2-10
バキッ。
力任せにドアノブを破砕し猛烈な腕力で扉ごと、二朗が引き剥がした。
「げほっ」
土ぼこりが立ち込め、幸音は大きく咳き込む。
ドライアイスを炊いたかのような白煙が周囲に撒き散る中で、ただ陽子と二朗は冷静だった。二朗はすぐに引っぺがした扉を向かい壁に向けて投げ飛ばす。
振動と衝撃に幸音は目を瞑った。
「っ!」
「どいつだ」
「命知らずな人は、お仕置きです!」
示し合わせたわけでもないだろうに、お互い一歩ずつ扉のうちに足を進めている。
遅れて反応した幸音を放置して、まず二朗がその健脚で事務所の中に飛び込んだ。追って陽子が素早く歩を進める。幸音も顔を上げようやく晴れてきた霧、でなく埃の中を目を細めて確認する。
事務所の中の構造を頭に思い描き、躊躇うように足を動かした。
部屋に踏み入れた瞬間、ぞっとするほど冷たい冷気がそこここに充満していた。まるで、凍土の中にいるようだ。
幸音は身震いし、鼻を啜った。
と耳に、懐かしい音が響き渡る。
「典礼律するところに我あり、汝の行く先に栄光あれ!」
しまったと反応するより早く、体は自然と動く。両目を塞ぐように右腕で視界を覆うと、瞑っても塞ぎきれなかった閃光の衝撃が網膜を焼くように点滅した。音なく弾けるように幾つもの小さな光の珠が冷気の中で存在を迸らせていた。
「二朗ちゃん、右右!!」
「わかっとる! すばしっこい奴じゃ! おとなしゅう観念せぃ!!」
「違うよ、左!」
「わかっとる! つうーか、菅原。いきなり魔術使うなや! 危ないじゃろうがっ」
「緊急事態だからいいの! ああ、もう。二朗ちゃん、右だって、右!!」
「じゃぁあああああ。もう、なんねぇ!? いい加減にせいっちゅうの!」
どうやら犯人はちょこまかちょこまかと動き回る人間のようである。
「あ、幸音ちゃん! 逃げて、危ないッ!!」
「へ!? だぅっ!!」
何かが突進してきた。巨大な猪の塊のような弾力のあるそれはおそらく犯人か―――。
相手の方も予想外だったと思え、激突してきた衝撃に慄いて僅かに後退ろうとする。
逃がすものか!
幸音は両手を伸ばしてよく伸びる布を掴んで爪を立てた。
「いでででででで!! 痛いっスよ、幸音さん!」
「あれ? この声は―――」
幸音は対象物を掴む手の力を緩め、うっすら晴れ始めた霧の中からその人物の面影を探した。
「ちぇぇえええすとぉ、じゃあぁあああああああ!!」
破竹のように声が爆発した。指先で旋風が巻き起こり一気に霧が晴れる。
石崎二朗は魔術を使えないはずだと幸音は冷静に思考をめぐらせたが、この際どうでも良いことだった。冷気と霧がひと掃いに消え去ると、徐々に灰色のシルエットが浮かび上がる。
「こなくそ、盗人が! 観念せぇいっ。うりゃぁあああ」
「ギャー。ギブッ、ギブですって二朗さん! もう重いダメ俺、死ぬうぅぅ。でもきもちぃい」
エビゾリ型に動きを寝技で固められた悠馬が顔を真っ赤にしながら苦々しい声を絞り出していた。
冷たい床を掌で何度も叩きながら涙目で降参を示す悠馬。しかし、二朗は当分その背中からどこうとしなかった。
「うわぁ。キッツ。見るんじゃなかった。この上なくグロイね」
幸音の背後で顔を顰め吐き捨てた陽子の声はどこか落ち着いている。
犯人が悠馬だとわかったからではもちろんないと、察したくないのに幸音は察してしまった。
「陽子さん?」
「なーに、幸音ちゃん?」
振り返る先にはいつも通り邪悪な笑顔を振り向ける陽子の姿があった。