2-13
音は陽子の携帯電話からだったようだ。陽子は四角い革の鞄からワインレッドにカラーリングされたスマートフォンを取り出し、慣れた手つきで画面を操作した。幸音がディスプレイを覗き見るとそこに「ワーカホリック高良ちゃん」と二段構えの文字が羅列されていた。
「もしもし、高良ちゃん?」
陽子の電話が始まったので一度会話を中断させ、悠馬、二朗と一緒に彼女に着目し、様子を見守る。
『よおチビ。今大丈夫か?』
音量が大きいため自然と高良の声が漏れ聞こえる。
隠すような会話でないのだろう。陽子はそのままの音量で話を続けた。
「図体でかいやつにとってチビもクソもねぇだろうが。で、なぁに、高良ちゃん」
『ハハ。相変わらず凄まじい言動だな。年上じゃなかったらぶっ飛ばしてやったのに。残念だ』
「そっれはご愁傷様だね、高良ちゃん。年齢も人生経験も高良ちゃん如きがあたしに敵うわけないんだよ。うふふふふ」
『ハッハッハ。そりゃお前が歳食ってるだけだろうが、このサバ読みババア』
「えへへへへへ。地獄に落ちろ、この変態ロリコン」
『ハハハハ。いい加減にしやがらねぇとお前の性癖全員にばらすぞ』
「うふふふふ。やれるものならやってみれば良いよ。みんながどっちの言葉を信じるか、明白だよ? 失敗した時、あーイタイイタイ変態野郎って思われるの高良ちゃんだけだよ?」
『ハハハハハハ』
「えへへへへへ」
しばらく数秒ほど、両者の気味の悪い笑声の応酬が続いた。幸音は陽子の顔に張り付いた能面のような笑顔に身震いしつつ、少しだけ二朗側に体を退ける。
『ま、冗談はさておいて。27日の飲みの件なんだが』
「飲み?」
小さく抗するような声をあげたのは悠馬だ。いつの間に縄抜けまで習得したのか、体中に付着した埃を押し掃いながらてけてけと幸音の横に並んだ。両手には綺麗にとぐろを巻く荒縄を抱いて。
陽子は携帯電話を肩口と耳の間に挟んだ。先ほどまで明瞭に聞き取れていた高良の声がくぐもり、なにをいっているのか幸音たちの距離では判別できなくなる。
陽子は高良の声にしきりに頷いた後、鞄から四苦八苦しながら手帳を取り出すと、手にしていたボールペンでさらさらと何かを書き込んでいく。
「了解了解。店は宮ノ内の駅前なんだね、了解。『串活さん』だねー、うん。うん、前に幸音ちゃんと一緒に行ったことあるよ。店舗は狭いけど個室もあるし料理もおいしかったなーって。お酒の種類も豊富だし泡盛もあるんだよね。はいはーい。七時開始、行ける人から宴会はじめてれば良いんだね。わかったー」
「菅原は何の話をしとんじゃ?」
「さぁ・・・」
「宴会って言ってたし、飲みって言ってたっすから例のアレじゃないんスか? 個室とかなんか聞こえたし」
取り残された三人が脱力してボールペンと手帳をしまった陽子に視線を向けると、彼女は携帯を手に持ち替えてブイサインをして見せた。その表情は悪戯に成功した子供そのものである。
『つーことだから、車メンバーの割り振りとシフト調整、と伝言ヨロシク』
「アリガトー、高良ちゃん」
『お前、言い出したくせに何もせんな本当に。アリガトーとか、全然感情こもってないじゃないか』
「お前にやる情はねぇ」
ぶつ、と陽子は着信を切った。
傍から聞いていてこれほど心臓に悪い会話の応酬はないだろう。
携帯電話の画面を操作してロックをかけた陽子は硬直する幸音の傍まで寄ると、その腕を組んで引っ張り歩き出す。
「わっ」
「さあ、帰ろうか幸音ちゃん。いつまでもこんなさむーい部屋にいたら風邪引いちゃうよ」
まるで何も起きなかったという態度で陽子は幸音の腕に腕を絡めて廊下に進み出た。幸音は破砕された事務所の入り口を視線で捉え、ぐいぐいと引っ張る陽子の力に僅かに抵抗しつつ背後で呆然とする二人組みの男子を見つめた。
ふと、陽子が思い出したように足を止める。
「明日の朝までに扉、直しといてね」
ほら行こう、幸音ちゃん。
ぼとっ、と悠馬が何かを落とした。蛇がごとく足の上に落ちたのは彼が手に持っていた縄だ。後ろ髪引かれながら幸音たちが二階の入り口を出たと同時に、意味不明の悠馬の嬌声が廊下中に響き渡った。