね。さて、棚3方面目標発見。副店長に10番連絡」
珍しく緊張した面持ちの幸音の双眸が店内区画のある一転を見定めて、細く眇められた。遠方で片耳に手を添えた悠馬の姿も確認できる。悠馬は一瞬幸音たちに視線を送ると、再び何もなかったように棚の影に消えてしまう。
「了解しました。棚3のち10番、三月さん了解です。援護要員は必要ですか?」
「・・・。今日は陽子さんがいないからね・・・。潮さん、もしくは石崎さんは?」
「潮さんは休憩中です。石崎さんに9番情報通しますか?」
「一応お願い。駆けつけ時間10分前後ってところか・・・。詰めるかな」
「油断しなければ、おそらくは―――。店長に外線1番で10連絡、了解済みです。可及的速やかに対象を確保するように、と、9番通信繋ぎました。石崎さん応答確認」
「でかした、恵美子ちゃん。で、後は編成か」
悩んでいる時間がない分、無駄な焦りが生じて幸音は唇を噛む。こんな時、陽子がいてくれればどんなに心強いだろう。己の采配ミスが失態に繋がらないように留意しながら幸音は頭の中で今日の人員と動かせる要員を選択していく。
「幸音さん」
「ん?」
顎先に指を当てて思考していた幸音に、恵美子が呟きを漏らす。
「あのっ、幸音さん・・・。あたし―――」
「ちょい待ち恵美子ちゃん。それは言わない約束だよ。フォローし合うのが仲間の義務なんだから」
思いつめた恵美子の表情から心情を察して、幸音は緊張をほぐすように朗らかに頷いてみせる。
「レジは任せていいね?」
「ハ、ハイ! もちろんお任せ下さい!!」
からかい込めた軽やかな幸音の言葉に恵美子は深く頷き、己の責務を再確認する。幸音は恵美子の肩を軽く叩いて視線をその彼方へ送った。それから、ぎこちなく右耳を指で押さえた庄野由貴の顔を確認する。
事情はわからないだろうに僅かに緊張しているらしく、タレ目の双眸が揺らいでいる。
なんにしても察しのいい子である。
指示を仰ぐため口を閉じた恵美子に幸音は優しく笑いかけ目を瞑り、口の端を歪めた。耳の後ろをボールペンの先で掻き脳内をフル起動させる。皮肉げな表情を一瞬浮かべるとすぐに表情を引き締めて目を開いた。
「わかった。それじゃ、私の補助に由貴くんつけるかー。仕方ない。緊急時だから店内放送で潮さん呼び出しお願いね」
「了解です」
恵美子は真白な歯を見せて自信に満ちた光を目に浮かべる。
幸音は客がちょうど由貴のほうへ流れたこともあり、彼女と一時的にレジを代わる。
『偵察から司令部へ。目標4棚αへ移動中。どうぞ』
さあ、ここからは時間の勝負だ。